彗星を継ぐ剣 〜故郷を失った少女は、聖騎士になる為に剣を振る 〜

渚 龍騎

第1話 プロローグ

 


 少女はひび割れた道の隅で壁に手をつきながら歩いていた。

 いつも走っていた道は荒れ果て、歩くのも困難なほどに凸凹に隆起している。見慣れたはずの景色はおぞましく真っ赤に染まり、空を覆った灰色の雲へと紅蓮が立ち昇っていた。見るも無残に粉々にされた民家の瓦礫から力尽きた腕が伸びている。蚕食していく鮮血が、少女の足跡を残した。



 歩みは朧気で、ふらふらと風に流されるようだ。

 土気色の顔に、その瞳は絶望と暗闇で染まっている。少女が歩いているのは、ただただ無意識に助けを求めていたからで、この歩みにそれ以上の望みは込められていなかった。

 遠くで誰かの悲鳴が連鎖する。魔物の咆哮と共に聞こえた不協和音は、少女の耳に劈くように響き、咄嗟に蹲って耳を塞いだ。



「おかあ、さん……!」



 嗚咽交じりに掠れたその言葉は、瞬く間に搔き消されて、少女の願いを簡単に握り潰した。

 命の潰えた者たちの姿は、幼い少女にはあまりにも無残な姿で、見ただけでも吐き気を催すほどだった。瓦礫に交じって落ちている四肢は、もはや誰のものだったのか分からない。尊厳を抱き、自害を選んだ者が壁に凭れている。まだ未来のある子供を守ろうと、その子供と共に剣で貫かれている親子もいた。



 不意に全身を凄まじい気怠さが襲った。

 意識が遠退きかけて、壁に手をついた。

 もうどうすればいいのか分からない。少女には、もう既に帰る家がなかった。夥しい数の死者と、炎に包まれていく村、空を見上げれば、巨大な影が落ちている。風を切る巨大な翼と岩のような巨躯、獣の如きを咆哮で大気を震わせる竜の数はもはや数えきれない。



 自分も直ぐにあのドラゴンたちの餌になってしまうのだろう、無意識にそう思ってしまっていた。

 少女たちの住んでいた村は、ブラードの侵攻で瞬く間に火の海となっていた。村の騎士たちは成す術もなく刹那で切り刻まれた。



 ブラードたちとただの村とでの戦力差は考えずともわかる。魔物が現れた時の村人たちの表情は今でも忘れられない。絶望に染まり、すべてを悟った様子で、大人たちは足手まといになる子供たちを捨てた。



 素晴らしい正義感を掲げていた者も、最後には怒号を上げて子供を蹴り飛ばした。この戦場と化した場所で正義は空しく崩れ去る。誰も助けてなどくれない。もやは、この地獄で生きているものはいるにだろうか。



「あ……」



 少女を覆い尽くすように、巨大な影が見下ろしている。恐る恐る顔を上げれば、異形な形をした怪物が不適な笑みを浮かべていた。殺しを楽しむ厭な笑みだ。それを理解した直後に、少女の体は震え始め、痙攣するように歯がカチカチと音を立て始めた。


 視野の狭窄が始まる。霞む視界の中で、本能が逃げろと叫んでいるが、限界を迎えた体は怪物に潰されること拒もうとしなかった。足掻く力など、少女には残されていなかった。



《オジョ、サン──オひとり、デスカナ?》



 怪物が不明瞭な言葉で問いかける。空で竜たちの遠来のような咆哮が轟き渡り、合わせて怪物の形相が鬼へと変化した。


 ブラード──こいつ等は、人類からそう呼ばれている。人間の領土を踏み荒らし、人々を虫けらのように殺し尽くす。それに快楽すら覚え、自分の愉悦の為に命を握り潰す。狡猾な知恵と暴力的な性格で、こいつ等は人類の築き上げてきた栄光を蹂躙する。この村が襲われたのも、単なる気紛れでしかない。そこに村があったから襲った、ただそれだけのことだ。


 か細い声で必死に救いを求めたところで、ブラードはその叫びを快楽とする。だから、精一杯の抵抗は悲鳴を上げないことだった。それだけが少女ができる唯一の抗いだ。


 こんなところで死ぬのか、少女はこの短い人生を振り返りながらそう感じた。逡巡先に待っている死が、拳を振り上げる。少女は迫り来る激痛に備えて、固く目を瞑った。

 瞬間、上空を飛翔しているドラゴンたちが狼狽する。耳を聾するような爆発音が轟き、嵐の如き暴風が少女の体を吹き飛ばし、そのまま地面を転がる。全身に奔る激痛に顔を歪めながら、少女はなにが起こったのか理解できなかった。


 破砕音と大気の絶叫が響き渡り、瞼の裏でも分かるほどの輝きが辺りを照らす。土塊が顔面にパラパラと当たり、噎せ返るほどの土の臭いを感じながら、少女はまだ生きていることを実感した。



《オマ、エ──ヒョウセイ!!》



 ブラードが怒号を撒き散らす。少女は奴の吐いた言葉に聞き覚えがあった。

 冰聖──世界を総べる五大聖騎士の一人。人類の味方、魔物の敵、冰剣の聖騎士。情報に疎い村であっても、聖騎士の噂だけはよく流れ込む。人々の希望にして、子供たちの憧れの存在。少女は直後に戦慄いたブラードの叫びに、恐る恐る瞳を開けた。

 濛々と立ち昇る土煙に狭い視界で眼前を睨む──最初に目に映ったには、透き通るほどに美しい氷のように蒼い長い髪だった。その腰に携えられた不滅の輝きを抜き、彼女はゆっくりと振り返った。



「冰剣の聖騎士……」



 彼女の姿を目にして、少女はぽつりと呟いていた。

 冰聖は海のような双眸を少女に向け、力強く告げた。




「──諦めるな」




 ただそれだけを言い残して、冰剣の聖騎士は蒼く輝く聖剣を奮う。眼前のブラードを刹那の間にて一刀両断。ブラードが空気に溶けるようにして消えるその間、少女は空間に描かれた軌跡に見惚れ、ふとこう思った。




 ────まるで、彗星のようだと。



 

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