第49話「おれ、アマノジャクの倒し方知ってますよ」

「では私はここで新貨幣を鋳造する仕事に入ります。決して中を覗いてはいけません。いいですね……フリじゃありませんよ……」


「開けないよ興味ないし」


「じゃあやっぱりちょっと覗いてもいいですよ?」


「こっちも忙しいんだよ。まあ急がないからごゆっくり」



 りんご族の集落に新しいテントを建てたグレイマンは、カズハのブリザードのように温かい声援に見送られて作業に入った。



「ふーい」



 テントの中央にどっかと座り込んだグレイマンは、肩をコキコキ鳴らす。

 そしておもむろに懐から細い木の枝とナイフを取り出した。



「じゃあマイダーツでも作るかな」


「いや、貨幣は!?」



 案内役としてくっついてきたコボルトの少年が思わずツッコミを入れると、グレイマンはきょとんとした顔を返す。



「貨幣……?」


「なんでそこで不思議そうな顔をするんだよ。女神様に貨幣を鋳るための砂型ってのを作ってあげるためにテントを借りたんだろ?」


「ああ、砂型ね。作るよ作る、うん。そのうちね」


「そのうちって……」


「ハッハッハ、今の俺にそんなスキルはないよ。なにせ鍛冶スキルLVが1桁しかないからね!」



 あっけらかんと言い放つグレイマンに、コボルトの少年は絶句する。



「え……。でも女神様にはもっと複雑な細工をした貨幣じゃないとダメだって大見栄切ったし、自分ならできるって言い放ったじゃないか。あれはウソだったのか?」


「いや、ウソではないよ? 複雑な細工が必要なのは本当、俺なら作れるのも本当。ただしそれが今すぐだとは言ってない」



 グレイマンはナイフで余計な枝を削ぎ落としながら話を続ける。



「だからこうやって別の物を作ってレベルを上げるのさ。ダーツ、的、ボウリングのピン、サッカーボール、どれも結構な経験値になるからね」


「……おれたちの村で遊び道具ばっか作ってたのは、鍛冶の腕を上げるためだったってことか?」



 その問いには応えず、グレイマンはただ薄笑いを浮かべながら枝を均等に削っていく。

 そんなグレイマンの態度に、コボルトの少年はぷくっと頬を膨らませた。



「でもさあ、女神様には結構時間かかるって言った方がいいんじゃないのか? あんだけ大見栄切って、これから鍛冶の腕を磨きますってんじゃまずいだろ」


「何、向こうだってそんなことは承知さ。だから『急がないからごゆっくり』なんて言ったんだ。何しろこの俺は、こっちの大陸に渡るために急造で作ったキャラクターだからね。戦闘スキルも生産スキルもからっきしのスカスカなんだな、これが」



 ケラケラと笑うグレイマンの言葉に、少年は首を傾げた。



「……どういうこと? つまりグレイはおれたちの前に現れるために生まれ変わった、ってことか?」


「プレイヤー……いわゆる君たちが神様と呼んでいる俺たちは、複数の体を持てるってことさ。俺も十人以上の体を持ってて、それぞれ名前も習得しているスキルも違う。漁師もいれば鉱夫もいるし、商人も錬金術師も俺はやったことがある」


「はあー……神様ってのはやっぱりすごいんだな。おれは自分の人生を生きるだけでいっぱいいっぱいなのに」


「ハハハ、そりゃ誰だってそうだ」



 肩を落とす少年に、グレイマンは皮肉気なまなざしを注ぐ。



「俺たちにとってはこの世界はお遊びだ。だからいろんな体を作って、つまみ食いでもするみたいに中途半端な生き方をする。だが君らコボルトはそうじゃない、ただひとつだけの肉体に、一度だけの人生だ。君は君の人生を精一杯生きればいいのさ。そんなくだらないことを羨むなよ、ジルバ」


「そういうもんか」


「そういうもんさ」



 コボルトのジルバ少年は、いまいち納得のいっていない様子で小首を傾げる。そんな彼に、グレイマンは軽く笑みを浮かべた。



「ラッキーなことに俺は他生で細工師もやってるから、砂型の作り方もレベルの上げ方もよーく知ってる。まあただのハッタリでもないってことさ」


「でもさ、結構複雑な細工をするって話だったじゃんか。なのにグレイはナイフ一本くらいしか道具を持ってないし、レベルも低いんだろう? 道具を揃えるのにも、レベルを鍛えるのもかなり苦労するんじゃないか?」


「そんなことは大した問題じゃないさ。覚えておくといい、ジルバ。一度もたどり着いたことのない目的地は途方もなく遠く見えるものだが、かつて通り過ぎた場所へもう一度行くのに大した手間はかからないものだよ。俺はかつてその場所を通った、だからどんな道具が必要で、腕を鍛えるには何をすればいいのか知っている。効率よくレベルを上げて、すぐにその場所にたどり着けるだろう」



 きょとんとした顔で、ジルバはグレイマンを見上げた。



「ええと……?」


「君らコボルトというのは、その点において恐るべきポテンシャルを持っている。俺たちプレイヤーに教えられたことを、あっという間に覚えて、寸分違わず再現できる。それは君らの武器であり、やがて外敵に狙われる理由にもなるだろう」


「…………?」


「ま、今はわからなくていいさ。だがいずれ、神々の手から仲間を守るべきときが来るということは覚えておくといい。神々は潜在的には君らの敵だ、軽々に心を許すなよ」



 突拍子もないことを口にするグレイマンに、ジルバは小首を傾げた。



「じゃあ女神様たちも敵なのか? 黒の女神様も、スズナ様も、とてもコボルトに良くしてくれるぞ。悪い神様には思えないけどなあ」



 そうだね、優しい女神だよね。目の前の悪神と違って胡散臭くないしね。

 胡散臭い悪神は、眉を寄せながら小さく頭を振った。



「あの子らがどう、という話じゃない。海の向こうには神々の住む大陸がある。この地にやってきた神々は、みんなその大陸に戻りたいと思っている。そしてそれが叶ったとき、君らには恐ろしい災厄が襲い掛かる。だから神様に心を許すな。危機に備えるんだ」


「……よくわからないけど、グレイも神様なんだろう? どうしておれにそんなことを教えるんだ?」


「そりゃ、あれだよ」



 グレイマンはニヤリと唇を歪めてみせる。



「俺は神様の裏切者だからさ。神様みんなが損をして、悔しい思いをすれば愉快だろうなって思ってる。その結果として、君らコボルトが得をすることもあるかもしれないね。だがそれはあくまで結果としてそうなっただけだから、感謝などしなくても構わないよ。俺は神様に損させることが楽しいだけだからね」


「グレイって本当にロクでもない神様なんだな」


「はっはっは! その通り!」



 罵倒されたというのにたまらなく愉快といわんばかりの顔で、グレイマンは懐を探った。



「さて、こんなところで俺のレベリング作業なんて見てても退屈だろう。ほら、これをやろう。交換してきたまえ」



 そう言って差し出されたのは、金色の輝くアップルパイ交換券だ。

 今コボルトたちが喉から手が出るほど欲しがっている、夢のチケットだった。


 ジルバは思わずごくりと喉を鳴らす。

 彼が住む集落に1ホールのアップルパイと共にその券がもたらされたとき、子供たちのガキ大将だったジルバもほんのわずかだがご相伴に預かった。そのおいしさといったら! 生まれてこの方、食べ物の味なんて特に気にしたことのないジルバだったが、あまりの美味に世界観が変わる体験をした。


 なおその後、交換券をかけてダーツ大会が開かれて、交換券はダーツ大会の発案者のグレイマンが持って行ってしまった。

 その交換券が、無造作に自分に差し出されている!



「い、いいのか!? おれ、交換できるものなんて何も持ってないぞ!」


「もちろんいいとも。どうせその券はコボルトにしか使えないし、資料として欲しかったら黒の女神に用立ててもらうさ。ここまで案内してもらった案内賃だよ」



 それはつまり、手切れ金ということだった。

 もうジルバは自分にとって用済みだから、元住んでいた集落に帰っていい。

 そういう意味合いを含んだ言葉だ。



「そいつでアップルパイをもらって、仲間と分けて食べるといい。村の子たちと分けてもいいし、そういえば……チッキって言ったかな? 黒の女神のおつきの巫女の子、あの子が気になっていたようだし、彼女と食べてもいいんじゃないか。俺にはコボルトの美醜はよくわからないが、結構な美少女って感じがするし、お近づきのきっかけにはいいだろう」


「あ、あの娘とはそんなんじゃねーよ!」



 ジルバは銀色に輝く毛皮ごしでもわかるくらい頬を染めて叫ぶ。

 そんな彼にくつくつと笑いながら、グレイマンは肩を竦めた。



「誰と食べてもいいさ、自由に決めるといい。俺なんかにくっついてるよりはずっと有意義だ。俺のことなんて忘れて、君の人生を好きに生きたまえ」



 そう言ってグレイマンは、なかば無理やり押し付けるように交換券を握らせ、ジルバをテントの外へと押しやった。

 トットッ……と足音が遠ざかっていくのをテントの布越しに聴きながら、グレイマンはふうっと息を吐く。


 これでよし。




 カズハと会うためにはりんご族のコボルトたちに警戒されてはならなかった。だから村のガキ大将だったジルバを連れて旅をしてきたのだ。コボルトを連れていて、交換券も持っていれば、カズハがグレイマンの正体に気付く可能性が高まると踏んで。


 カズハが新大陸に飛ばされたことは、<ナインライブズ>の様子とエコ猫の態度を見ていればすぐにわかった。

 祭りに乗り遅れないためにレッカと共に大急ぎで新キャラを作って、手あたり次第怪しいスポットを回ってワープを試し、なんとか首尾よく新大陸にはたどり着いた。そして<ナインライブズ>に残したクロードを使ってエコ猫から事情を聴き出し、交換券が流通していることを知って、鍛冶師レベルを上げながら交換券が集落にもたらされるのを待った。

 やがて交換券が届いたら賭け試合で巻き上げ、ジルバを連れて旅に出た。道々のコボルトたちは黒の女神の居場所を教えてくれることはなかったが、ジルバが一緒にいたおかげで警戒は解けていた。なのでアップルパイを交換する旅に出ていた親子連れと仲良くなり、彼らの後を尾行してここまでたどり着いたというわけだ。


 だがこうしてカズハの懐に入った以上は、ジルバを傍に置く理由はなくなった。

 正義感が強くお人よしなジルバは、悪だくみの邪魔になる。厄介払いをすべきだった。

 ……その傍らにぽっかりと空いた隙間を、気の迷いと断じて首を振る。

 どんな悪だくみをするにも四六時中一緒だった相方レッカが不在だから、何かでその空白を埋めたがっているだけだ。ジルバなんて、その空白にたまさかすっぽりと収まったペットに過ぎない。あんなお人好しの小僧じゃ、自分の相方は務まらない。……寂しくなったら別のアバターで相方を呼べばいいだけだ。<ナインライブズ>に戻ってもいいし、マグロ漁船に乗ったっていい。



「…………………」



 ダーツの尻にくっつけようとした羽根を取り落とし、グレイマンは小さく溜息を吐いた。

 集中が途切れている。

 あの坊主と喋りながら作業していたときは、うまくいっていたのに。それほど気に入っていたか、柄にもない。

 しかし手遅れだ、もう手放してしまったのだから。今からあの集落に戻って連れてくるか? まさか、そこまでして側に置きたいペットでもない。

 そもそも傍にいてもらっては邪魔になるのだ。それとも……あっさりと手切れ金を受け取っていなくなったことに、知らず傷ついたとでも? 俺がそんなナイーブなタマかよ。

 ダーツを持ち上げて、じっと軸に歪みがないか見つめる。

 ……しかし、ダーツに歪みがあろうがなかろうか、もはや意味があるのか。このダーツが完成したとて、一緒に投げる相手はもういない。

 ついさっき、自分が手放してしまったから。



「……はぁ」



 もうひとつ、溜息を吐く。

 そのときだった。



「ただいまー!!」



 テントの入り口の布を持ち上げて、光が差し込む。

 その逆光の中に、喜色満面の笑顔を浮かべたジルバが立っていた。手には金色に輝く生地で覆われたアップルパイを抱えている。



「見てくれグレイ、すっげえよこのアップルパイ! 本当にきんきらきんに光ってるんだぜ! ほかほかですっごくいい匂いがするんだ!」


「いや、いやいや。何戻って来てんだ。案内賃だって言っただろ」



 額に手を当てて渋面を作るグレイマンに、ジルバは輝くような笑顔を浮かべた。



「おう! ここまで案内したお礼だろ! あんがとな!」


「……もしかして、手切れ金という概念を理解できないのか……?」



 コボルトたちは貨幣という概念を初めて知ったくらいなのだから、当然手切れ金という概念も知らないのだった。

 そもそもあんな迂遠な言い方での別れ話を、コボルトたちが理解できるわけもないのだが。コボルトが愚かだからではない。悪意に無縁だからこそ、逆に相手を傷つけないような言い方にもまた疎いのだ。コボルトは良くも悪くもストレートな物言いしか通じない生き物AIなのである。



「にしても、仲間と分けて食べろと言ったはずだが?」


「うん、だからグレイのところに持ってきたんだよ。俺が一番分けて食べたい仲間はグレイだからな!」



 そのときのグレイマンの表情は、ちょっと筆舌に尽くしがたかった。強いて喩えるなら不意打ちで朝日を浴びて蒸発する直前の吸血鬼みてえなツラをしていた。レッカが見たら腹を抱えて笑い転げたに違いない。


 ジルバはへへーと嬉しそうに笑いながら、アップルパイを高々と掲げた。



「じいちゃんが言ってたんだ。うまいものをもっとうまく食うコツは、好きなヤツと分けて食うことだって! あと、喜びを半分こすると2倍嬉しくなって、悲しみを半分こすると辛さは半分になるんだぞって。おれはグレイとそういう仲間になりたい! グレイは悪い神様だから、目を離してるとしっぺ返しで痛い目をみないか心配だしな!」


「俺は……。いや、集落に帰って、コボルトの仲間と分けたらどうだ?」


「何言ってんだ。おれが集落に戻るときは、グレイも一緒だぞ」



 渋面を作るグレイマンに、ジルバは不思議そうな顔で小首を傾げる。



「だって帰り道にも案内役が必要だろ? グレイ、道わかんないもんな。ちびたちはみんなグレイと遊びたがってるし、女神様の仕事が終わったら帰ろうぜ」


「ぐ……」


「結構長くかかるかもしれないけど、気にしなくていいぞ。おれ、グレイの仕事が終わるまでここで待ってるからさ」



 おっと電脳アマノジャクが顔を押さえて苦り切った顔をしてますねえ。

 ぺかーと輝く太陽のように陰のないコボルトの善意は、ネットの底にへばりついたヘドロのごとき悪意には特攻を持つのだった。ああ、直視できない! 目が! 目が!!


 おやおやグレイマンさん、苦しみながらも唇の端がちょっと嬉しそうに上がってませんか? どうしたんでしょうねえ。


 そのとき、ぐうーとジルバの腹が待ちきれないよ!と音を立てる。



「それより早く食べようぜ! ええと……どうやって分ければいいんだ? 手でちぎるか? かぶりつくか?」


「はあ……ナイフで切り分けるといい。文明人はそうするものだよ」



 グレイマンは渋面を浮かべたまま、先ほどまでダーツを削っていたナイフを使ってアップルパイを切り分けた。

 とろりと溶け出した蜜でナイフが汚れてしまったので、このまますぐには作業に使えまい。一度収納して状態をリセットする必要がある。だが、ダーツを完成させる意味がないよりはいいだろう。ダーツを一緒に楽しむ相手は、こうして戻ってきたのだから。



「ああ、これはうまいなあ! すっごくうまい! なあ、グレイ!」


「……そうだね、うまい」



 ぶんぶん尻尾を振って同意を求めるジルバに、グレイマンは小さく頷く。言葉少なな反応だったが、ジルバは我が意を得たりと嬉しそうに笑った。



「やっぱりじいちゃんの言う通りだった! 仲間と一緒なら倍もうまいぞ!」


「良かったな」


「おう! 良かった!!」


「……俺は一切れでいい。残りはジルバが食っていいよ」


「えっ! いいのか!?」



 短い尻尾をピンと立てて驚くジルバに、グレイマンは頷きを返した。



「ああ。うまいアップルパイだが、プレイヤーはコボルトよりも美味しく感じないらしい。それなら美味く感じる奴がたくさん食った方が、有意義だろうからね」


「やったあ! ありがとう、グレイ!」



 ぱたぱたぱた! ちぎれんばかりに尻尾を振ってアップルパイにかぶりつくジルバに、グレイマンはらしくもなく穏やかな笑みを浮かべる。

 ナイフを一度懐にしまう彼を見て、ジルバはあっと呟いた。



「……なんだい?」


「あのさ、グレイ。良かったらだけど、おれにも仕事を教えてくれないか?」


「どうしてだ?」



 怪訝な顔をするグレイマンに、ジルバはおずおずと上目遣いを送る。



「だってグレイの仕事が早く終わったら、早く集落に戻れるだろ。おれ、ちびたちに早くグレイの顔を見せてやりたい。だからおれもグレイの仕事を手伝いたいんだ。……だめかな?」


「……ふん」



 グレイマンはシルクハットのへりをつまむと、思い切り引き下ろして目深にかぶり、目元をジルバに見えないようにした。



「勝手にしたまえ」


「おう! おれ、頑張るぞ! 役に立ってみせるから、いろいろ教えてくれな!」



 嬉しそうににぱーっと満面の笑みを浮かべるジルバから目を背けながら、グレイマンはこくりと、小さいながらも確かに頷いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る