第47話「ミスター納豆VS黒の女神様」

「それで? 話は何?」



 銀行員を名乗る不審者の乱入でぐだぐだになった空間を仕切り直すため、いったんスズナをテントの外に追い出したカズハ。自称銀行員との一対一(+所在なげにもじもじしてる案内役のコボルト)になった彼女は、ものすごい雑な態度で話を促した。初対面の相手にするような態度じゃないだろ。


 しかしこのものすごい塩対応を何ら気にした風もなく、銀行員は待ってましたとばかりにまくしたてた。



「よくぞ聞いてくれました! 君の作った交換券という名の貨幣、このアイデアはとてもいい! 何がいいって、やはりアップルパイとの交換を価値の基準にしているところだ! 通常貨幣というものは刷れば刷るほど価値が低下していくもの。しかしこの貨幣はどれだけ刷っても価値はアップルパイ1個に固定されていて、アップルパイはコボルトが食べればなくなってしまう。だからなかなかインフレしない。江戸時代の米本位制にも並ぶ優れた貨幣だ。正直よく考えたものだと感心しましたよ」



 自称銀行員は立て板に水とばかりにペラペラとまくしたてる。

 あからさまに胡散臭い人物なのだが、彼がそう思っていることに嘘はない。

 江戸時代の経済は石高制と呼ばれ、各地で収穫されたコメを大坂での相場に応じて換金するという米本位制だった。



「米本位制というシステムの優秀なところは、インフレが発生しないという点。だから経済規模が拡大しまくっても、貨幣の価値は下落することなく社会を維持できる。欠点は、飢饉や不作によって大きく安定度を損なうという点です。だからいったん飢饉が発生すると、食糧事情を調整するための金融までがズタズタになって、社会があっさりと破綻する。江戸時代の四大飢饉を例にとっても、必ず経済に大打撃を受けて多くの死者を出している。もし、さらに利用者全員が貴重な消耗品と認めるものを本位とする貨幣があるとするなら、非常に有用なツールと言わざるを得ません。新大陸における基軸通貨としてぜひ広めるべきだ」



 自称銀行員は一瞬試すような視線をカズハに向けてから、わざとらしい笑みを浮かべた。ニチャアと糸引くような笑い方するなお前。ミスター納豆か?



「ですが、この貨幣には大きな欠陥がある。それは贋作に非常に弱いという点だ」



 彼は懐から取り出した交換券をピロピロと指先で上下に振ってみせた。



「こいつを鑑定すると材質は『オレイカルコス合金』と表示される。……オリハルコンの別名だ。耳慣れない言葉だし、この手のゲームに慣れたプレイヤーはどうしても先入観から伝説級の装備の素材じゃないかと思ってしまう。だけど察するに、こいつの正体は真鍮でしょう? 真鍮は融点が1000度以下と低く、流動特性もあるからとても加工がしやすい。それこそ文明初期であっても、四角い鋳型に流し込んで焼き印で文字を押せば、簡単に交換券のできあがりだ。それでいて鋳たばかりだと金色に光るから、見た目のハッタリも効く。この点もとてもよく考えられていると思います」



 無言でじっと見返してくるカズハに、ミスター納豆はニチャリと笑顔を浮かべながら肩を竦めた。



「だが私に言わせれば、まだ甘い。なるほど、現時点ではどのプレイヤーも鉱山を開発するまで文明を進化させられていないから、真鍮製の偽物を作ることはできない。しかしこの先ずっとそうであるとも限らないし、現時点でもこいつを複製することは可能です。手順は簡単。こいつを一度鋳溶かして、砂鉄なりなんなりの混ぜ物をして体積を2倍に増やし、同じような鋳型に放り込むだけ。まあ超古典的なやり口ですな」



 それは紀元前以前から、金属を鋳て作られた貨幣に付きまとう手口だった。いわゆる『私鋳銭』と呼ばれる贋金だ。これをされると貨幣の価値はどんどん落ち、やがてインフレが起きて経済が破綻してしまう。古代ローマ帝国が滅びた原因のひとつにも挙げられるほど深刻な問題なのだ。



「だから、こんな金属板に日本語を彫り込んだだけの貨幣ではダメです。もっと複雑な鋳型と、発行ナンバーの焼き入れ、重量の均一化。そうした方法で偽造を防がねばなりません。そこを、私にお任せください。さすれば、この技術の粋を尽くして偽造できない貨幣にしてみせましょう。私こそは貴方の国の“銀行家”に相応しい。それを言いにはるばるやってきたのです!」



 そう言って彼は胸に手を当て、自信に満ち溢れた笑顔を浮かべた。自分にはそれだけの技術と知力があると確信している者だけが浮かべられる顔。


 そんなミスター納豆の隣に座っているコボルトが、見知らぬ者を見るような瞳で見上げている。彼らは日がな一日自分たちと遊んでだらだら過ごしてる姿しか知らない。


 カズハは自称銀行家の顔を温度のない瞳でじっと見つめると、小さく溜息を吐いた。



「帰って」


「何故何故ホワイ!?」



 無下な言葉にショックを受けた自称銀行家が、その場で体をひねってくるくる回る。



「私は役に立ちますよ! ここであっさり追い返すのは間違った判断だと断言できます! 私を信じて!」


「信じない」


「どうしてですか! トラストミー! 後悔先に立たずと言うじゃないですか! すべては人を信じることから始まるのです! 私に機会を与えると、そう言ってくださいよ! ねっ!」


「だってキミ信用できないもん。間違っても貨幣の鋳造なんて大事業に関わらせちゃだめでしょ」


「どこをもって私が信用できないと!? まったく遺憾極まりな~い!」



 自分を抱きしめるように体をひねり、座ったままくるくると回転するミスター納豆に、カズハは冷え切った視線を向けた。



「キミ、クロードでしょ。顔と名前アバター変えてもわかるよ」


「はて、誰のことですかな? 人違いをされているのでは?」



 未だにくるくると回っている彼に、カズハはふーんと鼻を鳴らす。



「じゃあ、<暗剣殺>のジョーカーと呼んだ方がいい?」


「…………」



 空っとぼけていたクロードは、にわかに表情を引き締めると醒めた瞳をカズハに向けた。



「……」


「そんな目で見なくてもそっちの名前を言いふらすつもりはないよ。そもそも他のプレイヤーと交流する気もないけど」



 カズハは溜息を吐く。

 初対面の相手の前ではあうあうと震えることしかできないカズハが、彼にはものすごい雑な対応で接した理由はただひとつ。初対面ではないからだ。

 それはクロードやレッカのことを一緒に金丼狩りに行けるほどには許容していた理由でもある。<暗剣殺>所属の暗殺者としての彼らを、カズハは知っていた。



「ふぅむ。こいつは後学のために訊きたいんだが、どうして俺だとわかったのかな?」



 居直って『クロード』としての態度をとり始めた彼に、カズハは肩を竦めた。



「逆にヒントを出しすぎだよ。キミは何をやっても必ず帽子とワンドを装備した魔術師クラスだし、ロクでなし感を過剰演出してるじゃん」


「ほう? 確かに自分でも胡散臭い口調だったと思うが、正体を特定されるほどかな」


「特定されるほどだよ。ほら、その交換券」



 カズハは彼の手にした交換券を指差した。



「博打でコボルトから巻き上げたでしょ?」


「ふむ、どうしてそう思うんだい?」


「その子」



 カズハは彼の隣でもじもじしているコボルトを指さす。

 自分に注目が集まると思ってもみなかった彼はぴいっと一鳴きして、頭を抱えて身を縮こまらせた。そんな可愛らしい反応に頬を緩ませながら、カズハは言葉を続ける。



「コボルトは絶対に交換券を人間に渡さない。アップルパイは命に代えても食べたいし、交換券の文面には『この券を持ってきたコボルトにはアップルパイを交換する』と書かれているから、人間が間違って手に入れないようにという善意から交換の対象にもしない。だからそれをキミが持つには、奪い取るか交換以外の手段で所有権を手に入れるかの二択しかないでしょ」



 カズハは2本立てた指のうちの1本を折った。



「だけど奪い取ったならその子はもっとキミに怯えているはずだし、そもそも守護派を選んだ時点でシステム的にコボルトからの略奪を禁じられる。だからキミは交換以外の手段で手に入れたことになる。とすると信仰によって献上されたか、博打で巻き上げたかのどちらかが思い浮かぶ。でも、その子がキミを見る目は敬っている感じじゃないよね。手に負えない悪友を心配してるって感じの顔だもの」



 カズハは残った人差し指を軽く振ってみせる。



「だから答えはひとつ。ボウリングかダーツあたりの、今の技術力でもできる遊びでギャンブルして、賭け代の交換券を巻き上げた。そんなところだよね?」


「やるねえ、名探偵」



 『クロード』はくつくつと喉を鳴らして笑う。



「確かにその通りだ」


「まあ、だよね。そんなギャンブル狂いのロクでなしでございってヒントも出してきてるんだもの。そりゃ『クロード』だってわかるよ。で? もう一度訊くけど、何しに来たの?」


「おやおや、さっきも言ったじゃないか。キミたちの貨幣を完璧なものにしてあげるべく、手助けに来たんだよ」



 腕を大きく広げる『クロード』に、カズハは温度のない瞳を向ける。



「わかってて言ってるでしょ。ボクはそんなのを訊いてるんじゃないよ。『何を求めてここに来たのか』って訊いてるの。まさかボランティア精神で貨幣を改良してあげたいなんて思ってるわけじゃないよね。そこを語らないから、ボクはキミを信用しないんだよ」



 『クロード』は両手を上げて降参のポーズをとる。



「オーケーオーケー。君は言わずともわかってると思ったのさ」


「で?」


「もちろん、新世界の混迷を特等席で見に来たんだよ」



 カズハに促された『クロード』は、屈託のない笑顔を浮かべる。



「君とエコ猫が作り出した超クオリティの貨幣という一手で、本来新大陸がたどるべき道筋は崩壊した。本来ならばゆっくりと文明を進めて土台を固め、淘汰と統合を繰り返して征服と守護の2陣営に分かれるはずだっただろう。だが、君らは初手からこんなものを流通させてしまった。運営が想定していたであろう新世界の経済は、産声を上げる前に破壊されたわけだ」



 ピロピロと交換券を上下に振ってみせながら、『クロード』はニヤッと笑う。



「そんな面白い見世物を指を咥えて見てろ、なんて残酷だぜ? そりゃ漁船でマグロなんて釣ってる場合じゃないさ。そりゃもう相方と一緒に慌ててそこらじゅうのダンジョンを駆けずり回って転移できないか試したね」


「で、レッカはどうしたの?」


「さあ? チャットもできないし、まだこっちに来てないんだろ」


「そう。そりゃ寂しいだろうね。サメに襲われるほどだし」



 肩を竦める『クロード』に、カズハは相槌を打つ。


 港湾都市アサイラム名物のシャークレイドは、カップルのプレイヤーに襲い掛かる。

 この場合のカップルとは、男女であるという意味ではない。別アバターを含めて、一緒に行動している時間が極めて長いと判定されたプレイヤー2人が一緒に海岸にいるとサメが襲い掛かってくるのだ。

 クロードとレッカに反応したという事実は、この2人の関係の深さを何よりも物語るものだった。



「俺は誰もが予想がつかない方向に転がっていく新世界を、特等席で見物したい。だから君に手を貸そう。一歩引いた立ち位置の当事者こそ最良の特等席だと思うからね」


「ふぅん」



 カズハは腕を組むと、『クロード』の言葉に頷いた。

 『クロード』は小さく笑い、肩を竦める。



「……ま、希望の立ち位置は一歩引いたポジションだが、現状君のワンマン運営となれば贅沢は言わないとも。人数が揃うまでは、君の口の代わりくらいにはなってやるともさ」



 つまり、口下手なカズハの代わりに折衝を受け持ってくれるということだった。

 カズハはそんな彼に白い目を向ける。



「勝手なことを付け加えられそう」


「素のままだと話せもしないだろう? さっきもあのやたら押しの強い子にぐいぐい弟子入り志願されてたが、それでいいのかい? 君、あれを断れるのか?」


「……むりぃ」



 途端にもじもじと身を縮こまらせるカズハ。

 『クロード』はしてやったりとカラカラ笑った。



「であれば、俺を雇うべきだ。このやることなすこといい加減な俺が、君の『銀行』となってやろう」


「裏切らないという保証は?」


「おいおい。俺と相方に裏切るなっていうのはナマケモノに怠けるなって言ってるのと同じだぜ」



 『クロード』はニヤリと笑いながら、本当にロクでもないことを言った。



「……が、このおいしいポジションをそう簡単に捨てる気もない。まあ、せいぜい俺を楽しませてくれ。しがみつく価値があると判断したら当面味方してやるさ」


「はぁ。当たり前のことを偉そうに言わないでほしいな」


「そりゃ偉そうにも言うとも。何しろ売り手市場なんでね」



 胸を張って威張っている『クロード』の言う通りだ。

 帰れと口にはしたものの、実際はカズハに選択肢などない。

 何しろカズハひとりですべてを回すことはできないし、この新大陸にはエコ猫もゴリミットもラブラビも、彼女が頼れるプレイヤーは誰もいない。少なくともまともに話せる相手は『クロード』だけなのだから、彼を採用するほかないのだ。


 そんなカズハの事情を見透かしながら、『クロード』は自分の胸に手を当てて笑う。



「それに、俺たちはアバターを見抜いた奴には当面味方してやると決めているんだ。エコ猫は1度だけ俺たちを見破った。だが君は2度見破った。君は自分のことを姉に劣ると思っているかもしれないが、なかなかに大したやつだぜ。君についていけば楽しめると思っているんだ」


「変なマイルールだね」



 後半の言葉にはあえて何も言わず、カズハは小さく溜息を吐いた。



「わかった、キミを雇うよ。これからよろしく」


「おう、グレート! グレェェーートな選択ですな! よろしい、この私めにお任せを! この地を新大陸経済の中心地に仕立て上げてみせましょうぞ!」



 途端にミスター納豆な銀行家の演技に戻り、彼はシルクハットを手に取ると慇懃に頭を下げる。本当に胡散臭いなこいつ……と思いながら、カズハは口を開く。



「それで、今回はキミのことを何と呼べばいい?」


「名前ですか! そうですなあ。新大陸を開拓する銀行家なわけですから……新大陸開拓銀行家、略して『タクギン拓銀』と名乗ろうかと思っておりますよ!」


「却下、リネームして」



 すげなく改名を促すカズハに、彼は目を剥いた。



「何故です!?」


「よくわからないけど、縁起が悪すぎる名前のような気がするんだなあ!」



 自分の国に<ファイアホイール火の車>と名付けたことを棚にあげて、カズハはもっともなことを言った。



「好きな名前を名乗る自由を主張しますぞ!」


「縁起の悪すぎる名前を却下する権利を行使するね!」


「でも確かに縁起悪いなーと認める私がいるんですねこれが!」


「じゃあ最初から選んじゃダメでしょそんなプレイヤー名!」


「わかりました! では、私のことは『グレイマン』とお呼びください!」



 そう言って、銀行家は【ステルスネーム】を解除する。

 プレイヤー名はちゃっかり『グレイマン』と表示されており、最初からその名前で登録していることが丸わかりだった。拓銀うんぬんはカズハをからかうためのブラフだったようだ。


 カズハは早くもぐったりとしながら、額に手をやった。



「わかったよ。グレイマン、これからよろしく」


「はーっはっはっはっは! 承知しました! この銀行家グレイマン、貴方の貨幣を鋳る指となり、あることないこと舌根に乗せる口となって忠誠を誓いますとも!」



 そんないい加減なことを口にする神様を見上げながら、コボルトは思った。

 『グレイマン疑惑の男』かぁ。本当にロクでもない悪神なんだなあ、これ。

 まあでも、悪名高い黒の女神に仕えるのなら、灰色の男神くらいでちょうどいいのかもしれないな、と。




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3日おきにしてもらったのに投稿遅れてごめんなさい。

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