幕間 Nightlife

 暑い。今現在俺の思考はそれの2文字だけで出来上がっている。

「……おい、いい加減に元に戻せよ。」

 現在時刻16:17。俺は図書室に居た。

「嫌だよ。私だって暑いんだから。」

 図書室の冷房は現在お陀仏しているため、古い扇風機が学習机の周りに冷風を送っていたのだが、俺はそれを占領している机の上に持ってきて涼んでいた。

「もう充分涼んだだろ。」

 それなのに俺の向かいの席に座って、俺が持ってきた扇風機を自分側に固定しているこのクズのせいで風が全く来ない。

「嫌だってば。そんなに涼みたいなら扇風機借りておいでよ。」

「それはこっちの台詞だ。天野。」

 天野あまの凛子りこ、というのがコイツの名前だ。長いこげ茶色のストレートヘアにぱっちりとした二重の目。校則通りに着られた制服も相まって、優等生という雰囲気の強い奴なのだが。

「はぁ……。分かったよ。ちょっとだけだからね。」

「何でお前が上からなんだ。」

 その本性は一言で言うと「狂人」だ。そして俺、間縞まじま伊織いおりはコイツに振り回される生活をかれこれ1か月続けている。

「あー。生き返るー。」

「はぁい、お時間ですよ。」

「おい?幾ら何でも速すぎんだろうが。」 

 がっ、と扇風機を掴んで自分に近づけたまま天野を手で追い払う。すると天野は、その追い払おうとした手を思い切り掴んで捻った。

「痛い痛い痛い痛い痛いっ、痛い!」

「じゅーう、きゅーう、はーち、なーな。」

「分かった!分かったから手ェ離せっ!」

俺の必死の懇願に対して、ニッコリと笑う天野。怖い。ふと目をやると、俺の手首は真っ赤になっている。……コイツこんな力強いのかよ。

「あぁ、そういうえば君に頼みたいことがあったんだ。」

 突然天野から発せられた間抜け声に俺は面食らった。天野はにっこりと笑いながら扇風機をまた自分に向けて固定する。俺は読んでいた文庫本を扇いで涼しさを噛み締めた。天野は、長い髪を鬱陶しそうに扱いながら涼んでいる。

「何だよ。」

 俺は目つきを鋭くしながら天野に尋ねる。奴は笑顔のまま首をコテン、と傾げて見せた。釣られて俺も少しだけ首を傾げる。天野はそのまま俺に言った。

「今日の夜、空けておいてね。」

「……は、ちょい待て。もっかい。」

 天野の顔に戸惑いの色が若干映った。が直ぐに笑顔に戻る。

「今日の夜、空けておいてねって言ったんだけど。」

 ……聞かなかったことにすれば良かった。


「で、何だよ。」

 現在時刻22:02。俺と天野は高校の正門前に立っていた。夜の雰囲気の中に、蒸し暑い夏特有の風が吹き続けている。俺は学校を見ながら天野に尋ねた。

「何で俺を呼んだんだ?」

寮で映画を観ていた最中に何度も何度もしつこいぐらいにチャイムが連打され、イラつきながら扉を開け放ってしまったのが運の尽きだったように思う。案の定目の前には、ニヤニヤと笑う天野が居たのだから。

「まぁまぁ、そんなカリカリしなさんなって。君なら来てくれると思ってたよ。」

 来てくれるっつーか、強制的に連れてこられたんだけどな。

「用件教えて貰いたいんだけど。」

「んー。しましま君は、学校の七不思議って知ってるかな。」

 何言ってんだコイツ、と反射的に思った。発言もそうなのだが、天野が至って真面目な顔でそう言うのがシュールでならない。

「学校の七不思議ってさ、どの学校でもそれなりの共通点が存在するんだよ。そこの学校にも、ここの学校にも花子さんが居るだとか。どの学校でも夜ピアノの音がするだとか。」

 俺は天野の話を聞きながら目を細めた。コイツの本質が見えない話でオチが良かったものはない。天野は淡々と話しながら両腕を高く挙げて伸びをした。

「まぁだから、それなりの条件が揃っていれば七不思議ってどこでも立証できると思うんだよね。」

 基礎的な体操の動きをする天野を横目に俺は溜め息を付いた。

「言いたいことは分かった。けど、流石に高校でそれが立証される様な気はしないんだが。」

 体操を終えた天野はふっ、と俺を鼻で笑った。それからその場に屈んで靴紐を結び直し始める。

「まぁ、この際そういう細かい事はどうでも良いかな。」

 天野は適当なことを言いながら靴紐を結び終えて2、3歩後ろに下がった。俺は天野の行動をぼんやり見つめる。

「とどのつまり私はね、この学校に七不思議の素質があるかどうか知りたいんだ。」

 真っすぐに正門を見ながら天野は微笑んだ。俺には時々本当に理解できなくなる。

恐らく、この天野凛子という人物は心の底から「生きる」ということを楽しんでいるんだろう。それはとても高度な事だ。まぁ、凡人の俺には理解しがたい。というかしたくない。

「よっ、と。」

 そんな感傷に浸っている間に、天野は正門を脚力だけで跳び越えていた。俺の思考が少し止まってしまう。

「という訳でしましま君には、夜の学校探検を一緒にしてもらいまーす。」

「帰らせてくれ。」

 この状況において俺はとても有利だ。何故ならば、俺を引き留める理由のある人間は門の向こう側に居るからだ。俺は迷わず踵を返す。よーし、帰って映画の続きでも観るかー。

「ふっ、ははっ。甘いなぁ、しましま君。」

 天野の余裕が丸見えな声。俺の足は本能的に止まった。ゆっくりと振り返ると、天野が笑っていた。怖いんだけど。

「実はねぇ、私教室の鍵空けて来てるんだ。」

 体感20秒ぐらいのシンキングタイムの後、俺の頭の中で結論が出た。

「……まさかとは思うが、お前。俺の事を変態に仕立て上げようとしてるのか?」

「くっ、はははっ!察しが良いね。その通りだよ。」

 つまり、何だ?ロッカーに入れっぱなしになっているであろう女子クラスメイトの体育着とかが明日の朝には俺の引き出しにパンパンに詰め込まれているという可能性がある、ということか。……いや、仕打ちがむごくねぇか。

「まぁ、君が変態になりたいというなら止めはしないけど。」

「……お供させて頂きますよ。天野さん。」

 俺が降参の言葉を口にすると、天野は楽しそうな顔をした。

「そう来なくっちゃね。」


「それで何処から行くんだ?」

 夜の校舎内を外履きのまま歩く音が響く。俺は絶妙な背徳感を感じていた。

「にしても天野。何でお前正面玄関の鍵持ってたんだ?」

「ちょっと拝借しただけだよ。明日には元通りー。」

 一体誰から拝借したんだ、とは聞けなかった。何か駄目な気がする。俺はチラリと天野に目をやった。

「……はぁ。」

 バレない様にこっそりと溜め息をついた。今の天野は、黒いタンクトップと丈の短いホットパンツを着ていて、その上にシースルーのワイシャツを羽織っている。いつもは下ろしっぱなしの髪は1つにまとめられてあり、動くたび長い毛束が左右に揺れる。……コイツ、顔は整ってるから画になるんだよな。何か腹立つ。

「人を見て溜め息つくなんて失礼だね、しましま君。」

「……バレてたのかよ。」

 天野は目だけで俺を見ると笑った。俺は口の端だけで笑い返す。目は死んでいるんだろうな、と頭の片隅で思うが気にしない。

「君は分かりやすいからね。本当に面白いよ。」

 失礼なのはお前じゃねぇか。まぁそんなのは今に始まった事じゃ無い。

「適当に学校ブラブラしようかなって思ってるよ。」

 行くところ決めて無いのかよ。今日は一体何時に帰れるのかね。

「あ、でも。」

「うおっ。急に止まるなよ。」

 天野の背にぶつかりかけるが、そんなこと気にせず天野は言う。

「図書室には寄りたいかな。」

 目を少し輝かせながらそれだけ言った。夜の図書室。そりゃあ楽しいだろうな。それから足を進めて、俺はふと思ったことを口にした。

「なぁ、天野。」

「どうかした?」

「もしかして、お前……怖いの?」

俺の言葉に対して、少し黙る天野。それから俺を馬鹿にした様に笑った。

「何でそんなこと聞くのさ。」

「いや、お前ほどの行動力があるなら俺を誘わないでも学校に侵入することなんて容易いんじゃないかと思ったんだが。」

「……ま、ノーコメントってことで。」

 天野が消え入りそうな声で答える。心なしか顔が暗く、目線が泳いでいるように見える。

「へぇ……。」

 俺の口角は自然と吊り上がっていった。


 現在時刻23:15。俺は散々天野に連れまわされていたが、それにようやく終わりが訪れた。天野が図書室の前で足を止めたのだ。

「さて、しましま君。終わりだよ。」

「やっとか……。」

 この1時間15分ほど、俺は天野とただ喋りながら校内を練り歩いていただけだった。というのも、天野は俺とどうでも良い話をしながら校内の教室を全て覗き込んで確認して回っていたのだ。全部で4つある棟を1つずつ、くまなく見て回ったのだが、俺には終始何を見ているのかが分からないままだった。ただ、ふとした時に過剰なまでに驚く天野が凄く面白かったなと思う。

「じゃじゃーん。図書館の鍵ー。」

「……。」

「何でそんな顔するのさ。喜びなよ。」

 不法侵入、っていうんだっけか。こういうの。正面玄関と図書室の鍵もくすねてる訳だから、窃盗もか?今更ではあるが、自分がコイツの共犯者であることを自覚してしまった。

「わーい。すごいすごーい。」

「……20点。」

 流石に棒読みだからか。……目つきが厳しい。ガチャリ、と図書室の鍵が開いた。天野はさっさと図書室に入って行った。俺は何となくその後姿を見ていた。

『しましま君は私によく似てるよね。』

 いつだったか、天野が俺に言い放った言葉が頭の中に響いた。俺がコイツとかかわりを持って直ぐの頃だったはずだ。俺はいまだにそれの意味が分からないのだが。

「しましま君?何してるの、早くおいでよ。」

「悪い、今行く。」

 俺も遅れて図書室に足を踏み入れる。土足のままだったことに気づいて少し躊躇した、が結局靴で上がった。

「凄くない?今この図書室は私としましま君だけが占領してるんだよ?」

よほど嬉しいのか、少し興奮気味に辺りを見る天野。俺は入ってすぐの壁にもたれたまま天野を観察していた。……こう見ると天野って普通の女子だな、と思ってしまった自分に鳥肌が立つ。

「天野。」

 俺は何となく天野の名を呼んだ。長い毛束が激しめに揺れて、天野の大きな目がこちらを向く。いつもの薄い笑顔を口元に張り付けて。

「お前はさ……、どうして俺と一緒に居るんだ?」

「え?何か随分と変なことを聞くね。」

 本気で驚いたのか天野は目を丸くした。それから少し考えると口を開く。

「かなり昔に、仲の良かった奴がいるんだけどさ。君は奴によく似てるんだよね。」

 天野が少し俺に歩み寄って来る。俺はそのまま天野を見つめた。

「そいつはなんていうか……。狂ってるんだ。」

「はぁ。」

 思わず間の抜けた相槌を打ってしまう。天野は言葉をゆっくりと続ける。

「5年ほど一緒に居たんだけどね。私の事を"駒"と呼ぶ不快な奴でさ。」

「こま?」

人の事を、まして友人の事を駒呼ばわりするような奴が居ることにも驚きだが、そんな奴と5年も付き合っていたコイツに1番驚いた。

「そいつと君は何か似てるんだよね。性格的なものは正反対だけど。」

「いや、そんな奴と同じにされてたまるか。」

 そう悪態をつく俺をどこか悲しそうに天野は見た。俺は気まずくなって目を逸らしてしまう。

「まぁそれもあるけどさ。私は君がしましま君だから一緒に居るんだよ。」

 伏し目がちに天野はそう言った。俺は確かに聞いていた。

「そう、か。……変なこと聞いて悪いな。」

「別に構わないよ。」

 俺は壁から離れて天野に近づいた。それからまた他愛もない話をしながら、いつもの学習机に向かう。夜の図書館には、時折笑い声が響いていた。


 現在時刻2:36。日付は変わって、俺と天野は正門の前に居た。結局あの後2時間ほど喋り続けて、俺がいつの間にか寝落ちしていたせいでこんな時間になっていた。

「そういや、お前こんな時間まで出歩いてて心配されないのか?」

「全然。だって私一人暮らしだからね。」

 そう言いながら眠そうに目をこする天野を横目に見ながら、俺はまだ暗い空を見上げた。星が見えないぐらいに暗い空だ。

「今夜は曇りかー。残念。」

 隣を歩く天野が呟いた。視界に俺と同じように空を見る天野が映る。そして、何をロマンチックなことをしてるんだよ、と我に返って前を向いた。

「じゃあ、しましま君。また明日。」

 突然天野が言った。視線をやると、天野は寮とは反対方向に体を向けている。

「ん。また明日。」

 俺は天野に適当に手を振りながらその場を離れる。寮に着いた俺は玄関で倒れ込むように眠っていた。


 翌日、時刻は13:27。寝坊を体調不良で誤魔化して学校に来た俺は、遅刻とは別件で職員室に呼び出されていた。

「あー、マジマだっけ?」

目の前にはゴリゴリ体育会系の教師が1人。

「はい、間縞です。」

 あー、声が震えるー。怖いよ。怖いんだよ。目が怒ってんだもん。何?もしかしてもうバレたの?噓でしょ?早いって。早すぎるって。

「怒らないから正直に答えてくれよ?」

「……はい。」

 怒る奴だよねそれ。そういうフリだよねもはや。冷や汗止まらんのだけど。

「午前の授業でお前の引き出しにプリントを入れようとした時にな。」

「……はい。」

「お前の引き出しから……池名いけなの体育着が出てきたんだが、心当たりあるか?」

「……はい?」

俺の頭の中に昨日の天野とのやりとりが広がる。まさか……図書室で俺が寝落ちした時か?つかそこ意外に奴が自由に動けるタイミングが無いよな。

「……無いです。全く。」

 結局のところ、俺は良い具合に遊ばれたんだと気づく頃には、眼前の体育教師がブチギれ寸前になっていた、様な気がする。よく思い出せない。というのも、俺は全く違うことを考えていたからだ。

 教室に戻ったら、休み時間を気ままに過ごしている同級生どもが居て。

 その中で1人だけ分厚い本を読み続けている奴が居て。

 そいつは俺を見たら、口元を本で隠しながらにやにや笑って言うんだろう。

「引っかかったねー。しましま君。」

 それが俺の新しい日常になりつつあるのかもしれない。

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スファレライトと雲の空 卯月ななし @Uduki-nanashi

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