第4話

「・・・どういうこと?言っている意味がわかんないよ。何で、恋人になるの?」

「考えてみて、ルミナ。この状態での婚約解消は、ルミナにとって不利にしかならない。同情よりも、醜聞にしかならない」

穏やかに優しく説明するアトラスの言葉が、鋭利な刃物のように心に刺さる。

今更ながら現実を目の当たりにして、嫌気がする。

アトラスが言う通り、今回の婚約解消は私には不利な状況しかない。

お互いの相違を正す為や、異性のトラブルの婚約解消なら問題ないが、今回は、女性として私が負けたのだ。

幼少の頃から私がグロッサムに好意を抱いていたのは、家族だけでなく周知の事実で、また、グロッサムは女性に人気はあっても、決して浮ついた噂はなく、私に対して紳士的で優しい態度をとっていた。

そのグロッサムが、私ではなく他の女性を選んだ。

つまり、私は女性としての魅力もなく、爵位もない、

つまらない女、

なのだ。

それは、社交界の格好の噂話になり、これからまともな縁談は望めないだろう。

「それが、どうしてアトラスと恋人になる事に繋がるの?」

「だって、私はカーヴァン公爵家唯ーの嫡男だよ。その私と関係があれば、ルミナを蔑ろに扱えないし、存在価値は上がる。本当なら婚約して欲しいけど」

「大袈裟」

「と、言われると分かってるから、恋人同士なら問題ないかな、と思ってね」

楽しそうに笑う声に、なんだか全部を見透かされていて、悔しい気持ちになってくる。

「勿論ルミナに好きな人が出来れば、別れるよ。私がだらし無くて捨てられた、という事にすれば、ルミナに非難がいかないよ」

「それじゃあアトラスに損ばかりだよ」

「そんなことないよ。実はね、かなりの女性から声を掛けられててうんざりしているんだ」

げんなりした声に思わずタオルを取ると、肩を落とすアトラスと目が合い思わず笑ってしまう。

その私の笑顔を見て、ほっとしたように微笑みを浮かべた。

そしてゆっくりと起き上がりベッドの端に座ると、アトラスはタオルを置き、持っていたクッションを横に置くと、私の近くに座った。

「ルミナ顔見せて」

そっと頬に触れる手が暖かくて心地よい。

じっと見つめてくる青い瞳を見ていると吸い込まれそうになる。

「だいぶ腫れが引いたね」

「アトラスが冷やしてくれたお陰よ。なんかさぁ、前から思っていたんだけど私の事お子様扱いしてるよね」

つい不満を口にすると、首を傾げられた。

その様子に、やっぱり子供と思われてるのかと少し拗ねる。

「それは、ルミナのとり方だよ。私は一度もルミナの事をお子様扱いをした事ないよ。いつだって1人の女性として見てるよ」

「本当に?いつも優しく見守ってくれて、面倒見てくれてるでしょ。何かしようとすると、何時だって危ないから、と言って手を貸すじゃない」

ぷぅ、とほほを膨らませ口をとがらす。

「それは、私にとってルミナがとても大切だからだよ。で?恋人になってくるの?なってくれないの?」

急に真摯な表情になり、一度も聞いた事のない声で切なく問いかけてきた。青い瞳が震えているように見え、私の胸の奥底に何か蠢く気がして、その視線を受けて、全身が粟立つような感覚に襲われた。

今迄とは全く違う雰囲気を感じて戸惑い、どうしていいのか分からず、言葉が出なかった。

「いや?」

私の無言に不安になったのか、眉を下げ悲しそうな表情になり、しゅんっとした様子で首を傾げ、きゆっ、と私の手を握ってきた。

その手がかすかに震え、汗をかいていたのに私は驚いた。

「いや、じゃないけど、急すぎて考えてただけよ。そんな顔したら何だか私が困らせているみたいじゃない」

そんな姿を見ていると、罪悪感からなのか、何だか分からないが心苦しくなり、心臓がドキドキしてきた。

「じゃあ、いいんだね」

今度は子供のように大袈裟な程に嬉しそうに笑う姿に、ぷうっと頬を膨らませ、ふい、と目線を逸らした。

「いいよ。いいけど、何だかアトラスに振り回されている感じがするわ」

「そんな事ないよ。ありがとう、ルミナ。ねぇ、じゃあ抱きしめていい?」

改めて言うアトラスの顔が、今度はこそばゆい気持ちになるほどに恥ずかしそうにはにかみながら見つめてきて、その甘い笑顔に思わずドキッとして、心臓が激しく脈打った。

「もう!さっきから何?前はよく抱きしめたじゃない。そんな風に言われたら調子狂っちゃうわ」

顔を赤く染めながら、照れ隠しもあってか、わざと怒ったふりをして言った。すると、今まで見た事がないくらい優しい笑みを浮かべて微笑んできた。

いつもとは違う大人びた態度に動揺してしまい、目を泳がせていた。

そしてそっと腕を伸ばしてきたと思うと、優しく包み込むように抱き締められた。

「そうだね。久しぶりに会ったから、確認したかったんだ」

耳元で囁かれた声は低く掠れて艶があり、心地よく響いた。久しぶりだからだろうか、体温も匂いも全てが懐かしくて安心できるものだった。

「ルミナ、だ」

更にぎゅっと強く抱き寄せられると、お互いの鼓動まで聞こえるのではないかと言うぐらい密着していて、アトラスの腕の中に閉じ込められたと思った瞬間、ガッチリした胸板で筋肉質な身体つきに驚き、顔上げた。

「アトラス凄いよ!」

「な、何が!?」

「こんなに筋肉あるよ。それに男らしい身体になってるし、ちょっと感動かも!」

「えーっと、それは喜んでいいのかな?」

戸惑っているようだったが、私の言葉を聞いてふっと口角を上げて笑っていた。

「勿論だよ。これ、かなり鍛えてるんでしょ?」

硬い胸筋にペタペタ触りながら確認すると、本当に硬質な上に胸板が広くなっていた

「う、うん、まぁね。少しでもルミナに格好良く見られたいと思って、頑張ったんだよ」

「うん、素敵になってる」

掌に感じる程よい硬さと温かさがとても気持ちよく、幾度も触り確認する。

「前のアトラスと全然違うよ。本当に凄くカッコいいよ」

前よりも胸板が広くて、硬い。

それに、とちらりと顔を上げると、アトラスと視線が絡み合った。

身長も伸びているのだろう。

自分が知っている高さから更に高くなっていた。

「アトラス、背が伸びたね。おじ様は騎士を指導しているものだから、アトラスも教えて貰ってるのね」

幼い頃のアトラスは、華奢で線が細かった。それに比べおじ様は筋肉質で衣服を纏っていてもわかるくらいに体が大きかった。

それが今ではおじ様には負けるが、しっかりとした体格になっている。

固くて筋肉質な胸が素敵すぎて触っていると、急に腕を掴まれた。

「う、嬉しいけど、ルミナ、もういいよ!それ以上やると、我慢できなくなるから!」

「我慢?」

首を傾げていると、アトラスは掴んだ腕を離し咳払いをした。

「えっと、その、とにかくこれ以上はまずいってことだよ。だから、あまり触らないでくれるかな?」

恥ずかしそうにしているアトラスを見て、ますます首を傾げた。

「まずい?何が?」

「突っ込まなくていいから!変わらず鈍感という事は、あの男とは何もなかったんだね」

鈍感という言葉にムッとした。

「何も無かったよ。それが鈍感と何か関係があるの?」

「あるといえば、あるかもね」

歯切れの悪い答え方をするアトラスに更にムッとする。

「どの辺が鈍感なのよ」

「それは私からは言えないかな。自分で考えないとね。それより、下に降りよう。おじさん心配してるし、私達が恋人になったのを知らせないといけないよ。まずはおじさんに許可貰わないといけないだろ」

ふんわりと微笑むアトラスに何だか誤魔化された気分だった。

「律儀だね。さっきの理由を言ったら問題ないよ。それにアトラスならお父様は許してくれるよ」

「それなら嬉しいけどね」

昔から変わらない包み込む微笑みに、安堵が広がり、心の痛みが和らだいのがわかる。

あれだけ、胸が痛くて、辛辣だった気持ちが今は笑える程になっている。

いつも側に寄り添い、私を甘やかし、許してくれる。

正直それが鬱陶しくて鬱陶しくて堪らなかった時もあったけれど、その包容力に助けられていた事も確かだ。

「アトラス、側にいてくれてありがとう」

「違うよ。私が側にいたいから来たんだ。ルミナがあの男を好きだったのは知っている。でも、もう忘れるんだ。他の女を選んだ男なんだから」

「そう、だね」

2人の行為の姿が脳裏に蘇り、胸が痛んだ。

「私がそばにいるからね」

頬を触るアトラスの手に、自分の手を重ねると、とても安心出来た。

「ぎゅ、して」

「いいよ」

ふんわりと抱きしめてくれるアトラスの心臓の鼓動がとても心地よかった。

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