第21話 彼女は風鈴の、音で目覚める。

 おおよそ真面目な女子大生であるカヌキさんこと香貫かぬき深弥みやは、無類の映画好きであり、特にホラー映画を好んで観ている。そんなカヌキさんは、大人っぽいけれどちょっとばかしワガママなミヤコダさんこと都田みやこだ架乃かのとお付き合いをしていて、古い一軒家で同棲生活を送っている。

 そんな二人のなり初めなどは、さておいて。



 ______


 

 架乃が薄紫の花を散らした柄の風鈴を買ってきて窓辺に飾ってくれた。

 風が吹くとリィィンといい音がする。

 架乃が笑うときみたい、って言ったら、架乃は、何言ってんの、と顔をくしゃっとさせて笑った。



 

第一階層 「インソムニア」


 最近、ずっとよく眠れない。レポートをいくら書いても書いても終わらない。

 それになんで、夜が来ないんだろう。窓の外はずっと白っぽく明るくて、こんなんじゃ眠れない。

 目を開けると、いつもの天井と違う感じがした。

 でも、この天井には見覚えがある。

 ああ、ここ、クリーニング屋さんの2階のアパートだ。あれ、私、引っ越したんじゃなかったっけ。ここは大学2年の秋まで住んでて。

 あれ、あたし、今、大学行ってたっけ。

 テレビとソファベッドしかない部屋。私しかいない部屋は、灯りは点いてないのに外からの光で白っぽい。その分、壁に映ったテレビの影は黒い。そして、テレビの画面は私のひどい顔を反射する。

 眠れなくて、頭がぼーっとする。ちゃんと考えられない。

 私、何か大切なことを忘れてる気がする。

 だめ、眠らないと思い出せない。なのに、眠れない。眠りたいのに、明るすぎる。

 白夜の季節はいつもこうだ。

 何もかも眩しくて眠れない。


 

 何か

 忘れてる


 リィィン

 

 風鈴の音

 彼女が笑うような


 

「……カ、ノ」




 


 第二階層「メメント」


 目が覚めた。

 ああ、夢だったんだ。そうだよ、白夜なんて日本にあるわけないし、私は寝ていることが多くて、不眠症なんかじゃない。


 この部屋が真っ白だから、白夜なんて思っちゃたのかな。


 ベッドの横のデジタル時計を見る。午後4時。お昼ご飯を食べた後に眠くなったから、2〜3時間寝てしまったらしい。今日は、朝7時に起きたから、9時間が経った。夜の11時くらいになれば眠くなるから、あと7時間で私の今日が終わってしまうらしい。


 ここは病院なんだって。


 私は昨日、いつも通り高校に行って、帰ってきて宿題をやって、映画を観て寝た。

 でも、目が覚めたら病院のこの病室にいた。ベッドサイドにいたお母さんが言うには、私は大学に通っていて、交通事故に遭って頭を酷く打ってしまい、記憶障害を起こした。

 3年分の記憶を失っている。


 そして、

 朝起きると、昨日1日の記憶が消えてるんだって。

 だから、毎日同じ朝を迎えている。


 事故から1年近く経ってるから、

 もう、300回以上同じ朝を迎えている、らしい。

 

 そんな実感はない。

 明日は高校に行けるのかな? って思ってしまう。

 松崎くんに会いたい……

 ん、なんか違和感。



 ……違う。

 会いたいのは、松崎くんじゃない。


 そう思った時に、左腕がズキズキとヒリヒリと痛み出した。

 パジャマの袖をまくり上げると、左腕には包帯が巻かれていて、ところどころに血が滲んでいた。


 何これ?


 私は、ゆっくりゆっくり、包帯を解いていく。



 カノ


 カノ

 カノ カノ カノ カノ カノ……


 大小いくつもの、「カノ」という文字の形の傷。多分、爪か何かで傷つけた。

 記憶を失っても、それだけは覚えておけというように、昨日までの私から、今日の私へのメッセージだ。


 カノ って何? 人の名前?


 こんこん、とノックの音がして、そろそろとドアが開いた。

「深弥?」

 知らない女性が私の名前を呼びながら入ってきた。


 知らない綺麗なお姉さんだ。私の名前を知っているってことは、私の知り合いなんだろうか。

 誰だろう?


「今日も初めまして?」

 お姉さんは、少し寂しそうな笑顔を浮かべて、そう言った。

 


 腕の傷がズキンと痛む。

 ズキズキと痛み出す。


「……カ、ノ…?」


 私がそう言った途端に、お姉さんはぱああっと笑った。

「深弥!わたしのこと分かるの?」


 この人がカノ?



 

「すごい自傷。こうやって、わたしの名前を残そうとしてるのね」

 カノさんは、私の腕に包帯を巻きながら言った。


 それから、カノさんは、私との出会いを話してくれた。カノさんは話が上手で聞いていてとても楽しい。大学に入ってからも私は映画バカだったんだなと思うと笑ってしまう。


 でも、なんでだろう。胸が切ない。

 どうして、私はこの人のことを思い出せないんだろう。


 そうしてすぐに面会時間が終わってしまい、カノさんが帰る時間になった。

 そこで、私は、ふとあることに気付く。


「もしかして、カノさん、昨日も、いえ毎日病室に来て、毎日同じ話を私にしてくださってませんか?」

 カノさんは何も言わず、ただ微笑んで、私の頬に触れた。

「また、明日」



 病院の消灯時間が来て、1日が終わってしまう。お母さんが言っていたように、今日の記憶は、カノさんと話したことは消えてしまうのだろうか。

 私は、左腕の包帯を解く。カノという血文字で埋まった腕。空いているスペースを探して、爪で新しく「カノ」と彫る。

 痛い。

 でも、忘れてしまう方が痛い。


 リィィン


 風鈴の音がした。

 私は眠る。記憶がリセットされる。


 でも、私は、架乃を忘れたくない。

 

 



 


第三階層「テネット」と「インターステラー」


 目が覚めた。

 ああ、夢だったんだ。そうだよ、事故なんて起きてないし、私はちゃんと色々覚えていて、記憶障害なんかじゃない。

 ちゃんと

 ちゃんと

 ちゃんと架乃のこと覚えてる。


 でも、また、白い。


 上も下も右も左も、真っ白だった。

 ここはどこ? 何これ?

 私は、浮いてるんだか、沈んでいるんだか、よく分からない状態だった。

 タテヨコ360度周りを見渡す。


「窓?」


 何もないかと思われた空間に、小さな小さな窓を見つけた。

 私はそこに向かう。

 歩けないから泳ぐように。

 とにかく、なんとか、その窓のような光を反射するような長方形に向かう。


 この空間の力量とか力学はどうなってんだろう。

 そんな無駄なことを考えながら、「窓」に辿り着く。


 窓のような

 スクリーンのような枠

 ガラスかアクリルのような板がはまっている。

 

 その窓の向こうには


「架乃!」


 白いワンピースの架乃が颯爽と歩いていた。

 シュッと背を伸ばし、前を見て、大股に歩く。

 白いワンピースのスカートが伸びて、揺れて、伸びて、揺れて。

 白いパンプスの踵がカツカツ音を立てる。

 その歩きっぷりを見て、ああ、架乃だ、って思う。


 窓に駆け寄る気持ちで接近する。

 窓の向こうを歩く架乃に向かっていく。

「架乃!!」

 叫んで窓を叩いた。


 その瞬間、架乃は歩きを止めた。


 そして、ゆっくりと架乃は後ろ向きに歩いていく。

 録画を逆再生するように。

 目の前の窓は、スクリーンのように、後ろ向きに歩いている架乃を映す。

 真っ白な背景をただ逆に


 いや、髪が少し伸びたり短くなったり、色が変わったり。

 架乃は髪の色をよく変える。赤みがかった茶色にしたり、少しだけ金色に近付けたり。

 でも、ピアスは、私のあげた金のプリンセスクラウンだ。


 ところが不意にそれが消えた。


 そして、髪が腰近くまで伸びて、落ち着いたダークブラウンになった。

 少しだけ、ほんの少しだけ、顎のラインが幼い。表情は少しキツい。前を睨んでいるみたいだ。

 多分、あれは、高校生の頃の架乃だ。


 後ろ向きに歩いているように見えるけれど、違う。架乃の時間が逆行している。


 高校生の架乃は私のことを知らない。

 中学生の架乃は、険しい表情をしている。彼女は子供の頃、ずっと自分の価値について悩まされていた。

 その表情がどんどん哀しみを湛えていく。


 わたし、自分はいらない子だと思ってた。


 そう言って苦笑いした架乃を思い出して、胸が締め付けられる。こんな顔をしていたのか。今の架乃は大人びた笑い方を覚えてしまっていたから、こんな子供時代を過ごしていたなんて、私は知らなかった。


「架乃!!」

 私はガラスのような材質の窓を叩く。窓をいくら叩いてもボヨンとした感覚がするだけで、音がしない。

 架乃の名前を叫ぶ声も届かない。


 架乃は、後ろに進みながら、どんどん幼くなっていく。もうすぐ幼稚園くらいだろうか。

 子供の頃の架乃は整った顔をしているけれど、無表情で花がない。笑ったらどんなに可愛いだろうに。

「架乃!架乃!架乃!……」

 私は叫ぶ。



「架乃!!!」

 どん、っと体を窓に打ち付けながら叫んだ。


 もし、架乃が、私の声に気付いたとしても、今の幼い架乃では私が誰かなんてわからないだろう。

 それでもあんな表情をしている架乃を放っておくなんて嫌だ。


 

「架あ乃ぉっ!!」


 

 ちっちゃな架乃が

 私を

 見た。



 架乃は、大きな目を、さらに見開く。

 私と目が合う。

 驚愕と恐怖。


 み や


 小さな花のような唇が私の名前を形取る。こんな小さな架乃が私のことを知っている筈はないのに。


 そして、逆再生が止まり、小さな架乃は私のいるところへ向かって走ってくる。

 走りながら、どんどん、身長が伸びる。

 中学生くらいの架乃が、私の名前を呼びながら走る。

 高校生くらいの架乃が、すぐ目の前にいて、

 今、ガラスのような材質の壁の向こうに、

 私の知っている、私の架乃がいる。



 リィィン



 風鈴の音が響いた。

 

 

 

第四階層?「インセプション」


 目を覚ますと、何も映っていないテレビが目に入った。

 見慣れた部屋。大型テレビの前に置かれているソファーで私は座ったまま寝ていたようだった。デジタル時計が深夜の1時34分を示している。照明を落として映画を見ていたので、部屋の中は暗い。窓の外も真っ暗だ。

 今度は、もう夢ではない、筈。

 白夜でもない、記憶障害でもない、逆再生もしていない。

 今日は、土曜日の深夜で、もう日曜日だ。架乃は、フィールドワークで朝から出掛けていて、打ち上げもするから帰りは何時になるか分からないと言っていた。

 だから、私は、架乃のいない家で、時間と空間の魔術師のような映画を撮る監督の作品を数本観て、そのまま寝落ちしてしまったらしい。ていうか、しっかりパジャマを着ていて、寝落ち前提で観ていたことを思い出した。


 夢の中で、夢を見て、また、その中で夢を見た。

 直前まで見ていた映画は、幾層にも重なった夢の中に入り込んで情報を奪う物語だった。



 立ち上がって隣のキッチンに向かった時、ちょうど、引き戸の玄関が開けられる音がして、架乃が帰ってきた。架乃は私が寝ているだろうと思って、なるべく音を立てないように気を遣ってくれていた。

「おかえり」

「え? 起きてたの」

「起きたばかり」

「何それ、どういうこと?」

 架乃が笑いながら、靴を脱いでかまちを上がる。


 私はトコトコと架乃に近付いて、そのまま、腰に両手を回して、その胸に頬を乗せるようにして、抱き着いた。夢ではないことを感じ取る。「ちょっと待って、わたし、まだ手も洗ってない」と架乃が慌てているのが分かる。「こんなところで、だめだって、深弥」。確かに、こんなダイニングで私は何をしているんだろうと思わないでもない。


「深弥が悪いんだからね」


 架乃が私の耳元で低い声を搾り出す。ごとっという音がして、カノがバッグを床に放り出したのが分かった。外から帰ってきた冷たい手が、私のパジャマの裾から潜り込んできて、おへその両側を右手と左手が撫でるようにして、脇、背中、そして反対側の脇に周り、指先が胸の横にめりこむように蠢く。

 

 

 リィィィーィィィン


 風鈴が鳴る。



 架乃の指が私を侵食する。

 それはもう夢でも現実でも構わない。

 

 






 __________


 ネタにした映画

『インソムニア』(2002)

 不正をした刑事がアラスカで殺人事件を追うが、罪悪感による不眠症に苦しめられる話。

『メメント』(2000)

 10分しか記憶が続かない男が、体にヒントを彫り込み、傷だらけになりながら殺された妻の犯人を探す話。ただし、時系列は未来から過去へと逆になっている構成。

『テネット』(2020)

 時間を逆行することによって過去を変える組織に入った男の話。すっごくややこしくて、ぶっちゃけよく分からないけど、なんか格好いい。

『インターステラー』(2014)

 宇宙の果てに向かって地球を救う話。地球の時間の流れと宇宙船の時間の流れの違いに魅せられる。

『インセプション』(2010)

 他人の夢の中に侵入する話。


 こんちは、うびぞおです。

 今回は、よなが様から「クリストファー・ノーラン監督作品のいずれか」というリクエストをいただき、クリストファー・ノーラン監督作品をネタにしました。『ダークナイト』シリーズとか、今年のアカデミー賞を席巻した『オッペンハイマー』を撮った非常に有名な監督です。ネタにした映画のあらすじを超簡単に書きましたが、違う時間軸の物語を入れ子構造にした複雑なSFアクション映画を撮る唯一無二の監督でもあります。うびぞおも大ファンです。ただ、ホラー映画はないので、本編ではネタにすることはできませんでした。

 たくさんある名作の中から、どの映画をネタにするか悩んで、結局、1本に絞る必要はないじゃない、と開き直った結果、約5000字の短編を書いてしまいましたよ。ながっ!また、『インセプション』という壮大な夢オチ映画があるので、夢の話で構わないだろうと考えました。読んでくださった皆さんが、クリストファー・ノーランをご存知なければ、何を書いてるんだ、うびぞお?!と思われたと思います。また、本編を読んでいない方にも分かりにくかったと思います。ごめんなさい。ですが、書いたうびぞおとしては、クリストファー・ノーラン風にカヌキさんミヤコダさんのイチャイチャを描くというのはなかなかに面白かったです。あと、カヌキさんとミヤコダさん、どちらの視点にするかも少し迷いましたが、ミヤコダさんは、そんなにクリストファー・ノーラン作品見てないだろう(ホラーばかり見せられてる設定)ので、カヌキさん視点となりました。

 よなが様、リクエストありがとうございました。


 次回は、本編に出てきた映画「ハッピー・デス・デイ」(2017)についての似非エッセイの予定です。もちろん、いつものごとく、現段階では一文字も書いてません。

 よろしければ、この映画でミヤコダさんとカヌキさんの話を書いてみろ、みたいな映画リクエストください。短編を書くいい練習になっているような気がします。

 さて、今回はニチアサ更新でした。できればまた来週もお目にかかりましょう。

 今回も読んでくださってありがとうございました。



 うびぞお


 

 

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