第十話 スタート地点


 夏が間近に迫った季節だった。とはいえ、夜はまだ少し寒かったが。


 午後八時半過ぎ。


 黒いシャツに、黒いカーゴパンツ。黒いスニーカー。全身を黒一色で包んだ秀人は、市街地から少し離れた場所にある一戸建ての前にいた。かなり大きい部類の一戸建て。煉瓦色の建物。


 指定暴力団当麻會とうまかい。その傘下の一つである、檜山ひやま組の事務所兼住居。


 建物には、物々しい監視カメラがいくつも設置されていた。入口の門は、秀人の身長より高い鉄格子。


 秀人は、カーゴパンツのポケットから小さな箱を取り出した。栄養補助食品の箱。箱を開けて、中からブロック状の食べ物を取り出す。手軽にカロリーを摂取できる食べ物。


 クロマチン能力は、エネルギーの消費が激しい。エネルギー補給もせずに全力で動き続けたら、十分もしないうちに体力が尽きて動けなくなる。事前のエネルギー補給は、戦う前には必須と言えた。


 栄養補助食品を食べてゴミをポケットに入れると、秀人は門を蹴破った。


 ずかずかと玄関に向かって歩く。頑丈そうな玄関のドアも蹴破った。


 異変に気付いた若い構成員が、ドタドタと音を立てて玄関に出てきた。三人。


「何だ!? おま――」

「うるさいよ」


 秀人は、素早く外部型クロマチンを発動させた。弾丸を三発生成。即座に撃ち出す。


 秀人が放った三発の弾丸は、正確に、若い構成員達の頭を撃ち抜いた。玄関に飛び散る、血と脳漿。


 この事務所の構造を、秀人は、一週間前に捕らえた構成員から聞き出していた。


 もちろん、その構成員が素直に話してくれたわけではない。身動きができないように拘束し、骨を、手足の指から一本ずつ砕いていった。指の第一関節、第二関節というように、細かく少しずつ。両手足の指が全て砕け、さらに上腕と脛の骨を潰したあたりで、その構成員は素直になった。もっとも、素直になった理由は、助けを求めるためではない。ひと思いに殺して貰うためだ。


 情報を聞き出すと、秀人は、彼をひと思いに殺した。


 この事務所は、玄関に入ってすぐにところに廊下がある。廊下の突き当たりまで歩くと、壁に向かい合う位置に階段。そこを登ると二階。二階に上がって一番奥にある部屋が、この事務所を任されている岡田おかだの部屋だった。


 秀人は、まるで自宅のような軽い足取りで、二階への階段を登った。土足のままで。


 任侠映画のように、次々と構成員が出てくる――などということはなかった。暴力団員の数は、年々減っている。統計上では、三十代未満の暴力団員は全体の十パーセントに満たない。その影響もあるのだろうか。


 秀人が玄関口で殺した構成員は、いずれも若かった。つまり、組の未来の一部を潰してしまったわけだ。秀人にとっては、どうでもよかったが。


 二階の奥の部屋。そのドアの前に辿り着いた。


 秀人はまたも、ドアを蹴破った。


 中は、二十畳ほどの広い部屋だった。フローリングの部屋。立派な机と革張りのソファーがある。壁際には、大きな棚。複数ある窓は小さい。人ひとり通るのも難しそうな大きさの窓。日中でも、部屋の明りを点けなければ薄暗いだろう。


 秀人は、立派な和服を着た人物がいるところを想像していた。もしくは、ブランド物のスーツを着た、強面の男がいる場面。


 しかし、その場にいたのは、ジャージやTシャツ、タートルネックに身を包んだ男達だった。妙齢の男達。平均年齢は四十代中盤、といったところか。


 人数は十四人。


 一人だけ、上半身裸の男がいた。入れ墨があるものの、体中を埋め尽くすほどではない。正座をし、左腕を別の男に掴まれている。傍らには、日本刀を手にした男。その周囲を、他の男達が取り囲んでいる。


 裸の男の左腕には、注射針の痕があった。


 秀人は、頭の中にある情報を引き出した。


 この組の一部構成員は、違法合法問わず薬物の売買を行っている。組の資金とするために。反面、構成員の薬物使用は禁止している。当然と言えば当然かも知れない。売る側が薬に溺れてしまっては、売る前に使ってしまう。


 ということは、裸の男は、薬を使用した粛正を受けるところだったのか。今から、左腕を切り落とされるのだろう。


 室内の者達の視線が、ドアを蹴破った秀人に注がれていた。とはいえ、たじろく様子も驚く様子もない。暴力慣れしているため、この程度では驚かないようだ。


 最近の暴力団の資金源は、暴力が関連するものよりも、特殊詐欺などの頭脳型に変化している。だが、彼等の力の根本は暴力にある。


 男の一人が、早足で近付いてきた。秀人を睨みながら。背中に手を回した。秀人の近くまで来ると、背中に回していた手を振り上げた。その手には、いつの間にかナイフが握られていた。ベルトにでも仕込んでいたのだろうか。


 自分に向かってくるナイフの動きが、秀人には、はっきりと見えていた。顔に向かって振ってくる。顔面を袈裟斬りにする軌道。


 秀人は避けなかった。そのまま、男のナイフを顔面で受けた。


 ただし、外部型クロマチンで防御膜を張ったが。


 ナイフで斬り付けられても、秀人の顔には傷一つ付かなかった。外部型クロマチンの防御膜は、柔軟性と衝撃吸収性を有している。刃物も銃も効かない。


 秀人を斬り付けた男は、目を見開いた。手にしたナイフと秀人の顔を、交互に見ている。


 彼に対して、秀人は微笑んで見せた。これから死ぬ者に対する、別れの笑み。出会ってから数秒しか経っておらず、彼の名前すら知らないが。


「今度は俺の番だね」


 ナイフを持った男の腕を掴み、秀人は、瞬時に内部型クロマチンを発動させた。一気に握り潰す。ゴキッという、骨が砕ける音。グシャッという、骨以外の組織が潰れる音。


 もちろん、それだけでは終わらない。秀人は男を引き寄せ、彼の脳天に拳を振り下ろした。


 再度、骨が砕ける音。同時に、トマトを床に叩き付けたような、水分が弾ける音。


 男の頭を、頭蓋骨ごと叩き潰した。血と脳漿が、部屋の中に飛び散った。


 さすがに、部屋の男達は驚いた顔を見せた。


 人間の頭蓋骨を骨折させるには、概ね六〇〇キログラム以上の圧力を掛ける必要がある。叩き潰すほどの圧力となると、一トンは必要だ。とても人間に――秀人のような小柄な男に出せる力ではない。


 頭を殴り潰された男は、秀人の足元に崩れ落ちた。眼球が、衝撃で飛び出ていた。床に、血が広がってゆく。


「ねえ、岡田さん」


 友達にでも話しかけるような口調で、秀人は声を掛けた。この事務所を任されている、岡田武士たけし。彼は驚きで目を見開き、何の反応も示さない。


 ――まあ、当然かもね。


 小さく、秀人は息をついた。クロマチン能力の存在は、世界中に知れ渡っている。常識では考えられない、人外の力を発揮する能力。だが、直接目にする者はそれほど多くない。この事務所の男達も例外ではないだろう。つまり彼等は、今、残酷な手品でも見ているようなものなのだ。


 岡田を含め、この部屋にいる全員が呆然としている。


 秀人は勝手に話を勧めた。


「俺と協力関係になってほしいんだ。俺も色々と手を貸すから、岡田さん達も、俺に手を貸してくれないかな?」

「……な……?」


 岡田の口から、絞り出すような声が漏れた。言葉にはならない。「何を?」とでも言おうとしたのだろうか。


 構わず、秀人は続けた。


「俺さ、銃が欲しいんだよね。人を殺せるなら、密輸品でも改造銃でもいいから。とにかくたくさん。岡田さん達だけで集められないなら、当麻會の人達にも声をかけてくれないかな? もしくは、と内通してる警察官からでもいいし。あるいは、ツテとコネがあるなら、海外マフィアとか」


 この国で銃の入手が困難なのは、秀人も分かっている。特に最近は、全国的に暴力団が衰退し、海外マフィアとの連携も薄くなってきている。


 しかし、そんなことなど、どうでもいい。


「お前、何なんだ?」


 岡田の口から、ようやくまともな言葉が出てきた。


 秀人は、彼の質問を無視した。


「とりあえず、その人の粛正を手伝ってあげる」


 秀人は左手を突き出した。銃を模倣するように、人差し指と中指を伸ばす。二本の指は、粛正される男に向けていた。彼の、左腕。


 秀人の左手指先付近。ゆらりと、小さく空気が歪んだ。


「ばん」


 声とともに、外部型クロマチンの弾丸が発射された。速度は、時速二五〇キロメートルほど。銃弾に比べればかなり遅い。しかし、破壊力は決して劣らない。


 弾丸が、裸の男の左腕に当たった。上腕の中間あたり。直後、弾丸の当たった部分が、破裂するように四散した。肉や骨が飛び散り、周囲の男達や壁に当たった。血が勢いのある霧状となって、周りに血痕を残した。ただし、出血量はそれほど多くない。標的を破裂させたことで、血管を含む組織を潰したためだ。


 体から切り離された、裸の男の左腕。床の上に落ちた。骨や筋肉のある腕は、意外に重い。落下の際に、ゴトッと鈍い音がした。


 左腕を失った男は、声も出せずに蹲っている。もともと正座をしていたため、今は土下座のような格好になっていた。


 広い部屋に、血臭が漂った。鉄と生臭さが混じったような臭い。


「どう? 日本刀を血と脂で汚す必要もなく、粛正できたでしょ?」


 友好的に、秀人は岡田に微笑みかけた。


 岡田は、ようやく少し落ち着いてきたようだ。脂汗を滲ませているが。秀人を睨む目には、しっかりとした意思がある。


「何なんだ、お前は。何のつもりでここに来た?」


 岡田の、絞り出すような声。彼は、周囲の者達を秀人に仕向けなかった。分かっているからだろう。この場にいる全員で、持ち得る最大の武器を使用して秀人を殺そうとしても、返り討ちに遭うだけだと。暴力の世界で生きてきた者の、暴力に対する直感力と判断力。


 秀人は肩をすくめた。友好的な笑みは崩さない。もっとも、本心から彼等と仲良くするつもりはないが。


「だから、言ったよね。大量に銃が欲しい、って」

「そんなもん、簡単に手に入ると思うか? 俺達みたいなモンが、皆が皆、余るほど銃を持ってるなんて思うなよ」


「そんなこと思ってないってば。これでも、元警察関係者だからね。現代の暴力団の実情は知ってるつもりだよ。『もうやめたいけど、これ以外に生きる道を知らない』なんて言ってた奴もいたし」


「知ってるなら、諦めろ」

「いやだなぁ、岡田さん」


 秀人は微笑みを崩さない。微笑んだまま、左手の指先を構成員の一人に向けた。粛正のために、日本刀を持っている男。


 秀人の指先周辺の、景色が歪んだ。弾丸を放った。貫通力よりも破裂する力を重視した弾丸。


 日本刀を持った男の頭が砕けた。口から上が吹き飛び、周囲に四散した。奇跡的に原型を留めていた眼球が、コンッと音を立てて窓に当たった。


 口から上を失った男は、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。持っていた日本刀が、金属音を立てて床に落ちた。


「俺には、銃を手に入れるツテもコネもない。諦めることもできない。だから、こうやってお願いに来たんだよ」


 秀人は、さらに弾丸を放った。先ほどと同じく、破裂する力を重視した弾丸。今度は、狙った男の頭を全て吹き飛ばした。首から上を失った男は、バランスを崩して近くの机にぶつかり、倒れた。


「ねえ、岡田さん」


 この事務所に侵入してから、六人殺した。一人の腕を吹き飛ばした。それでも秀人は、微笑みを崩さなかった。


 秀人にとって、この国は、これから沈没させる船。何人死のうが、誰が死のうが、笑顔でいられる。


「こんなに必死に頼んでるんだから、とりあえず頑張ってみてよ」

「……どうして、そんなに銃を欲しがる? そんな真似ができるなら、銃なんていらねぇだろうが」


「俺が使うわけじゃないって。他の奴等に使わせたいんだ」

「仲間に持たせるのか? 何をするつもりかは知らんが、お前一人いれば十分だろ」

「それが十分じゃないから、頼んでるんだって。詳しい事情は言えないけど」


 再度、左手の指を突き出して、構えた。撃つ。殺した。これで七人目。


「ねえ、岡田さん。お願いだからさ。じゃないと、どんどん死んじゃうよ?」


 撃つ。殺す。八人目。


 部屋の中に漂う血臭は、どんどん強くなる。左腕を失った男は、気絶しているようだった。それが出血のせいか恐怖のせいなのかは分からないが。


 岡田が秀人の頼みに耳を傾けたのは、死者が十人に達した後だった。部屋の中には、血や肉片、脳の残骸が飛び散っていた。


 ――これは、今から六年前の出来事。


 秀人が道警本部の特別課から姿を消し、失踪してから二ヶ月後の出来事だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る