第36話「VRMMO内で異世界召喚を食らった気分」

「むきゅんっ」



 空中に投げ出されたカズハは、固い地面におしりから着地して悲鳴を上げる。

 VRなので痛覚はカットされているから特に痛みはないが、カズハはゲーム内でダメージを受けると悲鳴を上げてしまうタイプだ。のめりこみやすいのかもしれない。

 それはさておき。



「ここ、どこ……?」



 身を起こしたカズハは、カンテラを掲げながら周囲を見渡した。

 おぼろげな光が照らし出すのは、ごつごつとした岩肌ばかり。そして彼女が立っているのは、何やら古い祭壇のように思える。黒い石のような材質で作られており、経年劣化からかところどころにヒビが入っていた。

 ここがどこであれ、間違いなく先ほどまでいた壁画の間ではないようだ。


 となると、どこかに強制転移させられたのだろうか。大体このゲームの転移装置は転移を実行する前に確認ウィンドゥが開くのだが、ダンジョン内には強制転移させるトラップもないわけではない。

 とりあえずどこに飛ばされたのか確認しようとワールドマップを開こうとしたカズハだが、ブブーと小さなエラー音が鳴って小首を傾げる。



「ワールドマップが開かない……?」



 初めて行った場所だろうと、ワールドマップを開けば自分がワールド全体のどこにいるのかは表示されるはずだ。未発見の場所は黒塗りになるが、それでも自分がどの地域にいるのかは大体わかるようになっている。

 しかしワールドマップ自体を開けなくなっているというのは未知の経験だった。



「……こういうときは」



 カズハには困ったときの必勝策がある。

 そうだね、お姉ちゃんに相談だね。

 困ったことがあればお姉ちゃんに投げておけば、いつだって解決してくれるのだ。

 だから今回もエコ猫と相談しようとチャットを投げて……。



≪現在このプレイヤーとのチャットは行えません≫



 ぴしり、と音を立ててカズハの動きが止まる。

 世界で最も頼りになるお姉ちゃんとの交信手段が奪われていた。


 いやいや、まだ大丈夫。こういうときは慌てず焦らず“世界樹の枝”だ。

 どんな場所からでも即座にホームポイントに帰還できるアイテムは旅の頼れるお供、もちろんカズハも肌身離さずアイテムボックスに入れている。

 枝を高々と掲げれば、たちまち光り輝いて冒険者を家路へと帰してくれ……ない。

 枝はまるで光ることなく、何の効果も発動しなかった。ただの枯れ枝ですなこれは。



「詰んだ」



 カズハは絶望した。

 そして迷わず腰からナイフとポーション瓶を引き抜くと、ナイフに致死毒をエンチャント。流れるようにナイフを自分の喉元に突き立てて自害した。


 判断が早い! これには天狗も思わずニッコリだ。

 いやなにわろてんねん、サイコパスかよ天狗。


 説明すると別にお姉ちゃんとチャットできなくなった絶望で死を選んだわけではない。『ケインズガルド・オンライン』ではHPを全損して死亡状態になった場合、その場に留まって誰かに蘇生してもらうのを待つか、リスポーン地点への帰還を選択できる。


 カズハがやったのはいわゆるデスルーラ、意図的に自害することでリスポーン地点へ帰還するテクニックだ。迷宮の奥深くや敵陣のど真ん中からでも一瞬で帰還できるため、非常に便利な移動手段となる。

 絵面は本当に最悪だがな!


 もちろん“黒”や“赤”ゾーンでやると装備品やアイテムをロストする危険があるが、この場所が“白”ゾーンであることはちゃんと把握している。

 だからここがどこであろうと、カズハは何のリスクも負わずに姉がいるクランハウスへと帰還できるのだ。


 ちょっと珍しい体験をしたけどこれでもう大丈夫。お姉ちゃんに報告して、後で一緒に調べに来ようっと。


 祭壇の上に倒れ伏した血まみれのカズハの体がシュウウウ……と薄くなり、光となって消失する。

 そして数分間のリスポーン明けの後、カズハはリスポーン地点へと復帰した。

 すなわち、先ほどカズハが自害を決行した祭壇の上に立っていたのである。



「あれーーーっ!?」



 カズハはあからさまに狼狽した様子で、ナイフを握ったままの自分の手を見つめた。

 まさか、リスポーン地点がこの場所に上書きされている!?



「いやいや。冗談じゃないよこんなの! あ、そうだマイルーム! マイルームに移動したらお姉ちゃんにチャットもできるはず!」



 マイルームとは各プレイヤーのプライベートスペースだ。リスポーン地点からアクセスすることができ、個人倉庫に金やアイテムを預けたり、運営からのプレゼントやお知らせを受け取ったりできる。さらに他のプレイヤーとのチャットも可能だ。アクセスしている間はワールドからプレイヤーが消失するため、プレイヤーからは“異世界”とか“引きこもり空間”とも呼ばれていた。

 カズハにとっては他の人間と会話しなくて済む安らぎのスポットだ。うーんこの生粋の引きこもりガール……。


 そんな安心安全のマイルームに逃げ込もうとしたカズハは、真っ青な顔で指を震わせる。マイルームに遷移できない。いや、正確にはできているのだが……。



「ここがマイルーム……!?」



 どういうわけか、この薄暗い洞窟こそが現在のマイルームという扱いになっていた。個人倉庫機能は使えるようだが、これまでカズハが預けていたお金とアイテムはすっからかんになっている。

 オロオロと震える手でいろいろ試しているうちに、指先が運営からのお知らせに触れた。新着メッセージ1件。



『おめでとうございます! あなたは最新アップデートで実装された新エリアの先行プレイヤーに選ばれました! これからあなたは誰も知らない未知のエリアを探索することができます。新エリアを探索して、あなたの手で数々の謎を解き明かし、栄光と財産を手に入れましょう!

 なお、これまでのあなたのマイルームは一時的にアクセスできなくなり、フレンドとのチャット機能も封印されます。着の身着のままから栄光をつかみ取ってください! 旧エリアへの帰還方法が確立されると、これまでのマイルームに再びアクセスできるようになりますのでご安心ください。

 それではよき冒険を! グッドラック!』



「やり口が前衛的すぎるだろ、えーーーーっ!!」



 カズハはお知らせウィンドゥをひっつかむと、すぱーん!と足元に叩き付けた。


 そういえば今日はアップデートの日だった。長いメンテ明けを待ってログインしたカズハだが、アプデの内容など一切気にしていなかった。未知のエリアとかバランス調整とか、そんなことカズハにはどうでもいい。

 カズハはただ可愛い動物モンスターといちゃいちゃできれば幸せなのだ。ついでにお姉ちゃんも喜んでくれたり、珍しい景色を鑑賞できたりしたらもっといい。

 アプデで新エリアが追加されることくらいは知っていたが、誰かが冒険しつくした後でこんな名所があるよと教えてくれたら見物に行こうくらいにしか思っていなかった。未知の冒険などカズハにとって最も縁遠い言葉なのだ。


 そんな自分が、こんな場所に放り出されるとは……。


 いっそキャラデリしちゃおうかな、という思考がマジで頭をよぎる。

 お知らせを読む限り、どうもちょっとやそっと試行錯誤した程度で元の場所に戻れそうな書き方じゃない。それならアバターを作り直してもう一度<ナインライブズ>に入り直した方が、お姉ちゃんの元に帰るという一点に限っては話が早い気がする。



「……でも、ドンちゃんたちのことを考えるとちょっとな」



 溜息を吐きつつ、カズハはこめかみをぐしぐしした。

 キャラデリはできない。このアバターには紐づけられたテイムモンスターがいる。

 1日に2個のゴールデンエッグを生産するドンちゃんという超貴重なモンスターをロストするわけにはいかない、という理由ももちろんある。

 しかしそれ以上に、カズハはドンちゃんやガルちゃんといったAIたちに情を移しすぎていた。彼らはカズハというプレイヤーのためだけに存在するAIだ。カズハがログインしない間はじっと休眠状態で健気に召喚を待ち続け、カズハというアバターが消去されれば諸共に消滅することが定められている儚い存在。


 テイマーというクラスが一般的にオススメされない最大の理由はそこにある。

 新人プレイヤーがテイマーになりたいと相談すると、先人たちは必ずこう聞く。「このゲームに骨を埋める覚悟はあるのか?」と。

 このゲームのテイムモンスターたちのAIは出来が良すぎるのだ。人間と同じようにおしゃべりして、プレイヤーを健気に慕ってくる愛らしい存在に感情移入しない者は少ない。自分がログインしなければ、ゲームを引退したら、この子たちはどうなってしまうのか。その思いは、鎖となってユーザーをこのゲームに縛り付ける。ある意味ではプレイヤーに引退を許さない、最強の人質であった。

 もちろんカズハもその分に漏れない。むしろ他のプレイヤーよりも人一倍、テイムモンスターへの感情は重い。


 この子たちを捨てるわけにはいかない。だけどお姉ちゃんがいない環境も怖い。

 二律背反する感情に、カズハは深い溜め息を吐いた。

 どうしよう、これから……。


 そのときふと、カズハはどこからか視線を感じた気がした。



「そこにいるのは誰!?」



 反射的に声を出すと、洞窟の入り口で闇に紛れていた人影が飛び上がった。



「ぴいっ!?」



 予想よりも可愛らしい声を上げ、何者かは大慌てで身をひるがえして逃げ出す。



(イヌ科の獣人……? オオカミにしてはやけに小柄なような……)



 ちらりと見えたシルエットに疑問を抱きながらも、カズハはとにかく人影の後を追おうと走り出す。

 人見知りなカズハには見知らぬ人と話すという時点でハードルが高いが、とにかく今は少しでも元の場所に戻る手掛かりが欲しいので四の五の言っていられない。それに相手がおそらく獣人だという点もプラスに作用している。


 幸い、追跡にはさほど時間がかからなかった。

 追跡する相手は、洞窟を出てすぐの場所でモンスターに囲まれていたからである。



「ぴーーっ!?」



 子供のように小さな体躯の獣人が、自分を囲むモンスターたちに腰を抜かしてへたりこんでいた。動きやすそうな半袖のジャケットにスカート、頭には羽飾りを着けた、小型犬のように愛らしい顔立ちの犬獣人だ。

 しかしこんな獣人種族が存在していただろうか? 狼獣人ならプレイヤー種族として街中でもよく見かけるが、小型犬の獣人というのは見覚えがない。


 犬獣人を囲んでいるのは、赤い帽子を被った小鬼の群れだ。茶色の肌をした醜く凶悪な顔つきのモンスターで、ギラつく短刀を振りかざしながら犬獣人を威嚇していた。ゴブリンの亜種だろうか?

 こちらも見覚えがないモンスターだが、正直このゲームはやたらモンスターの種類がいるので、完全初見のモンスターと出会うのも珍しい話ではない。


 さておき、カズハの眼の前に突き付けられた二択はこうだ。


 この可愛い子犬ちゃんの獣人を見殺しにするか、危険を犯して小鬼の群れを相手にするか。



「そんなの、聞くまでもないよね!」



 カズハの足元から影が広がり、中からずるりと頼れる仲間たちが召喚される。

 幸いこの犬獣人はNPCなので、【ステルスネーム】も必要ない。

 のっけから本気出してGOだ!



「ドンちゃん、やっちゃえ!」


「ぐるるるるるるるるぅっ!」



 影から現れた黄金竜が、雄たけびと共に尻尾を振るう。

 その一撃で小鬼の何体かが薙ぎ払われ、体をひしゃげさせながら宙を舞った。


 不意を打たれて動揺した小鬼たちは直ちに攻撃対象をカズハに向けるが、何体かはまだ犬獣人にターゲットを残している。

 それを見て取ったカズハは、自分の影に向かって呼びかけた。



「ヒッポちゃん、出番だよ!」


「ふんがあああああああ!!」



 足元からせり上がるように出現した戦車カバにそのまま腰かけて、カズハはニヤリと笑う。召喚から即騎乗がシームレスにできるように何度も練習したのだ。その甲斐あって、今のカズハとヒッポちゃんは一瞬で騎乗態勢に移ることができる。

 そしてこの必殺コンボだ!



「ピーちゃん、コンサートタイム!」


『歌うわ歌うのだわ! 観衆がレッドキャップなのはちょっといただけないけど、あんまり気が乗らないけど! 小さいお客様もいるのでハッスルして頑張っちゃうのだわ!』



 ヒッポちゃんの口の中から顔を出したピーちゃんが、高々と囀って【トラジックコンサート】を発動する。それは歌声を聴いたすべてのモンスターのヘイトを、テイマーへと向けるスキル。これによってバーサーク状態になったすべての小鬼がターゲットを犬獣人から切って、カズハに向けた。

 そう、【騎乗】スキルによって戦車カバの装甲性と踏破性を得たカズハにだ。



驀進バクシンだ、ヒッポちゃん! ぶっ飛ばしちゃえ!!」


『全部吹っ飛ばすんだな~~~!!』



 Q.正面から突っ込んでくる小鬼に装甲車でぶつかったらどうなりますか?


 A.小鬼が轢殺されます。



 そりゃもうすさまじい勢いで小鬼が跳ね飛ばされていった。

 普通の生き物なら途中で怯えて距離をとりそうなものだが、そこはファッキン死神バードが付与したバーサーク状態が効いている。バーサーク状態に陥ったモンスターは攻撃力が上がる代わりに知力が下がり、行動パターンが単純化するのだ。

 正気と共に恐怖心も失なった小鬼たちは、ただただ愚直に正面から刃物を振りかざして襲い掛かってくる。もちろんこんなの戦車カバの格好の餌食だ。


 ヘイトを高めて正面から突っ込んできたところを時速60キロで激走する6tの質量で轢き殺す!!

 相手が人間サイズのモンスターなら、えげつないほど有効なコンボであった。


 それでも何匹かの小鬼はなんとか理性を保ち、遠くから弓でカズハを射殺そうと狙ってくるが、それを背後からドンちゃんが尻尾で薙ぎ払って妨害する。

 かこーんかこーんと小鬼をかちあげ、最後に一か所にまとまったところで。



「ドンちゃん、究極ブレスだ!!」


「ぐるるるるるるあああああああっ!!!!」



 自分は金卵を産むだけの存在じゃないんだ! そんな思いが籠められた久しぶりの究極ブレスが、小鬼たちを消し炭に変えたのだった。




「いやあー、さっぱりしたね♪」


「ぐるるぅ♪」



 久々に大暴れできてスッキリしたドンちゃんが、カズハの言葉に頷く。


 さてと。

 カズハはヒッポちゃんを回頭させて小鬼に襲われていた犬獣人に向き直った。できるだけ、怖がらせないように怖がらせないように……。そんな思いを込め、普段死んでる表情筋を総動員して笑顔を作る。

 いやあ、こんな殺戮劇見せられて怖がるなは無理がないっすかね。



「あー、えーと、こんにちわ! あなた、この付近に住んでる人? ここがどこなのかちょっとお話を聞きたいんだけど……」


「ふぁ……!!」



 小柄な犬獣人はつぶらな瞳を見開くと、地面に向かってびたんっ!と体を投げ出した。それはもう土下座とかそういう勢いではない。両手両足を地面に投げ出し、額を地面に付ける正真正銘の平伏だった。



「え、えーと? あ、もしかして命乞いされてる……? だ、大丈夫だよ! ボク、君を襲ったりしないから! 頭を上げてくれない?」


「■■■■■!」



 戸惑うカズハは犬獣人に声を掛けるが、犬獣人は決して頭を上げることなく意味不明の単語を口にする。

 その耳慣れない言語に、カズハは首を傾げた。



「あ、えーと……日本語でいいんだけど。あれ、もしかして言語設定も変更されてるとか? 困ったな、どうしよう? 言語設定ってどうやって変更するんだろ?」


「■■■■■!」


「……聴いてもわかんないよねえ。あーもう、助けてよお姉ちゃん!!」



 カズハは頭を抱えながら、届きようもない姉へのヘルプを口にするばかりだった。


 なお、このとき犬獣人の少女が五体投地しながら繰り返し口にしていた言葉の意味を、カズハは後に知ることになる。

 それは、こういう意味だ。



『御来臨を歓迎します、黒の女神様!』

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