第四話① 市内銀行籠城事件(前編)


 亜紀斗が道警本部に異動となってから、約一ヶ月半後。


 五月。


 花見に湧くゴールデンウィークも過ぎ、世間は日常に戻っている。


 空は、薄く曇っていた。そんな昼下がり。


 特別課の隊長である藤山が、一本の連絡を受けた。


 市内の銀行に銃を持った集団が押し入り、行員を人質に取って籠城しているという。


 出動可能なSCPT隊員が集められ、すぐに現場に向かうことになった。


 警備車に乗って現場に向かう隊員は、全部で八名。今日は自主訓練日だった亜紀斗も、その中に含まれていた。


 以前の事件の報告書を作成していた咲花もいる。


 全員が、部隊の隊服を来ている。SCPT部隊が発足した二十年ほど前に作成、実用されるようになった服。ポケットが複数ついた、黒を基調とした服。


 ――約二十年前。クロマチン能力の存在が明確となり、国連にて、加盟国各国にSCPT部隊を作成するよう決定された。それ以前の国内では、機動隊やSATなどの部隊が、今回のような武装犯罪の鎮圧を行っていた。


 亜紀斗も話に聞いた程度だが――かつては、武装犯罪鎮圧に向かう警備車の中に、隊員の装備品が用意されていたという。


 しかし、クロマチン能力者であるSCPT部隊は、銃火器のような武器は使わない。防弾ヘルメットや防弾アーマーも装備しない。使用する武器といえば、犯人をショック状態にするスタングレネードくらいだ。


 SCPT部隊が武装犯罪鎮圧に駆り出されるようになってから、武器などに代わり、警備車に用意された物がある。少量でカロリーを補給できる、高カロリー食だ。


 クロマチン能力は、人間の内部にあるエネルギーを大量に消費する。そのエネルギーによって、内部型クロマチンは身体能力や耐久力を強化し、外部型クロマチンは、体外にエネルギーを放出する。


 必然的に、クロマチン能力を使用する者は、例外なく力士並の大食漢となる。もっとも、消費するエネルギーが大き過ぎて、ほとんどの隊員が痩せ型なのだが。


 明人達を乗せた警備車が、現場に到着した。


 犯行が行われている銀行は、国道沿いにある。窓が国道に面しており、その窓以外に、外から銀行内が見える場所はない。現在は建物周辺にバリケードが張られ、国道も一部通行止めになっていた。


 明人達が乗った警備車は、銀行の窓から死角になる場所に停められた。


「じゃあ、今回の作戦について話すからねぇ」


 停車した警備車の中で、藤山は一枚の紙を広げた。銀行周辺を上部から記した、見取り図。


 車内の隊員達が集まり、全員が、図を見ながら藤山の話に耳を傾ける。


「僕達が今いるのが、ここ。で、ここが国道で、銀行の窓がここね」 


 図の上で指を移動させながら、藤山が状況を説明していく。


「銀行の窓は大きくて、広く外を見渡せる。んで、犯人達は、窓際に、人質にした男性行員を立たせてるみたい。たぶん、窓の外から攻撃されたときに、盾にするためだろうねぇ」

「窓際に立たされている男性行員は、何名くらいなんですか?」


 隊員のひとりが質問を投げた。


「五人らしいよ。もっとも、最初は六人だったらしいけど」

「最初は?」

「現場に行った刑事が、スピーカーで声を掛けて説得しようとしたんだ。そうしたら、殺されちゃってねぇ。見せしめみたいに」

「……」


 藤山の回答に、亜紀斗は顔を歪ませた。


 亜紀斗の視界の端には、咲花がいる。彼女は、顔色ひとつ変えていない。冷たく、無表情。彼女の顔から、心情を察することはできなかった。


 藤山は話を続けた。


「犯人は、銀行本社に電話して、自分達の要求を伝えたみたい。自分達の要求に対する回答以外は一切受け付けない、って。余計なことをしたらさらに人質を殺す、なんて言ってるんだよ。そんな感じだから、今は説得も難しいみたいだねぇ」


 藤山の口調は、いつもとまったく変わらない。少し間延びした喋り方。


「犯人の要求は?」


 隊員の宮前みやまえ勇気ゆうきが藤山に聞いた。


「うーん。そうだねぇ。現金で三十億。あと、逃走用の車。車の指定もあって、バスを希望してるね。人質と自分達を乗せるためには、それくらい大きな車じゃないと駄目なんだろうねぇ。あ。それと、運転手も付けろって言ってるみたい」


「銀行の窓は、かなり大きいんですよね? 人質五人くらいでは、盾の役割など不可能では? 隙間を縫って、外部型の攻撃で犯人を狙撃できませんか?」


「可能だろうけど、確実に人質も殺されるだろうねぇ。犯人は、確認できているだけで六人。その人数を、窓際の人質の隙間を縫って、全員一度に、的確に狙撃できる?」


「無理ですね」


 即答したのは、咲花だった。


「私は、一度に六発の弾丸を打ち出すことができます。けど、それを全て正確に当てるには、最低限十七、八メートル以内の距離にいる必要があります。しかも、視界が良好な状態で」


「だよねぇ。窓の外から外部型クロマチンで狙撃するにしても、人質が邪魔で狙いが定めにくい。狙撃班を六人用意して狙っても、同じだろうし。さらに、犯人に見つからないようにするなら、銀行からかなり離れた場所から狙撃する必要がある。加えて、ほとんど同時に犯人全員を行動不能にしないと、残った犯人に人質を殺される可能性がある。実際、説得を試みただけで、人質が一人殺されたしねぇ」


「……」


 亜紀斗は、顎に手を当てて考え込んだ。


 外部型が犯人を狙撃して鎮圧するのは不可能。犯人達は凶暴な性格らしく、説得も不可能。そうなれば、残る手段は一つだ。


 銀行内に突入し、犯人を確保する。


「それで、どうやって銀行内に踏み込みますか?」


 亜紀斗が聞くと、藤山は小さく頷いた。


「まず、僕達にとっての利点は、銀行内から外を見渡せるのが窓しかない、ってことだよね。まあ、監視カメラがいくつかあるけど、建物の側面には付いていないみたいだし。だから、一旦は建物の側面に張り付いて、そこから、窓に近付いていくのがいいんじゃないかなぁ」


 藤山は、図面上の、国道側の壁を指でなぞった。銀行の窓がある壁。


「国道側の銀行の外壁は、幅が約三十五メートル。窓の横幅は約二十五メートル。壁のほぼ中央にあるんだよね」

「国道側の壁に張り付いて、窓に近付くんですか?」


 咲花の質問に、藤山は頷いた。


「国道側から監視してる刑事の報告によると、犯人達は、少なくとも窓から五メートル以上内側にいるみたいでね。何かあったら即人質を射殺するか、もしくは、窓の外に現れた人を撃ち殺せるようにしてるんだろうねぇ」


「それなら、壁に沿っていれば、窓のギリギリまで近付いても、犯人には見つからない」

「ご名答」


 咲花の言葉に、藤山は軽く拍手をした。一挙一動が、場違いなことこの上ない。


「だからまず、君達には、銀行の外壁側面に移動してもらう。そこから、壁伝いに銀行正面外壁に移動して、窓に近付いてもらうよ」


 藤山は説明をしつつ、図の銀行外壁を、トントンと指で叩いた。


「移動の際の先頭は咲花君。その後ろに、亜紀斗君に付いてもらう」


 亜紀斗が道警本部に移動して、約一ヶ月半。藤山はいつの間にか、亜紀斗を「佐川君」ではなく「亜紀斗君」と呼ぶようになっていた。


「可能な限り窓に近付いたら、まず、咲花君に、外部型クロマチンで窓を割ってもらう。窓が割れたら、ほぼ同時に、銀行内にスタングレネードを放り込んでもらう。スタングレネードを放り込む役割は、亜紀斗君がやってねぇ」


 スタングレネードは、フラッシュバンとも呼ばれる非致死兵器である。使用時に強烈な閃光と大音量を放ち、一定範囲内の人間をショック状態にする。その効果に晒された人間は、難聴などが発生する危険性もある。とはいえ、命には替えられない。


「笹島さんの外部型クロマチンで窓を割るとのことですが、割れたガラスで、人質が負傷する危険はありませんか?」


 咲花が放つ弾丸で窓を割った場合、割れたガラスは銀行内側に飛び散ることとなる。その危険性について亜紀斗が聞くと、藤山は、うんうんと頷いた。


「いい質問だ。人質の安全を第一に考えた質問だねぇ。でも、大丈夫。ここの銀行の窓は、強化ガラスらしいからねぇ」


 強化ガラスは、一般的なガラスとは違った性質を持つ。割れる際は粉々になり、破片は鋭くない。また、一部が割れると、そこから一気に全て割れる。


「だから、安心して行動してね」

「はい」

「それじゃあ、話を戻すけど」


 藤山は作戦の説明を続けた。


「スタングレネードを使用するわけだから、君達には耳栓を付けてもらうよ。君達までショック状態になったら、意味ないからねぇ。だから、現場での意思疎通はサイン言語で行ってねぇ」


 サイン言語は、手足の動きで意思疎通を行う非言語コミュニケーションである。SCPT隊員は、例外なくこれを身に付けている。当然だが、SCPT隊員が使うサイン言語の内容については、完全秘匿となっていた。


「銀行の窓は一枚の強化ガラスでできてるから、端の一部を割れば全体的に割れるはずだよ。窓を割ったら、咲花君、亜紀斗君、信次君、勇気君は、犯人の確保をして。美佳君、愛奈君、早苗君、洋子君は、人質の保護に回ってくれるかな」


 各々が、口々に返事をした。


「現在確認できている人質は、男性が五人。女性が三人。あ、ちなみに、生存の可能性がある人質ね」


 人質の一人は、すでに殺害されている。


「銀行職員から、人質になっている人達の顔写真も貰ってる。はい、これ。よく見て、覚えておいてねぇ」


 各隊員に、藤山が人質の顔写真を渡した。

 亜紀斗は、人質それぞれの顔を頭に叩き込んだ。


 亜紀斗の視界の端で、咲花が少しだけ動いた気がした。つい、彼女に目を向けた。相変わらずの、冷たさを感じる表情。綺麗な顔をしているだけに、より一層、冷たさが増しているように思う。


 藤山は、さらに細かい作戦指示をした。指示が終わると、全員に、栄養補給の状態を確認する。SCPT隊員にとっては必須となる、エネルギーの補給状態。


 ここに来るまで、全員、警備車に常備された栄養補助食品を口にしていた。エネルギーの補給に問題はない。


 藤山は携帯電話を取り出し、どこかに連絡をした。


「準備完了しました。一四○○ヒトヨンマルマル、作戦開始します」


 十四時に警備車を出て、作戦を開始する。

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