2-9 楓石

 息が詰まりそうなほどの沈黙の中、救世主が現れた。

 

「まま、これオレのお気に入りのジュースやねん。わざわざお取り寄せしてるんよ」

 

 梢賢しょうけんは「高級!」と書かれたラベルの瓶ジュースを手に戻ってきた。後からグラスを運んできた優杞ゆうことともに愛想笑いを浮かべて全員に注いで回る。

 

「はあ。いただきます」

 

 はるかにしてもその笑顔が張り付いており、緊迫から微妙な雰囲気に格上げはしたがまだ居た堪れなかった。

 そこで、梢賢は大袈裟にグラスをぐいっと飲み干して笑う。

 

「んー!これこれ!やっぱりんごジュースはこれやないとあかんわあ!」

 

「梢賢、さっきから黙って聞いていれば、なんだそのお笑い芸人みたいな喋り方は」

 

「ピッ!」

 

 だが、父の柊達しゅうたつは更に不機嫌になって梢賢を睨みつける。

 

「馬鹿がますます馬鹿に見える。やめなさい」

 

「すいません!」

 

 母の橙子とうこからも辛辣な言葉が出て、梢賢は結局その場で縮こまった。アイデンティティとは何かを考えざるを得ない。

 

「まあいい。不肖の息子が色々と迷惑をかけたようですまなかった」

 

 柊達は肩で大きく息を吐いて形式上謝った。

 それに永達は恐縮しながら答える。

 

「あ、いえ!僕らこそ、また雨都うとの方にお会いできて本当に心強いです」

 

「毎度ご迷惑をおかけして申し訳ありません……」

 

 永の謝辞と鈴心すずねの侘言の後、ぼうっとしている蕾生らいおを柊達が軽く睨んだ。

 お前は何かないのかと言わんばかりだ。

 

「すいませんでした……」

 

 仕方なく蕾生も頭を下げたが、具体的な事は言えなかった。

 そうしてやっと橙子が口を開く。

 

「まあ、あらましは梢賢から聞いています。それに私が子どもの頃は叔母からも散々聞かされました」

 

かえでサンからですか?」

 

「ええ。母の目を盗んではいろいろとね。あの頃は御伽話のようで楽しく聞いていたものだけど、いざ息子が関わると思うとねえ……」

 

「……」

 

 当然の言い分に、永は二の句が出なかった。

 

「ご存知かもしれないが、楓の姉である私達の母は二年前に亡くなっている。母は妹が受けたぬえの呪いを最期まで憎んでいた。その想いは代を変えても私達の根幹にあると承知おかれよ」

 

「はい……」

 

 吊し上げの様ではあるが、永は甘んじてこれを受け入れる。その横で鈴心が控えめに申し出た。

 

「あの、ご迷惑でなければ、楓さんの墓前に参りたいのですが……」

 

「悪いが墓に行ってもらっても楓はいない」

 

「──え?」

 

 ひたすら不機嫌なままの柊達の言葉に鈴心が聞き返すと、橙子が息子を促した。

 

「梢賢」

 

「ああ……」

 

 短く返事をした後、梢賢は胸元から小さな石のついたペンダントを取り出した。それは翡翠のような色の石で、鈍く光っている。

 

「楓婆ならここや」

 

 梢賢のその言葉の意味を永も鈴心も理解できなかった。

 

「ええ?」

 

「どういうことです?」

 

 二人の様子に、橙子は眉を顰めながらも説明を始める。

 

「説明しなくてはわかりませんね。楓は鵺の呪いを受けて里に帰ってきましたが、徐々に体が弱っていき、遂には寝たきりになりました」

 

 予め梢賢から聞いてはいたものの、具体的に表現されて、永はショックを隠せず、鈴心は一瞬で青ざめた。

 

「里で、その……そういうことに詳しい方の治療を受けながら、細々と、それでも七年生きました。私は当時子どもだったので、叔母が亡くなったと聞かされたのは少し後のこと」

 

 そして橙子は静かに不可思議な事実を告げる。

 

「母に聞いた話をそのまま申し上げますが、叔母はある時その石に身を変えたそうです」

 

「──」

 予想もしていなかった事に、永は何も言うことができなかった。

 

「以降、その石を楓石かえでいしと呼んで、母が肌身離さず持っていました。それを私が結婚する時に受け継いで、今は梢賢に持たせています」

 

「拝んだってや、気持ちは届くかもしれん」

 

 梢賢はペンダントを首から外して鈴心に渡した。震える手でそれを受け取った鈴心は驚愕と衝撃で瞳を震わせる。

 

「そんな、楓……」

 

「なんてことだ──」

 

 二人の悲しみが居間全体に広がっていく様だった。沈黙の中、蕾生はその楓石に注目する。

 不思議な感覚がした。何か大切な感情がそこに吸い込まれていくようだった。

 

「申し訳ありませんでした。僕らは何も知りませんでした」

 永は土下座して謝罪する。

 

「楓さんのその後に気を配れずに申し訳ありません」

 梢賢にペンダントを返して鈴心も頭を下げた。瞳には少し涙が滲んでいる。

 

 蕾生も二人に倣って一礼した。

 すると幾分か態度を和らげて橙子は言った。

 

「いえ。貴方がたはとうに亡くなっていたんでしょう?叔母も後悔してましたよ、私だけ生き延びてしまったって」

 

「そんな!楓さんが生き残ったって聞いて僕らは救われたんです。こんな言い方は失礼かもしれませんが──」

 

「ありがとう。貴方がたも大変な運命を生きていらっしゃるのにね」

 

 微かに笑う橙子の顔が、どこかで見たような面影を思い出す。蕾生は恐縮しきりの永を他所に不思議な感覚に支配されていた。

 

「ンン、先程は憎んでいると申し上げたが、私達は母ほどそれに支配されている訳ではない。今の君達の見せてくれた態度でそんな感情も薄れた。むしろ私個人としては君達の境遇には同情している」

 

「ありがとうございます……」

 

 橙子が表した歩み寄りに倣って柊達も少し涙交じりになって理解を示す。それが永には有り難かった。

 

「過去を水に流す──ことはできないし、もう二度と楓のようなことはあってはならない。ましてや息子が同じ目にあうなど絶対に御免被る!」

 

「それはもちろんです!」

 

 柊達に向けて永は力強く頷いた。

 それに満足したのか、柊達も最後には声音を和らげて言った。

 

「そうならないためにも、私達ができることは協力して差し上げよう。蔵を開放するから気のすむまで調べたらいい」

 

「──ありがとうございます!」

 

 永は許しを得た喜びを表す。鈴心も勢いよく一礼し、蕾生も静かに頭を下げた。

 

「なんや、父ちゃん!良かったわー、それならそうと早く言ってくれんと!長々ともったいぶって!」

 

 全てを台無しにする梢賢の呑気な言葉を柊達は一喝するように睨む。

 

「ピッ!」

 

 肩を震わせた梢賢の頬を優杞が摘みながら凄んだ。

 

「お、ま、え、の、心配、を、していたんだろうが、馬鹿が!!」

 

「ひいいい、ふ、ふいまひぇん……」

 

 急なバイオレンスに三人が唖然としていると、優杞は我に返って誤魔化すように笑う。

 

「あら、いけない。オホホホ」

 

 雨都家はもしかしたら愉快な人達なのかもしれない、と三人は心の中で頷き合った。








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