第二章

2-1 前夜〜雨都の人々

 麓紫村ろくしむら鳴藤なるふじ地区。

 梢賢しょうけんが実家に着いたのは夕方に差し掛かる頃だった。


 大学通学のために実家を出ている梢賢は約三ヶ月ぶりの帰宅だった。だが感慨に耽っている暇もなく、梢賢は帰るなり姉の優杞ゆうこを探す。

 

「姉ちゃん!姉ちゃん!」

 

 玄関を通り居間を覗くと姉はテーブルを拭いていた。夕食の支度をしているようだった。

 

「あら、梢賢。おかしいね、上手く伝わってなかった?あんたも帰ってくるなって言ったんだけど」

 

 弟を見る姉の目は冷たい。だがそれに怯んでもいられない梢賢は笑って誤魔化した。

 

「ま、またまたあ。オレが帰らないでどう収拾つけんのよ」

 

「──それもそうだね」

 

 優杞は短く返事した後、右手を掲げた。

 するとその指先から白く光沢のある糸が出現し、それが何本も撚られてついにはロープの様になり、梢賢へと襲いかかった。


 次いで優杞はその拳にロープを一巻きさせると力任せに引っ張り上げる。瞬く間に梢賢は優杞の不思議な力によって縛り上げられた。

 

「ぐげえっ!姉ちゃん、ちょ、待って!」

 

「うるさい、黙れ」

 

 ちょうど肺のあたりをグルグルに巻かれた梢賢は一瞬呼吸ができなかった。同時に両腕も後ろに回されてしまったため、バランスを崩してその場にすっ転んだ。

 その体を非情にも足蹴にする姉に向けて、梢賢は泣きながら抗議する。

 

「帰ったばっかりの弟、いきなり縛るなんて普通する!?」

 

 だが泣き落としなどはこの姉には通じない。優杞は却って怒りを増して怒鳴った。

 

「悪いね、梢賢。こうしないとあんたに口添えしたうちの人の立場が悪くなるんだよ!」

 

「──てことは、まさか」

 

「そう。全部バレた。あんたが招待したお友達が実は鵺人ぬえびとだってことがね!」

 

 それを聞いて梢賢は体から血の気が引いた。

 どうしよう、とか思う間もなくドタドタと激しい足音が近づいてくる。

 

「しょうけええん!おんどれぇええ!!」

 

「ヒィッ、父ちゃん!」

 

 スキンヘッドの頭から湯気が出るような勢いで、父親の柊達しゅうたつがやってくる。元から強面のため、僧侶というよりもどこかの組の若頭のような風体である。

 柊達は夜のお勤め中でまだ袈裟を着ており、正装の僧侶がチンピラ息子を締め上げるという奇怪な光景だった。

 

「いい度胸だ、コラァ!よくも母さんを謀ってくれたなァア!」

 

「父ちゃん、勘弁!」

 

 梢賢が泣き叫ぶと、優杞は少し冷静になって父を諌める。

 

「ま、ま、お父さん。お腹立ちはもっともですが、愚弟はこの通り縛首寸前ですから落ち着いてください」

 

 しかし、柊達は怒りとともに恐怖に引き攣った顔で優杞にも食ってかかった。

 

「優杞!お前までグルだったそうだな、しかも楠俊なんしゅん君まで巻き込んで!どうすんの、どう説明すんの、康乃やすの様に!?」

 

 焦りと困惑に支配され取り乱す父に優杞は努めて冷静に跪いた。

 

「ま、ま。こうなっては仕方ありません。梢賢の首ひとつで収まるなら安いこと」

 

「ひどいっ!」

 

 梢賢がさらに叫ぶと、柊達はより焦って息子を庇う。

 

「梢賢を差し出せる訳ないでしょ!?うちの奇跡の息子だよ!?──仕方ない、優杞介錯しなさい。この父が腹を切る!」

 

 前時代的な発言に聞こえるが、ここではこれが現在でも常識である。優杞は静かに畳に手をつき、一礼した。

 

「さすがお父様、尊い御判断です。お供仕ります」

 

「うむ、では!」

 

「やめてええええ!」

 

 この姉と父は本当にやりかねないので、梢賢は絶叫した。だが、それをかき消す絶対的な声で三人は我に返る。

 

「いい加減にしなさい!」

 

「ピッ!」

 

 雨都うと家のラスボス、母の橙子とうこの鶴の声に、父と姉弟は甲高い悲鳴で姿勢を正した。

 

「まったく。親子揃って馬鹿馬鹿しい。くだらないコントなんてしてないで真面目に考えなさい」

 

「すみません橙子しゃん!」

 

 母の威厳に父は小さくなって謝った。組の若頭があっという間にスケ番の舎弟に格下げである。

 対して優杞は母の登場にしれっと正座して黙っていた。

 

「お母ちゃああん……」

 

 縛られたまま情けなく弱音を吐く梢賢に、橙子は厳しい視線を投げて叱った。

 

「泣くな、馬鹿息子。こんなことになるならお前が生まれた時に切り落としておけば良かった」

 

「ヒイイィ!」

 

 下半身が寒くなって梢賢は悲鳴を上げた。

 橙子はその醜態も無視して静かに言い放つ。

 

「とにかく来なさい。康乃様がお呼びです」

 

「お母さん、うちの人は?」

 

「楠俊はとっくに出頭しました。お前もすぐ来なさい」

 

「はい!立て、梢賢!」

 

 母の登場で冷静になった優杞はもう一度梢賢を縛る糸に力を込めた。締めつけられた梢賢は泣いたまま懇願する。

 

「これ、ほどいてよ!逃げないから!」

 

「いいえ、そのまま優杞が連行しなさい」

 

「そんなあああ……」

 

 雨都家では母の命令は絶対だ。優杞は梢賢をそのまま引きずって玄関に向かった。

 

「あなたもですよ、タッちゃん!」

 

「は、はい、橙子しゃん!」

 

 一足遅れた柊達をも叱咤して、橙子はバカ親子を連れて家を出た。








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