第六話① 亜紀斗対咲花~訓練であって訓練ではない戦い~(前編)


 五月下旬に入った。


 少しずつ暖かくなり、最近まで雨続きだったことが嘘のように、空は晴れ渡っている。


 出勤時の道警本部入口で、亜紀斗は、麻衣に遭遇した。日勤の日は、彼女と顔を合わせることが多い。出勤時間が同じなのだから、当然と言えば当然だが。


 麻衣は相変わらず、亜紀斗のセクハラ発言を意に介さない。明るい笑顔で、上手く対応してくる。江別署にいた頃と変わらずに。


 会話を交わしていると、上に昇るエレベーターが来た。エレベーターに乗って、彼女と別れた。


 麻衣にセクハラ発言をしながらも、亜紀斗の気持ちは沈んでいた。銀行で事件があった、あの日から。


 亜紀斗は、あの事件以降、咲花と話していなかった。今日まで出勤日が重ならなかった――というわけではない。単純に、口も聞きたくなかっただけだ。


 咲花の凶行は、亜紀斗の目標に反している。つまり、恩師である先生の行動を、完全に否定している。それを、どうしても許すことが出来なかった。認めることはもちろん、黙認することも、妥協することもできない。


 個人的な感情で、咲花を避けていた。しかし今日は、そういうわけにもいかなかった。


 道警本部に所属するSCPT隊員には、月に二回、実戦訓練の日がある。明確な日にちや曜日は決まっていないが、概ね、月の第二週と第四週に行われる。もっとも、緊急時には中止になるが。


 今日はその実戦訓練の日だった。例外を除いて、本部のSCPT隊員が訓練室に集まる日。


 実戦訓練は、その名の通り、SCPT隊員同士が戦う日である。形式は一対一。実際の事件では使用しない防護アーマーやヘルメットを装備して戦う。試合時間は一〇分。試合といっても、勝敗を決することはない。ただし、危険だと判断したら、隊長がストップをかける。


 戦う組み合わせを決めるのは、隊長である藤山の仕事だ。決定したら、当日の朝までに、通信アプリのチャットで共有される。一般には販売されていない、強固なネットセキュリティが敷かれたアプリ。特別課の職員に貸与されているスマートフォンに入っている。


 亜紀斗のアプリにも、今朝の時点で、今回の組み合わせが共有されていた。


 亜紀斗の相手は、咲花だった。


 咲花の能力の高さは、全国でも五本の指に入る。そう、同僚が言っていた。また、亜紀斗も、前回の実戦訓練で自分の能力を示して見せた。


 同僚の間では、咲花や亜紀斗とは戦いたくない、という声が上がっているらしい。


 そんな二人が当たるのだから、他の同僚は胸を撫で下ろしているだろう。


 十六階でエレベーターから降りると、亜紀斗は、歩きながら眉間に皺を寄せた。


 麻衣にセクハラ発言をしたときは、無理に笑顔を見せていた。けれど、本当は気分が重い。


 戦うのであれば、当然、咲花と顔を合せることになる。会話をすることはなかったとしても、目は合わせることになる。


 咲花の能力の高さは、亜紀斗も理解している。前回の実戦訓練のときに、彼女は、わずか一分ほどで対戦相手を追い込んだ。すぐに、藤山からストップがかかった。それほどまでに、圧倒的に強かった。


 咲花と戦うのが恐い――というわけでは、もちろんない。


 亜紀斗は、自分なりに必死に努力を重ねてきた。実力面で咲花に劣るとは思わない。前回の実戦訓練では、亜紀斗も、わずか三分ほどで試合を終わらせた。


 恐いのは咲花ではない。自分を制御できないことだ。


「おはようございます」


 特別課室内に入って、挨拶をした。すでに数名、出勤していた。


 隊長席には藤山がいた。いつものように、胡散臭い笑顔を張り付けている。


「おはよう、亜紀斗君。じゃあ、すぐに着替えて、訓練室に行ってねぇ」

「はい」


 更衣室に足を運んだ。当然だが、男女別々である。


 更衣室内では、一名の同僚が練習着に着替えていた。防弾チョッキと類似の、衝撃吸収材が仕込まれた練習着。実戦訓練の際は、さらに防具も着ける。


「おはようございます、佐川さん」


 着替え中の同僚が挨拶してきた。


「おはようございます」


 亜紀斗も挨拶を返した。


 同僚の顔は、どこか安心したような、それでいて気まずそうな顔をしている。前回の訓練で、咲花に一方的にやられた隊員だ。


「いや、正直、今日は助かったと思いましたよ。笹島さんとも佐川さんとも当たらなくて」


 苦笑するしかない。亜紀斗はなんとか笑顔をつくり、いつものお調子者を演じた。


「そうですか? 俺としてはラッキーですけどね。実戦にかこつけて、上手くいけば、笹島さんに抱きついたり、おっぱい揉んだりできそうじゃないですか」


 同僚は、一瞬、呆けた顔を見せた。


 先日の、銀行の事件。亜紀斗と咲花の対立は、ある程度話題となっている。二人揃っている場では、他の隊員は少し気まずそうにしていた。

 

 しかし、今の亜紀斗の発言を聞いて、同僚が吹き出した。


「おっぱい、って。防護アーマー着けてるんですよ? 感触なんて分からないんじゃないですか?」


「いやいや、おっぱいの楽しみ方は、感触だけじゃないんです」

「と、いいますと?」


「あの冷たい感じの笹島さんが、おっぱいを触られたとき、どんな反応になるのか。恥じらいを見せるのか。それとも、頬を染めて怒るのか。あるいは、あくまで無感情を貫くのか。想像するだけでムラムラしませんか?」


「まあ、確かにそうかも……」


 納得するように、同僚はウンウンと頷いている。


「でも、笹島さん相手に抱きついたり触ったり揉んだりするのって、なかなか至難の業ですよ?」


 咲花は、外部型クロマチンの能力者である。そのため、相手の手の届かない距離で戦う。


 目の前の同僚は、亜紀斗と同じく内部型クロマチンの能力者だ。


「俺なんて、前回の訓練のとき、触るどころか近付くこともできませんでしたし」


 その戦いは、亜紀斗もよく覚えている。わずか一分程度の戦いだったが。短い時間の中に、戦闘技術が集約されたような戦いだった。


「問題ないです。今晩のオカズを得るためなら、俺は、一二〇パーセントの力を発揮できます」


 面白かったのか、同僚は大笑いした。


「確かに、佐川さんならできるかもですね。本人達は大変でしょうけど、他の奴等は楽しみなんじゃないですかね? ほら、漫画のラスボス戦のときみたいで」

「あんな美人がラスボスなら、俺は少年漫画の主人公になりたい」


 談笑しながら、着替え終えた。


 亜紀斗は笑顔を崩さなかった。先生のように人に手を差し伸べるためには、相手を警戒させてはいけない。だから、いつもピエロを演じた。性欲がやや強めなのは、演技ではないが。


 同僚と共に、訓練室に足を運んだ。


 三十メートル四方ほどの広さの、訓練室。入口から見て左右に、ガラス張りの部屋がある。実戦訓練の時の待機室だ。戦う隊員以外は、そこで自分の出番を待つ。チャットで共有された組み合わせで、右側に名前が書かれていた隊員は、右の部屋。左側に名前が書かれていた隊員は、左の部屋。


 待機室には、戦う際に使用する防具が用意されている。


 チャット内で、亜紀斗の名前は左側に書かれていた。隊員は三十名なので、組み合わせは十五組。その七番目の試合。


 右側の部屋を見ると、防弾ガラスの向こうに咲花の姿があった。


「それじゃあ、佐川さん。俺はこっちなんで」

「はい。頑張ってください」

「佐川さんも」


 待機室に行く前に、同僚がコソッと耳打ちしてきた。


「おっぱい、期待してますね」


 亜紀斗は、お調子者の仮面を外さなかった。


「必ず、今夜のオカズをゲットして帰ります」


 笑い合って、同僚とは別の待機室に入った。

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