第五話① どうして彼女は殺せるのか(前編)


「――笹島さんには、ペナルティがあるんですよね?」


 銀行で事件があった日の夜。午後八時。


 外からは、雨の音が聞こえる。大雨。窓には、打ち付ける水が大量に流れていた。


 道警本部の、刑事部特別課。


 室内には、夜勤の隊員五名と、藤山、亜紀斗がいる。他の隊員は帰宅したか、もしくは休日だった。課長は、まだ現場の後始末をしている。


 業務を終えた咲花も、すでに帰宅していた。


 藤山は隊長席の椅子に座っており、亜紀斗は、彼の机の前に立っていた。昼間の事件について事後処理が終わったので、藤山を問い詰めているのだ。


 藤山は、困ったような、それでいて亜紀斗の質問を受け流すような顔をしていた。


「隊長。まさか、笹島さんの言ったことを本気で信じてるんじゃないでしょうね?」


 犯人達を殺害したことについて、現場で、咲花が言った言葉。


『手元が狂ったんです。事件の詳細を聞こうと思って、ちょっと脅すつもりで、外して撃とうと思ったんですけど。当たっちゃいました』


 亜紀斗に質問されて、藤山はポリポリと頭を掻いた。


「うーん。そうだねぇ。どう説明したらいいのかなぁ」


 夜勤の隊員達にも、亜紀斗達の会話は聞こえているだろう。しかし、彼等は口を挟んでこない。どこか気まずそうにしている。


 藤山が一向に答えないので、亜紀斗は質問を変えた。


「笹島さんは、いつもこんなことをしているんですか?」


 いつも、犯行現場で犯人を殺害しているのか。


「そうだねぇ。とりあえず亜紀斗君」

「何ですか」

「そんなに矢継ぎ早に質問しないでほしいなぁ。僕もね、どんなふうに回答すればいいか、今、考えてるんだよ」

「俺の質問は、そんなに難しいことですか?」

「うん。とっても」

「そんなに難しいことを言ったつもりはないんですが」

「いやぁ、難題だよぉ。難関大学の受験か難関の国家資格試験か、っていうくらい」

「茶化さないでください」

「そんなつもりはないんだけどなぁ」


 藤山の口元の笑みは、薄く浮かんだままだ。反面、亜紀斗の質問に対しては、可能な限りの回答を用意しようとしているようだ。ウンウンと唸りながら、考え込んでいる。つい数秒前に頭を掻いていた手は、口元に当てられていた。


 やがて、藤山の手の位置が再び移動した。口元から、机の上へ。


「まず一つ、前提として」

「前提?」

「うん。咲花君のことに関してはね、僕にも、回答可能なことと知らないことがあるんだよ。ここ、重要だよ。『言えない』じゃなく、『知らない』んだ」

「どういうことですか?」

「まあ、落ち着いて。まずは、一個ずつ質問に答えていこう」

「はい」


 今回のような武装犯を相手にする場合に、最重要視されることは何か。もちろん、一般の人々の命だ。人質がいる場合は、その人質の命。人が大勢いる場所での事件であれば、犯人の周囲にいる人達の命。


 警察が治安維持を目的とした行政機関である以上、これは当然と言える。


 では、次に重要視されるのは何か。


 犯人の命である。

 これには、二つの側面がある。


 一つは、犯人を無事確保し、事件について詳細を聞き出すため。今回のようなケースであれば、銃をどこから入手したか。犯行の動機は何か。どのような計画を立て、どのように実行したか。事件の背景や要因を知ることによって、今後の事件の対策や、武器の入手ルートの断絶を図ることができる。


 もう一つは、民主主義の観点と、国民が法の下に平等であるという憲法条文故だ。犯罪者といえど国民。民主主義を成す国民の一人であり、かつ、法の下に平等である国民。生きて裁判を受ける権利が認められており、国民の一人として自らの意見を主張する権利もある。


 だからこそ、凶悪犯といえども、裁判を経ずに意図的に命を奪うことは許されない。もっとも、過去には、制圧した後に犯人を治療したが助からなかった、という事例はあるが。


 しかし、今回の咲花のケースは、間違いなく意図的に殺していた。免職どころか、殺人罪に問われてもおかしくない。


「じゃあ、最初の質問だけどね。咲花君が犯人を殺したことについて、ペナルティはないのか」


 藤山は机に肘をつき、両手を組んで口元に当てた。


「現時点で確定的なことは言えないけど、ほぼ間違いなく、問題にはならない。もちろん、ペナルティもない」

「!?」


 亜紀斗は目を見開いた。


「銀行に立て籠もっていたんだから、裁判の判決を待つまでもなく現行犯だよねぇ。つまり、冤罪の可能性はゼロなわけだ。しかも、犯人は銃を所持していた。人質もいた。だから、抵抗されて人質の命を守るために仕方なく――なんて感じで終わるんじゃないかなぁ」

「どうしてですか!?」


 亜紀斗は、藤山の机を両手で叩いた。バンッ、という音が響いた。


 藤山は、少しだけ眉をハの字に歪めた。


「そう言われてもねぇ。たぶん、上の方から、そんなふうに報告書を作成するよう指示がくるんだよ」

「上から?」

「うん。上から。僕に指示を出すのは課長だけど、指示の出所はもっと上だろうねぇ。だから、僕にも、どこから指示が出てるのか突き止めようがないんだよ」

「……」


 咲花が現場で犯人を撃ったとき。彼女に詰め寄ろうとしたら、他の隊員に止められた。


 その理由が分かった。


 警察は縦社会だ。組織で動き、組織で事件解決を図る。その性質上、上の命令は絶対である。各自が自分の意思のみで動いていたら、組織は連携が取れなくなり、まとまりのない集団になってしまう。


 上の人間が咲花の行動をとがめないから、誰も何も言えない。誰も彼女を止められない。


 亜紀斗は顔を歪めた。言葉にできない感情が、胸の奥で渦巻いた。咲花の行為は殺人だ。そんな彼女の行為を、警察上層部が認めている。


 亜紀斗には恩人がいた。十代の頃に出会った人。荒れていた自分を更生させてくれた、少年課の刑事。亜紀斗自身は、尊敬の念も込めて、彼のことを「先生」と呼んでいた。


 先生に憧れたから、警察官になった。本当は、先生と同じように、少年課の刑事になりたかった。荒れた少年に手を差し伸べたかった。先生が、自分にそうしてくれたように。しかし、警察学校の検査でクロマチン素養が確認されて、SCPT隊員となった。


 それでも、先生のようになりたかった。だから、仕事の合間を縫って、罪を犯した人達と交流した。彼等が社会に出たとき、二度と過ちを犯さないように奔走した。犯した罪を償うことを説いた。


 憧れていた、警察官の姿。尊敬していた、警察官である先生。


 でも、現実では、警察上層部が警察官の殺人を黙認している。


 どうしようもない悔しさで、胸が潰されそうだった。


 亜紀斗の心情を知ってか知らずか、藤山は話を続けた。


「次に、咲花君が、いつもこんなことをしているのか、ってことだけど」

「……はい」


 言葉にできない不快感を抱えながら、亜紀斗は、藤山の話に耳を傾けた。


「いつも、ってわけじゃないんだよ。少なくとも、SCPT隊員としての訓練を終えて現場に出るようになってから、しばらくは普通に仕事をしてたんだ」


 警察学校の検査でクロマチン素養が発見された者は、ほとんど強制的に特別課に配属される。とはいえ、すぐに現場に出るわけではない。素養があるといっても、最初からクロマチン能力を使用できるわけではないのだから。


 素養が確認された者は、まず、クロマチン素養を発現させるための施術を受ける。国連の重要人物にしか内容物が明かされていない注射。それを受けることにより、素養者のクロマチン能力は開花を始める。


 施術を受けた後は、能力を問題なく使用できるまで訓練を続ける。その期間は人によって異なるが、平均で一年半ほどだ。


 施術と訓練を修了した者が、配属地を決められ、現場に出る。


「咲花君は優秀でねぇ。必修訓練を、たったの九ヶ月で修了したんだよ。それで、すぐにウチに配属されたんだ」


 九ヶ月での修了は、かなり早いと言える。人によっては二、三年かかることもある。亜紀斗は、事情があって一年近く訓練に不参加だったこともあり、二年ほどかかった。


「咲花君は真面目で、さらに、現場でも優秀だったんだよねぇ。咲花君がウチに配属された当初、冗談みたいに優秀な隊員がいたんだけど、その人を追いかけるようにどんどん力をつけていってねぇ。もちろん、今みたいに、犯人を殺したりせずにね」


 優秀な先輩を目標にし、仕事に邁進まいしんし、犯人を殺すこともない咲花。現在の彼女しか知らない亜紀斗には、想像もつかなかった。


「それが、どうしてあんなふうになったんですか? いつから……」

「理由は分からないなぁ。ただ、理由じゃないんだけど――」

「何ですか?」


 机に肘を付き、組んだ手を口元に当てて、藤山は、覗き込むように亜紀斗を見てきた。

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