第2話 これから終わる物語

 


 刹那の一閃。

 鋭い踏み込みで突き出された剣尖が風を切り裂いて、相手の剣と衝突する。眩い火花を散らし、金属同士の打ち合いが続くが、会場から響く歓声がそれらを荒波の如く飲み込んだ。

 円状に高くそびえ立った闘技場で、二人の剣士は互いの夢をこの刹那に込めて剣を振るい続ける。だが、向かう結末は観客が見ても一目瞭然だった。

 一手、また一手と、雪のように白い少女は同じ歳の少年を確実に追い詰めていった。



「──ちっ、この女!!」



 少年が声を荒げて剣を振るう。だがその一閃は、既に読んでいる──最小限の動きで受け流すと、勢いよく少年を蹴り飛ばした。呻き、大地を転がった少年に追撃を仕掛けるために、少女は大きく一歩を踏み込んだ。



「これで終わり!」



 神速の如き踏み込みで、一気に間を詰める。その瞬間、首にかかった蒼い輝石のネックレスが視界の隅で宙を舞う。それ自体はまったく気にも止めていなかった。

 いまやるべきことは、この戦いを終わらせて夢に一歩進むことだ。あとは少年との勝負に決着をつけるだけ。完全に勝ちを確信した。それは少女本人だけじゃなく、観客もまた分かっていることだった。



 だが、運命は少女を突き放した。



「────っ!?」



 瞬間、頭が割れるようなほどの頭痛が少女を襲った。

 突然として襲った激痛に、少女はバランスを崩して視界が暗転。次に、叩きつけられるような痛みが全身に奔った。

 どうやら地面に倒れこんでしまったらしい。激痛に顔を歪め、頭を抑えていると、眼前に剣先が突き出された。



「あ」

「へっ、神は俺を選んだようだぜ」



 少女は、夢からまた一歩──遠ざかってしまった。




 ◇◇◇


 


 人類最大の王国セラフの地にある小さな木造の家。

 澄み渡った普遍の蒼から、春の眩い日差しが室内を照らす。カーテンの隙間から吹き抜けた風が、小鳥のさえずりと共に静謐を攫って行った。

 相も変わらずこれといって目立った物が置かれていない質素な一室で、神妙な面持ちを浮かべる男女が二人。彼女たちは向き合ったソファーに腰を下ろし、お互いに顔を見つめていた。


 一人は、細身の少女だ。

 白を基調としたスカートと上着を身に纏い、腰の辺りまで伸びた雪のように白い髪をなびかせている。彼女はその黄金が滲んだ双眸で目の前に座る男の顔を伺っていた。



「あ、あの……」



 ようやく、少女が沈黙を破った。

 髪に吹かれた処女雪の隙間からシミ一つない肌が覗く。宝石の如き瞳を、眼前で腕を組んで座る男に向けた。

 その瞳に映る彼は少女よりもいくつか大人だった。

 大人びた顔立ちに何色にも染まらない漆黒の髪。蒼く輝く勇猛な双眸が、少女を射抜く。僅かに感じられる怒りによって少女──ソニア・セシリアは思わず口を噤んだ。



「えっと……し、師匠?」



 重苦しい空気に耐え切れず、ソニアは自分になにか非があったのではないかとさっきまでの時間を思い返す。だが、いくら記憶を巡らせてもこれといった問題は想い浮かばない。

 あるとすれば、勝てる試合に負けてしまったことだろうか。しかしあれは、もう一週間も前の話だ。いまさら蒸し返すことではない。


 というより、思い出したくない。

 師匠からは一週間プリン禁止令を出されただけだった。いやそれも中々な試練だった。師匠は私の前でプリンをいくつも食べるし。

 それ以外にも祖父から負けた罰として物置の掃除を命じられた。あそこでのあの黒光りした奴との戦いは、今まででなによりも苦痛だった。


 あとは修行の為に師匠の家をいつものように訪れ、課された鍛錬をこなす。そしてそれらを終わらせたあとで師匠からようやく受け取れたおやつ──プリンを食べた。

 ソニアは瞳を閉じて顔を顰めながら「うーん」と唸った。


 肝心の呼ばれたソニアの師匠──クレイヴ・ダンヴァースはなにも言わない。またもや流れた沈黙に窓から風が吹き抜け、二人の髪を梳かした。

 ソニアが目にかかった前髪を耳に掛け、彼をもう一度呼ぼうと息を吸った直後にクレイヴは口を開いた。



「ソニアさ」

「は、はいぃ!」



 ようやく口を開いたクレイヴの言葉に、ソニアは驚きで反射的に身体を強張らせ、更には返事も裏返ってしまった。

 珍しく怒っているような彼の声色に、ソニアは固唾を飲んで身に覚えのない悪行を看破されるのを待った。

 クレイヴは息を吸ってから、脇に置かれた紙袋の中に手を突っ込む。そして中を見ることなく漁るように手を動かすと、その度に紙袋から音が響いた。重苦しいこの静寂には、その音すらも耳障りなほどに響き渡っていた。



「ソニアは、今日がなんの日か分かる?」

「きょ、今日ですか……?」



 思い返すが、なにも思い当たらない。なにか師匠にとって大事な日なのか忘れているのかもしれないが、いくら思考を巡らせても記憶からそれを引き出すことはできなかった。

 肩をすぼめて、ソニアは顔を伏せる。思い出せないことへの罪悪感がソニアを襲う。段々と身体を小さくしていきながら、僅かに声を震わせて「分かりません……」と謝罪を交えて答えた。

 瞬間、師匠の動きが止まった。



「まったく……」



 呆れを含んだ溜め息が、ソニアの胸を僅かに締め付ける。徐々に頭が落ちていき、大事なことを忘れてしまった自分を心に中で延々と罵り続けていた。


 私のバカ! アホ! なんで師匠をガッカリさせるようなことをするの!


 クレイヴが紙袋からなにかを取り出す。怒られることを覚悟して瞳を閉じた瞬間に、彼は呟いた。



「俺は覚えてたのになぁ」

「…………え?」



 疑問に感じて顔を上げた直後──パンッ、と空気が弾けた。

 突然のことで「きゃっ」というソニアの短い悲鳴が響き、反射的に身を縮める。だが、勢いよく飛び出た紙吹雪が頭上からゆらりと舞い落ちていき、ソニアは呆気に取られた。

 まばたきを数回繰り返して「え?」という困惑を漏らした。


 思考が停止。重苦しかった雰囲気を様々な色の紙吹雪が彩って、ソニアはきょとんと目の前の状況を理解できずに口を開けて固まっていた。

 そんなソニアの困惑を他所に、クレイヴは満面の笑顔を浮かべて声を上げた。




「──誕生日、おめでとー!!」




 突然として告げられた生誕の祝いに、ソニアはもう一度「へ……?」と間抜けな声を漏らす。するとクレイヴはきょとんとしたソニアの表情を真似して「へ、じゃないよ」といたずらに笑った。



「今日は君の誕生日だよ」

「私、の誕生日……」



 クレイヴから告げられた言葉を口の中で呟きながら、ふとその日が何日であるかを思い出した。

 早朝から日課のトレーニングで誰とも会うこともなく、そのまま師匠の家に赴いた所為でいまのいままですっかり忘れていた。



「今まで女の子の誕生日なんて、姉さん以外に祝ったことなかったから、なにがいいのか分からなかったけど……」



 誕生日プレゼントを選ぶのはクレイヴにとって試練の連続でしかなかったが、ソニアの笑顔を思い浮かべるだけでも楽しみになり、そんな試練は苦ではなかった。

 クレイヴは笑って、紙袋から紅いマフラーを取り出す。それを「誕生日おめでとう」という言葉と共に送る。肝心の彼女はいまだ呆気に取られている様子でマフラーを受け取った。



「あ、ありがとう、ございます……」

「あれ、嬉しくなかった……?」



 思っていた反応と違うソニアの表情を見て、クレイヴは不安に駆られる。悲しげな表情を浮かべると、彼は首を傾げた。

 だがソニアはその言葉を直ぐに否定する。首を振って、受け取ったマフラーで顔を覆い隠しながら篭った声で答えた。



「そ、その、突然のことだったので……」

「あー、そういうことだったのか」



 クレイヴは納得する。そして顔を隠すソニアを見つめて「どうして顔を隠してるの?」と苦笑しながら疑問を向けた。

 ソニアはマフラーに顔を埋めたまま笑いを溢す。えへへ、と漏れた笑いはかすかにに震えていた。



「すごく、嬉しくて……思わず……」

「えー! 泣いてるの?」



 からかい混じりの笑いにソニアは「だってぇ……」と子供のような言い訳を吐露する。喜色のあまりに漏れた涙はマフラーへと染み込んでいき、溶けたその雫の跡がとても温かかった。

 クレイヴはゆっくりと立ち上がり、ソニアの横に腰を下ろした。



「大袈裟だよ」

「うぅ……ホントに、嬉しくて……」



 うぅ、と泣き止む気配のないソニアに微笑みながらクレイヴは手を差し出した。



「ほら、貸して」



 マフラーをこちらへ渡すようにソニアへ促すが、彼女はふるふると首を振って「イヤです……」と拒否。溜め息を溢したクレイヴは腰に手を当て、分かっていながらも問いかけた。



「どうして?」

「だ、だって、泣いてるところ、見られたくない、ので……」



 いまさらなにをいっているのか──そんなことを思ったクレイヴだったが、ここは敢えて口には出さなかった。

 クレイヴは横を向き、ソニアにもう一度「はい、貸して」と手を出す。だがソニアは頑なにマフラーを離そうとせず首を振った。



「この顔を晒したら死にます」

「ダメだ。そしたら末代まで語り継ぐから」



 貸して、イヤだ、貸して、イヤだ。

 言葉では埒が空かないことを察したクレイヴは、問答無用でソニアの手からマフラーを奪い取る。顔を覆っていたものが奪われ、ソニアは咄嗟に手を伸ばすが虚しく空を切った。

 あっ、という声が漏れてソニアがクレイヴを見上げると、彼は彼女の顔を見るや否や吹き出した。



「そんなに泣いてたの!?」



 ソニアの顔は涙で盛大に濡れていて、鼻は赤く、目尻にはまだ大粒の雫が溜まっていた。



「うぅ……酷いですよ、師匠……!」

「ごめんごめん、ほらじっとしてて」



 頬を膨らませて憤慨するソニアを宥めながら、クレイヴは彼女の前に立つ。そして奪い取ったマフラーをソニアの首にゆっくりと丁寧に巻いていった。

 怒りを見せながらも、ソニアは巻かれていく柔らかな感触を指で触れつつ、クレイヴに言われた通り大人しくじっと待った。



「よし、できたできた」



 そう言って、クレイヴは後ろに数歩だけ下がると「おお、いいね!」と腕を組みながら何度も頷いた。

 絶賛を受け、ソニアは首に巻かれたマフラーに触れる。柔らかな感触と温かな感覚の二つが首に蝟集していた。

 その温かさがマフラー独自のものなのか、それとも直前までクレイヴが持っていた故の感触なのか、どちらなのかは分からないが、この季節には些か温か過ぎる気がした。



「いやあ、色んな人に聞いて回ったんだけど、やっぱり自分で決めたものを渡したくてさ。これでも結構不安だったんだ」

「そう、だったんですか?」



 うん、と頷いてクレイヴは笑いながら窓の縁に腰をかける。庭に咲く桜の木を見上げ、言葉を続けた。



「女の子にプレゼントなんて姉さん以外に渡したことないし、ソニアならなんでも喜んでくれると思ったけど、やっぱり不安がどうしても残っちゃったんだ」



 自分の弱さをから笑いで誤魔化しながら、クレイヴは照れ臭そうに頬を掻く。そんなこと杞憂でしかないのに、どうしても不安を抱いてしまう──そんな師匠の姿を愛おしく思いながら、ソニアは微笑みをマフラーで隠した。


 首に巻かれたマフラーに視線を落とし、クレイヴにも聞こえない声で「えへへ……」と喜色を漏らす。庭をぼんやりと見つめるクレイヴを一瞥して、余ったマフラーの部分を手のひらに乗せた。



「これで騎士選定試験も頑張れます」

「そっか、それなら良かった」

「プレゼントも嬉しいですけど──」



 ソニアはそこまで吐いてソファーから立ち上がり、クレイヴの前に立つ。首を傾げたクレイヴを上目遣いで見つめると、



「これを機に、私のことをって呼んでくれてもいいんですよ?」

「絶対にイヤだ」

「なんでですかー! 仲の良い子たちも、近所の子供たちも私のことをそう呼んでくれるんですよ?」

「お断りします」



 拒否の意志を丁重な言葉にしてみせるとソニアは「ちぇー」とふてくされるように頬を膨らませた。

 二人で同時に笑いを溢す。マフラーに滲んだ涙の跡に触れれば、僅かな温もりがまだ残っている。この人が師匠で本当に良かった──心の底から、そう思った。


 憧れの人に追いつくために。

 の意思を受け継ぐために。

 まだまだその先は遠い。結果をまだ残せていない自分を、こんなにも大切にしてくれる人がいる──それを実感して、ソニアはより一層この身に気合が入った。



「よし。私、もっと頑張ります!!」



 その意気だ、と笑うクレイヴ。ソニアは彼に背を向けた。

 あまりの嬉しさに頬が緩み切っているのを隠すためだった。

 息を吐いて、感謝の意を言葉に込めて口を開く。振り返り、「師匠」と呼びながら彼を見上げた。



「本当にありがとうございま──」



 ────す。

 最後の一文字を繋ごうとした瞬間、突風が窓から吹き抜けてクレイヴの身体がとバランスを失う。時を攫った春疾風がソニアの雪のような髪を梳かし、黄金の瞳が大きく見開かれた。



「え?」



 直後──、と土嚢どのうを叩きつけたような鈍い音が狭い一室に戦慄いた。

 その音の正体を理解するのは簡単だった。

 視界から消えたクレイヴの行方を追って、視線を下へ向ける。受け身も取れず、無造作に倒れてしまったクレイヴの青白い表情カオ。荒い呼吸で、あとの音がなにも聞こえなかった。

 あまりにも信じがたい現実を理解できず、数秒後にソニアは声を荒げた。



「──師匠!!」



 ソニアの叫びが、庭を彩る桜に吹かれて溶けていく。それが倒れたクレイヴに届くことはなく、ただソニアの慟哭だけが空しく響いていた。



 

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