第5話 その男、燃ゆる友




「──諦めるな」



 彗星の如く現れた冰剣の聖騎士は、振り返ると尻もちをついていた少女に言い放った。

 さっきまで襲っていたはずのブラードは、冰聖が持っていた聖剣によって切り裂かれ、そのまま空気に溶けて消えていった。

 不滅の聖剣デュランダル──蒼と紫に輝くその聖剣を振るい、付着した血液を払った。



「汝、怪我はないか?」



 優しい声色で冰聖は少女に手を差し伸べる。だがその瞬間、天を覆い尽くしていた竜の一体が咆哮を上げて急降下。その叫びは大気に轟き、翼は空間を裂いて、村一つを覆い隠すほどの巨躯を持った竜が冰聖の危機を本能的に察知した。



「まったく、次から次へと……」



 冰聖は呆れた様子で溜め息をつき、聖剣を握り直す。背後で呆気に取られて、いまだに動けていない少女に向けて声をかけた。



「汝は、なにを求める?」

「え……?」



 突然の言葉に少女は困惑した。

 冰聖は力強く聖剣を構えて、背後の少女を一瞥する。こちらに突貫する竜を見ることもなく、ゆっくりと瞳を閉じた。



「応えよ。汝はこれからどうする? このままなにもせずに諦めるか? それとも、生きて抗うか」



 イヤだ。このまま諦めて、なにもできずに死ぬなんて。

 絶対にイヤだ。

 地面に爪を突き立てて、少女は鉄の味がする唾を飲み込んだ。



「我が言うのはただ一つ──諦めるな、ただそれだけだ」



 その言葉で、ようやく少女──ソニアは覚悟を決めた。

 手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握り締め、唇が切れるほどに歯を食いしばった。

 眼前で突き進む竜を睨み、ソニアは叫んだ。



「──諦めたくない!!」



 ふ、と冰聖が笑う。竜とぶつかる瞬間、聖剣に光が満ち、月光の如き刃となって一気に振り下ろす。竜巻のような暴風が辺り一帯を飲み込み、膨大なエネルギーが竜を切り裂く。閃光が瞬き、蒼き光が天を覆う竜の軍勢をも消し去った。


 太陽の光を遮っていたはずの軍勢が消え去り、大地に再び光が戻った。

 冰聖はゆっくりと振り返り、ソニアを見下ろす。そして片膝立ちになってソニアとの視線を合わせる。さっきまで戦闘で強く輝いていた蒼い双眸は、いまは優しいもので満ちていた。



「よく言った。えらいぞ」



 冰聖は手を伸ばし、ソニアの頭を優しく撫でる。その温かさが、とても心地よかった。残酷な惨状が目の前にあるのに、冰聖の微笑みとその手は温かくて、ソニアはこれが空想なんじゃないかと感じた。



「汝、名前は?」

「ソニア……セシリア……」

「いい名だな。我は、リラレスタ・ダンヴァースだ」

「リラ、レ……」



 名前を言えていないソニアを見て、リラレスタは「ハハッ」と笑う。リラレスタは聖剣を鞘に納めながら、不思議そうな視線を向けるソニアに微笑みを見せた。



「リタで良い。我は、汝のことをソニンと呼ぶ。良いな?」



 そう言ったリタの笑顔は、花のように美しかった。




 ◇◇◇◇




「ダメだ。弟子は取らない」



 冷酷に、彼はそう言った。

 質素でなにもない部屋の中。ソファに対面して座る彼は、コーヒーを飲みながら少女の夢を突き放した。

 睥睨する蒼い瞳には光が灯っておらず、少女を敵と認識してる氷のような冷たい視線が向けられていた。



「それに、姉さんが死んだ理由が君なのか」

「はい……」



 否定しなかった。

 冷たい視線が少女──ソニアの心を射抜く。ソファの上に座る少女は、身を縮めて顔も上げられない。彼の瞳に殺されるのが怖かった。



「とにかく、君が姉さんの死んだ原因だろうがなかろうが、俺は弟子は取らない」

「わたしは、わたしを助けてくれたリタさんのようになりたいんです。それを叶えてくれるのはクレイヴさんしかいないんです。だから、お願いします……!」



 クレイヴは両手で顔を覆い尽くして、大きく息を吐いた。

 呆れを含んだ溜め息だ。それはまだ幼いソニアの心を締め付けるのには十分だった。

 それでも、ソニアは逃げなかった。



「姉さんみたいになって、君はどうする気だ?」



 そんな問いに、ソニアは逡巡することもなくあの惨劇を思い出しながら答えた。

 血で染め上げられた大地。暗雲と竜の跋扈する天空。ブラードの咆哮と村人の叫びが連鎖する不協和音。そして、彗星のように舞い降りた一人の英雄のことも──なにもかもを覚えている。



「わたしは、リタさんに助けられました。あんな状況でも、わたしに微笑んでくれて、諦めるなって声をかけてくれて……最後の瞬間まで、笑ってくれたんです」



 ────大丈夫だ、我がいる。


 怖くて、泣き出してしまいそうな時、あの人はそう言って安心させてくれた。



 ────他の者は救えなかったが、汝は救えた。


 あの時の彼女の顔は悲しげで、それでもわたしを見下ろしたあの顔は優しかった。



 ────私は十分過ぎる程に幸せだった。


 彼女は笑ってそう言った。あの時の顔は本当に綺麗で、咲き誇る花のようだった。



「あの時、助けてくれたリタさんのように、わたしも誰かに希望を与えられるようになりたいんです。守れなかったわたしから、みんなを守れる英雄のような存在に──」



 憧れの存在のことを話せば、クレイヴは「そうか」と一言で片づけた。

 ソファから立ち上がり、背を向けてコーヒーのおかわりを注ぐ。机にカップを置き、ソファに座り直したクレイヴの視線を真っ直ぐに見つめた。

 この語りに対して、クレイヴの瞳の色が変わることはなく、口調も声色もまるで変化しなかった。

 そのまま出した彼の答えは──、



「でも、ダメだ」



 断られた。断られた。

 頼りはこの人しかいないのに、拒否された。



「まずその髪だ」



 クレイヴは睥睨しながら、ソニアの腰辺りまで伸びた雪のような髪を指さした。



「こと戦いにおいて、そんなに長い髪は邪魔になる。それを切らなきゃ話にならない」



 それだけを告げると、クレイヴは玄関の扉を開けた。

 さっさと出ろ──そう促しているようだ。もはや話すら聞こうとしないクレイヴの行動に、ソニアは黙って立ち上がる。外に出て踵を返した瞬間に、クレイヴは「もう来るな」とだけを告げて扉を閉めた。


 当然だ。家族が死ぬ原因となった子供を弟子に取る人間などいるわけがない。大切なものを奪った張本人だ。歓迎されるはずもない。

 だが、リタのような素晴らしい剣士になるには、弟であるクレイヴの指導がなければならない。彼の振るう剣技は、リタと酷似していた。

 恐らく、二人は同じ流儀を持っている。だから、彼の手が必要だった。

 それに剣士になるためだけが目的ではない。ソニアはリタを殺してしまった罪滅ぼしをしたいのだ。



「わたしは、諦めない」



 あの言葉を胸に抱き、ソニアは歩き出した。

 道を抜けて、帰路を歩いていると街の喧騒は直ぐに戻ってきた。

 珍奇なものをみるような視線は、一年も経って慣れた。

 うるさいくらいの騒がしい声。あの惨劇を知らぬものたちは、楽しそうに人生を謳歌している。それが少しだけ腹立たしかった。



「だめ、こんなこと考えたら」



 それではあの人のような剣士になれない。

 首を振って悪い思考を振り払った時、大人と衝突。衝撃でソニアの矮躯はよろめき、体重のバランスを崩す。そして地面に叩きつけられるのを予測して、瞳を閉じた瞬間──声が聞こえた。



「──危ないっ!」



 声と同時に身体が支えられて、ソニアはゆっくりと瞳を開けた。

 誰かの胸の中にいる。優しく抱き留められて、頭上から同じ声が聞こえた。



「君、大丈夫?」



 始めに視界に映ったのは、燃え盛るような紅い髪だった。

 その下には同じ色の勇猛な双眸が、ソニアを映している。同じ歳ぐらいの少年だ。

 ソニアが顔を上げた刹那、少年はその彼女の容姿に見惚れて声を失った。



「────」

「あの」

「あっ、ごめん!」



 少年は慌てて離れ、僅かに照れたように頬を赤く染めた。

 照れ臭げに笑いながら、少年は頬を掻く。そして「あはは……」と空笑いを漏らしてから胸を張った。



「お、おれはグレアム! グレアム・スルトだ!」

「ソニア、セシリア……です」



 突然のグレアムの名乗りに困惑しながらも、自分の名前を彼に告げる。するとグレアムは不思議そうにソニアの顔を覗き込んだ。



「同じぐらいの年だよな。なんで敬語?」

「別に、これは……」

「まあいいや! 見たことない顔だな! ここに来たのは初めてだろ! おれが案内してやるよ!」



 グレアムはぐいっと顔を寄せ、有無を言わさずにソニアの細い手を取った。

 引かれるがままに、頼んでもいない案内をグレアムは笑顔を浮かべながら始める。そんなこと必要ないと口にしても、グレアムの耳には届いていない。そして渋々その彼の背中を追いかけていると、着いたのは川の上に架けられた橋だった。



「どうよ、ここは綺麗だろ?」



 自慢げに語るグレアムが橋の上で両腕を広げる。そこで透き通るほど美しい川が、静かにゆらりと流れていた。

 辺りを見渡せば、川を見下ろしながら談笑している人々がいる。誰もが笑って、語っているその景色をソニアは直視できなかった。



「じゃあ次はこっちな!!」



 眺めていると、グレアムが再びソニアの手を取って駆けだす。段々と息が上がる頃、グレアムの脚が魔法具店の前で止まった。



「ここはセラフで一番の魔法具店『アーガス』だ! 魔法のことならここが一番打ってつけなんだぜ!」



 またもや自慢げに語るグレアム。ソニアの表情はいまだ変わらない。それでもグレアムは微笑みながら、様々な場所をソニアに案内した。

 セラフで一番の喫茶店や、飯屋に骨董品屋、王国を見下ろせる時計塔に登り、辺りを一望。そこでソニアは王国でもっとも巨大な建物──豪勢な城に目が行った。



「あのお城は?」

「お前、ファルザン城も知らないのか?」



 驚きの声を上げるグレアムは、直ぐに「ああ、なるほどな」となにかを納得した様子で頷くと、ソニアの肩に手を回した。



「なあソニア、君はどこから来たんだ? さすがにこの地方に住んでいる人間なら、ファルザン城ぐらい知ってると思うぞ?」



 その問いかけに、ソニアは黙った。

 一年前の記憶が稲妻のように駆け巡る。戦慄く悲鳴と怒号が連鎖して、鮮血が舞う。爆発、耳を劈く不協和音。なにもかも厭な記憶だ。

 思い出したくもない記憶だが、決して忘れたくない記憶だ。

 奴らを殺す、その意思を忘れない為に────。



「ふん、まあいいや。最後はこっちだぜ!」



 なにかを察したグレアムはそれ以上深く追求しようとせず、またもやソニアの手を取って駆け出す。そしてセラフ王国の中央にある噴水まで来ていた。



「ここはセラフでもっとも有名な場所だ」



 ほら見ろよ、とグレアムは自信満々に両腕を大きく広げた。

 その背後には誰かを模して造られた五つの石像がある。各々の武器を大きく掲げた五人の男女だ。

 彼らの名前は知らないが、これだけ大きな国の中心にある石像なら、それ相応のなにかを成し遂げた人物なのだろう。そんなことを考えていると、グレアムが満面の笑みを浮かべた。



「この人たちは初代の聖騎士だ。この国を作り上げた五大聖騎士──サーガ・シュトーム。おれが目指す夢だ」



 聞いてもいない夢を語るグレアムの表情は光り輝いていた。

 だが、それの彼の様子を一瞥することもなく、ソニアの視線はたった一人の石像に向けられている。首に掛けた輝石を無意識に触れながら、強い眼差しはたった一つだけを見据えていた。



「おれも、こんな人たちのようになりたい」

「どうしてですか?」

「聖騎士たちは、いつも危険を顧みずに戦って、人を救ってくれる。まさに英雄だ。おれはそんなヒーローみたいになりたいんだ」



 グレアムの瞳にある光は、ソニアにとってあまりにも眩しかった。

 視線を落として俯く。小さな手を見下ろして、何度か拳を握っては開いた。彼のような瞳の光が、自分には存在していない。それでもやるべきことをやらなければならないと、ソニアの使命感は強くなるばかりだった。



「おれはもっと強くなって、守りたい人を守れるようになりたいんだ」

「そう、ですか……」



 あまりのも強い眼差しだ。

 正義感に溢れた少年の夢は、恍惚と輝いている。彼のことを一瞥して、石像の五大聖騎士を見つめた。

 詳しいことは知らないが、名前ぐらいは知っている。それぞれが突出した魔法や技を持っている人類の希望そのものだ。


 永劫の業火を纏いし者、劫焔ごうえんの聖騎士。

 怒涛の疾風で駆ける者、隼颯はやての聖騎士。

 絢爛の閃光に魅せる者、光臨こうりんの聖騎士。

 漆黒の極夜で振るう者、闇黒あんこくの聖騎士。


 そして──不滅の栄光を掲げる者、冰剣ひょうけんの聖騎士。


 私が目指すべき人で、そこにたどり着いて、ようやく罪を償える。



「絶対に、なって見せる──」

「お、なんだ? お前も聖騎士を目指してるのか? それなら話がはやい!」



 グレアムはソニアの手を取って、目を輝かせた。

 突然のことに困惑していると、彼は声を大にして言った。



「じゃあ、おれたちで聖騎士を目指そうぜ!! 約束な!!」



 グレアムが腕を出して小指を立てる。その意図を察せずにいると、彼が無理やりソニアの手を取って小指を絡めた。

 そして「指切りげんまん~」と軽く歌い始め、歌い切ると同時に指を切った。



「一緒に頑張ろうな、ソニア!! これでおれたちは友達だ!!」



 それがソニアのあまりにもうるさい、あまりにも熱い男──グレアム・スルトとの出会いだった。

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