想い出がいっぱい

諏訪原天祐

想い出がいっぱい

「それじゃあ、俺たちの新たな門出に乾杯!」

 益田はそう言うと、グラスを持った右手を高々と掲げた。かちゃんかちゃんとガラスのぶつかる音が狭い部室内に響く。これまで四年間を共に過ごしてきたこの仲間たちとも今日を境に会うことが無くなってしまうのかと思うとどこか寂しく感じてしまう。そんな思いを振り切るようにぼくはコップの中のビールを一息に飲み干した。目の前では鍋がグツグツと煮えたぎっている。

「それにしても、まさか恵美香が卒業まで文芸部にいるとは思わなかったなあ。入部した時、絶対にこいつ本なんか読んだことねえだろって思ったからな」

「失礼な。こう見えても昔は超優等生の超文学美少女だったんだからね」

 そう言って恵美香はいつものようにメビウスを咥え火をつける。本来大学構内は禁煙ではあるのだが、大体いつものことなのでぼくも益田も気にしないことにした。

「まあ、益田の言う通り、ぼくも初めて恵美香と会ったときは凄く怖かったもんなあ」

 ぼくがそう言うと、恵美香は「北野までそんなこと言う」と不満げに口を尖らせた。

「そういえば、恵美香はどうして文芸部に入ったんだ? 結局四年間で作品も一、二個しか書いてないし。そもそもあんまり小説も読んでるところ見たことないし。その割には四年間ずっと居座っていたしな」

 益田が追加の豚肉を鍋に入れながら、ふとそんなことを聞いた。恵美香はあまり聞かれたくないことだったのか押し黙ったまま黙々と肉を口に運んでいる。

 恵美香は非常に短気な人間である。だから、たいていこの後は恵美香が「別に、そんな深い理由なんて無いよ。ただ何となく面白そうだなって思っただけ。それとも何? あたしがずっと文芸部にいるのがそんなにおかしいって言いたいわけ?」とか言ってぼくや益田にキレ散らかすのがお決まりのパターンなのだが、なにやらいつもとは様子が違っている。

「おい、恵美香大丈夫か? もう酔ったのか……?」

 益田が心配そうにそう言うと恵美香は「そうじゃないんだけど……」と言いつつ箸を止めてもごもごと小声でしゃべり始めた。

「いや、文芸部ってあんま興味なかったんだけどさ、実は好きな人が、というか一目ぼれした人がいたから、それで入ったんだけど……」

 四年間にも及ぶ長い付き合いの中でついぞ見ることがなかった、いわゆる乙女の顔で恵美香はそう言うと、益田もぼくもあまりの衝撃にしばらく声が出なくなった。

「えっ、じゃあ、好きな人のために文芸部に入ったってことか?」

 ようやく我に返った益田が恵美香にそう尋ねると、恵美香は真っ赤な顔で小さく頷いた。

「じゃあさ、せっかくだから聞きたいんだけどさ。その好きになった人は誰? 恵美香のことだからやっぱりイケメンな人でしょ」

 ぼくがそう聞くと、恵美香は相変わらず真っ赤な顔をしながら首を横に振った。

「えー、じゃあ案外ワイルドな感じの人とかか?」

 益田がそういっても恵美香は首を横に振るばかりだ。

「じゃあ、誰なの? どうせ最後なんだから教えてよ」

 ぼくがそう言うと、恵美香は下を向いたまま何も言わなくなった。そして、その長い沈黙ののち恵美香は小さな声で「彼」の名前を口にした。

「……ナカヤマだよ」

「ナカヤマって、まさかあのナカヤマか?」

「そのナカヤマしかいないでしょ。あたしらと同期で二年前に死んだあのナカヤマ、ナカヤマダイスケ」

 あまりの衝撃にぼくも益田も再び言葉を失った。まさかあの恵美香がナカヤマのことを好きだったというのも当然あるのだが、まさかこんな形で「彼」の話題が出るとは思いもしていなかった。

「ナカヤマ、ナカヤマかあ……」

 益田が意味深そうにそう呟くと、恵美香も消え入るような声でぽつぽつと語り始めた。

「ナカヤマ……、ダイスケはさ、私と同じ学部学科で、オリエンテーションのときに初めて会ったんだよ。私がプリントを床にぶちまけてさ、そんなとき『大丈夫ですか?』とか言って一緒にプリントを拾ってくれたんだ。あたしってこう見えてもそれまで男と付き合ったことなかったからさ、もうその場で好きになっちゃったんだ。それで仲良くなって、というかあたしが一方的に話しかけていったんだけどね。そのおかげで学科の中に男友達ができなかったってよく文句言ってたな。そんで、どの部活に入るつもりなのかって聞いたら文芸部だっていうから、文芸なんて一ミリも興味なかったのにもう勢いであたしも実はそうなの、とか言ってさ。それで一緒に新歓に行くことになったの」

「ああ、思い出してきたぞ。確かに新歓の時恵美香とナカヤマ一緒に来てたな」

 確かにそうだった。Yシャツの第一ボタンまできっちり止めているナカヤマとまだ十八歳のはずなのにたばこをぷかぷかふかせていた恵美香のあまりのミスマッチさが妙に印象深かった。

「まあまあ、そんなこんなで文芸部に入ってしばらくしてから付き合うことになったわけ。ダイスケは全く料理できなかったからさ、あたしがご飯作ってあげたりとかさ」

「ここぞとばかりに惚気始めるなよ」

 益田がそうぼやくと恵美香はごめんごめんと言いながらまた肉を口に運び始めた。

 ぼくはそんな会話を聞きながら、心中穏やかでなかった。止まらない汗が背中を濡らす。

 二年前、ぼくはナカヤマをこの手で殺めたのだから。

「どうした北野。さっきから箸が進んでないけど。まさか恵美香とナカヤマが付き合ってたのがそんなにショックだったんかあ? やめとけやめとけ、恵美香とか付き合ったってたばこ代が多くかかってしょうがねえぞ」

「ちょっと、そんな失礼なこと言わないでよね。こう見えても最近アイコスにしてるんだから」

 何気ない日常の会話。本来ならナカヤマはここにいないといけない人間だったのだ。想い出をもっとこの四人で作らなければいけなかったのに。しかしそれを奪ったのは紛れもないぼくだった。二年間抑え続けていた様々な感情が、今溢れだそうとしていた。そしてそれを押さえつけるようなことは、今のぼくにはできそうもなかった。

 ぼくは箸を置いて二人に向き直った。二人の困惑した顔が目に入るがぼくは気にせずゆっくりと口を開いた。

「二人に本当のことを言うよ。二年前、ナカヤマは足を滑らせて死んだんじゃない。ぼくがナカヤマを突き落としたんだ。それでナカヤマは階段から落ちて死んだ。本当は、ナカヤマはぼくが殺したんだ」

「お、おい。何を言って……」

「あの日、ぼくとナカヤマは文学フリマで出す部誌のことで揉めていて、二人でナカヤマのアパートで話し合っていたんだ。でもなかなかまとまらずに喧嘩になってね。ナカヤマには結構いろいろと言われたよ。ぼくはそれで頭に血が上っちゃって。ナカヤマが頭を冷やすからとか言って少し外に出たときに、アパートの階段からナカヤマを突き落としたんだ。だから、ナカヤマが死んだのは事故じゃない。ぼくが殺したんだ」

 ぼくが話し終えると、二人は困惑したようにぼくの方を見ている。しかし、その目には明らかに困惑以外の感情もあるように見えた。永遠のように思える沈黙の後、益田がゆっくりと口を開いた。

「なあ、北野。お前は何を言っているんだ? ナカヤマは階段から落ちて死んだんじゃない。自分の部屋で自殺しているのを俺が見つけたんだろ? でも本当は自殺なんかじゃなかったんだ。俺がナカヤマをロープで絞殺して、自殺に見えるよう偽装したんだ。ナカヤマは俺が殺したんだ」

 ぼくはその言葉を聞いて耳を疑った。ナカヤマが自殺? そんなはずがない。確かにぼくが階段から突き落として殺して、それが事故死として報じられたはずなんだ。

益田は、やっぱり二人には本当のことを言っておかないといけないと前置きしつつ、訥々と話し始めた。

「あのとき、俺とナカヤマは金の貸し借りでもめてたんだ。ナカヤマに貸した金が全然戻ってこなくてな。そのための話し合いで俺がナカヤマの家に行ったとき、俺の方がカッとなってしまってな。気が付いた時には近くにあったロープでナカヤマを絞め殺していた。俺はそこで何とか誤魔化して自殺ってことにできるんじゃないかと思ってしまったんだ。そして自殺に見えるように部屋を整えて俺が第一発見者を装ったんだ。だから、ナカヤマは自殺したんじゃない。俺が殺したんだ」

 そんな益田の告白を聞いて、ぼくはすぐに反論した。

「いや、ナカヤマは階段から落ちて死んだってことになってたはずだ。間違っても自殺なんかじゃなかった」

「北野のほうこそそれはおかしいだろう。ナカヤマは自分の家で自殺した。それを俺が発見した。そういうふうになっていたんだよ」

 ぼくも益田もお互いに譲らず話は平行線をたどる一方だった。そんな中、それまでずっと黙っていた恵美香が突然口を開いた。

「二人とも言ってることが間違ってるよ。ダイスケは通り魔に襲われて死んだんだよ。でも本当は通り魔じゃない。あたしがダイスケを殺したの。架空の通り魔の仕業に見せかけてね」

 予想だにしなかった恵美香の発言にぼくも益田も何も言えなくなった。恵美香は先ほどまでと同じように、噛み締めるようにぽつぽつと話し始めた。

「あの日、あたしはダイスケの家に呼ばれて行ったんだ。そこでダイスケに別れようって言われたの。あたしはすごく嫌がってね、ダイスケを困らせちゃったな。結局結論が出なくって、ダイスケが私の家まで送ってくれることになったの。そうやって二人で帰ってる途中、ダイスケに電話がかかってきたの。電話越しから女の子の声がした。あたしはダイスケに問いただしたの。ダイスケは目を伏せてごめんってしか言ってなかった。気がついた時にはあたしはダイスケを護身用のナイフでめった刺しにしていたの。あたしは怖くなって逃げた。すぐにバレて捕まるとも思った。でも、あれは通り魔の仕業っていう風に報道された。あたしは、ラッキーって思っちゃったの。一応あたしのところにも警察は来た。その時あたしは何も知りませんって言った。本当は通り魔に刺されたんじゃない。あたしがダイスケを殺したの」

 恵美香が一通り話し終わった後、ぼくたちの間に重苦しい沈黙が流れた。三人が三人ともナカヤマを殺したのは自分だと言っている。だが、それはあり得ないのだ。必ず真実は一つしかないはずなのだ。しかし、ぼくを含めて他の二人も嘘を言っているようにはとても思えなかった。

「なあ。確か、後輩の誰だったかが、ナカヤマが死んだ時の新聞記事を切り抜いて部室の棚にしまっていたはずなんだ。それを見て、ナカヤマを殺したのは誰かはっきりさせよう。それで、誰が本当にナカヤマを殺してたとしても、それはもうここだけの話にしよう」

 益田のその言葉に異論はなかった。ぼくたちは早速部室の棚を探した。しかし、新聞記事はおろか、ナカヤマにまつわるものは一切見つからなかった。まるで、ナカヤマという人間が最初からこの世にいなかったかのように。

 しばらく棚を漁った後、ぼくらは捜索を中断し、再び鍋を囲むようにして座った。

「どうするんだよ。何も見つからなかったけど」

「誰か後輩に聞いてみようか?」

 恵美香の提案に益田は首を横に振った。

「いや、やめておこう。そんなことしたら、確実にこの中の誰かが人殺しってことが事実になってしまうだろ」

「じゃあ、このままにしておくってこと?」

「もうそれしかないだろ。結局真相がどうであれ、ナカヤマはもう死んだんだ。ナカヤマという人間は最初からいなかった。そういうことになってるんだったらそれに乗っかるしかないだろう。俺たちにはあいつとは違って未来があるんだからさあ。もう、そういうことにしてしまおうや」

 絞り出すようにそう言った益田にもう誰も言い返すことはしなかった。

 罪の意識が全くないわけではなかった。しかし、ナカヤマという人間がそもそも生きていた痕跡自体がなくなっていたのだ。北野の提案はそう不自然なものとは感じなかった。

「そ、そうよね。あたしだって今更内定がなくなったら……」

 恵美香がぼそりとそう呟き、そこから部室を重い沈黙が包んだ。

 そのとき、唐突に部室のドアが開いた。

「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」

 そこには大きなレジ袋を提げたナカヤマが立っていた。どこからどう見ても、ナカヤマそのものである。足も二本ある。あの日と同じようににこやかな表情を崩さずに立っていた。

 益田は口をあんぐりと開けたまま固まっていた。恵美香は顔をくしゃくしゃにして泣いている。

 後ろの窓からコンコンという音がする。おかしい。ここは二階なのに。ナカヤマはスタスタと窓に近寄ると、無言で窓を開けた。するとそこには大きなレジ袋を提げたナカヤマが浮かんでいた。それも一人ではなく、ざっと十人以上はいる。ぼくはもう訳が分からずフワフワと宙に浮かぶナカヤマたちを呆然と見ることしかできない。

 恵美香が悲鳴を上げながら鍋の方を指さしている。鍋の中から赤ん坊のようにナカヤマがはい出してきている。益田は口をあんぐりと開けたままだ。いや、違う。何か口の中から出てきている。よく見ると益田の口の中から無数の小さなナカヤマが出てきていた。

 ぼくは半狂乱になりながら部室から出ようとした。しかしドアは開かない。ドアの下の隙間からも、ペラペラのナカヤマがするすると部室へ入り込んでくる。

 恵美香は狂ったように床に頭を打ち付けている。恵美香の頭が膨れて、中からナカヤマの声がする。

 違う。ぼくはナカヤマを殺してない。あいつが勝手に足を滑らしただけなんだ。いや、あの二人だ。あの二人が自分で殺したって言ったんだ。そうだ、ぼくは殺してない。ぼくは殺してなんかいないんだ。だから、だから許してくれ……。なんで許してくれないんだ……。

 宙に浮かぶナカヤマも、鍋から出てきたナカヤマも、益田の口から出てきた小さなナカヤマも、ペラペラのナカヤマも、そして恵美香の頭の中のナカヤマも、みんな一様にレジ袋を下げ、不気味なほどににこやかなその表情を崩さないまま、じりじりとぼくを取り囲んでいく。


「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっとバイトが長引いちゃってさ。お詫びに肉と酒、買ってきたからさ」「やー、ごめんね。遅くなっちゃって――

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想い出がいっぱい 諏訪原天祐 @Tori_Neko

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