第35話

 少女の予言どおり、すぐに会うことになる…というわけではなかった。


 2日目、3日目までは気にかけていたが1週間も経てばだんだん意識から薄れていく。


 本当に吞み過ぎただけの悪い夢だったんじゃないかと。


 ララがどこかおかしくなったのは気のせいだと、そう思い込んだ。


 嫌な予感がしてから1か月ほど経った頃。


 攻略で言えば13階に手を伸ばしかけたこ頃、もう一度彼女は俺の前に姿を現した。


 夜の果て、ニーナと別れ一人道を帰る俺の前に。




「やあ、先生。」


「ひさしぶ…り。」


 絶句した。


 いつもの戦闘用の司祭服を改造した装備ではなく、言うならば


 教え子だった時から見た目に人一倍気を使っていた彼女とは思えぬ凄惨さを身に纏っているような装い。


 挨拶一つ交わし終える前にララが壊れていることを理解するには十分だった。


「どうしたのさ、先生。そんなに呆けた顔しちゃってさ。」


「あ、ああ。」


 あまりにも変貌し過ぎたその姿に動揺を容易く悟られている。


 この前の自分の選択肢を選び間違えたツケがこんな形で現れるとは想像していなかった。


 ここまでとは想像できなかった。


「ようやく掴んだんだ。もうすぐで、もうすぐで先生の所に行けるから。」


「…いつだって俺はここに居るよ。だから」


「うふふ、うふふふふふ。」


 正気を失った人間に言葉などお飾りでしかない。


 意思疎通の手段ではなく、意思を押し通す凶器。


 彼女は俺と喋っているのではなくただ経過を報告し、押し付けているだけに過ぎない。


「でも今じゃない、もっと。あのクソ女ニーナにとって最悪で…悪辣で、素敵な時に奪うんだ。これ以上ないくらいのタイミングがいい…その時が来たら正々堂々略奪してあげる、取り戻してあげるからさ。先生。」


 今はただそれだけ。


 そう言い放って夜の闇に消えてゆく。


 どこへ向かっているのかもわからぬまま俺は呆然とその姿を見送る事しかできなかった。


 何処へも行けないその姿でいったい行きつく果ては何処なのか。


 答えが分かったのは半年後だった。


 ◆◇◆


「ししょー、ねえししょーってば!話聞いてるっすか?」


「あ、ああ悪い。ちょっとぼんやりしてた。」


 ダンジョンの13階中央にて、今日も今日とて配信を繰り返す毎日。


 ニーナの作ったサンドイッチを頬張りながらふとララの事を思い返してきた。


「なあ、お前は覚えてるか?ララの事。」


「んー?ああ、確かししょーの元生徒の。覚えてるっすけど…なんかあったんすか?」


 口をもぐもぐさせながら答える彼女はハムスターの様だ。


「別に何があったってわけじゃないんだがな。最近会ってねえから…ちょっとな。」


 嘘。


 何があったわけでもないだなんて思ってもないことを口にして、ニーナに尋ねたのは保身に過ぎない。


 あの惨状を既に知っているのか?


 或いはその原因が俺であることも知っているのではないか?と。


 杞憂に終わった心配だったが。


「ふーん?まあでも訃報は聞かないっすから前線で頑張ってるんじゃないっすか?簡単にくたばりそうな人でも無かったし。」


「そう…だよな。」


 くたばっちゃいない、ただ…より悪い方向へと足を踏み外しただけ。


 ニーナのように堕ちてしまっているだけ。


 俺のせいで。


「ほら!そんなことよりも探索っすよ探索!鍛冶で作ってもらいたてのこの子の切れ味を魅せてやらないと!」


「おかげで探索もスムーズだしな。」


「そのとーり!15階のボスちゃんまで駆け足で行っちゃうっすから!」


 持ち前の明るさに救われるのは初めてじゃないがこうした時、ニーナがいてよかったとそう思わせられる。


 スマホを持って立ち上がり、また一歩を歩き始める。


 果てなき雪原の大地に足跡を残して。


 一歩一歩着実に。足を踏み外さないように。


 ◆◇◆


 、俺たちは15階の終着点に行きついた。


 極寒と大雪の到達点、であるそこにはやはりというべきかお馴染みの大扉。


「皆ー!いよいよ15階のボスとご対面っすよ!まあ、この子もちょっとだけ情報は出まわっちゃってるっすけど…でも今回は情報収集まで自分でやるんで!」


 画面の前の視聴者に向かってそう告げるニーナ、今回はいつぞやのカマキリのように情報収集まで行うため、撤退戦を考慮している。


「皆で一緒に攻略考えていこーね!」


 そういう企画…というより攻略だ。


 実際この階まで配信をしている冒険者は少なく15階の主、の情報は少ないためこうした攻略は理に適っていると言える。


「んじゃ、扉開けるっすよ。死なない程度にやっていこー!」


 陽気な声と共に開かれた視界の先には驚愕が潜んでいた。




 大広間の中心に鮮烈な血。


 大地を染め上げたそれと折れた2本の牙。


 見るも無残な亡骸と、たった一人の狂犯者。



 久し振り、半年ぶりかな。先生。




 目を逸らし続けたララ・シュミットと俺は見つめ合うことになった。




 いつもの改造司祭服でも、襤褸切れでもない新たな姿。


 毒々しいほどの紫を基調とした煽情的な儀式の礼服。


 気品と気高さを重視していた彼女からは想像できない光景。


 猛獣の血で彩られたその姿はまさしく狂人と言う他なかった。


「えーっと…先客がいたっぽい?すかね。」


「久しぶりだね、ニーナ。私の事は覚えてるかな。」


「…ララ、だったっすよね。元ししょーの弟子。」


「元?ハッ!コレだからガキは嫌い。今だって私は貴方の言うししょーの生徒で…先生は私の物。」


「こんなとこまで来て痴話喧嘩しに来たんすか?」


。その通り。」


 どちゃ。と鈍い音がしてララの拳が息絶えた獣から引き抜かれる。


 大量に流れ出る血を気にも留めずこちらに向かって歩いてくるのを制止する。


「なあララ、もう止めよう。こんなことをしたって」


「先生は黙っててよ。私が用があるのはそこの小娘一人だけだから。」


「…やる気っすか。冒険者同士の抗争は規約で禁止されてるはずっすよ。」


「そんなの関係ないね。それともニーナ、君は法を守って大事な人を失うとでもいうのかな?」


「それこそっす。大事なものは何としても手に入れる。そうでしょ?私に奪われたララ・シュミット。」


 もう止まらない、互いが互いを敵と認識した今止める手段などありはしない。


 最低な戦いが幕を開けた。


 人は醜く、愚かだが俺以上の愚劣は存在しないだろう。




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