第32話「ろくでなしクルーズ(後編)」

 マグロ漁船という閉鎖空間で、いんぽす太とかいう極めつけに怪しい名前の魔導士と出会ってしまったロック・D・ナッシ。

 しかし幸い殺人事件が発生することはなく、マグロ漁は順調に続いた。


 というか、わざわざ人間が手を下すまでもなく漁師たちは普通に死にまくった。

 釣り上げられたダンガンマグロは即座に100キロの弾丸となって下手人を轢き殺し、1時間ごとに襲い掛かる大シケで甲板が跳ね上がるたびにぽーんと人体が空を飛んで海中へとダンクシュート! 超エキサイティング!

 どうせ死んでもすぐ近場の医務室に送られるだけなので、もはや軽々しく死ぬことを前提にデザインされている感があった。マグロorダイ!!


 そんな殺伐死にゲー空間と化したマグロ漁船だが、プレイヤーたちのテンションはやたら高かった。



「今釣り上げたマグロの大きさすげーよ! お前が一番だ!」


「その【レビテーション】いいよー! 5億出す価値あるよー!」


「お前が一等高いマストに登ってるぜ! よっ、大将!!」


「医務室から戻ってくるの超早かったな! やる気に満ち溢れてるじゃねえか!」



 NPC船長が何をやっても褒めてくれるのである。マグロ1本釣っただけでも、一番高いマストに登って見張りしただけでもベタ褒めだ。

 それに釣られてプレイヤーたちも誰かが何かをするたびに声援とヨイショを送りまくる。互いに互いを褒め合いながら、プレイヤーたちは死にゲーに挑んでいた。


 これは狭い環境の中で殺伐とした人間関係にならないようにするための工夫であるらしい。何しろ数十人しかいないプレイヤーたちが延々とマグロと嵐に殺され続けているのだ、お前のせいで足を引っ張られたとか言い出したらとてつもないギスギス空間になる。マグロに轢き殺されるまでもなく、人間同士での殺し合いになることは必定だ。

 プレイヤーたちもそれを肌で察しているから、わざとらしいまでに他人を褒めまくり、誰かが失敗してもドンマイドンマイ次があるさ! と励まし合うのだった。


 そうしているうちに人間のクズどもにも芽生える仲間意識、一体感……! 陸に戻ったらすぐに雲散霧消してしまうまやかしの友情ではあったが、確かにこの刑期が終わるまではこの漁船は家であり、仲間たちは家族なのだった。



「この空気感を味わいたくて、俺は何度も漁船に戻って来てしまうんだねえ」



 引いてる竿を探しながら、いんぽす太はそんなことを言った。

 一緒に行動しているロックは、はあと生返事を返す。



「じゃあ先輩はわざと先物で失敗して借金背負ってるんスか?」


「ははは、それもあるねえ! だがやっぱ俺はギャンブル好きだからね! ロック君には絶対に先物で成功するコツを教えてあげよう!」


「え、マジすか。そんなテクあるならぜひ教えて下さいよ」


「うん、それは何度漁船に送られても諦めることなくレバ25倍で先物を買い続けることだよ!」



 ニカッと笑いながら、いんぽす太はろくでもねえことを口にする。



「何しろリアルと違って失敗しても漁船か鉱山に送られるだけだからね! 何度だってチャレンジ可能なんだから、当たるまで買い続ければいつかは大金持ちになれるんだよ!」


「……でも先輩はこうして巨額の借金背負ってるわけッスよね?」


「ああ、その通り! つまり俺は成功する過程にあるというわけだよ、はははは! 諦めずにチャレンジすれば、いつかきっと夢は叶うのさ!」



 本気でどうしようもない発言だった。

 この先どんなことが待っていたとしても、こんな人間にはならないようにしよう。


 そんな決意を固めながらロックがふと横を見ると、竿がぐいぐいとしなっている。これまでにない大きなアタリだ。金属製の竿を曲げるほどとなるとただ事ではない。

 慌ててクランクに飛びついたロックは力を込めたが、クランクはびくともしない。

 そのときである。



『マグロ、ご期待ください! マグロ、ご期待ください!』



 どーん、どーん。太鼓の音と共に船上に謎のアナウンスが響くやいなや、プレイヤー全員がバッとロックに視線を向け、一斉に駆け寄ってきた。マグロを釣り上げようとしていた者までが持ち場を離れる異常事態だ。



「ただのマグロなんて釣ってる場合じゃねえ!」


「おい、新入り! 絶対にその手を離すなよ!」


「みんな集まれ、大物だ! 全員で仕留めるぞ!!」



 ある者はロックと同じくクランクを回そうと力を込め、ある者はロックたちの体にしがみついて海に飲み込まれるのを防ぎ、またある者は銛を両手に握りしめて襲い来る脅威に備えた。

 やがて漁師たちがオーエスオーエスと連呼しながら釣り糸を引き上げるなか、ついに大物が海中から飛び上がる。



「さ……寒い!?」


「この空気は……冷凍の方か!!」


「炎魔法が使える奴は熱バリアを張れ! 来るぞ!!」



≪其は海中に在りて全てを凍てつかせる≫

≪船旅は絶望によって締め括られるべし≫

≪漁師も釣らねば氷像にはなるまいに≫


≪レイドボス出現!≫

≪レイドウマグロLV75≫



 海中より顕現したのは通常の5倍のサイズはあろうかという、巨大な冷凍マグロだった。



『GYOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!』



 咆哮を上げる巨大冷凍マグロという、あまりの光景にぽかんとするほかないロック。

 そんな彼に向けて、冷凍マグロは釣り上げられたときに舞った水飛沫を氷の槍に変えて撃ち放った!



「あっ……」


「あぶねえっ! 【ブランディッシュ】!」



 氷槍がロックを刺し貫かんとした瞬間、割って入った老齢の男が槍を切り払う。

 髪も顎髭もすべて白髪の男は、老いをまるで感じさせない逞しい腕を振り、シミターにまとわりついた氷を落とす。



「怪我はないか!」


「あ、あざッス……!」



 震え声で礼を言うロックを一瞥すると、男はシミターを突き出す。

 ロックはぶるぶると震えるが、それは彼の隣に立つ魔術師に向けて突き出されたものだった。



「いんぽす太、武器に炎付与をくれ!」


「はいはい。【ファイアエンチャント】っと」



 いんぽす太がワンドを振るうと、ボッと音を立てて男のシミターが炎に包まれる。シミターに付着していた氷の粒は一瞬で蒸発し、刀身が煌々と赤熱した。まるで早く獲物を焼き尽くさせろと吠えんばかりに。

 男はニッと笑うと、愛刀をレイドボスへと向ける。



「いざ、レイド戦だ! 奴を姿焼きにしてやるぞ、野郎ども!!」


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


「ジャッカルにだけ良いカッコさせるな! 貢献度を稼げっ!!」



 レイドウマグロが吐き出した氷のブレスが、漁師たちを瞬く間に凍り付かせる。

 燃え盛るシミターを構えた海賊・ジャッカルは漁師たちだった氷像の合間を走り抜け、レイドボスへ向かって跳躍した。その後を追って、銛を構えた漁師たちが一斉に突撃していく。

 レイドボスの姿が巨大な冷凍マグロでさえなければ、まるで英雄叙事詩の一場面の如き光景。



「かっけえ……」



 戦う術のないロックは、彼らの姿を魅入られたように見つめていた。

 ああいう海の男になってみたい、そんな思いで脳を焼かれたのも仕方がないことだろう。




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 のべ百人以上もの被害を出しながらも、レイドボスは見事討伐された。

 ぶっちゃけ最後はゾンビアタックである。いんぽす太は医務室に待機して、味方がリスポーンする側から銛に炎エンチャをかけまくり、漁師たちはマストに登って決死のダイブで冷凍マグロのエラを狙いまくった。冷凍マグロが器用に空を泳いで避けるので、そのほとんどはそのまま海に沈んで行ったが、どうせ溺死する側から復活するので無問題。

 最終的にエラをぶっ刺されて甲板に落下したところを、全員で炎エンチャした銛でめった刺しにしてトドメを刺した。


 このレイドボスを倒すと参加者全員に貢献度に応じて報奨金が出るため、これで一気に借金を返すことができた者もいた。

 かくいうロックもそのうちの一人で、戦闘ではまるで役に立たなかったものの、最初に発見したという功績によって多額の報酬を得られたのだった。


 ワイワイとお祭りムードで酒(酔えない)を飲んで盛り上がる漁師たち。

 そんな中、ロックの肩をぽんと叩く者があった。

 いんぽす太である。



「いやあおめでとう。随分と稼げたんじゃないかな?」


「あ、先輩あざッス。おかげで一気に借金も返せそうっス」


「そうかそうか、そりゃよかった。……だけど、この船の一番のお楽しみを知らずに終わってもいいのかい?」


「一番の……楽しみ?」


「知りたければついてきたまえ」



 ククク……と意味深な笑みを浮かべて歩き出すいんぽす太。ロックは絶対ろくでもねえことなんだろうと思いながらも、当然のようにその後をついて行った。ここで保身に走るような真人間は、元からいんぽす太に声を掛けられない。


 果たしてロックが案内されたのは、薄暗い船室だった。

 部屋には十数人の人間が背中を丸めながら、血走った目で茶碗を覗き込んでいる。チンチロリンと音を立てながら、茶碗の中を転がる3つのダイス。



「ククク……シゴロだ」


「マジかよ、またジャッカルの勝ちか」


「いい加減勝たせろよお前!」


「おかしなことを言うんじゃない。サイの操作なんかできるわけないだろ。ほら、負けた奴はとっととトレード枠開け」


「チッ、借金が増えたか。次は勝つからな」



 賭場である。チップはもちろん借金だ。

 勝てば勝つほど刑期が短縮される仕組みである。

 すぐに返せるから実質タダみたいなもんだな!


 ワイワイと盛り上がっていた彼らは、扉が開いたことに気付くと一斉に黙り込んでじっと新入りに視線を向けた。

 座の中心に座っていたジャッカルは、ロックに向けてニヤリと笑みを浮かべる。



「ククク……坊主も少し遊んでいくかい?」


「……もちろん」



 どういうわけか若干顎が尖った感じになったロックは、笑みを浮かべて円陣に加わる。彼を新しい仲間と認識したギャンブラーたちは、ククク……と歓迎の鳴き声を上げた。ロックもまた、ククク……と喉の奥で鳴いてそれに応える。


 ククク……。

 ククク……。


 マグロ漁船の夜は更けていく。

 最終的にロックの刑期は10時間増えた。




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「どうもお世話になりましたッス」


「うん、元気でね」


「もうこんなところ来るんじゃねえぞ」



 レイドボスの儲けを吹っ飛ばして負けまくり、結局2日間になったロックのマグロ漁船ツアーは終わりを迎えた。

 200億に膨れ上がった借金をなんとか返し終わったロックが船を降りる時が来たのだ。頭を下げるロックを、いんぽす太とジャッカルが笑顔で見送る。


 いや、借金増えたのこの2人のせいなんですけどね。

 特にジャッカル、お前賭場さえ開かなけりゃカッコいい海賊でいられたんやぞ。

 とはいえ、この船にいる時点でクズオブザ人間なのは前提だからしゃーなし!



「ロックは船を降りたらどうするつもりなんだい?」


「商人を再開しようとも思ったんスけど、マグロと戦ってるうちに海賊のクラスLVも上がったんで、ちょっと海上交易とかに手を出してみようかなって思うッス」


「おう、海賊はいいぞ。剣士派生のスキルで戦えるし、海上交易に有利なスキルも覚えるから商人としても便利だぜ」



 新たな海賊の誕生を、ジャッカルがガハハと豪快な笑い声で祝福する。



「……ところでお2人は船を降りないんスか?」


「ああ、俺たちはまだ借金残ってるからね」


「ちょっとやそっとじゃ返せる額じゃないんでな。ログアウトして休みながらチビチビと返してるところよ。ガハハハッ」



 300億近い借金でも2日あれば返し切れるというのに、それでも返せない借金の額とは……? 数千億、下手すると兆単位に届いてしまうのではないだろうか。

 いったい何をしたらそんな巨額の借金ができるのか、逆に気になって仕方ない。


 しかし……それを訊くのは野暮だろう。

 思えば本当にろくでもないクルーズだった。死にゲーに叩き込まれ、船酔いに悩まされ、ギャンブルで借金を背負わされ。

 たまたま乗り合わせた仲間たちと称え合い、怒涛の戦闘を楽しみ、死闘と賭場の熱狂に飲み込まれ、あっという間に2日間が過ぎていった。

 この船でマグロ漁を共にした仲間たちと、今後再会することはないだろう。

 一期一会だからこそ何のしがらみもなく互いを褒め合うことができた。今のロックには、その関係性がとても心地よいものに感じられた。

 だから、ロックはあえて2人の素性や事情を尋ねることはしなかった。


 いんぽす太はそんな彼に近づくと、耳元にこっそりと囁く。



「粋が分かる君にとっておきの情報をあげよう。これからワールド全体にインフレの波が来るよ。特に黄金都市が爆発的に伸びる。まだ先物をやるなら、黄金都市に張るといい」


「……そんなこと言って、また俺を騙そうとしてるだろ」



 ロックがじっとりとした目で見つめると、いんぽす太はこの2日でお馴染みになった信用ならない笑顔を浮かべる。



「ははは、そうかもね。なにせ俺はインポスター詐欺師だぜ。信じる方がどうかしてると断言しよう!」


「まったく、誰が信じるかっての。もう先物もマグロ漁もこりごりだぜ」



 そう言って船を降りようとするロックの背中に、いんぽす太とジャッカルが声を投げかける。



「まあ信じるも信じないも君の自由だ。アディオス!」


「もう会うことはないだろうが、達者でやれよ!」



 そんな声を聴きながら、ロックは彼らに見えないように小さく笑った。

 まったく、何とも信用ならなくて、気持ちの良い男たちだった。

 こいつらにまた会えるのなら、もう一度先物に手を出すのも悪くねえ。

 ちょいと稼いで、ありったけ黄金都市の先物に突っ込んでみるか。




 後に大海賊と呼ばれる男、ロック・D・ナッシの輝かしい第一歩は、こうして踏み出されたのだった。


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レイドウマグロは誤字ではなく、レイドボスの絶対零度の冷凍マグロです。


炎属性のレイドボスマグロはマグマグロ、レイドウマグロの永遠のライバルです。

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