第29話

 7階にて、少年は叫んでいた。


「誰か!誰か!!」


 ズルズルと引きずられていく自分の肉体が悲鳴を上げるが関係ない、口を動かせ。死ぬには早い。諦めるには未練が多い。


「だれ…ガハッ!」


 僕を引きずる獣がエサに対して怒りを露にする。


 エサが喋るな、と。


 地面に叩きつけられた衝撃で肺の空気が全て絞り出たかのような錯覚に陥る。


 ずるずる、引きずられていく。


「だ…れか。」


 ああ、いやだ。死にたくない。


 繁殖期のブラックファングの噂は聞いたことがある。


 大抵はエサなどその場で食いつくすが繁殖期は幼体を育てるために巣に持ち帰るのだと。


 巣に着いた時が僕の終わり。


「あ…か。」


 声が出ない。絞りださないといけないのに。絶望だけがゆっくりと僕の心に侵食してくる。


 目の前が暗くなる、いやだ、いやだ。いたいのはいやだ。


 今日の朝にご飯食べ過ぎたのがいけなかったかな、


 昨日の夜にちょっと夜更かししたのがいけなかったかな。


 僕、なにかわるいことしたっけかな。


 段々引きずられる速度が遅くなってくる。


 それはつまり、僕の人生の終わりが近いってことだ。


 暗い木々の中、おそらくこの引きずっている魔物の子らなのだろう幼体が3体ほど見える。


 アレに食べられるんだろうか。


 牙が僕に食い込んで、肉体を引き裂くのだろう。


 嫌な想像だけが膨らんで、そしてそれが現実になるのもあと少し。


 せめて意識を失っていられれば良かったのに、死の恐怖をギリギリまで体感するのは神が僕にもたらした悪意だ。


 どさり、エサである僕の体が地面に落ちる。


 さあ召し上がれとでも言わんばかりに。


 群がる3匹の幼子に囲まれながら食事の時間が始まる…かと思ったんだけど。




 ザク、ザク、ザク、と空から降りそそいだ短剣の雨。


「よーし、ここが巣で間違いないっすよね?ん?」


 次いで降りてきたのは僕と同じぐらいの年の女の子。


 空から女の子が降ってくるのは良くある話だけど、実際にその目で見たなら恋に落ちるのも仕方がないなってそう思った。


 ◆◇◆


「んだからあ!何度も言ってるじゃないっすか!ウチのパーティは私とししょーで満員なんすよ!他の誰も入る余地のないほど完璧で最強な二人ってわけ!」


「そこをなんとかお願いしますよ!貴女は僕の命の恩人なんです!」


「だーかーら!それは偶々クエストで助けただけで…」


 3日ほど、こうして少年と少女の言い合いを眺めている。


 朝と夜、ダンジョン往復の行きと帰りに出待ちしてはこうして何度もパーティ加入をせがんでいるわけだ。


 既に9階に到達した俺たちはギルドからクエストとして7階でブラックファングの巣を潰しまわっていた時、丁度助けてのが彼である。


 淡々と殺しを行う配信にマンネリ化が見られたときに現れた彼は丁度いいスパイスと言えたが…。


「ニーナさんに仕え、恩を返すことこそが僕の生きる意味なんです!」


「それもう50回は聞いたよ!」


 見ての通りの付きまとい、ストーカー行為と言えば悪質にも思えるが純然たる善意100%であることが余計に面倒くささを増している。


「大体、パーティに入りたいって言うっすけどアンタは何ができるんすか?正直これ以上適当に仲間増やしても動きにくくなりそうなんすけど。」


「一応前のパーティでは回復術師を担当していました。」


「へえ、丁度いいじゃん、回復をポーションに頼らなくて済むぞ。」


「そもそもあんまり怪我しないじゃないっすか私達。躱すが基本のウチらが攻撃喰らってたら話にならないっすよ。」


 とはいうが全く攻撃を食らわないという事もない。ボスクラスの魔物ならば当然、雑魚であっても時にはかすり傷を負うのは日常だ。


「いやでもっすねししょー。この人が強いのかどうかも、なんなら今の9階に着いて来れるかも怪しいじゃないっすか。ブラックファングに殺されかけてたくらいだし。」


「努力します!足が擦り切れようともニーナさんに付いて行きますから!」


「そのまま全身擦り切れて無くなればいいのに。」


「なんてこと言うんですか!」


 もうずっとこの調子だ。


 俺は別にパーティに仲間が増えることに嫌悪感も何も無いがどうにもニーナが嫌がる。


 彼があんまりしつこく加入をせがむといつぞやのみたいに消されかねないかもしれないが。


「まあ、そういうこった少年よ。このアホは中々首を縦には降らないんだよ。もっとこうアプローチを変えてくれ。」


「アプローチ…まあいいです。今日の所はコレで勘弁してあげます。」


 どの立場でものを言ってるんだろうかこの少年は。


「明日来たらボコるっすからね!マジでボコるから!」


「明日が楽しみになってきましたよニーナさん。」


「マジでキモイじゃん。」


 もういっそ狂信者のような思考に取り憑かれている彼はこちらに向かって手を振りながら退散してゆく。


「ねえししょーどうしましょう。アレ仲間に加えたくないんすけど。」


「ああいう手合いはな、一度許容してから突き放す方がいいんだよ。やっぱり実力不足だからってな具合でな。」


 端から断わり続けても悪効果だ、むしろ一度仲間に入れてそれから役に立たないことを自覚してもらえばそれでいいだろう。


「私はししょーとの攻略珍道中に余計なものを入れたくないんすよ!それがたとえ一瞬だけでもっす。」


 拘りのようなものだろうか、あと俺との攻略を珍道中とか行ったかコイツ。


 拘りは悪い事じゃないが…これもまた彼女の偏執の、執着の一つなのだろう。


 彼もまた、犠牲者になりかねない事を思えば迂闊なことは言えない。


 まだニーナのラインを踏み越えていないだけで越えたらあとは一瞬だ。


 もう邪魔者だとそう認識する前に彼が諦めてくれればいいのだが。


 ◆◇◆


 翌朝、彼はまたダンジョンの入り口の前に立っていた。


「おはようございます!ニーナさん。」


「うえ…めんど…。」


「今日はですね!ちょっと趣向を変えることにしたんです!」


「なに?趣向を変えて私の前から消えてくれるの?」


 もう限界ギリギリだなコイツ。場合によっては俺がなんとか遠ざけないと彼女の罪が増えることになる。


 最も愚かな殺人の咎を2重に背負うことになりかねない。


「実はですね!カメラマンやろうかと思うんです。」


「ん?」


「ここ数日ニーナさんの配信アーカイブを徹夜で見漁ってたんですけど…11階からカメラマンをどうしようって言ってたじゃないですか。」


 そういえば前にそんな話をしたっけな。あの時は何とかなるだろうと問題を先送りにしたが。


 そろそろ10階に到達しかねない今、再度直面する話だ。


「ししょーさんも11階からは戦うんですよね?だったらカメラマンがいるはずなんです!」


「うわあ…そう来たかあ…めんどいっすねえ。」


 配信自体はニーナも力を入れたい所。まさかまた何が起こっているかもわからない戦闘風景など見せるわけにもいかない。


 ソロで金級やってる奴らみたいに高級機材を湯水のように使うのも今の資金じゃ不可能だろう。


「むぐぐ…よし、わかったっす。とりあえず私たちが11階に行くまではついてこないこと。11階に着いたら…カメラマンとして雇ってやるんでそれで我慢してよ、それが私の許容量リミット。」


 天真で爛漫な口調がやや崩れる所からも見え隠れするストレスギリギリのライン。


 妥協点は見つかったようだった。

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