7-4 犀髪の結

 あおいを覆っていた黒雲が晴れた。頭は猿、胴体は猪、尾は蛇、手足は虎。そこには黒い色のぬえが深い怒りを帯びて立っていた。

 

「あ、葵くん……?嘘だろ……?」

 

 梢賢しょうけんをはじめ、その場の誰もが今見ている光景を信じられずにいた。

 

 はるかは後悔と己の力不足に打ちのめされかけた。だがすんでのところで心を奮い立たせる。

 

優杞ゆうこさん!楠俊なんしゅんさん!村の人達を遠くに逃してください!」

 

「え?あ……」

 

「早く!皆、殺される!早く逃げるんだ!」

 

 永の叫びを聞いて村人達は我に返り、半狂乱となって寺の方向へ走る。群衆雪崩が起きそうな雰囲気で、危険を感じた楠俊が村人達の元へ駆け寄った。

 

「みな、落ち着いて!とにかく寺まで走って!」

 

 指示を出しながら楠俊は妻の方を省みる。優杞はあちこちに怪我を負っており、腰が抜けてしまっているようだった。

 だが夫婦のアイコンタクトで楠俊は苦悶の表情を浮かべながら先に走り出す。

 

「梢賢くん!優杞を頼む!」

 

「私は大丈夫、機敏には動けないけど自分の身くらいは守れる」

 

「姉ちゃん……」

 

「それよりも、あんたはこの状況を良く見ておくんだ。これから何が起きても後悔しないように」

 

 優杞の真剣な言葉に、梢賢は葵のいる方を向いて息をのんだ。


 

 

 黒い鵺となった葵は低く唸っている。目の前の康乃やすのを狙っているようだった。

 蕾生らいおはその前に立ちはだかって白藍牙はくらんがを構えた。

 

「俺が食い止める。その間に──」

 

「わかった。葵くんが元に戻る方法を探す。リン、優杞さんと梢賢くんの援護を」

 

「御意」

 

 永と鈴心すずねがばらけた後、珪は懐から棒状の呪具を取り出した。

 

「フ、フフ。素晴らしい!まだこの犀髪の結さいはつのむすびすら使っていないのに鵺化するとは!葵、君は本当に救世主だ!」

 

 蕾生は横目で珪を見ながら、その手に持った呪具の禍々しい空気を感じていた。

 それは永も同様で嫌な予感がしていた。あれを使われる前にけりをつけなければならない。

 

「おい、珪!葵くんを元に戻せ!」

 

 永が注意を引こうとわざと大袈裟に叫ぶと、珪は顔を歪めて笑いながら答えた。

 

「はあ?冗談でしょう?ここまで来るのに僕がどれだけの金と労力をかけたと思ってるんです?」

 

「その手に持ってんの!キクレー因子の制御装置だろ!それで葵くんの因子を鎮めろよ!」

 

 それを聞いた梢賢は僅かに希望を持って鈴心に聞いた。

 

「ほ、ほんまか?」

 

銀騎しらきでも似たような装置を作っていました。おそらく可能だとは思うんですが……」

 

 銀騎しらき詮充郎せんじゅうろうが作った萱獅子刀かんじしとうのレプリカ、今の白藍牙はくらんがのことだが、皓矢こうやがそれを使って鵺化した蕾生を人の姿に戻したことがある。

 

 だが、あれは皓矢の磨かれた対鵺の術があったからではないかと鈴心は考えていた。それを行使できる人材がこの場にいるのだろうか。

 

 事態が膠着しつつある頃、康乃が舞台の上にいる柊達しゅうたつに呼びかける。

 

「達ちゃん!」

 

「は、は!」

 

「動けますね?降りてきて剛太ごうたをお願い」

 

「はい!」

 

 命を受けた柊達は昇降台を使って舞台を降り、梢賢達の側で震えている剛太の元へ走った。

 

「御前もお下がりください。あれは危険です」

 

 墨砥ぼくとは蕾生の隣までやって来て、後ろの康乃に言う。しかし康乃は厳しい顔のまま拒んだ。

 

「いいえ。これは私に定められた運命ものです。私はこの里を守る義務がある……!」

 

「御前……。では私より前にはお出にならぬよう」

 

 康乃の決意に腹を決めた墨砥は蕾生とともに鵺と対峙するべく構えた。康乃も毅然と鵺化した葵を睨む。

 

 蕾生は永が習っていた剣道の構えを思い出しながら白藍牙を構える。

 

「葵、聞こえるか。蕾生だ。俺はお前の仲間だ、わかるか?」

 

 蕾生は目の前の葵が自分と「同じ」ものだと言うことを感じていた。何がどうとかはわからない。けれど葵と意思の疎通が出来るのは自分しかいないと思った。

 

 だが黒い鵺となった葵の目は虚ろに曇り、怒りにまかせて低く唸った後蕾生に飛びかかる。

 

「!」

 

 来る!と思った瞬間、蕾生は白藍牙を盾に葵の爪を弾いた。それまではただの木刀だと思っていた白藍牙は、まるで鋼のような硬さで葵を弾いた。

 

「ガッ!……ウゥ」

 

 白藍牙に弾かれた葵は身を翻して着地し、蕾生を注視しながら一歩後ずさった。

 

 葵の攻撃を受けたからか、白藍牙は鈍くも白く光っており、とてもその素材が木であるとは思えなかった。

 皓矢から碌にレクチャーも受けずに使ったものの、ちゃんと対抗できていることに蕾生は素直に驚いた。

 

「なんと素晴らしい呪具だ!そして素晴らしいお力!さすが鵺人ぬえびと、いや、黄金の鵺!」

 

 蕾生と葵の攻防を見た珪は興奮しきりの表情で讃える。

 

 しかし永は珪が「黄金」という言葉を使ったことに驚いていた。そんな事まで知っているだなんて、情報収集に自信があると言っていたのは伊達ではなかったのだと。

 

「ああ、私の鵺もその高みに昇らなければ……」

 

 そうして珪は興奮したまま手に持っている犀髪の結という呪具を高く掲げた。おそらく「正しい」使い方をするつもりだ。

 

「やめろぉ!」

 

 永は叫んだ。鵺化した葵に更なる力の活性化を図られたら蕾生はただでは済まない。

 

「神女のかもじよ!」

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