第四話② 市内銀行籠城事件(中編)


 時計を見ると、現在は十四時五分前だった。


 亜紀斗は目を閉じ、静かに深呼吸をした。瞼で閉じられた視界。暗くなった視線に浮かぶのは、今はもういない大切な人達。


 自分が生きる目的は、彼女達に報いるため。ただそれだけのために行動している。ただそれだけのために、生きている。


 目を開けた。咲花以外の隊員が、全員、緊張の面持ちをしていた。当然だ。クロマチン能力があれば、たとえ犯人が銃を持っていても負けることはない。単純に戦うだけの任務なら、赤子の手をひねるよりも簡単だろう。しかし、人質の命がかかっているとなれば、話は別である。


 任務の遂行においてもっとも優先されるのは、人質の命。犯人の銃は、それを一瞬で奪う可能性がある。絶対に失敗は許されない。


 亜紀斗は意図的に、いつもの笑顔を浮かべた。異動前の江別署では、皆に知られている顔。女性職員には白い目で見られ、男性職員には呆れられた顔。


「あと少しか。どうしよう」

「ん? どうしたのぉ、亜紀斗君」


 藤山が、相変わらずの笑顔で聞いてきた。初めて会ったときから、不気味だと感じている笑顔。


「あのですね、隊長」

「うん?」

「オナニーしたいです」


 藤山は、ははは、と乾いた笑い声を出した。


「それは、任務が終わって家に帰ってから、ゆっくりやろうね。ほら、もうすぐ作戦開始だから」

「この任務が終わったらオナニーするって、なんかそれ、死亡フラグじゃないですか? 結局、オナニーできずに終わる、みたいな」

「大丈夫。君は強いから。先月と今月の実戦訓練も凄かったじゃない」


 道警本部の特別課では、月に二回、SCPT隊員同士の実戦訓練がある。亜紀斗は、戦った相手を圧倒した。あまりに一方的で、すぐに藤山からストップがかかったほどだ。


 亜紀斗のセリフを聞いて、この場の男性隊員達は苦笑を浮かべていた。女性隊員達は、白い目を亜紀斗に向けている。


 咲花だけは、何の反応も示していなかった。ただじっと、虚空を見つめている。まつげが長い。


「じゃあ、時間だね。作戦開始」


 言うと同時に、藤山はパンと手を叩いた。


 隊員が、次々と警備車から出る。亜紀斗も外に出た。


 道警本部を出たときは薄曇りだった空が、今はすっかり暗くなっていた。雨が降りそうな天気だ。


 亜紀斗達は駆け足で素早く移動し、現場となっている銀行の、外壁側面に張り付いた。全員が外壁に沿うように、一列になって。進行方向に向かって、先頭が咲花。その次が亜紀斗。


 サイン言語で、互いに意思疎通を行う。


『周囲の様子を確認しろ』

『不審者はいないか?』

『問題ない』

『では、進行する』


 周囲の様子を気にしながら、前進する。先頭にいる咲花が、窓のある正面外壁に差し掛かった。再度、隊員同士で目配せした。


 目に映る範囲に、怪しい者はいない。このまま進行する。


 銀行の正面外壁に張り付いた。ゆっくりと窓に近付く。


 先頭にいる咲花が、手を伸ばせば窓に届く位置まできた。


 亜紀斗は、隊服のポケットからスタングレネードを取り出した。円柱状の武器で、レバーが付いている。円柱の高さは十三センチほど。円柱の直径は四センチほど。レバー裏のボタンを押して三秒後に起動する仕組みとなっている。


 他のポケットには、犯人を拘束するための手錠。それを、各自三つずつ持っている。


 先頭にいる咲花が、隊員全員に見えるように左手を上げた。指を三本立てている。


 突入のカウントダウンが開始される。


 亜紀斗は、内部型クロマチンを発動させた。


 咲花が、腕を軽く振りながら、カウントをする指を一本ずつ握ってゆく。


 三、二、一――


 突撃開始。


 咲花が窓の正面に出た。


 亜紀斗も咲花に並んで、窓の正面に出た。同時に、スタングレネードの起動ボタンを押した。


 咲花が、窓に向かって左手を掲げている。


 外部型クロマチンが放出するエネルギーは、無色透明である。ただし、エネルギーを発している部分は、水面の中のように歪んで見える。


 咲花の左手付近の景色が歪む。その歪みが、一瞬で、銀行の窓まで届いた。


 強化ガラスが割れ、落下するようにガラスの破片が床に落ちた。


 亜紀斗は、スタングレネードを銀行内に投げ込んだ。すぐに体を伏せ、目を閉じ、耳栓をした両耳を塞ぐ。


 すぐ隣りで、咲花が亜紀斗と同じような動作をしていた。他の隊員も同様だった。スタングレネードに自分達までやられてしまっては、意味がない。


 すぐに爆音が聞こえた。耳栓を入れ、さらに耳を塞いでも届く爆音。閉じた瞼から、強烈な光が入ってきた。もし目を開けていたら、しばらくは視力が失われていただろう。


 一瞬の爆音と閃光。それが止むと、すぐに亜紀斗は行動を開始した。耳栓を抜いた。銀行に突入して、犯人達を確保する。


 亜紀斗が動き出すより先に、いち早く咲花は行動していた。銀行内に突入している。


 銀行内は広い。カウンターより手前には、待合用の椅子が複数並んでいる。カウンターの奥には、職員用の机や椅子。


 人が十四人いる。窓際に五人。カウンター手前に三人。カウンター奥に六人。加えて、窓際に一人の遺体。


 全員が、その場で体を丸くしている。スタングレネードによってショック状態になった人の、典型的な格好。


 銀行内にいる全員の顔は見えないが、誰が犯人で誰が銀行員かは一目瞭然だった。銃を持った者が六人。全員、作業服のような格好をしている。他の人物は、男性がスーツ。女性は、一人が制服。残る二人の女性は、裸だった。


 そういえば、と思い出す。人質の保護を指示された隊員は、全員女性だった。隊長は、人質に女性がいた時点で、このような状況を想定していたのだろう。人質が、犯人により、性的暴行を加えられているという状況。


 許されない犯行だ。殺された人は二度と戻らない。暴行を受けた人の心の傷は、簡単には癒えない。


 だからこそ、と思った。犯人には、その生涯をもって償いをする義務がある。傷付けた人以上の人を救う義務がある。


 隊長に指示された通り、亜紀斗は犯人確保に取りかかった。相手がショック状態とはいえ、油断はしない。展開した内部型クロマチンを解かず、手錠を取り出す。丸くなっている犯人に、手錠を架けてゆく。抵抗できないように、後ろに両手を回させて。


 咲花も亜紀斗と同様に、犯人達に手錠を架けていった。犯人確保を命じられた他の二人は、犯人達の銃を拾い上げている。


 人質保護を命じられた四人のうち二人は、窓際の男性行員に声を掛けていた。


 人質保護を命じられた他の二人は、カウンターの奥にいる女性に声を掛けている。裸にされていた二人に服を着せ、何かを言いながら抱き締めていた。「もう大丈夫」とでも伝えているのだろうか。


 咲花は、手錠を架けて拘束した犯人達を、カウンターの向こうに運んでいた。外から見て、カウンターで隠れる位置に。カウンターに寄り掛からせ、一列に並ばせた。


 犯人全員を運び終えると、咲花は、女性の人質を保護した隊員達に指示をした。


「美佳、愛奈。応援を呼んで、彼女達を本部に連れて行って。あと、誰が見てるかも分からないから、あなた達の隊服で顔を隠してあげて」


 咲花に指示された二人は、自分の隊服の上半身部分を脱いだ。下にアンダーウェアを着ているので、下着が見えることはない。この季節で外に出るには、少し寒そうな格好だが。


 暴行された、二人の女性。一人は青い顔で震え、もう一人は泣いていた。彼女達の顔が、隊服を被せられて隠れた。


 隊員二人に同行されて、人質の女性達が、銀行の裏口から出て行った。バタンと、裏口のドアが閉まる音。


 スタングレネードの効果は少しずつ薄れてきているようだ。捕らえた犯人達が、目を細めながらこちらを睨んでいた。


「それじゃあ、隊長に連絡します」

「待ちなさい」


 携帯電話を取り出した亜紀斗を、咲花が止めた。


「何でですか?」

「……」


 亜紀斗の質問には答えず、咲花は、並べた犯人達の前にしゃがみ込んだ。一人一人を、睨むように見つめている。


 犯人達も、咲花を睨んでいた。もっとも、視力はまだ完全回復していないようだが。


 犯人達を一通り睨んだ後、咲花は口を開いた。


「答えなさい。アンタ達の中で、銃の入手をしたのと、今回の犯行を計画したのは誰?」

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