第40話「神は言った、生贄はいけねえって(激ウマギャグ)」

 カズハのコボルト育成計画が始まった。

 ファイアホイール村(カズハはそう思っている)に降り立ったカズハは、コボルトたちが自分の手で外敵と戦えるように戦力を整えてやるつもりだ。


 その最初の一歩としてカズハはチッキを呼び寄せると、そこらじゅうのものに手あたり次第指をさしていた。



「ナウル ユーカ コル?」


「ヴィヨ」


「なるほど、弓はヴィヨね」



 『ケインズガルド・オンライン』の基本機能のひとつであるメモ帳に、『弓=ヴィヨ』と書き込む。

 書き込み終わったら、早速別のものを指差す。



「ナウル ユーカ コル?」


「グウ」


「草はグウと。……いや、でも植物の品種名かも? とりあえず『草=グウ?』と」



 カズハがやっているのは、コボルト語辞典の編纂だ。とにかくいろんなものの名前を聞き取って、日本語との対応をメモしていく。

 どうやらコボルト語の文法は英語をベースにしているようだ。これは昨日の自己紹介でなんとなくそうじゃないかなと思っていた。現在進行形で英語を学習中のカズハにとっては親しみのあるものだ。オンラインでの言語の壁がなくなって数十年が経つが、日本の義務教育ではいまだに英語の学習が科目に取り入れられている。


 このマイ辞典作りにあたって、カズハはアイテムボックスから金卵を取り出してチッキに見せてみた。するとそのキラキラした不思議な卵に目を丸くしながら、チッキは『ナウル ユーカ ソル』と口にしたのだ。ここから『ナウル』は“What”、『ユーカ』は“is”、『ソル』が“it”に相当するとカズハはアタリをつけた。

 “What(何?)”がわかれば話は早い。カズハは手あたり次第『ナウル』を連発して名詞を集め始めた。その勢いたるや何でも知りたがる赤ちゃんもびっくりだ。


 カズハの目的はコボルト語の習得にある。

 まず何をするにしても、コボルトたちの言葉がわからなければ文字通りお話にならないからだ。彼らがどれだけの戦力を持ち、周囲にどういった危険があるのか。そういった情報を得るためには、彼らの言語を習得する必要がある。


 そのために銀華が提案したのが、この言語学的アプローチだ。

 まだ地球に未知の言語がゴロゴロ存在していた時代、言語学者たちは『これは何ですか』という質問をひたすら他部族に浴びせかけることから語学研究のとっかかりを得たという。


 しかしそれにしても迂遠に過ぎる。小学校から高校まで勉強する英語だって8年かかって日常会話レベルにも到達しないのに、ゲーム内でこれをやってどれだけかかるのか……と思われることだろう。

 学校教育を受けても英語が身につかない理由は“英語を話せなくても日常生活で問題がないから”という一点に尽きるが、確かに逐一辞書作りからコボルト語を学びます、なんてやっていては話せるようになるまでに大航海時代が到来してしまう。

 しかしカズハには勝算があった。



≪【コボルト語】LVUP!≫


「キタ! やっぱりLVが上がったね!」



 根気よく50個目の名詞を集めたとき、ぴろりん♪とスキルの成長を告げる音が鳴った。

 お目当ての【コボルト語】のLVが2になっていることを確認したカズハは、不思議そうな顔でこちらを見ているチッキに話しかけてみる。



「こんにちわチッキ! ボクの言葉がわかる?」


「コボルト ことば おぼえた? すごい!」


「うん、覚えた! チッキのおかげだよ」



 驚きで目をまんまるにしながらこちらを見上げるチッキに、カズハはニコニコ笑顔を返す。

 まだ『ことば』や『おぼえた』、『すごい』に相当する単語は収集していない。にもかかわらず、カズハの耳にはチッキの言葉が日本語として届いていた。これは【コボルト語】スキルによる補正効果によるものだ。


 スキルとして用意されているのなら、それを成長させることで会話が可能になるはず。エコ猫とカズハの予想は的中した。しかしこれはこのゲームのプレイヤーとしては当然の予想だといえる。

 何しろ【剣術】スキルを成長させれば、リアルで何の武術の心得がなくても、ゲーム側で補正して鋭い剣さばきを繰り出せるのがVRMMOというもの。それなら【コボルト語】スキルを成長させれば、学習していない単語や文法を補正してくれて当然といえる。

 もっともその【コボルト語】をLVアップさせる手段が明示されておらず、単語収集だろうとこちらで予想を立てる必要があったが。


 まだLV2では相手の口調もたどたどしく感じるし、敬語などの細かいニュアンスも伝わっていないようなのだが、単語を収集し続けることでスキルLVを上げれば徐々に改善されていくだろう。

 補正によって一応の会話は通じるようになったが、カズハはまだまだこんなものじゃ足りないと思っている。スキルLVに上げられる余地があるなら上げ切る、それはネトゲプレイヤーの脳に刻まれた本能だ。



「早速だけど、チッキにいろいろと聞きたいことがあるんだけどいいかな」


「もちろん! めがみさま めいれい なんでもきく」


「女神……?」



 カズハは思ってもみなかった言葉に面食らった。



「いや、ボクは女神なんかじゃないよ? 海の向こうから来ただけの人間だよ」


「カズハさま うみの むこうから きた? やっぱり めがみさま。うみ むこう  かみさま くらす せかい。かみさま はだ つるつる むげん いのち もってる」



 今、髪の話したか? あ、神の話でしたか。同じじゃねーか!



「いや、無限の命って……」


「わたし きのう みてた! カズハさま ひかり いっしょ さいだん あらわれた。ナイフ じぶん ころして すぐ いきかえった! じぶん くもつ ささげる ぎしき。むげんの いのち しめした!」



 むふーっと興奮するチッキは、キラッキラに輝く瞳でカズハを見つめている。

 どうやらエキストリーム自害によってデスルーラを試みた一部始終を見られていたようだ。そりゃあんな意味不明な行動、なんらかの邪教の儀式と思われても仕方ねーわ。


 カズハはズキズキと頭痛を感じる。何と説明したものか……。

 というか、そもそもコボルトたちはプレイヤーに関する知識がないようだ。この分だと自分たちがAIという認識があるかどうかも怪しい。


 旧大陸のNPCがみな自分はゲーム中で役割を与えられたAIだという知識を持っているのとは大違いである。黄金都市のメスガキ女王なんてシステムの裏側までアクセス権を与えられていて、プレイヤーを舐め腐るあまりに夜な夜な悪趣味な鑑賞会まで開いていたというのに。もうわからせられたけどな。



「え、待って。コボルトって死んだらそれっきりなの?」


「? あたりまえ。しんだ コボルト いきかえらない。だから いのち だいじ」


「……そうだね」



 旧大陸のNPCは死んだらリスポーンする。運営から役割を与えられているのだから当然といえる。クエストでアイテムを配達する対象が殺されていたら、他のプレイヤーはクエストを達成できなくなってしまう。

 だがコボルトたちはそうではないようだ。リスポーンせず、死んだら死んだだけ数が減る。どうやって増えるのかは定かではないが、数は有限だ。リアルと同じところに共感を感じると同時に、『“資源”が無限だと奪い合う甲斐がないだろう?』という運営の意図がうっすらと察せられてうすら寒い気分になる。

 しかしだからこそ彼らを“守護”する意義が生まれるのだ。貪欲なプレイヤーと無情な運営の悪意から、彼らを守ってやらなくてはいけない。



「カズハさま めがみ とくべつ。だから コボルト めいれい きく。チッキ みこ なんでも いって」


「みこ? 巫女、かな?」


「そう。チッキ みこ! カズハさまの げぼく! いのち ささげる。めいれいなら くもつ なる」


「さっきも言ってたけど、くもつって……」


「いけにえ」



 カズハはぎょっとしてわたわた手を振った。



「い、生贄!? ならなくていいよそんなの!」


「くもつ いらない? かみさま なのに?」


「要らない要らない! そんなの欲しくないから! 絶対そんなのやめてね! 他の人を捧げるとかもしなくていいから、ボクはそんなの受け取らないよ!」


「…………」



 おお、神の慈悲を聞け同胞コボルトたちよ。神はここに生贄を否定された。

 しかしチッキは喜ぶどころか、まったく納得がいっていない胡乱気な顔をしている。



「おそれながら それは おかしい」


「いや、おかしくないよ……」


「だって めがみさま とくしない」


「……あー」


「なにかと ひきかえに なにかを わたす とうぜんのこと。とうかの こうかん せかいの やくそく。ぶぞくでも こじんでも あたりまえ。あたえるだけ もらうだけ ダメ かならず こわれる。かみさまと コボルトも おなじでは?」



 コボルトたちは素朴な物々交換で社会を営んでいるようだ。

 その原則は当然神とコボルトの間でも適用されるべきだと、チッキは言いたいのだ。

 先ほど女神はコボルトたちを導き、守護すると宣言した。そのときは言葉が通じていなかったが、しかしそういうことを言ったのだと精霊システムが告げた。

 その見返りとしてコボルトたちは女神に供物を捧げなければならない。与えられるだけで何も返さない関係は正常ではないからだ。

 なのに当代の黒の女神は、供物を必要ないという。



「なぜ くもつ ひつよう ない? コボルト いのちに かち ない?」


「いや、価値があるから死んでほしくないっていうか」


「かち あるから ささげる」



 チッキは頑固にそんなことを主張する。

 死ななくていいって言ってるんだから素直に受け取っておけばいいのに……と思ってしまうが、彼らは彼らなりの常識に従っているのだろう。

 どうでもいいけどこれネイティブ・アメリカンの風習じゃないよね。見た目はネイティブ・アメリカンだけど、生贄とかマヤやアステカの文化だよね? この運営、北米と南米ごっちゃにしてやがる。どんだけ距離が離れてると思ってんだ。

 アラビア文化とエジプト文化とイスラム社会をごった煮にしてた黄金都市もそうだけど、いろいろ適当すぎるんだよ! あえて特定の文化圏に寄せてないんだろうけど。


 軽くパニックする頭で現実逃避を図るカズハだが、このままだと生贄を捧げられてしまう。守護するはずのコボルトが生贄で殺されるとか本末転倒だ。何より気分が良くない。しかし部族の伝統を守りたいチッキは、どうしても生贄を捧げるつもりのようだ。

 彼女を説得するロジックをどうにかしてひねり出さないといけない。

 カズハは頭を濡れ雑巾のように捻り、なんとか言葉を絞り出した。



「……えーと、そう! ボクが自害したのは、みんなの代わりに自分を生贄に捧げたからなんだよ! だからコボルトは生贄にならなくていいんだ」


「!? じぶんを じぶんの いけにえに!?」


「そうだよー。報酬は前払いで受け取ってるからねー。だから生贄なんていらないよ。絶対いらないよ。本当にフリじゃなくていらないからやめてね。捧げたらキレるよ」



 言いながら、これとっさに閃いたにしては悪くないトンチじゃない? とカズハは自画自賛した。よしよし、これでなんとか押し切っちゃおう!


 チッキは頭を強く殴られたような衝撃に固まった。

 それは宗教者としてあまりにも革新的な概念だった。

 神は自らの命をもって贄とした。確かに無限とはいえ、神の命の価値はコボルトのそれとは比べようもない。自分で支払って自分で受け取っているなら差し引きゼロではないかという気も心のどこかでするが、神がそれでいいというならコボルトの浅慮では図り知ることのできない論理で問題なく成立しているのだろう。

 しかし、どうしても納得できないことがある。



「めがみさま どうして コボルト ために そこまでする? わたし わからない。コボルト めがみさま まだ なにもしてない。だから じぶんの いのち ささげるおかしい」


「んー……コボルトの価値観は等価交換が基本だってさっき言ったけどさ。必ずしもそれがあてはまらない関係性ってあるよね?」


「……?」


「ほら、家族だよ家族。親とかそうでしょ。ボクの場合はお姉ちゃんだけど、いつもお姉ちゃんに頼りっぱなしだもの。ボクなんて学校にも行かないヒキニートだけど、お姉ちゃんはそれでも受け入れてくれるもん。学校に行かなくても勉強できる環境も整えてくれたし、社会復帰のリハビリのためにネットゲームやりたいって言ったらボク用のVRポッドも用意してくれた。いつも受け取りっぱなしの関係だけど、それでもお姉ちゃんはボクに恩を返せなんて言わない。本当に優しくて素敵な人なんだ」



 カズハは赤くなった顔を右手で隠し、わずかに俯いた。



「……って、AI相手に何を言ってるんだろボク。ああ、ええと……つまり、恩とか気にせずにボクを頼ってくれていいってことなの。ボクは家族みたいにキミたちの面倒を見てあげるつもりでいるから」


「…………!!」



 チッキは息を呑んだ。

 正直女神様の言っている言葉の半分くらいは意味がわからなかったが、大意としてはコボルトたちは自分の子供たちに等しいのだから、無償で守ってあげるのは当然のこと。自分を母と思え……そういうことをおっしゃりたいのだ。


 およそ彼らの神話体系において、神とは敬い畏れるものであった。神はわがままで、きまぐれで、強欲なもの。捧げものが足りないと怒り、戯れにコボルトの命を奪う、巨大な力を持った邪悪な存在だった。だからその怒りを鎮めるために、供物を捧げるのだ。

 しかし今代の黒の女神は自分を母だと言い、子のために命を捧げ、何も受け取らないという。こんなことを言い出した神はかつて一柱とも存在しない。


 チッキと女神のやりとりを見守っていた長老は、感動のあまりボロボロと涙を零した。顔面を覆うふわふわの白毛が水分を吸って見る間にしぼんでいく。こんなにも優しい神がこの世にいたのか。その慈愛、まさしくコボルトの母神を名乗るにふさわしいものだ。


 しかし。しかしだ。

 本当に何も受け取ってもらわないのでは、コボルトの尊厳にかかわる。

 実際の親子であっても、子は長じれば親に孝行して育ててもらった恩を返すものだ。

 何一つ捧げるものがないのでは、コボルトはまったく価値のない生物ということになってしまう。



『せめて、命でなくても何かモノを捧げなくては。チッキ、何か女神様に捧げられるものはないか』


『捧げられるものと言われても、何もないよおじい様……』



 祖父に言われたチッキは、何かないかと、必死にテントの中を見渡した。

 そんな彼女の瞳に入ったのは、テントの隅に置かれていた山盛りの果実だった。

 テントの出入口から差し込む陽光に照らされた、黄金色に輝くリンゴ。彼女たちが暮らす平原の片隅にある山でしか採れない珍しい種類のリンゴで、トキワアップルという名がつけられていた。



「めがみさま これ ささげる」

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