第7話 厄災大魔獣



「結界が破壊された原因は?」



 緊迫した空気で、クレイヴが兵士に問いかけると彼らは声を震わせながら答えた。



がいきなり門前に現れ、結界ごと門を破壊しました……」

「厄災大魔獣……ベルガルグか……」



 顎に手を置いたクレイヴが、その名前をぽつりと漏らした。

 唇を嚙み締め、大きく溜め息をつく。その様子を見上げていたソニアはまるでなんのことなのか理解できず、胸に抱いたロビーを見下ろした。



「厄災大魔獣ってなんですか?」



 ロビーは「ハッ」と鼻を鳴らしてから、優し気な口調で答えた。



《 世界を終焉に導く大魔獣の一体だな。ベルガルグはあらゆる厄災の権能を持ち、地震や竜巻、嵐のような自然現象を自由自在に操る魔獣だ 》

「それってまずいんじゃ……」

《 もちろんヤバい。なにもしなければ国の一つや二つ、簡単に滅ぶな 》



 ロビーの言葉にソニアは驚きで目を見開いた。

 いまやセラフ王国には冰剣の聖騎士が存在していない。つまりは、王国最大の騎士団であるリヴァーレ騎士団の団長が不在。魔獣を超えた大魔獣を相手できるのは、聖騎士のような強さを持った人間だけだ。



「だが、なぜブラードと魔獣が手を組んでる?」



 クレイヴの漏らした疑問に、兵士たちは「わかりません」と首を振った。

 本来ブラードと魔獣は敵対関係にある。ブラードの詳細はいまだ不明でしかないが、どこからともなく現れる化け物で、魔獣とはまた別の存在なのだ。



「ロビーはブラードのこと知ってますか?」



 クレイヴと兵士たちが話し合っている他所で、ソニアが問いかけるとロビーは「オレ様を誰だと思ってるんだ?」と自信満々に答えた。



《 ブラードはいわばだ。奴らに生体的反応はない。生命体の持っている知恵や多彩な感情もない。あるのは、ただ視認した生命体を捕食する衝動と欲望だけだ 》



 あの日に見た惨劇を思い返す度、吐き気が込み上げる。母を喰らい、父を千切り、鮮血が飛び散る。あの景色を今でも鮮明に覚えている。思い出したくもないが、忘れてもならない現実だ。

 しかし、思い出すと胃が捻じれるような痛みに襲われ、視界がふらついた。



《 おい、大丈夫か? 》

「ちょっと眩暈が……」



 ロビーがソニアを心配して額にその頭を付ける。温かな体温を感じると、ロビーは「熱はなさそうだな」と安堵した様子で溜め息を吐いた。



《 とにかくだ。ブラードと呼ばれる癌を排除する役割を担うのが、魔獣やその他の動物だ。だから、本来こいつらが手を組むことは有り得ないんだ 》

「それじゃあ、ドラゴンも?」

《 まあ、そいつらの気分だったり、種族にもよるな 》



 あの出来事を思い返していると、ソニアは一つの疑問を抱いた。

 ブラード、魔獣、竜、それらが一斉に現れて同じ場所を襲う。その光景を、ソニアは覚えている。いや、その有り得ない景色を、ソニアは知っているのだ。



「あれ……わたしの村で起こった時も、魔獣とブラードが一緒に現れた……」

「なんだと? それはどういうことだ?」



 ぽつりと漏らしたソニアの声に、クレイヴが目を眇めた。

 顎に手を置き、思考を巡らせる。だが直ぐにその疑問に対する答えを得ることはできず、クレイヴは「クソッタレ」と声を僅かに荒げて兵士を睨んだ。



「とにかく原因がなんであれ、まずはベルガルグを止める。副団長はなにをしてるんだ」

「いまは他の国に冰聖が消えたことを知らせに出ています」

「あいつマジで使えないな」



 呆れた声を漏らしつつも、クレイヴは魔力域から剣を取り出す。どこからともなく出現した剣を握り締めると、兵士たちと視線を交わしてからソニアを見下ろした。



「君は家にいろ、いいな?」



 それだけを告げて、クレイヴたちは駆け出した。

 広い平原でぽつんと残されたソニアはロビーを見つめる。これからまた、あの日起こった惨劇が繰り返される可能性がある。それを思うだけで、胸が締め付けられる。唇を噛み締め、一気に駆け出した。



《 おい、どこに行くつもりだ? 》

「叔父さんの家です。叔父さんなら、どうするべきか教えてくれるはず……!」

《 おいおいおい、子供になにができるんだよ。クレイヴの言う通りにした方がいいぜ 》

「なにもしないで、また誰かが傷付くのを見たくない!」

《 だからってお前が行っても邪魔になるだけだって 》



 駆け抜け続けた脚を止め、肩で息をしながらもロビーを離さずに汗を拭う。そして荒い呼吸を器官で行いながら、ロビーに告げた。



「──わたしには、わたしにしかできないことがあるから」



 ソニアの双眸は真っ直ぐ前だけを見つめていて、ロビーが感じたその覚悟はあまりにも子供のものとは思えなかった。

 恐怖に苛まれながらも、その恐怖を乗り越えようとしている。子供ながらに愚直で、それでいても真っ直ぐであろうとする。その姿は、かつての彼女とよく似ていた。



《 なるほどな。懐かしい感覚は、それか 》



 ロビーはなにか納得した様子で頷くと、ソニアの胸から離れる。そしてくるりとその場で円を描いて見せ、愉快そうに「呵々」と笑った。



《 その感じいいぜ! ガキの頃のリタそっくりだ 》

「リタさんが……?」

《 あいつも昔は無茶ばっかしてたからな 》



 懐かしそうに笑うロビーを見て困惑していると、彼はその長い身体でソニアの首に自身で巻く。そしてロビーの身体が仄かに輝きだすと、ソニアは温かな感覚に包み込まれた。

 困惑しながら「なにをしているの……?」と問いかけると、ロビーは高らかに笑った。



《 呵々! 気に入った、オレ様が手を貸してやる! 》

「身体が温かい……」

《 お前にはオレ様の加護を与えた。これでお前はちょっとやそっとでは死なないぜ 》



 自信満々に答えるロビー。そんな彼の様子にソニアは確かに自分へ加護が付与されたのをこの身で感じた。

 凡人にはない天賦の才。それこそが『加護』だ。

 加護を持つものと持たざるものでは、天と地ほどの差がある。神から授かったとされる祝福は、まさに神の御業といえる。それが仮とはいえ授けられた。

 子供といえど、加護があれば魔獣やブラードとも正面から戦える。下手をすれば死ぬかもしれないのは変わらないが。



「ありがとうございます、ロビー」

《 だがいいな? 無理はするな 》



 ロビーの言葉にソニアはゆっくりと頷く。そして息を整えると、また脚を動かす。一気に駆け出して家の前まで来ると、慌てて飛び出たスナットがソニアの無事に表情を明るくさせた。



「スナット叔父さん!」

「ソニア無事だったか! って、環極竜か!? なんでそんなものと一緒に!?」



 スナットの驚きに「そんなものとは失礼な!!」とロビーが怒りを露わにする。だがそんなことを気にする暇はなく、ソニアはスナットの胸に飛び込む。そしてその温かな胸の中で、いまの自分になにができるのか顔を上げた。



「叔父さん、わたしどうしたらいい!?」

「どうしたらって、なにをするつもりだ!?」

「わたしは、もう誰かが悲しむのを見たくない! だから、わたしにしかできないことをやりたいの!」



 珍しく大きな声を出したソニアの覚悟に、スナットは「なにバカなことを言ってるんだ!」と驚きで声を荒げる。当たり前の反応だ。子供が戦場に行きたいなど、仮の親とはいえ許せるわけがない。

 スナットはソニアの肩を掴み、真っ直ぐに瞳を見据えた。



「いいか? 勇気と無謀をはき違えてはならない。いまソニアにできるのは、ここから安全な所に逃げることしかできないんだ」

「ううん、違う。わたしにはロビーもいるし、さっき加護も付与してもらったの。だから、わたしにしかできないことがあるあずなの!」

「だからってダメだ。危険な場所に行くことを許可する親がいるものか!」

「わたしは本気なの!!」



 声を荒げ、怒声をかける二人。その間に挟まれるロビーは呆れかえっていた。

 本気で語るソニアの覚悟に、スナットは「いいやダメだ!!」と更なる怒声で返す。今まで見たことがなかったスナットの怒り。それによってソニアは初めてたたらを踏んで後退った。

 ソニアの怖がる表情を見て、スナットは自分のしでかしたことに気が付き、慌てながらも直ぐに「すまない」と頭を下げた。



「ソニア、よく聞いてくれ。君はもう、私の娘といってもいい。また君が傷つくのを、私はもうみたくないんだ」

「でも、なにもしなかったら、わたしみたいな人たちがまた増える……」

「ああ、分かっている」



 だから──そう言ってスナットは上着を脱ぎ去り、自身の魔力域から背丈並の巨大な大剣を肩に担いだ。




「──私もそこに行く」




 蓄えた白髭をなびかせ、スナットはソニアに向けてウィンク。それを見上げていたロビーは、あまりにも理解し難い光景に口をぽかんと開けて固まってしまう。そして停止して思考がようやく吐き出せた言葉はたった一言だけだった。




《 うっそだろ 》




 

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