第六話④ 亜紀斗対咲花~訓練であって訓練ではない戦い~(後編②)


 亜紀斗の中にある、凶暴性。自身を守ることよりも、破壊を重視する感情。自棄じき的な感情が、亜紀斗に、破滅的な戦略をもたらした。


 咲花に接近した瞬間に、あえて攻撃しない。そうすることで、彼女の想定を狂わせる。想定が狂い、混乱状態で無理に距離を取ろうとしたところを、仕留めてやる。


 距離を詰める瞬間に、咲花が攻撃をしてくるかも知れない。それでもいい。多少の負傷は気にしない。肉を切らせて骨を断つ、ではない。骨を断たせてでも、命をもぎ取る。


 この戦いは、ただの訓練だ。相手を傷付けることが目的ではない。模擬的な実戦を行うことにより、本番で能力を発揮できるようにする。


 そんなことなど、もう、亜紀斗の頭の中にはなかった。


 十年前から培った知識と経験は、凶暴性と暴力性を満たすためだけに使われていた。


 床を蹴り、亜紀斗は踏み込んだ。


 咲花は迎撃してこない。亜紀斗の接近を止めようともしない。


 亜紀斗が動き出してから〇・〇五秒後。二人の距離は、約三・五メートル。咲花は、自分の左手を動かした。


 亜紀斗が動き出してから〇・一秒後。二人の距離は、約二・五メートル。咲花は、動かした左手を自分のタンクトップの中に入れた。


 亜紀斗が動き出してから〇・一五秒後。二人の距離は、約一・五メートル。


 突然、亜紀斗の視界の中で何かが爆散した。黒い欠片のような物がいくつも散り、舞った。


「!?」


 反射的に、亜紀斗は足を止めた。目の前に舞い散る、黒い欠片のようなもの。柔らかく、ヒラヒラとしている。


 一瞬で気付いた。これは布だ。咲花が、自分のタンクトップを、破裂型の弾丸で爆散させたのだ。


 ――外部型の弾丸が威力を発揮するには、一定の距離が必要である。本来なら、自分のタンクトップを爆散させられるはずがない。じっくり考えれば浮かぶはずの疑問だが、そんな余裕などなかった。


 舞い散るタンクトップを振り払い、亜紀斗は、咲花の姿を探した。あと一・五メートルの距離まで近付いたはずだ。しかし、その場所に、咲花はもういなかった。


 ――どこに行った!?


 咲花は、亜紀斗から大きく距離を取ったはずだ。遠い距離から仕掛けてくるはずだ。


 そう、思っていた。


 そう思っていたから、咲花を見つけた瞬間、亜紀斗は混乱に陥った。


 咲花は、すぐ近くにいた。小さく構えた亜紀斗よりも、さらに小さく構えている。亜紀斗の懐に入ってきていた。


 彼女の左手が、亜紀斗の右脇腹に添えられている。触れてはいない。二センチほどの隙間がある。


「――!?」


 混乱が、亜紀斗の反応を鈍らせた。それでも、本能で感じていた。咲花は、亜紀斗の右脇腹に添えた手で、何かを仕掛けてくるのだと。外部型の彼女に、この距離での攻撃手段はない。それは分かっている。だが、本能が、危険信号を発していた。


 だから咄嗟に、クロマチンで右脇腹を強化しようとした。彼女の攻撃に耐えられるように。


 しかし、一瞬遅かった。


 右脇腹に、爆発を受けたような衝撃が走った。貫通タイプの弾丸だと気付いた。この距離で、こんな威力を出せるはずがないのに。出せるとしても、せいぜい、肉体的な力で殴る程度の力なのに。


 今の咲花の弾丸には、強烈な威力があった。通常の貫通タイプと変わらない威力。銀行の事件で、犯人達の肺を打ち抜いたような。


 反応が遅れたとはいえ、亜紀斗も、クロマチンで右脇腹を強化した。完全とは言えないまでも、最大時の五割くらいの強化には成功している。


 それでも、強烈なダメージを受けた。間違いなく、肋骨数本にヒビくらいは入った。


 人間の右脇腹には、肝臓がある。内蔵の中で、もっとも衝撃に敏感な臓器。


「あっ……がっ……」


 息が漏れた。


 肋骨の負傷と、肝臓への衝撃。息が詰まるような苦痛に、亜紀斗は、片膝を床についた。呼吸が苦しい。脳へ酸素が行き渡らない。正常な思考ができない。


 本来なら「苦しい」以外の発想が不可能となる、今の亜紀斗の状況。それなのに、気付けた。咲花が、どうやって、この距離で亜紀斗にダメージを与えたのか。


 彼女は、弾丸に強烈な回転を加えて放ったのだ。強烈な回転は、貫通力を生む。貫通力は、破壊力を生む。銃弾に威力があるのは、強烈な回転をしているから。その原理と同じだ。回転によって、飛行距離の不足を補ったのだ。


 弾丸に強烈な回転を加えるなんて発想は、今の今まで聞いたことがなかった。どんなに少なくとも、亜紀斗は知らない。そんなことができる者に、会ったこともない。


 驚異的な技術力だと思う。離れて戦うのが外部型の基本戦術だが、咲花は、その常識を打ち破ったと言える。


 そこに辿り着くまで、咲花は、どれだけの努力を重ねたのか。外部に放出したエネルギーを回転させるのに、どれほどの研究と研鑽を重ねたのか。そんな未知の技術を、訓練とはいえ実戦の場で出すために、どれほどの胆力を必要とするのか。


 凄いとしか言い様がない。見事としか言えない。呼吸困難の苦痛よりも、咲花への賞賛が、亜紀斗の頭を支配していた。間違いなく、自分よりも高みにいる。


 凄い。

 本当に凄い。


 それは分かっている。

 けれど。


 ――認めたくない!

 ――認めるわけにはいかない!


「があっ!!」


 唸り声を上げ、亜紀斗は強引に立ち上がった。呼吸が、まだ正常にできない。のたうち回るほど苦しい。酸欠で眩暈めまいがする。吐き気がする。


 呼吸ができない状態で、亜紀斗は、強引に体を動かした。拳を全力で振るった。足元がおぼつかない。クロマチンを使うことさえできない。集中できない。


 クロマチンが使用できず、しかもダメージを受けている亜紀斗の攻撃を、咲花は簡単に避けた。何度も何度も拳を振るったが、まったく当たらない。


『はい、ストーップ!』


 訓練室内に、藤山の声が響いた。マイクを通した声。


『亜紀斗君、もう終わり。それ以上戦ったら危ないからねぇ。終了だよー』


 藤山の宣言に、亜紀斗は呆然と立ち尽くした。呼吸は、少しだけ戻ってきた。右脇腹に激痛が走っている。


 だけど、休みたいとは思わない。負けたくない。認めたくない。屈したくない。


 亜紀斗は、待機室にいる藤山に訴えた。


「なんでですか!? 隊長!! 俺ならまだ戦えます! まだやれます!」


 大声を出したら、肋骨に激痛が走った。だが、痛みなどどうでもよかった。


 待機室の中で、藤山の様子はいつもと変わらなかった。


『ごめんねぇ。何言ってるか聞こえないんだよねぇ。ただ、もう終わり。あと、怪我してるだろうから、そのまま医務室に行ってねぇ』


 亜紀斗の体が震えた。激痛のせいではなく。疲労のせいでもなく。


 亜紀斗はうつむき、拳を握り締めた。歯を食い縛った。右脇腹よりも遙かに大きな痛みが、亜紀斗を支配していた。


 ただひたすら、悔しかった。泣きそうな気持ちで、体を震わせていた。


 フンッという、鼻で笑うような声が聞こえた。亜紀斗は、声の方に視線を向けた。


 タンクトップが破れ、スポーツブラとショートパンツ姿になった咲花がいる。びっしょりと汗をかき、前髪が額に張り付いていた。スポーツブラには、汗で染みができていた。その姿は、色気すら感じる。


 だが、亜紀斗は、性的な感情など抱けなかった。余裕そうに笑う咲花に対して、憎しみにも似た悔しさを抱いた。


 咲花は、脱ぎ捨てた練習着とヘルメット、防護アーマーを拾い、待機室に戻っていった。最後まで、亜紀斗を見下すように笑っていた。


『亜紀斗くーん。早く医務室に行こうねぇ。それとも、もしかして、医務室まで行くのもキツそう?』


 間延びした、藤山の声。亜紀斗は彼の方を向くと、小さく「行けます」と呟いた。藤山には聞こえていないだろうが。


 そのまま、訓練室を後にした。


 涙を必死に堪えながら。

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