第9話 あたえられたもの

 


 延々と長く暗い道が続ている地下水路。いわば下水道だ。その先を見つめ、鼻を突くような異臭に顔を顰める。水滴が滴る音と、二人の固い地面を歩む音が遠く反射して響き渡っていた。

 ロビーは『だぁ! 臭すぎる!!』と横で文句を垂れているが、ソニアは苦笑してからスナットを見上げた。



「叔父さん戦えるの?」



 大剣を軽々と担いで歩くスナットは高笑いする。その笑いはなによりも反射して遠くに響き渡っていく。突然の笑い声に『うるさコイツ』と顔を引きつらせるロビーだったが、ソニアは「しー」と人差し指を口に当てた。



「私も昔はリヴァーレ騎士団に入っていたんだ」

「えっ!? それ本当?」

「ああ、これでも私は最優の騎士とまで言われていたんだぞ!」



 ハッハッハと笑うスナットだが、それが本当であるなら素晴らしい功績の持ち主であることになる。リヴァーレ騎士団は冰剣の聖騎士を団長とした最強にして不滅のセラフ王国最大の騎士団だ。その中でも最優というなら、頼もしい味方ができたということだ。



「ブラードの1体や2体、どんと任せておきなさい」

「わたしとロビーも頑張るよ」

「子供は大人の背中を見て学ぶのだ」



 スナットは「だが」と言葉を続け、ソニアを見下ろした。



「見つめるべき背中を誤るなよ?」



 スナットの言葉に、ソニアは頷く。見つめるべき背中──その意味こそ子供であるソニアには深く知ることはできなかったが、漠然とだが本能的に頷いていた。



「わかった」



 憧れたあの背中──それが決して間違いではないと信じて、ソニアは前を向く。自分の命を守る為に、その命を賭した彼女への手向けに。奪い、殺してしまった罪滅ぼしの為に、前を向かなければならない。

 ソニアはぼんやりと前を向き、拳を強く握り締めた。

 そこでスナットの目の色が変わる。暗闇に染まる先を見据え、大剣を構えた。



「ソニア気を付けろ。ブラードがいる」



 スナットの言葉にソニアは預けられた短剣を握り、ロビーが僅かに前に出る。下水道のその先──肉が腐ったような独特な腐敗臭が鼻に突く。そして耳に残る厭な唸り声。それを肌で感じた時、そこにいるものがブラードであることが理解できた。

 忘れるはずもない。殺したくて殺したくて仕方がない。短い人生の中で、復讐を誓った憎き相手。



「ここは私がやろう」



 一歩前に出たスナットが大剣を構える。大剣がその巨躯を大いに振るうのはなにも障害物のない広い空間のみ。だがこの下水道では両脇に通り道があるだけで、大剣を存分に振るうだけの広さはない。

 しかしスナットは自信たっぷりの様子で眼前を睨んでいた。



「よし、行くぞぉ!!」



 壁に設置された光魔石こうませきが淡い光で下水道を照らす先で、真っ赤に染まった眼光がソニアを射抜く。その悍ましい見た目と鋭い獣の如き眼差しによって、ソニアは一歩後退った。

 記憶は時間と共に薄れていくと言われているが、こいつらの見た目だけはどうしても忘れられない。記憶そのものに焼き印を押されたように、決して消え失せることのない焼き痕としてつけられていた。


 肉片の塊。恐怖心を具現化させたようなネズミに酷似したおぞましい姿。恐らくは下水道に跋扈していたネズミを捕食した結果の変異であろう。体長は2メートル以上はある。身体の至るところから血液が噴き出し、異様な腐敗臭が辺りに散漫した。



《 だあ! っせえのはコイツが原因かよ! さっさと始末してくれ、鼻がもげそうだ 》



 蛇竜という種族である以上、手に該当する部分が存在しないロビーは鼻を抑えることができず、顔を逸らすことでしか臭いから逃げることができない。舌打ちを漏らして『手があるのが羨ましいぜ』と、ソニアのポケットに隠れた。



「では、さっそく──」



 大剣を振り上げ、スナットが地面を踏み締めた。

 老人とは思えないほどの筋肉が一気に盛り上がり、たった一歩の踏み込みでブラードとの距離を詰め寄る。下水道の半分を占める巨躯のブラードが危険を察知して、その肉片のような身体から無数の触手を伸ばした。



「リヴァーレ式斧術ふじゅつ一ノ型三番──龍砲りゅうほう



 スナットの攻撃を防ごうと触手がスナットの身体に巻き付くが、それらを一切寄せ付けずに突貫。衰えを知らない筋力と速さで大剣を振り下ろす。鈍い轟音が響き渡り、閃光が瞬く。そして辺りにブラードだった肉片が飛び散った。

 たったの一撃で撃沈したブラード。大剣を肩に担ぎ直したスナットは蓄えた髭を整えて振り返る。ソニアに向けられた表情は笑顔で溢れていた。



「どうよ」



 呆気に取られていたソニアは、スナットの笑顔からロビーに視線を移す。想像をはるかに超えていたスナットの強さに、ロビーも口をぽかんと開けていた。



「す、すごいよ叔父さん!」

「へへっ、だろう?」



 ポケットから顔を出しているロビーは驚愕している様子で「うっそだろ」と声を漏らしていた。

 数秒の後にようやく動き始めたロビーがポケットの中からソニアを見上げ、囁くように問いかけた。



《 扱っているのは大剣なのに、斧術なんだな 》

「うん、どうしてでしょう……」



 二人がこそこそと会話しているのに気が付いたスナットが「どうしたんだ?」と首を傾げた。



「あ、えっと、武器は大剣なのに斧術なのはなんでなのかなって」

「ま、最初に扱ってたのが斧だったんだが、大剣の方が扱いやすくてな。斧術も扱えるし、剣術の応用もできるから意外と良いんだぞ」



 堂々と自慢げに語るスナット。ロビーは「なんでもありだな」と呟いてソニアのポケットに入り込んで、頭だけ出す。そこで倒したはずのブラードへ目を向けて、顔を顰めた。


 

《 おい! 》



 ロビーの叫びにソニアが気が付き、その視線を辿る。スナットが倒したはずのブラード──それの飛び散った肉片が徐々にブラードのもとへ集まって行き、また一つに戻ろうとしている。スナットもそれに気が付き、慌てて大剣を構えた。

 瞬間、いつの間にか足元まで這っていた触手の一本がスナットの足に絡まる。見た目に違わぬ力で引かれ、スナットはバランスを崩す。そして修復を終えたブラードが起き上がり、ソニアに焦点を合わせて飛び掛かった。



「ソニアっ!!」



 慌てて触手を振り払おうとするが、持っていたのが大剣であった故に狭い空間では振り回すことができなかった。

 ソニアは短剣を握り締め、ブラードを睨む。手元に視線を落とすが、短剣の剣先は微かに震えていた。

 自分では乗り越えたつもりでも、ソニアはまだ子供であり、心に浸食した恐怖は簡単に拭うことなどできない。手の震えを抑えることができない。



「ろ、ロビー……わたし、どうしたら……!」



 ロビーに助けを求めるが、肝心のロビーはソニアのポケットの中で欠伸を漏らしていた。

 助ける気は毛頭ない、そんな様子だった。

 むしろ、自分でなんとかしてみせろとでも言いたげで、ソニアは唇を強く噛み締める。迫り来るブラードを見据え、息を呑んだ。



「ここで逃げたら、ずっと前には進めない……」



 ここで過去の恐怖から逃げたのなら、ずっと変わることなどできない。リラレスタ・ダンヴァースのような冰剣の聖騎士になることなどもできない。クレイヴ・ダンヴァースのもとで修業を積む、そんなこともできない。ここで逃げたら、なにも始まらない。



「わたしは、わたしは……!」



 ようやく、覚悟が決まった。

 震えていた手も、いつの間にか収まっていた。

 短剣も自然と握り締められている。息を大きく吸って、そして吐き、眼前に迫り来るブラードを強く睨んだ。



「腕は、ただ添えるだけ」



 教えてもらったことをぼんやりと呟き、あの時のことをじっくりと思い返しながら、彼女の動きを模倣する。自分なりに、できる限り細部まで、一挙手一投足の全てを自分のものにするかの如く──短剣を低く構えた。



臍下丹田せいかたんでんに気を張って」



 腹に力を込めると、精神が落ち着いていた。

 まるで、隣にだれかいるような。だれかが身体に乗り移っている感覚──漠然とだが、そんな感じがしていた。

 



「あとは、感じるがままに──」



 首に掛けたネックレスの蒼い輝石が、ソニアの想いに呼応して淡く輝きだす。それが剣身に研ぎ澄まされると、光の刃と化して膨大な魔力を灯した。

 それはまだ幼いソニアには決して持ちえない魔力量だった。

 輝きだし、ソニアは魔力の込められた短剣を振りかざした。



「彗星が流れるがの如くっ!」



 ブラードがソニアに突貫する。その様子を誰よりも近くで見ていたのは、なによりポケットの中で見守っていたロビーだ。

 自分の加護が発動している、それを感じたからでもある。だがそれだけではない。有り得ない事実に目を疑ったからだ。


 ソニアに預けたはずの加護はあくまでも身体強度を上げるためのもの。巨大な落石程度であれば頭から喰らっても無傷で済むが、攻撃的魔法に繋げるものではない。剣に魔力が込められることもなければ、攻撃に転用できるものでもない。


 なにより有り得ないのは────、



《 おい、どういうことだ 》



 ロビーが、ぽつりと呟く。眼前で起こる出来事を、見逃せるはずもなかった。

 ソニアの短剣が、ブラードを一刀両断したのだ。

 蒼き閃光が瞬き、その輝きの刃がブラードの肉体を意図も容易く切り裂いてしまった。子供がブラードを殺せるほどの魔力など持っているはずがない。ブラードの驚異的な再生能力を一瞬で無にするほどの強力な魔力。そんなもの長年鍛錬を積んでも得られるかどうか。


 だが、ソニアはそれだけの魔力を束ね、操り、そして斬った。

 子供が絶対にできるはずないことを、ソニアはやってのけた。たとえそれが天才の領域に踏み込んでいるものであっても、できる可能性は極めて低い。


 魔力を束ねる。有り得ない。

 魔力を操る。これも有り得ない。

 魔力で斬り裂く。絶対に有り得ない。

 有り得ないことだらけで、ロビーとスナットは空いた口が閉じなかった。



「わたし、できた……?」



 たった刹那の感触を握り締め、背後に切り裂かれたブラードに振り返る。そこにあるのは自分が確かに切り裂いたという感覚と、殺したブラードの死骸だけ。ブラードは体内に宿した『心臓核』を破壊されると、完全に沈黙。殺すことができる。

 そして死んだブラードは、身体を維持することができなくなり、身体や血液、すべてが魔力粒子となって空気に溶けていく。残るのはブラードによる被害と現実だけだ。



「ソニア! 大丈夫か!?」



 慌ててスナットが駆け寄る。ぼんやりとした表情のソニアの身体を隅々まで見て、怪我の有無を確認すると安堵の息を漏らした。



「怪我はないようだな。本当に良かった……」



 安心したスナットはソニアを強く抱き締めた。

 優しげな声色と共に、安堵を混じえた言葉がソニアを優しく包み込む。それでようやく気が付いた。

 彼は、自分を心配してくれているのだ。



「うん、大丈夫」

「まったく、無理をして……喰われてたらどうしたんた……」



 ごもっとも。なにも言い返せない。

 あんなこと、たまたまできたから良いものの、もしできていなかったら殺されていた。



「ああ、本当に無事で良かった……」



 スナットは同じことばかり、言葉に繰り返していた。

 それだけソニアが無事であったことを嬉しく思っている証拠。ソニアはただただそれが嬉しかった。

 生きていることを喜んでくれているのは、いまやスナット一人しかいない。だから、素直に抱き締められた。



《 おい、いつまでそうしてんだ 》



 ロビーの言葉に気が付いて、ソニアとスナットはゆっくり離れる。そこでソニアはスナットの手を取って見上げた。



「ありがとう、スナット叔父さん」

「もう無茶はしないでくれよ。お前まで失ったら、私はもう……」



 最後の言葉は、震えて吐き出されることがなかった。

 恐れているのだ、ソニアを失うことが。

 ソニアの両親──父親はスナットの弟で家族だ。ソニアが両親を失った時、スナットもまた家族を失っている。だから、これ以上だれかを失いたくないのだ。



「大丈夫、わたしはいなくなったりしないよ」

「ああ、そんなことにはさせない。私も、クレイヴもいるからな」



 ありがとう、とそう告げて二人はまた歩き出す。ロビーはソニアのポケットの中で『これだから人間は……』と呆れ混じりに首を振った。


 下水道を警戒しながら、しばらく歩いていると大地が大きく揺れ、ソニアがバランスを崩す。だがそれをスナットが受け止めて、天井を見上げた。

 パラパラと土埃が舞い落ち、漠然とした恐怖が背筋をなぞった。



「上で、ベルガルグが暴れているのかもしれない」

「ならいま、クレイヴさんが戦ってるのかな」

「そうかもしれん。だが、クレイヴなら絶対に大丈夫だ」

「どうして?」



 なぜかスナットのクレイヴに対する信頼はどこか厚い。それがなぜなのかは分からないが、クレイヴを語る時のスナットの表情は自慢げなのだ。

 スナットは語り始めた。



「クレイヴは魔法に関してはまるでダメだが、剣の腕なら聖騎士にだって負けはせん」

「そんなに、すごい人だったの?」



 聖騎士は文字通り人類最強の存在。その相手に、負けはしないと豪語されるほどの剣術の達人。確かにそんな相手が負ける想像はできない。

 スナットは「ああ」と答えて続けた。



「クレイヴの剣技は確かに天才だが、それは努力によって生まれたものだ。できないなら、できるまで努力する。イカれた努力家だ」



 イカれた努力家──一見は貶しているような言い草だが、その口調は明らかにクレイヴを誇っているようだった。

 聖騎士にも並ぶ実力を持ったクレイヴがどんな関係であるのかは分からないが、リヴァーレ騎士団最優の騎士(自称)であるスナットがそれほどまでに語るのだ。クレイヴの実力は計り知れない。



「さあ、あの先のマンホールから地上に出られる」



 スナットが指を指した先には地上に昇るための梯子が掛けられていた。



「恐らくだが、この上でクレイヴとベルガルグが戦っているはずだ。クレイヴが負けることはないだろうが、あいつは一人で戦う術しか知らない。だから巻き込まれる可能性もある」



 気をつけろ、と注意を促してスナットは梯子を先に登り始める。気をつけろはベルガルグのことだけじゃなく、クレイヴのことも言っているのだろう。

 マンホールを開けた直後に轟音が響き、大地が大きく揺れた。



 そこからは、あまり記憶に残っていない。全部、総て、身体が勝手に動いていた。

 だから、あまり覚えてない。

 けれど、その中でしっかりと鮮明に覚えていることがひとつだけあった。



「大丈夫か?」



 差し伸べられた手を見上げて、わたしは彼の背後から差し込む日差しの眩しさに目が眩んだ。



 綺麗で、美しい一閃だった。

 氷の華が咲き誇ったように見えた。

 その輝きに目を奪われた。



 あの日、あの時のように。



 わたしは、差し伸べられた手を取って立ち上がる。見上げた微笑みは彼女とそっくりで、その瞳の強さもまるで同じだった。



 

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