随道

 自宅のリビングで悠々自適な休日を堪能していた俺に、後藤がなんの前触れもなく「ドライブに行こう」と電話をかけてきた。後藤という男はそういう唐突な奴だから、例えそれが数年ぶりの連絡とは思えないような提案だったとしても、俺はたいして驚かなかった。驚かなかったが、待ち合わせ場所に現れた後藤が手ぶらで歩いてきたことには、少なからず意表をつかれた。

「ドライブしようってのは普通、言い出しっぺが車で迎えにくるんじゃないのか」

「だって俺、車持ってないし」

 言葉にするのも億劫なほど数多浮かんでくる文句をため息だけで示した。言っても甲斐がないと思った。こいつはそういう奴だから。

 自分への誕生日プレゼントとして手に入れた愛しい相棒、もとい中古の国産車で、俺たちはドライブに出た。カーステレオに俺のスマホを繋げて音楽を流せるように設定しつつ、助手席でくつろぐ後藤に「目的地は?」と尋ねると、後藤は腕を組んで少し考えたあと、俺を見て答えた。

「あそこがいいな、高校の卒業記念で行った、あの山」

 ああ、あそこか、と返して、赤信号で停止した時に、手早くカーナビを操作した。あの時はたしか、クラスの連中と電車で行ったから、同じ所を車で向かうのは不思議な感覚だった。

 後藤とは高校からの友人だが、それほど深い関わりがあったわけではなく、例えば他クラスの人間に「お前のクラス、誰がいたっけ」と訊かれた時に、俺も後藤も互いの名前を六人目くらいに「あとは」という枕詞と共に挙げるような、そんな間柄だった。だというのに俺たちの関係は、それぞれ別の大学に進学し、それなりの月日が過ぎた今でも、なんとなく続いている。

「いつぶりだっけ、会うの」

「ここ何年か会ってないと思う、たぶん」

「連絡もとってなかったしね」

「クラス会も減ったしなあ」

「あ、トンネル」

 トンネルの入口付近で、後藤が唐突に話題を変えた。オレンジ色の灯りが等間隔で過ぎていく。トンネルは比較的短いもので、すぐに通り抜けてしまったのだが、しばらく進むとまた別のトンネルに遭遇した。

「お、よかったな後藤。お前の大好きなトンネルだぞ」

「俺にそんな趣味はないよ」

 トンネルは先程と同じくらいの短さだったが、前を走る大型トラックとの距離を保つために気を張っていたせいか、やや長く感じた。後ろにいる白のワゴンが煽ってきやしないかと、バックミラーを軽く確認していたら、後藤が「そういえばさ」と話しかけてきた。

「子供の時、トンネルで願掛けってしなかった?」

「願掛け?」

「トンネルの中にいる間、ずっと息を止めていられたら、願いが叶うってやつ」

「いや、やったことない」

「まだトンネル通るかな」

「どうだろう、あるような気もするけど」

「じゃあ、次にトンネルを通る時はお互い願掛けしよう」

「運転してる奴に息止めろって、正気かよ」

「願い事、考えとけよな」

 そこからはしばらく、お互い何も話さなかった。俺は特に何かを考えていたわけじゃないけれど、後藤はもしかしたら本当に願い事を考えていたのかもしれない。

「あ、トンネル」

 今度は俺が呟いた。隣で後藤が「よっしゃ」と肩を回している。勝手に決められた約束を、実行する義務は俺にはないはずだが、隣で深く息を吸い込む後藤につられて、思わず俺も息を止めてしまった。

 静まり返った車内で、なぜか俺は高校の時のことを思い返していた。


 放課後、帰り道。学校の最寄り駅まで、珍しくふたりだけで歩いたことがあった。卒業する少し前のことで、後藤と二人きりで話したのは、それが初めてだった。そういえば後藤はその時も手ぶらだった。学生生活最後の定期試験を終えてしまった俺たちに、特に必要な持ち物はないとはいえ、財布も持たずに学校に来るのは後藤くらいだった。

「世界五分前仮説って知ってる?」

 初めて一緒に帰るというのに、そんなよくわからないことを、後藤が話していたような気がする。

「この世界の全てが五分前に作られたという仮説を否定することはできないっていう、まあ小難しい話なんだけど」

 その時、俺はなんと言ったんだっけ。

「大事なものが俺にとって本物だって胸を張って言えないのはさ、本当は俺は、何も大事にできていないのかなって」

 その時、俺はなにを考えていたんだっけ。

 思い出せるのは、見慣れた駅の薄汚れた看板だけ。


「あー、だめだった」

 気がつけばトンネルの出口を抜けていた。俺は慌てて深く息を吸い込んだ。

「もしかして成功した?」

「危うく死ぬところだった」

「大丈夫だよ」

 後藤は小さく笑いながらそう言って、俺は後藤に「なにが大丈夫なんだ」と言ってやりたかったのに、後藤がカーステレオに手を伸ばして音量を少し上げたから、なにも言えなかった。


「俺、本当は今日、死のうと思ってたんだよね」

 山の頂上付近まで繋がるケーブルカーに乗っている時、直前まで他愛もない雑談をしていたはずの後藤がそう言った。言葉を返せない俺の代わりに、前方ではしゃぐ子供の声が、俺たちの間に響いた。少し離れた座席から、ご両親らしき夫婦が子供を優しく見守っているのが見えた。

「でも、願掛け失敗しちゃったからさ」

 今、俺の隣で物騒なことを言う人間とあの家族連れが、同じ空間にいることがいたたまれなかった。俺をそんな気持ちにさせた張本人は、素知らぬ顔で「景色いいなあ」と呑気に呟いた。

 ケーブルカーから降りたあと、売店でソフトクリームを買って、街並みを見下ろせるベンチに並んで腰掛けた。

「ここから飛び降りでもするつもりだったのか」

「いや、飛び降りるなら普通はどっかの屋上からじゃない?」

「そこは「そんなことしたらお前に迷惑がかかっちゃうじゃん」とか言えよ、嘘でも」

「車を出してもらってる時点で迷惑はかけてるから」

「図太いにも程があるな」

 聞けば後藤は、そもそも一緒に来てもらうのは山のふもとまでで、適当に理由をつけて俺を帰したあと、一人で山に登ろうとしていたらしい。山頂近くの、舗装されたコースから外れた所で、遭難するなりイノシシやクマに襲われるなりして、などと企てていたそうだ。

「なかなか無理があるな」

「計画的犯行だよ」

「でも実行しないんだろ」

「だって今死んだら一番に疑われるのはお前だよ。自殺だな、って断定した警察に探偵が「でも刑事さん、これから自殺する人間がソフトクリームなんて食べるでしょうか」って言うんだ」

「その時は「後藤はそういう奴でした」って言ってやるよ」

 ソフトクリームがわずかに溶け始めて、しばらくは互いに黙って食べ進めた。俺よりいくらか先に食べ終わった後藤が「さっきの願掛け」と話し始めた。

「失敗したの、お前のせいなんだよ」

 俺はやっと最後のひと口を飲み込んだ。後藤は依然として街を眺めている。

「高校の時に、世界五分前仮説のこと話したじゃん。あの時のお前の言葉、思い出しちゃって」

「え、俺なんて言ってた?」

「てことは俺が世界史で赤点とったのも作られた記憶ってことかよ、ラッキー」

 言い終わるや否や、後藤は弾けたように笑い出した。その笑顔が、あの時の後藤の笑顔と重なった。


 山を下って、駐車場までの道のりで後藤が「お前の願い事は?」と訊いてきたから、俺はポケットから車の鍵を取り出して、後藤の手にそれを押し付けながら、答えた。

「帰りは助手席に座れますように」

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