第38話「新大陸戦略における姉妹2人の作戦会議(前編)」

 カズハの眼の前には“征服”と“守護”という2つのアイコンが浮かんでいた。

 コボルトたちの集落を支配するのか、庇護するのか……その選択を問いかけてきている。

 そんなの考えるまでもない、ノータイムで守護一択でしょ!


 ……と普段のカズハなら即興で選択するところだが、彼女は眉根を寄せて何やら考え込んでいた。

 ここの選択は慎重に選ばないといけない。そんな予感がしている。


 いつもはノリ重視で生きているカズハだが、それはエコ猫というこのうえなく頼りになってダダ甘のお姉ちゃんがいるからだ。カズハが何をしでかしたところで、最終的にはエコ猫がなんとでも収拾してくれるという確信があるから好き放題できる。

 しかしここにはエコ猫はおらず、選択の責任はカズハが背負わなくてはならない。そしてこの選択の結果は、おそらくエコ猫にも関わってくるものなのだ。


 村のコボルトたちはカズハの前に出現したアイコンに恐れおののき、五体投地して頭も上げずに震えている。彼らにとってはシステムメッセージやアイコンは、理解を越えた不思議なものに見えているのだろう。事実、この場でカズハが指一本動かすだけで彼らの運命は決定的に違ったものになってしまうのだ。彼らの立場からすれば、神の力と言って差し支えない。

 ただチッキと村長だけは、ひれ伏しながらも頭を上げてカズハの選択を見つめていた。


 ……そんな2人の仕草が、カズハの頭を一層悩ませる。。

 もちろん感情としては、こんな可愛いコボルトたちを支配して搾取なんてとんでもないと思っている。これがリアルであれば、そんなことできるわけがない。少しでも人の心があれば、こんな無垢で善良な生き物から搾取など、法と良心が許さない。

 しかしこれはゲームだ。どんな非道な行為であれ、プレイヤーは実行できる。もちろん失敗すれば制裁を受けるというリスク込みだが、実行する権利は誰にでもある。


 そしてこのゲームの究極的な目的は、マネーゲームに勝利することだ。

 『ケインズガルド・オンライン』は戦闘面も非常に充実しているゲームだが、モンスターと戦闘する理由はモンスターから高価な素材をはぎ取ることにある。強い装備を作るのはより高値で売れる素材を楽に得るため、あるいは他クランとの攻城戦に勝利してクランの総資産を増やすためであって、最強を目指すことが目的なのではない。

 あれっそうするとクラン資産崩して機械卵買った<アルビオンサーガ>って頭おかしくねと感じることだろうが、参加者全員がドン引きするレベルでおかしい(断言) 祭りの熱狂ワッショイに脳を焼かれていたのだろう。


 さて、カズハのゲーマーとしての勘は、おそらく“征服”は相当儲かるであろうことを告げていた。おそらく既存のあらゆる稼ぎよりも上を行く。

 MMOの最新アプデで追加された要素は、すべからく既存の環境を一変させる。これも絶対にそうだろう。

 見るからに文明的に遅れたコボルトたちがどう稼ぎになるのかはわからないが、巨額の利益を生み出す何かができることは間違いないはず。


 対して“守護”のメリットが見当たらない。詳しい説明がないので何とも言えないが、普通に考えて守護とは上位者がコストを払って下位者を守る行為だ。何らかの利益が発生するようには思えず、むしろ経済的には損をするように思える。巨額の利益を捨ててまですることが、超カワ獣人を間近で愛でられること?

 いや、確かにそれはプライスレスな役得には違いない。カズハの感情的には絶対にこちらを選びたいし、何なら指先がこちらのアイコンを指そうとピクピクしている。


 しかしゲームの目的からは大きく遠ざかるのは事実。果たして安易に“守護”を選んでしまっていいのか……。

 そして何よりも、カズハのゲーマーとしての直感が、現時点でノリで決めることを拒んでいる。きっとこの選択肢にはもっと深い意味が隠されていると、警告を発しているのだ。


 ゲーマーとしての直感とケモナーとしての愛着のジレンマに、カズハはむむむ……と唸り声を上げる。

 しかしいつまでも選ばないわけにはいかない。カズハは中空に指をさまよわせ、目をつむり、そして、



≪緊急停止スイッチが押されました。ゲームを強制終了します≫







「千幸ちゃん!? 大丈夫、何があったの!?」



 カズハのプレイヤーこと福沢ふくざわ千幸ちゆきが目を覚まして聞いたのは、VRポッドの傍で真っ青な顔でうろたえている姉・銀華ぎんかの声だった。



「お姉ちゃん!」



 千幸はハッチを開けてポッドから飛び出ると、姉の胸の中にどしーんと飛びつく。

 そんな突然の体当たりによろめきながらも、銀華は文句を言わずそれを黙って受け止める。腕の中の千幸が涙を浮かべながらぐりぐりと頭をすりつけていたからだ。


 もっと幼かった頃、怖い映画や漫画を見た千幸はいつも涙目で抱き着いてきたっけ……。そんなことを思い返しながら、銀華は千幸の頭を柔らかく撫でる。



「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん……!!」


「どうしたの? お姉ちゃんここにいるよ。何か嫌なことあったなら、何だって言っていいんだからね」



 抱き着いてえぐえぐと泣きじゃくる妹を優しい声であやしながら、銀華は千幸が泣き止むまでずっとそうしていたのだった。




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「なるほどねえ。気が付いたらチャットできなくなってるし、ログアウトしたのかなと思ってたけど、VRポッドは起動してるまんまだし。いやー何があったのかとヒヤヒヤしたわ」



 千幸から一部始終を聴いた銀華が口にした第一声がこれだった。


 リビングに移動した2人は、キンキンに冷えた麦茶を飲みながら報告会を開いている。お茶うけはきんつばだ。上品な甘さの糖分が、疲れた脳に染み渡る。



「もしや大昔のアニメみたいにVRからログアウトできなくなる系のデスゲームにでも巻き込まれたんじゃないかって、お姉ちゃんヒヤヒヤしちゃったよー」


「お姉ちゃんったら、そんなことあるわけないでしょ。あれはフィクションだよ。VRポッドから出られなくなるような仕掛けなんて安全規格通るわけないじゃん。リアルと仮想の区別くらいつけなきゃ」



 きんつばをいただきながら、そんなこまっしゃくれたことを言う千幸。さっきまで姉に抱き着いて泣きじゃくってたくせにこれである。

 そもそも姉に会いたければログアウトすればいいだけということを失念していたあたり、リアルと仮想の区別がついてないブーメラン発言であった。



「うふふ、そうだねー」



 銀華はニコニコ笑顔で妹の毒舌に頷いている。甘えん坊なところもちょっぴり口が悪いところも含めて、妹が可愛くて仕方ないのだ。



「まあなんにせよ、千幸ちゃんが無事でよかったよかった。お姉ちゃんそれで肩の荷が一気に下りた気分だよー」


「ん……。でも、しばらく一緒に遊べなくなっちゃうよ」



 テーブルに視線を落とし、しょんぼりと肩を落とす千幸。



「どうやって元の場所に帰ればいいのかわかんないし。お姉ちゃんと遊べないなら、あのゲームにこだわる理由なんて……」


「まあ今回のアプデはさすがにやばいよね。いつもユーザーにケンカ売ってる運営だけど、これはいくらなんでもライン越えてんなーとは思う」



 銀華は膝の上に置いていたタブレットの画面を千幸に示した。

 千幸がタブを切り替えると、匿名掲示板での大混乱や、ゲームニュースサイトが面白おかしく炎上を煽っているのがわかる。



『【炎上】プレイヤーを拉致して開拓地送り!? 斬新さを求めすぎた運営の思惑とは【ケインズガルド・オンライン】』



 千幸はもぐもぐしていたきんつばを麦茶で流し込みながら、ニュースサイトの記事に目を通していく。

 まあ悪しざまに書かれること書かれること。

 実際今回の運営がやっていることはプレイヤーの拉致や財産の一時没収であり、こんなことを書き立てられてもまあ仕方ないかな。千幸も「しばらくおうちに帰れなくなるけど新マップで孤独な冒険をする権利をあげます!行きますか!?」みたいなことを言われたら絶対に承諾しなかっただろう。



「本当にロクなことしないよね、ここの運営。本当にゲーム売る気あるのかな」



 呆れた声をあげる千幸だが、実際運営のでたらめさはプレイヤーの間でもネタ交じりによく口にされていることだった。一部では実は経済をテーマにした社会実験の一環なのではないかと言われているほどだ。

 銀華もうんうんと頷きながら、そんな妹に優しい視線を向ける。



「でも、即決しないで判断をためらったのはえらかった。よくその場で決めずに持ち帰ってきたわね」


「だってお姉ちゃんにも関わることだと思ったから」



 実際、銀華に強制ログアウトされなければ、千幸は自分でログアウトを実行するつもりだった。

 そんな妹の判断に、銀華は頷く。



「そう言うってことは、千幸ちゃんもわかってたのね。貴方たち先行組に運営が期待している役割に」


「うん。私たちのミッションは『新大陸におけるクランの拠点を開拓する』ことだと思う」



 銀華がおかわりを注いでくれたグラスを両手で持ち、千幸は喉を潤す。



「“段階的に”という運営の言い方からすると、いずれ新大陸は全プレイヤーに解放される。そうなったときに何が起こるかと言えば、新大陸を舞台にした各クランの勢力争いだよ。そう考えると、ボクたちを先行で新マップに拉致したのは、新要素をβテストするためじゃないよね。ボクたちは先遣隊であり、後続のメンバーのための前線拠点を構築するのが役目なんじゃないかなって思った」



 千幸の推論に銀華は頷き、ピッと人差し指を立てる。



「そうね。私もそう思う。運営が言う“段階的に”というのはフェーズごとに、という意味のはず。今は第1フェーズ、新大陸に送られた先遣隊が前線拠点を構築する段階。そしてコボルトたちへの“征服”か“守護”という選択は、おそらく所属する陣営を分けるためのものだと思うの」


「お姉ちゃんもそう思う?」


「ええ。利益だけを考えたら“征服”一択だもの。そこにわざわざ“守護”という選択肢を提示するからには、理由がある。これは新大陸に送られたプレイヤーを“征服”派と“守護”派に分けて対立させるための仕掛けじゃないかな」



 銀華はタブレットに表示された、絶賛炎上中の匿名掲示板に視線を落とす。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

564:名前:マネーゲームの名無しさん

征服派は人でなし!

よくもあの可愛いコボルトちゃんたちに武器を向けたな!

人の心とかないんか?


565:名前:マネーゲームの名無しさん

はあー? ゲームに勝つ気のない守護派は黙っててくれるか?

悪いけどワイらは勝つためなら良心とかドブに捨てられるんで。


566:名前:マネーゲームの名無しさん

征服派は動物虐待! 危険人物! 犯罪者予備軍!


567:名前:マネーゲームの名無しさん

守護派はゲームとリアルの区別がつかない低能! 敗北主義者! 手遅れケモナー!

 

568:名前:マネーゲームの名無しさん

なんて醜い争いなんだ……

 

569:名前:マネーゲームの名無しさん

一番人の心がないのは希望の新大陸でこんな醜い対立を仕組む運営だと思うよ

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 征服派と守護派が早速エゴをむき出しにして罵り合っているのに溜息を吐きながら、銀華は言葉を続けた。



「……既にこんな感じだけど、今後はさらに壮絶な陣営対立が巻き起こるわね。そして何より、この影響は選択したプレイヤーだけに留まらない。つまり……」


「ボクたち先遣隊の選択が、後続のクランがどちらに所属するかを決めるということだね」


「ええ。先遣隊が選んだ選択肢は、所属するクラン自体がどちらの陣営に属するかを左右する。先遣隊が原住民から搾取して築いた拠点で、後から友愛なんて説いたって白々しいだけだし、逆もまたしかり。一度選んだスタンスは変更できないんじゃないかな」



 やっぱりそうだよね、と千幸は安堵の息を吐いた。

 自分の判断が間違っていなかったことにほっとする。千幸の直感が告げていたのは、まさにこの陣営分けの可能性だった。

 自分ではなんとなく嫌な予感としてしか感じられなかったことを、明確な理屈として説明してくれる銀華に、やっぱりお姉ちゃんはすごいなあと感心する。



「それで、どっちを選べばいいかな?」


「うん」



 判断を仰ぐ千幸に、銀華はにこっと笑みを返した。



「千幸ちゃんが選びたい方を選んでいいよ」


「えっ!?」



 千幸は思ってもみないことを言われ、ぱちくりと瞳をしばたたかせる。



「でも、クランの大事な決断だよ? お姉ちゃんが選んだ方が間違いないし……」


「いいのよ」



 銀華は瞳を閉じると、ひとりごちるように呟く。



「私は前回、自分の好きなようにやらせてもらった。それで千幸ちゃんには嫌なことも我慢してもらったよね。だから今回は、千幸ちゃんの好きなようにしていい。もちろん私も面白いことをやって楽しませてもらうけど、基本的には千幸ちゃんの選択を最優先にする。“ナインライブズ”はそのためのクランだから」


「お姉ちゃん……」


「だから千幸ちゃんが思うようにしたらいい。私は全力でそれを支えるし、なんだかんだ良い感じにオチが付くようにしてあげるから。さ、どうしたいのか言ってみなさい」



 悪戯っぽくウインクする銀華に、千幸はつぼみが綻ぶような笑顔を返した。



「じゃあ、もちろん“守護”がいいよ! コボルトと仲良くしたいもん!」


「よーしわかった。<ナインライブズ>はその選択を支持する! カズハ先遣隊員、現地住民と仲良くして彼らのもふもふを守りたまえ!」


「承りました、エコ猫隊長殿!」



 敬礼をかわしながら、姉妹はきゃっきゃっと笑い合う。


 そして千幸は心がすっと軽くなったのを感じていた。

 この瞬間、カズハはひとりぼっちの哀れな拉致被害者ではなく、エコ猫の特命を受けて新大陸へ派遣された勇敢な先遣隊員となったからだ。


 ああ、本当にお姉ちゃんはすごいなあ。

 事もなしに自分の心を救ってくれた銀華に、千幸は心からの敬意を送るのだった。

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