第21話

「書類は用意できたかよ、ジン。」


「今大事なのはそんな話じゃねえだろう。」


だろ、ちがうか?」


 俺とニーナとの今後に関わる話だ。俺に失望したであろう彼女がキリよくリスタートするための話だ。


「なあ、もういいだろグレイ。お前は何に囚われてる。隠居したい?見え透いた嘘を吐きやがって、野心と愚直を体現した馬鹿だってのは姉さんからよく聞かされたんだうんざりするほどな。」


 それだって過去の話だ、俺は…あの日から…。


「何もかもが言い訳だろうが、お前はただ逃げてるだけなんだよ。姉さんは死んだんだ。それから目を背けて何になる?俺がこの制度を作らなかったらお前は本当に一度もダンジョンに潜ろうとさえしなかったんじゃないのか?」


 ジンの言う通りだ、コイツが新人と指導者の制度を作らなければ俺は今頃…何をやってたんだろうな。


 何もやってないか。


「怖いんだよ、ジン。ダンジョンを歩くのが。」


 あの日から何度かダンジョンに入ったこともあるんだよ、でもさ。


「あれから…何年経った?ダンジョンだって構造も変わるし、魔物だって変化する。最近のカマキリだってそうさ、世界は移り変わるんだ。」


 恐ろしいほど、世界のスピードは速かった。俺と彼女との思い出を遠く置き去りにするかのように。


「なあ、アイツとの日々が薄れそうな気がするんだよ、いつか駆けずり回った14階が、血反吐ぶちまけた20階が、…違うんだよ。あの時の姿じゃないんだ。俺とアイツとの思い出全てが無かったことになってるみたいで。」


 そう思ったら足が竦んだ、あの思い出を大切にしたくて、惨めに縋り続けているんだよ。


「だから俺は、10階以上に行けないんだよ。そこまでが限界だ、彼女とのかかわりのない、そこまでが俺の生存圏セーフティだ。」


 ジンには感謝してる、本当にな。


「グレイ…。」


 もうかける言葉も見つからないだろうさ。





「なんで…なんですぐに諦めたんすか。」




 諦めの悪い声が響く。


「ししょー、すぐにあきらめるなって、そう言われたんでしょ?」


「何を諦めるんだ?俺にはもう何もないよ、ただゆっくりと摩耗してゆくだけの思い出に縋るだけの人生だ、ただそれだけの…。」


「だから、そのセシリアって人が、何をしたのかも分かってないじゃないっすか。」


 セシリアがどうやってあの状況から俺を救ったのか、そして彼女は何処に消えたのか。


 未だに何も分かってはいない。


「時間が経ち過ぎたんだよ、もう遅いんだ。」


「時間が経った?だからなんだっていうんすか?そんな言い訳で、ししょーのししょーが諦めるって、そう言えるんすか?」


 頼むから辞めてくれよ、そんなの俺が一番よくわかってるんだ。


「そんなことは…、そんなことはわかってんだよ!セシリアに諦めるなんて文字はねえ、好奇心に殺されることを望み続けるようなバカだったよ!!」


 だから…だから嫌なんだよ、夢を見たくなるようなことを言わないでくれ。


「ねえ、ししょー。私にも見せてください、いつかししょーが魅せてもらったように、私にも…人の輝きを。ニンゲン諦めたものじゃないって、人生捨てた物じゃないって。」


 ふざけやがって、どいつもこいつも好き勝手言いやがる。


「俺は…俺は…」


 もう迷いはねえ。


「諦めたくねえよ!もう遅くたって、今更だって!関係ねえんだ、そんなことが諦める理由になんかならねえんだ。俺は俺の人生を諦めたくねえ!!」


 嗚咽交じりの声が3人だけの室内に響く。


 諦めたくないって、そんな簡単な言葉を言うだけに何年もかけちまった。


「ジン、俺はもうはやれねえ。俺はただ一人の、何の変哲もない冒険者だ。」


 道を決める。迷わないように。


「ようやくだな、グレイ。」


 契約を変更しよう。ニーナとの、契約を。新人と指導者ではなく、同じパーティの冒険者として。


 夢を追いかける者として。


 諦めない人として。


 ◆◇◆


 夜遅く、今日は久しぶりに酒も飲まずに一人で歩いていた。


 テレポートストーンなんていう時代と共に生まれた便利なソレをもって。


 これがあの時あればなんて言うつもりはもうない。


 そんなこと言ったって過去は変わらないし、足は未来に進まない。


 ぐらり、いつまでも慣れない感覚に連れ去られたのは10階。


 、見慣れた其処に足を踏み入れる。


 あの時と構造だってほとんど違う。魔物だって、何もかもがだ。


 ゆっくり、一歩一歩。噛みしめる様に。


 過去と今との見切りをつける。


 少しだけ、歩き疲れてきたころに抜け穴のように存在する横道を見つける。


 誰かみたいに好奇心の惹かれるままに進んでいくとそこに、


「…暖かかったよな、あの時の火は。」


 誰かが休んだのであろう焚火の跡が、そこにはあった。


 昔のソレとは何もかもが違うけれど、けれど誰かがやっぱり使ったのだ。


「偶然にしては出来過ぎだよな。」


 もう一度、縋ったっていいのかもしれない。


 いまは誰もいない、明日生まれ変わる自分を慰めることだって許されるかもしれない。


 それでも、


「…必要ねえか。」


 もうその暖かさは十分だ。


 つい最近まで新人だったバカ娘にもらったのだ、熱を、暖かな人の希望を。


 俺は振り返らないようにその場を後にした。セシリアとの決別も込めて。


 ◆◇◆


「おっはよーございまーす!」


「ああ、おはよう。」


 いつもの飯屋、いつもの挨拶。


 変わらないようで、変わった関係。


「…そういえばよ。」


 舌に馴染んだトゲアサリの味噌汁を啜りながら、ふと気になったことを聞いてみる。


「いっつもよ、俺の事ししょーって呼んでたけどよ。もう師匠じゃねえわけだろ?どうするんだ。呼び方。」


「…?ししょーはししょーでしょ。何言ってるんですか?」


「お前に聞いた俺が馬鹿だったよ。」


 昨日はあれだけ…いやこの方がニーナらしいというべきか。


「まあいい、それと…ほら、餞別だ。新人卒業ってことでな。」


 ニーナに新品のテレポートストーンを渡す。


「なんすかこの石。」


「石って…じきにコレに頼らずにはいられない体になるんだよ。つーか前に一回使ったろ。」


 時代の進歩の結晶に対してとんでもない表現をしたもんだ。


「ほえ~なんかすごそうっすね。」


「なんかすげーんだよ、その石。」


 穏やかで、新鮮味の無いような、今までの1年間と変わらない朝。


 そんな朝を今日も迎えられたことが、どれほど難しかったのだろう。


 会計を終えて、店を出る。


「今日はどうするんだ?ニーナ。」


「そんなの決まってるっすよ!」


 6階、迷う必要あるっすか?


 長年踏み出せなかった一歩を踏み出す。


 熱を持って、希望を持って。


 俺は今日を歩き始めた。





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