第3話 酷似する剣戟

 


 わたしは、家族を魔族に殺された。

 住んでいた家も、村も、なにもかもを破壊された。

 あの村での生き残りは、わたしだけ。家族、友達、大切に思っていた人たちはわたしがまだ八歳の頃に奪われた。

 もうなにも残っていなかったわたしの前に現れた彼女が、最後の希望だった。




 ◇◇




 かつて、心の拠り所を失った少女は、空を見上げていた。

 漆黒の夜空。その遥か先で酷く輝いている星々があった。それがいつも少女の心を締め付ける。天窮に至った大切な人たちが少女憎み、こちらへと誘っているようだった。


 こっちに来い。

 どうしてお前だけが生きている?


 何度も、何度も、あの不協和音が頭の中で響き渡っていた。

 絶望。憤怒。恐怖。殺意。破滅。あらゆる負の感情が少女の中で渦巻き、この先どうやって生きていくべきなのか、この歳で分からなくなっていた。


 二階建ての一軒家。木造宅の屋根の上で少女は足をゆらゆらと投げ出しながら夜空を見つめていた。



「ソニン、ここにいたのか」



 振り返れば、そこには叔父がいた。

 両親を失って、住む場所を奪われたソニアは人類最大の王国セラフに住んでいる叔父の家に預けられた。

 彼は本当にいい人だ。

 なにもかもが変わってしまっても、優しく包み込んでくれた。



「スナット叔父さん」



 スナットは杖をつきながらゆっくり歩み寄ると、ソニアの横に腰を下ろす。彼の優しさを近くに感じて、いまもまだ生きている。生きる希望だとか、同情の言葉をかける人は多くいた。味わったこともない癖に、どの口が言っているのか。腹を立てていた少女に、彼は言った。



「神様がこの星を丸くしたのは、誰も隅っこで泣かないようにするためだ」

「なにそれ」



 おかしな話だと思った。

 神はこの世の万物を生み出した。だが、その神がどんな意図で、どんな意味で天地を創造したのか、誰にも分からない。それなのに彼は、そう断言した。



「そんなの、聞いてみないと分からないよ」

「そうか? それならなぜ神様は星を丸くした?」

「それは……わかんない、けど……」



 ズルい質問だ。そんなこと分かるはずがない。

 わたしの曖昧な答えに叔父さんは「はっはっ」と笑う。なにがおかしいのか睨めば、叔父さんは空を見上げる。それに釣られて、わたしも空を見上げた。

 酷い空だ。

 見ているだけで胸が痛い。



「分からないから、そう思っていた方が都合がいい」

「勝手に思うだけじゃ、この心は晴れない」

「だから、独りではダメなんだ」



 叔父さんは「いいかソニン」と話を繋いで、わたしの方へ顔を向ける。その表情は星に照らされながら微笑んでいた。

 優しげな温かい笑みだ。



「淋しい時は、周りの優しさを見つめるんだ」



 叔父さんの瞳が、わたしを射抜く。その視線を見つめられず、俯いてしまった。そんなわたしの肩に手を回して、叔父さんは抱き寄せてくれた。



「飲み込まれちゃダメだ。見つめるだけでいい」



 その温かさは、久しぶりだった。

 お母さんはわたしが帰ってきたら、いつも抱き締めてくれた。その感覚はとても温かくて、今のを感覚とよく似ている。とても懐かしくて、それを思い出してしまった。



「心配はいらないよ、いつだって星はよく見える」



 叔父さんはそう告げて、わたしの頭に手を置いた。

 ゆっくりと頭を撫でる。その手が優しくて、ふとなにかが外れるような感覚が胸の中で起こった。

 身体が熱い。手が震え始める。なにが起こっているのか、わたし自身も分からないのに、叔父さんは分かっているようだった。



「でも、星は見てるだけなんだよ……? 助けてなんて、くれない……」

「ああ、だから独りにならない」



 視界がぼやける。気が付けば、目尻に溜まった雫が頬を辿っていた。

 嗚咽が漏れる。ずっと塞いでいたはずの感情が一気に溢れ始める。一度それが流れ出したら、もう止められなかった。それでも、叔父さんはわたしを優しく抱き留めてくれて、



「泣いたっていい。また笑えればいいんだ。あの星のようにな──ただ、それだけだ」



 そう言って、しばらくの間、わたしは泣き続けた。

 数分か一時間か、時間は分からないけれど、長いと感じるほどに泣いた。それでも叔父さんは黙ってわたしの悲しみを全部受け止めてくれた。

 まだ八歳のわたしにはそれだけでも嬉しくて、溢れた感情をすべて出し切るまで泣いた。



「もう、落ち着いたかい?」

「うん、ごめん……叔父さん」

「謝らなくていい。ソニンの助けになれただけで、私は嬉しいよ」



 叔父さんは笑った。

 住まわせてくれるだけでも助かるのに、叔父さんには助けてもらってばかり。もっと大きくなって、なにか恩返しでもできれば──そう感じて、拳を握り締めた。



「叔父さん、わたし──冰剣の聖騎士みたいな剣士になりたい」



 あの時、助けてくれた背中。剣の軌跡、すべてを鮮明に覚えている。蒼い、青い、彗星のような一閃が記憶に蘇る。あの人は絶望していたわたしの希望になってくれた。

 最後まで寄り添って、わたしを助けてくれた。

 あの人のような騎士になりたい。あれからずっとそう思い続けてきた。

 憧れているから、ただそれだけが理由ではない。あの人のを知っているから。あの人の意思を私が受け継ぐ。



「もっと強くなりたい。強くなって、守りたい人たちを守れるようになりたい」



 わたしの決意に、叔父さんは「そうか」と笑顔を頷いた。

 子供にする適当な相槌なんかじゃなく、その瞳は真剣の色そのものだった。



「なら、良い人を紹介しよう。ソニンの覚悟が本気なら、その人を訪ねて見るといい」

「わかった。ありがとう、叔父さん」



 そういわれて、次の日にわたしは叔父さんの言っていた人のもとを訪れた。

 セラフ王国の辺境の地──東南にある森を抜けた先にその人の家があった。二階建ての木造宅。かなり古びた家ではあるが、手入れはしっかりと施されているようで綺麗な状態が保たれていた。



「ここ……?」



 人の気配はない。ここに来るまでは舗装された道を通ってきたが、森を抜けて見れば、見渡しても広い平原の中でこの家しか見当たらない。あの道は、この家のためだけに通じているようだった。

 高鳴る鼓動に手を当てながら、わたしは家を覗く。窓から家の中を覗いても、誰かが生活している痕跡はあれど、人の気配がまるでない。



「どこにいるのかな……」



 その時、家の裏手から声が聞こえた。

 力みの声と同時に、大気を裂く風切り音が響く。ゆっくりと忍び足で向かってみれば、そこに探していた人はいた。

 何色にも染まらない漆黒の髪。閉じられていた海のように蒼い瞳が開かれると、彼は一気に踏み込んで剣を振り上げた。

 鋭い踏み込みで振り下ろされた剣は、豪快な風切り音を轟かせる。そして次に剣を振るい、一手、二手、三手と次から次へ剣戟は続く。まるで彼の前に誰かが立っている──そして、その見えないなにかを相手にしているような動きだった。



「これじゃ、まだ足りない……!」



 男はそういうと、さらに剣を振るう速度を一段階上げた。

 とても鋭い、それでいて滑らかな剣捌きだった。その剣技といい、その容姿といい、私の目には彼の姿がにそっくり重なっていた。



 ────わたしは、あの剣を知っている。



 いつの間にか、わたしは彼の剣に見惚れていた。

 繰り出される一撃は、まさに激流。それでいて、足運びや捌き方はまるで静水のようだった。一連の流れがあまりにも美しい。その剣戟に、光が灯っていた。



「そこで、なにをしている?」



 僅かに滲んだ怒りの声色が、わたしに気が付いた。

 身体が強張って、その声にビクッと跳ねる。そして彼は額から伝った汗を拭いながらゆっくりと振り返った。



 ────ああ、やっぱり似てる。



 振り返った彼は、彼女と似ていた。

 瞳の色だけではなく、その佇まいと鋭く勇猛な双眸は、あまりにも彼女の面影とそっくりだった──わたしを救ってくれたあの冰剣の聖騎士と。


 わたしは、思わずたじろいでしまった。

 後退って、その場から逃げようと思ってしまった。

 それでも逃げなかったのは、この首に下げられた蒼い輝石のネックレスが『彼しかいない』と叫んでいるように感じられたからだ。



「あ、あの……っ!」



 思い切って声を出す。その声に覚悟が灯っているのを感じたのか、彼は優しげな笑みで首を傾げた。

 ハッと、息を呑んだ。

 その優しげな笑みが、わたしの心を締め付けた。



「えっ、えっ!?」



 彼が、困惑で声を漏らす。それもそのはずだ。

 なにも話していない。なにもしていないのに、目の前に来た私が泣いてしまったのだから、戸惑うのも無理はない。

 涙を堪らえようとした。それでも無理だった。



「ちょっと、えっ!? 君、ど、どうしたの?」


 

 木剣を投げ捨て、慌てて彼が駆け寄る。あたふたとしている様子がボヤけた視界でもよく分かった。

 泣いていたわたしをどうやって宥めるべきなのか試行錯誤した後に、彼は私を優しく抱き締めた。



「え……?」

「ごめん。どうしたら良いのか分からなくて。でも、俺も泣いてた時に姉さんがこうしてくれたから」



 理解した。理解してしまった。

 この優しさを、わたしは知っている。

 この温もりを、わたしは知っている。

 その時の話を、わたしは知っている。

 知っている、知っている、知っている。彼のことをわたしは知っている。だってわたしは、彼が呼んでいるに会ったことがあるから。



「ごめん、なさい……っ! ごめんなさい……!」



 そして彼のお姉さん──冰剣の聖騎士を殺してしまったのは、誰でもないだから。



 

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