第37話「ミ ユーカ」
どどん♪ どどん♪
素朴で力強い原始のリズムを響かせる太鼓の音に乗って、子供のような背丈の犬獣人たちが焚火の周囲でくるくると踊る。
まるで盆踊りのようなダンスだが、彼らはみな楽しんでいるというよりは真剣な顔立ちを浮かべており、時折ちらちらとこちらに視線を送ってくる。
そんな踊りの輪の内側で、カズハは先ほど助けた少女と村長らしき老人に左右を挟まれて座らされていた。
「えーと……」
居心地悪そうに少女に口を開こうとすると、少女は小首を傾げながらカズハが手にした杯に果実水を注いでくる。
「■■■■■?」
「あ、はい。どうも」
何か尋ねられているようなのだが、意味がさっぱりわからない。
カズハはとりあえず軽く頭を下げると、勧められるままに果実水を口に運んだ。
獣人の少女がにこーっと笑顔になるので、合わせてぎこちない笑顔を返しておく。
なんかサークルの新歓コンパに迷い込んだ陰キャみたいな仕草してんなお前。
まあそれはそれとして、カズハは戸惑いながらも内心ご機嫌だった。
理由は言うまでもなく愛らしい獣人NPCたちに囲まれているからである。
先ほど助けた少女に案内された村で、カズハは下にも置かないもてなしを受けていた。村の広場で少女が大声で何かを言ったかと思うと、周囲のテントから獣人たちがすごい勢いで飛び出してきたのだ。
獣人たちはカズハの前で、次々に五体投地をキメた。きっと村の女の子を小鬼から助けてくれたことに感謝してくれてるんだろうなーとカズハは解釈した。かなりオーバーな感謝の表現だけど、きっとこの子は村長さんの娘か孫なんだろう。
そこまで感謝しなくてもいいよと言ったけど、やはり言葉が通じない。しかし彼らは知らない言葉を話すカズハにさらに驚いた様子で、一層頭を下げる。
しばらくすると狩りに出ていた男たちも大慌てで帰って来て、一族総出で歓迎の宴を開いてくれた。
(ただ歓迎の宴にしては、なんかすごい仰々しいんだよね。普通歓迎会っておじさんとかがガハハって笑いながらお酒を飲ませてきたり、内輪で盛り上がったりするものだと思うんだけど)
獣人たちはカズハに積極的に話しかけてくることはなく、ただ踊りながらじーっと視線を向けてくるばかり。しかし視線を合わせようとすると、慌てて目をそらすのだ。こっちは目を合わせてくれた方が嬉しいのになあ。宴全体の様子も私語がほとんどなく、まるで神事でも執り行っているかのようだった。
(結局そばにいてくれるのはこの子と村長さんだけかあ)
それでもカズハとしては結構嬉しい。
助けた少女は子供なのかと思っていたが、どうやら彼らは種族自体が小型犬をモチーフにしているようで、大人でも身長が130センチ程度しかなかった。
犬種はさまざまだが、大人の男性はウェルシュコーギーのように耳がピンと立っている者が多いようだ。ピンと立った耳はいかにも犬って感じがして、顔立ちもかっこよくてカズハは大好きだ。
ただ、助けた少女はキャバリアのように耳が垂れているので個人差かもしれない。キャバリアの耳ってお嬢様っぽいし、目はつぶらだし、なのに性格はキリッとしてギャップがあるし、カズハは大好きだ。
一方、村長さんは高齢だからなのかマルチーズのような真っ白な長毛種だ。ふさふさと目元まで隠れた目に、口元から膨らむように伸びた髭。威厳があるのに舌先をしまい忘れて、チロリと赤いのが覗いている。可愛すぎる。マルチーズのカットしないとどんどん毛が伸びてしまってモップのようになるところも、ちゃんとお手入れすると綿毛の妖精みたいになる愛らしさも、カズハは大好きだ。
つまり種族全体がカズハの大好きなポイントだらけで、そんな彼らに囲まれた環境は最高にハッピーなのだった。
(あー、幸せ~! こんなの最&高すぎるでしょ。でもこんな種族、やっぱり見たことないや。アプデで追加された新種族なのかな?)
だとしたら運営GJ。いや、こんな可愛い種族の村を作ってくれただけで神運営と言いたい。ここの運営はとんでもなく意地悪な仕様や煽り満点の告知をぶちかます鬼畜だが、ケモノ萌え要素だけは神がかっているのだった。やっぱ絶対スタッフに重度のケモナーいるって。
それにしても言葉が通じないのがもどかしい。
動物好きには言葉が通じないからこそいいのだという者もいて、カズハもそれには一理あると思っているが、それはそれとして動物と言葉を交わすのはやはり人間の夢だと思うのだ。
AI技術の発達によって生み出された、スマホをかざすだけで犬の言葉を翻訳できるアプリが瞬く間に世界中に広まったのも、それが大多数の犬飼いの夢であったからに他ならないとカズハは思っている。ちなみにリリースから数十年経つが、何故か猫の翻訳アプリはいまだにリリースされていない。猫の言葉はわからない方がいいんじゃないかなあ。
話がそれたが、とりあえず現状NPCと言葉が通じないというのが普通に不便だ。
何しろこちらは未知の場所で目下遭難中だというのに、NPCから何も情報を得られない。彼らから話を聞ければ、ここが大陸のどの地域なのか判断できそうなものなのだが。そうすれば何とか姉に連絡をとって、助けに来てもらって……。
(……待って。ここ、本当に同じ大陸なの?)
カズハは薄々感じていた、嫌な予感が足元から這い寄ってくるのを感じた。
これまで『ケインズガルド・オンライン』の世界にはひとつの大陸しか登場していない。地域によって文化の違いこそあれ、貨幣はディールに統一されている。言語は全世界リアルタイム翻訳システムことBABELのおかげで、全世界どの国のプレイヤーでも母国語で会話が可能だ。これはVRMMOの標準機能なので今更特筆するようなことではない。
しかし言葉が通じないNPCが実装されたとなると、話は別だ。そこには何らかの意図がある。
ひとつの大陸で汎用されている共通語があるとして、では前人未到の大陸でもその共通語は通じるだろうか? ……そんなわけはない。誰も行ったことがない別大陸なら、当然言葉が通じるわけがないのだ。
加えて言えば、村人たちが身に付けている服や、頭につけている羽飾りやヘッドバンドの意匠。そして村の入り口や、広場に折り重なっている動物の頭部をモチーフにした木彫りの柱……トーテムポール。
これらがかつて独自の文化を持っていた、ある民族を否応なしに想起させる。
だからこそ、ここが別大陸である可能性をカズハは感じずにはいられない。
そしてその推測が正しければ、姉の元に帰るのは絶望的ということになる。
誰も行ったことがない、未知の大陸。そこから帰る? どうやって。言葉が通じない、船もない。船を作る技術のあてもない。
ここの村人たちの暮らしぶりを見るに、狩りを生業とする非常に素朴な生活を送っているようだ。つまりカズハたちの大陸に比べて、文明が未熟だ。精神文化としてはむしろよほど高度な可能性はあるが、文化ではなく文明として
何よりも、ここがどこなのかわからない。船を出すとして、どの方角に航海すればいい? 長期航海に欠かせない
そして、そうした諸々の問題をクリアして仮に長期航海ができる船を造れたとして、カズハ1人で長期航海に耐える船の操船などできるわけがない。かといってカズハは他のプレイヤーと協調などできる性格ではない。
状況はあまりにも絶望的すぎた。
カズハが頭を抱えて、その場にうずくまったのも無理はない。
「お姉ちゃん……帰りたいよぉ……」
ぐすっ、ぐすっ。
カズハが我知らず呟いた言葉が呼び水となり、大粒の涙がぼろぼろと零れてくる。
こんなはずではなかった。ただのピクニックのつもりだった。
それが、こんな見知らぬ場所にひとりぼっちで放り出され、帰還する手段の一切を封じられて、さあ探索とやらをしろと運営に強制されている。
嫌だよ、ひとりぼっちは怖いよ。お姉ちゃんと一緒にいたいよ。
それだけがボクの望みなのに。だからこのゲームを選んだのに。
どうしてこんな目に遭うの? お姉ちゃんの元に帰してよ……。
いつのまにか太鼓の音が止んでいた。
獣人たちは泣き出したカズハを囲み、不安そうな視線を送ってきている。
やがて周囲の沈黙に押されるようにして、少女が口を開いた。
「■■■■■?」
おそるおそる、といった風に呼びかけられ、カズハは涙に濡れた顔を上げる。
ああそうか。
この子たちは、自分たちのおこないが不興を買ったのではと思っているのか。
そのことが、カズハにはすうっと理解できた。
正直放っておいてほしいという思いはある。もっと泣いていたいとも思う。
だけど、この子たちを自分のせいで困らせたくないという思いもあった。
この子たちが子供のような背丈だからというのもある。お姉さんとして、この子たちの前で泣いているわけにはいかないと思った。
実際は彼らはそういう外見というだけで、立派な大人という設定だ。ただの不登校の中学生に過ぎないカズハがお姉さんぶるなどおこがましいことなのだろうが、少女を助けたからか自分を慕ってくれる子たちにみっともないところを見せたくないと思ったのだ。
カズハは指で涙を拭うと、少女に顔を向けた。
「ごめんね、あなたたちが何かをしたせいじゃないんだよ。ただ、ボクがここにひとりで放り出されて、帰れないのが悲しかっただけなんだ」
しかし、そんな言葉が通じるわけもない。
少女は困惑と恐怖がないまぜになった表情で、ひざまずきながら必死に口を開く。
「■■■■■■■■■■?」
「……言っても通じないか」
カズハは唇だけで小さく笑うと、少女の手を引いてその体を腕の中に収める。
ぽふっと柔らかな毛の感触が広がり、あたたかな温もりまでもが感じられた。
まだ止まらない涙を動揺する少女の頭に落としつつ、カズハは言い聞かせるように囁く。
「怒ってないよ。怒ってない。キミたちのせいじゃないよ。だから、そんな怯えた顔をしないで」
「………………」
「ボクは怒ってないよ。だから笑ってほしいな。いくらボクでも、本当のひとりぼっちは寂しいよ……」
大人しくなった少女は、カズハのなすがままに身を委ねている。
少女を撫でているうちに、カズハは自然と心が落ち着いてくるのを感じていた。それは幼児がお気に入りのぬいぐるみを抱いているうちに泣き止むのと同じ作用にすぎないのかもしれない。しかし、腕の中の彼女は物言わぬぬいぐるみではなく、意思を持つ存在だった。
だからきっとそれは、別の意味がある行為なのだ。
涙が落ち着いたカズハは、少女を抱きしめる腕を緩めると、ゆっくりと身を離した。
さまざまな感情がないまぜになった表情をする少女に、カズハはようやく笑顔を作る余裕が生まれていた。
「ねえ、キミの名前はなんていうの? ……あ、ごめん。先にこっちから名乗らなきゃね。ボクはカズハっていうんだ」
「…………?」
カズハは表情をわずかに緩めて、自分を指差す。
「カ・ズ・ハ」
続いて少女を指差す。
「なまえ なに?」
少女はカズハの口調から、何かを尋ねられているのを察したのだろう。
「コボルト」
「コボルト? それがキミの名前? あまり可愛くないね」
「コボルト。ワ ユーカ コボルト」
少女は手を広げ、周囲の獣人たちに視線を向ける。つられてカズハが視線を配ると、獣人たちは背筋をピンと反らして胸を張った。
その反応で、カズハは察する。
「あ、そうか。種族か村の名前がコボルトなんだね。……これ、人間のことをカズハっていうんだと思われてる可能性あるな……」
カズハは困った顔をして、大きく首を横に振った。
そもそもこの首を横に振るというジェスチャーが否定という意味だと思われていない可能性すらあるから、ことさらに眉を寄せた表情をしてみせる。
「違うよ、ボク個人の名前がカズハだよ。あなたの おなまえは?」
もう一度自分を指差し、次いで少女を指差す。
それが伝わったのか、コボルトの少女は大きく頷いて口を開いた。
「チッキ。ミ ユーカ チッキ」
「チッキちゃん?」
カズハが復唱すると、少女は嬉しそうに微笑んだ。
「ヤウ! チッキ ユーカ!」
「チッキ・ユーカちゃんって名前?」
「ニューイ。チッキ! ユーカ ニオ チッキ!」
少女のアクセントとジェスチャーから読み取るに、おそらく“ユーカ”とは“いいます”とか“です”という意味の補助語であって、名前ではないのだろう。“ヤウ”は“はい”で“ニューイ”が“いいえ”。“ニオ”は“ではない”、かな?
「チッキ?」
「チッキ!」
「こんにちわチッキ。
「!」
おお、と周囲のコボルトたちがどよめきを発する。
そのとき、カズハの視界にシステムメッセージが表示された。
≪ミッション条件達成:コボルトと自己紹介を交わす≫
≪条件を達成したので、称号【ミ ユーカ】を獲得しました≫
≪称号に応じた常時効果が発動します≫
【ミ ユーカ】
『スキル【コボルト語】を解放する』
なるほど、とカズハは納得する。
このゲームではプレイヤーの行動によって称号が得られ、それらの獲得によって新しいスキルやクラスが解放されていく。今回のこれもそのひとつなのだろう。
カズハにとっては見慣れたものだ。
……攻略Wikiを頼れない状況でのこのシステムが、こんなに厄介だなんて。
思わず溜め息を吐くカズハの視界の中で、システムメッセージは続ける。
≪ミッション条件達成:所有者のいないコボルトの集落で住民から恐怖を得た≫
≪条件を達成したので、称号【新世界の征服者】を獲得しました≫
≪称号に応じた常時効果が発動します≫
≪ミッション条件達成:所有者のいないコボルトの集落で住民から親愛を得た≫
≪条件を達成したので、称号【新世界の守護者】を獲得しました≫
≪称号に応じた常時効果が発動します≫
【新世界の征服者】
『あなたはコボルトの集落を支配して、搾取する権利を得る』
【新世界の守護者】
『あなたはコボルトの集落を庇護して、代表者となる権利を得る』
≪競合する称号効果を同時に満たしています≫
≪この集落への対処を選択してください≫
≪あなたはこの集落を征服しますか? それとも守護しますか?≫
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