第三話② 異動先での出会い(後編)


 特別課のSCPT隊員といっても、いつも訓練や武力鎮圧をしているわけではない。捜査中の刑事の護衛に着くこともあるし、書類関連の仕事もある。当然、各隊員には、それぞれの机が用意されている。


 部屋の奥には課長の席があり、その手前には隊長の席があった。


 課長は不在。隊長は席に座っていた。


 隊長以外に、この部屋には、十名ほどの人がいた。全員、SCPT隊員だろう。


 亜紀斗は隊長席に足を運んだ。


 亜紀斗の接近に気付いた隊長は、穏やかな表情を浮かべていた。


「おはようございます。本日からこちらに配属となった、佐川亜紀斗と申します」


 自己紹介をして、頭を下げる。

 隊長も席から立ち上がった。


「おはよう。こちらで隊長を務めている、藤山博仁です。こちらこそ、よろしくねぇ」


 互いに頭を下げ合い、互いに頭を上げた。


 藤山は、温和そうな印象を受ける男だった。髪の毛に、少し白いものが混じっている。年齢は四十くらいだろうか。


 特別課の隊長は、隊員の中から選出される。つまり、クロマチン素養者でなければその職位に就くことができない。課長以上の職位から、クロマチン素養者でなくとも配属されるケースが出てくる。


 刑事部の人間――おおよそ刑事と呼ばれる者は、大多数が、独特の雰囲気を漂わせている。殺伐とした仕事をこなす者特有の雰囲気。他部署の警察官や一般の人からは、その雰囲気を恐がられることが多い。特殊能力を持ち、刑事部の中でも特別危険な仕事を行うSCPT隊員は、その傾向がより明かだ。


 しかし、藤山には、威圧的な雰囲気など皆無だった。人の良さそうな目尻の皺。薄く浮かべた笑み。身長は、一八〇ほどだろうか。大柄だが、恐そうではない。


 おおらかそうな藤山の雰囲気が、逆に不気味だった。腹の底では何を考えているか分からない、得体の知れない恐さ。


「とりあえずウチの部隊の説明とか、書いてもらいたい書類なんかもあるけど。まずは、簡単に特別課を案内しようか」

「はい。お願いします」


 藤山は亜紀斗を連れて、特別課室内の案内をしてくれた。亜紀斗が使う机。貸与されるパソコンと、画面ロックを解除する初期パスワード。冷蔵庫の位置。更衣室。食堂は二階にあること。


「あとねぇ、建物内は全面禁煙だから」

「あ。俺、煙草は吸わないんで」

「そうなのかい。いいねぇ。僕なんかは喫煙者だから、本当に大変だよ」


 藤山はのんびりとした様子で笑い、特別課室内から亜紀斗を連れ出した。


「ほら。あの奥にあるのが訓練室。あそこで、週に二、三回訓練をしてもらうんだ。実戦訓練以外は、基本的には自主的なものになるね。サボりたければサボり放題だけど、まあ、みんな必死だよねぇ。現場に出れば、命のやり取りになるんだから」

「そうでしょうね」


 クロマチン能力は、決して無敵の能力ではない。人間が使う能力である以上、制限もあれば限界もある。上手く使いこなせなければ、犯人の銃弾や凶刃によって命を失う。


 クロマチン能力の存在が発見されたのは、今から約四十五年前。生物学者が、興味本位で、圧倒的な身体能力を持つアスリートの遺伝子を研究したのが始りだった。


 生物の遺伝子情報が集約されている、細胞内の染色体。人間の染色体は二十三対ある。実験体となったアスリートの細胞で、三対目の染色体に、変異が発見された。通常の人間よりも大きなエネルギーを発する変異。


 さらに研究を進めてゆくと、染色体の七対目に変異がある者の存在も発見された。


 その後、変異のある細胞を採取し、実験が繰り返された。電気刺激を与えたり、薬物の投与を行う実験。


 研究と実験の結果、一つの事実が明らかになった。変異が見られた細胞に対して一定の施術を行うと、人間の限界を超えた力を生み出すことが確認されたのだ。三対目の染色体に変異がある細胞は、体内エネルギーにより細胞自体が強化された。七対目の染色体に変異ある細胞は、外部にエネルギーを放出した。


 一人のアスリートの細胞から始まった実験は、約十五年を経て、クロマチン能力の発見と発動に繋がった。


 実験体となったアスリートは施術を受けていないので、「優秀なアスリート」程度の能力だった。だが、施術を受けた者は、銃火器を相手に戦えるほどの能力を身に付けることが可能となった。


「ところで――」


 訓練室が見える場所で、藤山が聞いてきた。


「――江別署に訓練室はあったのかい?」


 亜紀斗は首を横に振った。


「いえ。基本的に、訓練はグラウンドで行ってました」

「うーん。それじゃあ、雨の日とか冬は大変だっただろうねぇ?」

「ええ。外部型クロマチンの人は、特に大変そうでしたね。弾丸が、周囲の物や人に当たらないように気を付ける必要がありましたし」

「だよねぇ。佐川君は内部型だっけ?」

「はい」

「僕も内部型。同じだねぇ」

「はあ」


 返答に困って、生返事を返してしまう。


 訓練室の前に着いて、藤山はドアを開けた。


 訓練室内は、ほぼ正方形の造りになっていた。三十メートル四方ほどの面積。高さは三メートルほどか。入口から見て左右に、ガラス張りの部屋がある。壁は頑丈そうな造りになっていた。外部型クロマチンの弾丸が当たっても壊れないように設計されたのだろう。もっとも、壁のいたるところに傷があるが。


 藤山は、左右にあるガラス張りの部屋を指差した。


「実戦訓練は、月に二回。基本的に、僕が決めた組み合わせで、順番に一対一で戦ってもらうんだ。戦う二人以外は、あのガラス張りの部屋で見学してもらうんだよ」

「あのガラスは、防弾ガラスですよね?」

「うん。そう。厚さ三十ミリの。外部型クロマチンがどれだけ強力な弾丸を打ち込んだとしても、まず割れないはずだよ」

「周囲を気にせずに、集中して実戦訓練ができますね」

「だろぉ? ちなみに、あのガラス張りの部屋から、マイクを通して訓練室に声を掛けることもできる。実戦訓練でやり過ぎそうになったときは、止められるようにね」

「立派な設備ですね」


 亜紀斗の口から、素直な感想が出た。江別署にいたときは、実戦訓練も周囲を気遣いながら行っていた。外部型の隊員が一人いたのだが、彼が弾丸を放つ際は、常に周囲を気にしていた。


「とりあえず、佐川君にも、今月から実戦訓練に参加してもらうからねぇ。あと、自主訓練の日も、ここを使ってねぇ」

「はい」


 説明しながら、藤山は、ポンと両手を叩いた。


「あ。そういえば」

「なんですか?」

「君、ウチに来る前に、美人なお姉さんとすれ違ったりした?」


 明確に心当たりのある質問。その質問に答える前に、亜紀斗は、一旦質問を返した。


「本部の中でですか?」

「そう。身長が一六〇くらいで、なんかこう、恐い感じの美人」

「たぶん、すれ違いましたね。こちらに挨拶に伺う前に。この階のエレベーター前ですれ違いました」

「そうなんだぁ」


 藤山は、常に浮かんでいる笑みを濃くした。口の端が、より横に広がった。


「聞いたことない? 本部にいる、やたらと強い女性のSCPT隊員のこと」

「ええ。聞いてます。確か、外部型で、美人だと」

「佐川君がすれ違った子が、その子だと思うよぉ。彼女のことを見て、どう思った?」


 亜紀斗は顎に手を当て、考え込んだ。冷たい印象を受ける美人。でも、それ以上に気になっていることがある。彼女が対応した事件では、犯人の死亡率が異常に高い。


 もっとも、異動初日で、そんなことを詳しく追求するつもりはない。


 異動に関して、亜紀斗の情報は本部に伝わっているだろう。能力面だけではなく、普段の発言から考えられる人間性も。


 亜紀斗は、男同士の呑みの席で見せるような笑みを浮かべた。


「そうですね。あれほどの美人ですから。今晩のオカズに使わせていただこうかな、と」


 亜紀斗の回答を聞いて、藤山は満足そうに笑っていた。


「うーん。佐川君、きみ、江別署の隊長から聞いてた通りの人だねぇ」

「どんな話を聞いてたんですか?」

「いっつも下ネタばっかり言ってる、って」

「否定できないですね」


 二人で笑い合う。


 一通り笑うと、藤山は、目を細めて亜紀斗を見てきた。目尻の皺が濃くなっていた。


「でも、あの子――笹島咲花さんっていうんだけど――、恐いよぉ。下手なことをすると痛い目見るから、気を付けてねぇ」

「でも、オカズに使うのはいいでしょう? オナニーするところを見られるわけでもないですし」

「まあ、そうだねぇ」


 また笑い合う。


 藤山の笑顔を視界に入れながら、亜紀斗は考えていた。


 笹島咲花。対応した事件で、犯人を死に至らしめるケースが圧倒的に多い隊員。それが問題視されないのが不思議なくらいに。もちろん、そこには正当な理由が用意されている。被害者の命を救うための緊急性があった、というような。だが、そんなことばかり起こることに納得がいかない。


 藤山と笑顔で話しながら、亜紀斗は特別課室内に戻った。異動の際の必要書類を書き、今月の予定やシフトについて教えてもらった。


 仕事の話の最中、最近の事件に触れた。


 ここ一年ほど、全国規模で、銃犯罪が増えている。異常なほどに。


 藤山に聞いたところ、すでに、銃犯罪対策課が捜査を開始しているらしい。各都道府県警が、管轄地域に囚われず、横断的に。


 事件によって、すでに多数の死者が出ている。


 一刻も早く、この嫌な流れを止めなければならない。これ以上死者を出したくない。被害者だけではなく、加害者も死なせたくない。


 ――報いるためにも。償うためにも。


 書類を記入しながら、亜紀斗は、自分を救ってくれた恩人達のことを考えていた。

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