第19話

「ハッ…ハッ、あぁくそ。ガハッ…。」


 喉の奥から引き裂いて出てくるかのような勢いで血があふれてくる。


「死ねねぇ…死んでたまるか…。」


 ダンジョンの5階、その一角にて。俺は血反吐をぶちまけていた。


 腹の臓器が悲鳴を上げている。骨は何本逝っただろう。回復魔法の使えぬこの身には治療費だって馬鹿にならないってのに。


 鼻息が聞こえる、巨体からなる大きな音が。


 嘶きが聞こえる、俺を逃した怒りの声が。


「はあっ…、4階…どっちだ…?」


 人呼んでスレイプニルと呼ばれる魔物から命からがら逃げてきたのは良いものの、方向感覚も見失い、ただただ走り回っては身を隠すだけの今。


 4階に降りられれば、アイツだって降りてはきまい。


 なんとか階段を探すのだ。見知った場所に戻れればそこから階段まで一直線に駆け抜けられる。


 どこか、見覚えのある場所に。


 そう願う俺の祈りと裏腹に、現実は残酷だった。


「グオオオ…!」


 視線が交錯する、得物を見つけた歓喜と、死を目の前にした絶望が。


 あのぶちかましを食らってからまともに走ることもできやしないってのに。


「こんな…!こんなとこで!」


 金が要る、金が。ただ其の思いで生きてきたのに。少しの高望みが俺の全てを破滅に誘った。


 ダンダンと、駑馬が足を踏み鳴らす。散々逃げ回った愚か者を痛めつける合図とでも言わんばかりに。


 助走をつけて、足を慣らして、一息に踏み抜けば俺の肉体はぐちゃぐちゃだ。


 一歩一歩。死が近づいてくる。


 速度が増して…威力が増して…


 眼を閉じる、どうか痛みなく終われるように。


 ただそれだけが今の俺の望みだった。


 痛みはない。


 瞳を、重い瞼をゆっくりと開ける。


 目の前に広がったのは一面の赤。


 成程あの世ってのはこんな風景をしているのかと、そう納得したがどうやら違うらしかった。


「なあ、今の私はどれだけカッコイイかな?少年。」


 駑馬の赤を、その返り血を一身に浴びた女が其処に立っていた。


「自分で言ったらダサいんじゃねえの…。」


 絞りだした返事とともに、俺の意識も遠く離れていった。


 ◆◇◆


 もう一度、目を開けたときには場所が移っていた。パチパチと燃える焚火を見るにダンジョンの中にいるって事は分かったが。


「おや、死んでなかったか。ああ、めんどくさ。死んでくれた方が幾分面倒が無かったんだがな。」


「アンタは…。」


 日の落ちた夜の闇の中で焚火が照らす黒髪の彼女は中々綺麗だと、単純な脳味噌でそう思った。


「私?よく聞いたな、私はセシリア・キサラギ。お前の命の恩人だ。感謝しろよ、そして咽び泣いて私に頭を垂れていい。何もかもを許してやるよ。」


 傲慢で尊大、俺より幾分年上でありながら自己紹介の一つもできない彼女との出会いはこんな感じだった。


「…何が欲しい。」


「あん?何言ってんだ?オマエ。」


「生憎今俺にはアンタに差し出せるものがねえ、金は持ってるどころか借金に塗れてるし、碌な物も、武装も持ってねえ。アンタにやれるものがねえ。」


 何もかもが無い、だからこそ何かを得るために俺はここに来たのに与えれらる物があるわけもない。


「おい、まさかこの私が何かオマエから貰えることを期待して助けたのだと、そう言いてえのか?」


 彼女の纏う雰囲気が変わる、己の矜持を貶められたとでも言わんばかりに。


「…腐った眼だな、善意に対して裏があるのだと、人を信用していない眼だ。気に喰わねえ。人の善性を、人間というそのものに失望してるんだとでも言いてえのか?ふざけやがって。」


 彼女の怒りはエスカレートする。火に油が注がれるように、熱量が爆発的に増してゆく。


「てめえにどんな背景バックボーンがあるのか知らねえがな、ニンゲンを諦めるには早いんだよ、人生を見限るには早いんだよ。…気が変わった。本当は此処に置いて行こうと思ったがな、ついて来い。ヒトの輝きを魅せてやる。」


 人生捨てた物じゃねえって、そう思わせてやるよ。


 俺に向き合う彼女の姿は悔しいけれどもカッコ良かった。


「んで…ここは一体どこなんだセシリアさんよ。」


「あ?ここは10階、あたしの隠れ家だよ。あとを付けるんじゃねえ、つーか敬語を使うな。私は敬語ってものがダイキライなんだ。」


「…10階?10階!?なんでそんなところにいるんだよ!」


 俺の頭がイカレて無けりゃ5階にいたはずだ。それがなんで10階にワープする?普通誰かを助けたんなら街に戻るんじゃねえのかよ。


 なんで逆に昇って行ってるんだ。


「別に何処にいたっていいだろうが、私がここに居ることにお前の許可がいるのかよ。」


「いや…まあいいや、んで?どうするんだ、言っとくけど俺は別に戦えねえぞ。」


 5階の魔物ぐらいでギリギリなんだ、ましてスレイプニルにはボコられた。そんなやつが10階で何ができる。


「はあ…なんですぐそうやって諦める、限界に挑戦しろよ根拠なく自信を持て。5階で偶々負けたからって10階で偶々勝てねえとも限らねえだろうが。」


「アンタの頭はどうなってんだ。イカレてるのか?」


「お、ようやくなってきたな。そーそー、私に対して変な壁を作るな、恩人と思うな、負い目を持つな。人と人は対等なんだよ。」


 どうにも我が強いというか思想が強いというべきか、兎にも角にも彼女は俺が出会ってきた人間とはかなりズレていた。


「よし、いくか。」


 焚火の灯を消し夜の闇が当た辺りを包む中、すっくと立ちあがっては準備を始める彼女。


「おい、なにやってる。お前も来るんだよ。」


「行くって、何処に行くんだ?視界も悪いしよ。」


「何って魔物狩りだよ、お前をちょろっと鍛えてやろうと思ってな。」


 きょとんと、まるで俺が間違っているとでも言わんばかりの表情を浮かべるセシリアとの師弟関係が始まりを告げた。


 ◆◇◆


「ほーら!頑張れ頑張れ!死ぬにはまだ早いぞー!」


「黙ってろやクソが!!」


 あれから1か月、俺は10階の雑魚ぐらいにならなんとかやっていけるぐらいになっていた。別にセシリアの教え方がウマいわけでも俺が天才なわけでもない。


 ただ死ぬ寸前まで戦って、死にかけたらアンブロシアを主としたポーションで肉体を強引に引き戻す。


 未来の健康な肉体を犠牲にした狂気的な程の戦闘量。最初の頃なんてマジで死にかけてたからな、こんなもん特訓とも指導とも呼べやしねえ。


 強くなるってのを短期間で終えるには代償を払う必要があったってだけだ。


 ブラッドアニマルの腹を切り裂きながらセシリアに悪態をつき続ける。


「うし、そろそろ私の足を引っ張るぐらいの力は身に付いたか?」


「うっせえ!だったら前の俺は何だってんだ!?」


「論外。」


「よーし今すぐ殺してやるから待ってろよ。」


「出来もしねえことを粋がるな少年。」


 ただただ煽り合っては罵倒し合うようなクソみたいな師弟関係が構築されていた。


「ただまあ、お前が強くなったのは間違いない、遺憾ながらな。」


「遺憾ながらってなんだ、遺憾ながらって。」


「いや思いの他強くなっちまったからよ、ホントは才能ねえっつってポイ捨てしてやろうと思ってたんだが…ちょうどいいや、私の仲間になれよ、オマエ。」


 そういいながら彼女は俺に向かって手を差し出す。珍しく茶化したりしていないまっすぐな視線。


「…喜んで。」


 これまでの1か月は楽しかった。遺憾ながら、な。


 断る理由もない、階層が高いが故に魔物からとれる素材で金にも困らなくなった。


 俺の人生はもう既に失った色を取り戻した後なのだ、これから先にするべきことなど決まっている。


 そして俺たちは11階の攻略を始めた。


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