7-3 破滅

 潜もったけいの声が聞こえた。梢賢しょうけんあおいに覆い被さって身を伏せる。しかし、二人に危害は加えられず、すぐ側ですみれの悲鳴が響いた。

 

「キャアアアア!」

 

「菫さん!?」

 

 驚いて顔を上げると、菫は立膝をついていた。その身体から焦げた匂いがする。

 

灰砥かいと様!?何をなさるんです?」

 

 菫は珪に向けてそう呼びかける。梢賢もはるかもその名がここで出たことに驚いていた。

 

 珪は眼鏡を整え直してゆっくりと菫に近づいてくる。

 

「困った人だ。いつになったらわかってくれるのか……。僕は珪ですよ、灰砥伯父さんの代わりだって言ったでしょう?」

 

 しかし菫は恐怖に怯えながら地面に手をついた。

 

「灰砥様、申し訳ありません!気に障ったのなら謝ります。ですが、息子の葵はここまで来ましてよ」

 

 もう何処を見ているのかわからない瞳をして菫が言うと、珪はにっこり笑って言った。

 

「ええ、よくやりましたね。メシア様もお喜びになるでしょう」

 

「ああ、灰砥様……」

 

 その言葉に菫が恍惚の表情を見せると、珪は顔を顰めて短く呪文を発する。

 

「──熱波!」

 

「アアアァァァッ!」

 

 珪の呪文とともに、菫がまた悲鳴を上げる。炎など見えないのに菫の身体は焦げていった。電磁波で熱せられた肉塊のようだった。おぞましい匂いが場を埋めていく。

 

「僕は珪だと言っただろう。学習しない女だ。だから寄生虫は嫌なんだ」

 

「申し訳……申し訳ありません……」

 

 吐き捨てる珪の言葉に、菫は地面に伏してブルブルと震えながら謝り続けた。

 

「珪兄ちゃん!もうやめてくれ!酷すぎる!!」

 

 梢賢が叫んで懇願すると、珪は冷たく言い放った。

 

「梢賢、この女の末路はお前にも責がある。お前が甘やかすから図に乗ったんだ」

 

「それは──そうかもしれんけど……」

 

 二の句が告げない梢賢に変わって蕾生らいおも永も、鈴心すずねでさえも口々に抗議した。

 

「ふざけるな!梢賢はその人を正気に戻そうとしてた!」

 

「そうです、その為に僕らは呼ばれたんだ!」

 

「梢賢は一生懸命やりました!」

 

 三人の姿を憐れむように見てから、珪は溜息をつき静かに言う。

 

鵺人ぬえびとの方は黙っててくれませんか。いよいよ最後の詰めなのでね」

 

「え?」

 聞き返した永を無視して、珪は菫に向き直った。

 

「菫」

 

「──」

 

 弱々しく顔を上げる菫に向けて、珪は穏やかな笑みを与える。

 

「今までご苦労だったね」

 

「は──?」

 

「僕はね、お前のような人間が一番嫌いなんだ。働きもせず他人の力で生かされているくせに、自分は特別だから当然だと思い上がる。──虫唾が走るよ」

 

「あ、あの……?」

 

 何を言われているのか、もはや菫には理解できていなかった。それを満足げに眺めて珪はもう一度右手を挙げる。

 

「さあ、己の罪を清算するといい。せめて最期に息子の役に立つことでね」

 

 非情な呪文が紡がれた。

 

「我が視線はけだものを貫く。地に堕ちろ、冷たきかばね輝石きせき

 

「ヒアアァアァッ!葵……あおい、アオイ、アオ──」

 

 絹を裂くような悲鳴をあげて菫の身体は発光していく。最愛の息子の名を呼びながら、その存在は消えていった。

 

 地面には拳大の紫色の石が転がった。次いで犀芯の輪だけが地に落ちる。菫の姿はどこにもなかった。


「菫さん!?」

 

「──!!」

 

 梢賢の腕の中で、葵はその光景を見ていた。瞳が衝撃に揺れる。

 

「石化の術!?どうしてお前がそれを!?」

 

「呪力の低い僕にはできるはずがない、とお思いですか?お父さん?」

 

 動揺する墨砥に珪は笑いかけた。それは侮蔑の笑いだった。次いで瑠深も震えながら言う。

 

「でたらめよ。その術は遺体や遺骨を永久保存するための秘術。生者にかけるなんてできるはずない!」

 

「やれやれ。瑠深、伝統ばかり教わっていては進歩できないぞ。僕のように既存のものをアップグレードしていかないと時代に置いていかれる」

 

「そんな……それでも、兄さんの実力でできるとは──」

 

 その言葉に顔を顰めた後、ニヤリと笑って珪は得意げに説明を始めた。

 

「可愛い妹のために種明かしをしてあげよう。菫には何年も石化促進の術をかけていた。もうあの体は石になる寸前だったんだ。そういう状態にもっていけば、僕程度の呪力でも実行できるという訳だ」

 

「なんて……卑劣!」

 

 そこまで聞いた永はそう罵らずにはいられなかった。蕾生も怒りを堪えながら拳を強く握りしめる。

 

「お前は……何と言うことを……」

 

 墨砥は現実に打ちのめされて肩を落としていた。珪の策謀に愕然としている。

 

「珪兄ちゃん!菫さんはどうなったんだ!?戻してくれよ、早く!」

 

 おそらくあの紫色の石が菫だろうと思った梢賢が叫ぶと、珪は溜息をついていた。

 

「瑠深の話を聞いていなかったのか、梢賢。石化の術は遺体を保存するためのものだ」

 

「え……」

 

雨辺うべすみれは、死んだんだよ」

 

「──」

 

 その冷たい目には、地に落ちた石ころなどとうに映っていない。梢賢は言葉を失った。

 

「なんてこと……」

 

「そんな……鵺の、鵺の呪いは……こんなにも人を破滅させるのか──」

 

 鈴心も永も、あまりに残酷な結末に打ちひしがれた。その横で、蕾生は己から怒りの感情が湧き上がっていくのを感じていた。

 

「ウソだ……菫さんが死んだなんて、ウソだ……」

 

 首を振ってうわごとのように呟く梢賢に、珪は更に追い討ちをかける。

 

「嘘じゃない。菫は永久に石になったんだよ。お前のその楓石かえでいしのようにね」

 

「──!」

 梢賢は胸元に手を置いて衝撃に耐えるように肩を震わせていた。

 

「何ですって……」

 それを聞いていた鈴心も同じように震える。

 

「まさか、楓サンを石に変えたのは──」

 

 永は橙子とうこから聞いた話を思い出していた。

 確か楓は呪いに詳しい人の治療を受けたと言っていた。あの時も眞瀬木のことだろうとは思っていたが、こういう意味もあったのかと思い至る。

 

「おかあ、さん……?」

 

 おぼつかないままだった葵がとうとう口を開いた。梢賢の腕から逃れて地面に転がる紫色の石に近づく。

 

「葵くん!?だめだ!」

 

「お母さん……?」

 

 震える手でその石を取り瞳を揺らすその姿に、珪はまたニヤリと笑った。

 

「まずい!」

 永が危険を叫ぶ。

 

 鵺化の条件。

 対象者が身的あるいは精神的に大きなストレスを抱えた時──

 

「お母さん!お母さん!お母さんッ!!」


 鵺が顕現する。


 

 

「葵く──」

 梢賢の声は届かなかった。

 

 蕾生は自らの経験を元に、これから何が起こるのかを知っていた。白藍牙はくらんがを握ってその時に備える。


「葵くん!?」

 

 葵の身体が青く発光した。続いてどこからか黒雲が現れその身体を包んでいく。

 

「黒雲……!」

 

 永はまたも己の無力さを嘆いた。


 

 

「さあ、うつろ神の降臨だ」

 

 珪は邪悪な笑みを浮かべながら、その呪いを迎えるために両手を広げた。

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