第3話:ミリア

 ◇


 商業地区の裏路地にあるこぢんまりとした奴隷商店の前に着いた。


 この辺りは王都の中でもアングラなものを扱うディープな場所として知られている。実際、周りには怪しげな魔道具を売る店や怪しげな本を売る露天商などもいた。


 この区画一帯は日当たりが悪く、ジメジメしている。建物も全体的に古く、薄汚れているため清潔感を一切感じられない。


 当然こんなところに寄り付く人は少なく、辺りは閑散としていて店にはあまり客が入っているようには見えない。まあ、大衆向けの店ではないので問題はないのだろう。


「さて、行くか」


 俺は普通と違う雰囲気に少しばかり緊張しつつ、奴隷商店の中に入った。


 予想に反して店内はすごく綺麗! ……なんてことは当然なく、壁は煤や埃で薄汚れていた。カビなのかわからないが、臭いも強烈だ。


 入り口から見える範囲の店内は物置のようになっており狭く感じる。


「む、客か」


 奥の机で新聞を読みながら煙草をふかしている白髪のおっさんが俺に気づいた。


 従業員なんていないだろうから、この人が店主だろう。


「買取か? 販売か?」


 無愛想な店主は、特に挨拶もなしに本題に入った。


 まあ、楽しくショッピングをしたくて来店したわけではないので、話が早いのは助かる。


「奴隷を売って欲しいんだ」


「販売だな。で、予算と目的は?」


「予算は百万ジュエル。俺は回復術師でな……冒険に連れて行く戦闘用の近接職が欲しい」


「性別の希望は?」


「どちらでも」


「ふむ。まあ、この条件ならそれなりのモノは用意できるな。よし、ついてこい」


 店主は俺を手招きし、奥の扉を開いた。


 扉の先は下り階段になっている。地下に繋がっているようだ。


 この狭いスペースで奴隷がどこにいるのか疑問に感じていたが、地下にいるらしい。


 階段を降りていくと、鉄格子の中に閉じ込められた奴隷たちの姿が飛び込んできた。


 奴隷は一人ずつ入れられており、首輪が嵌められている。鉄格子の前には奴隷の値段と思われる値札があった。皆共通して生気が抜けたような感じで元気を感じられない。


 しかし、俺たちが入ってくるなり奴隷たちが勢いよく鉄格子を掴んで必死な様子で叫び出した。


「だ、誰か買いに来たのか⁉︎ お、俺を買ってくれ!」


「いや、俺だ! 絶対に役に立つ! ここから出してくれ!」


「私を選んで! 望むこと何でもしてあげるから!」


 ……⁉︎


 異様な様子に驚き、ビクッとしてしまう。


「騒がしくて悪いな。こいつらも外に出たくて必死なんだ。あまり気にするな」


「は、はあ……」


「この辺の奴隷は戦闘用には性能がちょっとな……初心者向けすぎる。それなりの予算があるってことだから、この先にいる奴隷から選ぶといい」


 確かに、値札を見るとこの辺りの奴隷は十万〜二十万ジュエルほど。


 基本的に奴隷は値段が高ければ高いほど良い個体であり、安いものにはそれなりの理由があると言われている。


 店主に導かれるまま奥へ進むと、値札に書かれた金額がガラリと変わった。


 最低でも五十万ジュエルを超えており、中には一千万ジュエルの値がついている奴隷もいる。


「剣士、槍士、剣闘士……一通りは揃っている。お前さんの条件に合う個体を選ぶといい。わからないことがあったら——って、どうした?」


 店主が説明する間、俺は異質な値札をつけられた奴隷に注目していた。


 『剣士……三万ジュエル』と書かれている。


 身体中に黒い斑点模様が浮かんだ金髪の少女。全体的に小柄だが、胸はなかなか大きい。人形のように整った顔立ちをしており、文句なしの美少女だ。


 あまり元気がないようで、顔色が悪い。


 頻繁に咳き込んでいるところを見ると、風邪を引いているのだろうか。


 破格の安さという部分にも驚いたが、気になった理由はそれだけじゃない。


 俺は、どこかでこの子を見たことがある気がするのだが……いつどこで見たのかどうしても思い出せないのだ。


 俺は何か、大事なことを忘れている気がする。


 でも、それが何かわからない。


「ああ……そいつはちょいと訳ありでな。悪いことは言わん、やめとけ」


「訳あり?」


「そいつは、処分を頼まれて引き受けたんだ。『魔呪症』って分かるか? 要するに不治の病でな。もう先は長くない。もって三日ってとこだろう」


 『魔呪症』……冒険者学院時代に聞いたことがある。


 確か……魔族の自傷魔法を受けた者が低確率で発症する病気。


 この世界には、人間と敵対する別種の強力な知的生命体——『魔族』がいるのだが、この自傷魔法は、魔族自身の命を代償にすると言われている。


 『魔呪症』を発症した人間は時間をかけて身体を蝕まれ、いずれ死に至る。どんな種類の回復魔法も効くことはなく、発症して生還した者は歴史上一人もいない。


 魔族が切り札を使わざるを得ない状況にいた……ということは、この子自身が冒険者としてかなり強いか、とんでもなく強力なパーティに所属していたということになる。


 パーティの中心職になることが剣士だということは、おそらく両方だろう。


「ちょっと、近くで見てもいいか?」


「構わんが……お前さん回復術師だっけか? 治そうってのは無理だぞ」


 店主は気が向かない様子で鉄格子の鍵を開けてくれた。


 俺も、この子を買おうとは思っていない。


 残酷な言い方にはなるが、例え三万ジュエルだとしても、最大三日で別れが来る奴隷を買うなんて愚か以外の何物でもない。


 俺は、ただ思い出せそうで思い出せない記憶が気になったのだ。


 もう少し何か情報があれば、思い出せるかもしれない。


 首輪がついた奴隷の少女と目が合う。


「名前は?」


「……ミリア」


 その瞬間、俺の頭の中を稲妻が走った気がした。


 脳内でバラバラだった記憶の欠片が有機的に繋がるような、不思議な感覚。


 ……思い出した。全部。


 そうか、そういうことだったのか。


 となれば、俺がこれからするべきは一つだ。


「店主、この子を引き取りたい」


「お、おい正気か⁉︎ やめとけって。確かに見てくれはいいが、安い買い物でも人が死ぬってのは気分が良いものじゃねえ。俺は仕事だから慣れてるが……」


「実は、俺この子を知ってるんだ。だから……できることはやっておきたくてな」


「なっ……知り合いだと? そんなことがあるのか……?」


 正確には俺が一方的に知っているだけなのだが、そういうことにしておこう。


「だから、頼む」


「そこまで言うなら、もう止めはせんが……忠告はしたからな?」


 こうして、俺はミリアを引き取ったのだった。

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