第83話 追い詰められたチェスラ姫

 周囲は騒然とする。

 それもそのはず、国王が毒を飲んで倒れたのだ。


「早く! 早く解毒薬を持って来るのだぁあああ!! 回復術師も呼べぇええええええッ!!」


 叫び狂うヒダリオ。

 その左手は彼の耳元に移動した。


『ヒダリオさん安心してください! あちきの出番でありんすよ! これくらいの毒ならば簡単に治癒してみせるでありんす!!』


 彼は開いている左手を閉じた。

 サハンドリィーネはまるで口を塞がれたかのようにもがく。


『んーー! んーー!!』


「黙っていろ。人間の問題に女神がしゃしゃり出てくるんじゃない」


 医療班が国王に解毒薬を飲ませる。

 それを見て、ヒダリオは笑った。


(ククク。バカが。その解毒薬は毒薬にすり替えているのさ。飲ませれば飲ませるほどに症状は悪化する)

「早くしろぉおおお! 回復術師はまだかぁあああああああああああ!?」


 急いで駆けつけようとした回復術師だったが、その足はこの部屋の手前で止まっていた。

 いや、正確にいうとスローになっていると言った方がいいかもしれない。

 部屋の扉、わずか5メートル手前。そこまで来て体がゆっくり動いてしまうのである。


「か、体が……。お、重い……。う、動きが……」


  水分操作遅延アクアスロー

 ヒダリオが使う女神スキルである。

 空気中の水分をドロドロのスライムのようにして、相手の移動速度を奪う。

 回復術師がスキルや魔法効果を疑おうとした時、ようやく動きは元に戻った。

 さきほどの現象に合点がいかないながらも、国王の元に着いた頃には、王の心臓は止まっていた。


 国王は死んだのである。


 王都に戦慄が走った。

 まさかの国王毒殺事件。

 しかし、公に公表されることはなく。

 王都の混乱を避けるために、急病による急死ということになった。


 犯人は未だ不明。

 なんとも不気味な事件である。

 裏切り者がいるかもしれないという、不穏な空気が城内に流れる。


 犯人が特定されないまま国王の葬儀が行われた。


 数日後。

 犯人がヒダリオによって特定される。


 鑑定士ジョン・パックマン。


 彼の裏切りによって、国王は毒殺されたということらしい。

 ジョン・パックマンは斬首の刑となる。


「ミーは知りません! 無実です!! ハメられたんでぇえええええす!!」


 その訴えは虚しく。


ザクン……!!


 彼の首が地面に転がった。

 公には公表されていないが、王城では事件解決となる。

 もちろん、犯人を探し当てたヒダリオの功績はひっそりと讃えられた。


 国王の娘チェスラは号泣する。

 大好きだった父の死。その悲しみは想像にかたくない。

 

 彼女の母オセロンは戸惑っていた。心根の優しい母親はオロオロとするだけである。

 犯人が極刑になったとしても、国政を執り行うのは自分なのである。


「どうすればいいってばぁあ。ねぇ、チェスラァアアア!?」


 母は娘にすがりつく。

 

「私は政治なんてとてもできないわよ。ねぇ、チェスラ。どうすればいい?」


「わ、私に任せてくださいってば。この国は私が守るってば!」


 そうはいいながらも、実質の実権を握るのは母である。

 国王がいなくなった国政は、全て、この母、オセロンが引き継ぐことになった。


 王都はオセロン女王の誕生に沸いた。


 ところが、元々、優しいだけが取り柄だったオセロンに国政が務まるはずはなく。

 その責任感と正義感で、あっという間に病んでしまい、部屋から動けずに寝込んでしまった。


「ああ、チェスラ。ごめんなさい。仕事が山のようにあるのに……。みんなのためにがんばらくなくちゃいけないのに」


「ううん。大丈夫。お母様は寝ててもらっていいですってば」


「うう、ごめんね。チェスラ」


 そんな所にヒダリオがやって来た。


「女王陛下。僕を頼ってください。あなたは僕の母親になる方だ」


「ああ、ヒダリオ。あなたは本当に頼りになるわ」


(ククク。ちょろいな)


 こうして、王都の実権はヒダリオに移っていく。

 チェスラはその移り変わりを震えながら見るしかなかった。


 そして、ついに、ヒダリオは動く。


「ねぇ。チェスラ。そろそろ正式に結婚しないかい?」


「そ、それは……。お母様が元気になってからで……」


「うん。それはわかるんだけどさ。伯爵の息子である僕は国政の権限を一切持っていないんだ。実質、僕がやっている国政であっても、その最終判断は女王の許可に委ねられる。女王は寝込んでいるから、君がその代わりで最終判断を下しているよね」


「え、ええ……」


「面倒だとは思わないかい?」


「…………」


「僕と君が結婚すれば、僕は王子になれる。女王が王位を継承すれば、僕は国王になれるんだよ」


「そ、それは……。お母様に相談するってば……」


 ヒダリオはチェスラを抱き寄せた。


「おいおい。自分で判断できないのかい? 僕たちは大人だろ?」


「ううう……」


 彼女はガタガタと震える。

 

「大丈夫。僕は君の味方さ」


 それでも彼女は震えるだけ。

 彼の首元から高級な香水が匂いがする。しかし、そのわずかな香気の中に血の臭いが混じっているのである。





「ねぇ。今夜、君の部屋に行ってもいい?」




 彼女は全身の毛が逆だった。

 その恐ろしい誘いに、ただ絶望するように汗を流す。

 母親譲りの優しい気質が仇となる。彼女は強く断れないのだ。

 とはえい、断固として拒否しなければならない。

 なんとしても、その一線だけは越えてはいけないのだ。

 彼女は涙目になって震えた。


「フフフ。大丈夫、大丈夫だよ。僕は君の味方さ」


 彼の言葉が優しく聞こえ始める。

 城内での噂はとてもいい。

 国王を殺した犯人を見つけたのは彼の功績だ。

 ヒダリオは優秀で思慮深く、人気者である。

 彼が巨人討伐隊を救ったのは周知の事実だ。

 そんな彼が味方であり、大丈夫と言ってくれるのである。

 混乱した思考が、彼の誘惑に負けそうになった、そんな時。


「ヒダリオ様! 大変です! エルフの少年が城内に侵入しました!」


 突然、全身を鎧に身を包んだ兵士が部屋の中に入って来た。


「なぜ、僕に言うのだ? 捕まえて連れて来いよ」


「とてつもない運動神経です! とても一般兵では捕まえられません!」


「なに!?」

(ずば抜けた身体能力を持ったエルフだと? ……ミギトだ! 奴しかいない!!)


「エルフはどこだ!?」


「訓練場にいます!」


「わかった!」

加速アクセル


ギュゥウウウウウウウウウウウウウウウン!!


 ヒダリオは高速移動の魔法で訓練場に向かった。

 すると、そこでは兵士の人だかりができていた。


「エルフはどこだ!?」


 人だかりの中心には1匹の猿が捕まっている。


「すいません。初めはエルフに見えたのですが……。捕まえてみたら猿でした」


「……エルフに見えていた。……だと?」


「はい。見間違いだったようです。どうかしてますよね。ははは」


「…………」


 これがライトの 物真似擬似映像魔法イミテーションヴィジョンを使った事象であるのは、いうまでもないだろう。猿の姿にミギトの姿をペーストしていたと考えれば全て合点がいく。


 一方、チェスラは先ほどの鎧兵士に連れられて移動していた。


「ど、どこに行くってばさ?」


「姫様を安全な場所に連れて行かなければなりません」


 向かった先は城の裏手。

 そこには真っ黒い馬が1頭用意されていた。


「あなたは一体!?」


 兵士は兜のバイザーを上げた。

 そこには知っている顔が現れる。


「ミギエお姉様!!」


「乗ってくれ。ペリーヌの教会に行こう。ハツミがアプールパイを焼いてくれてるよ」


「ど、ど、どうしてここに!?」


 ミギエはポリポリと顔を掻く。


「実は知ってたんだ。チェスエラがチェスラ姫だってことをさ」


「ええええ!? 完璧な変装だったのにぃいいい!」


「いや。それはない」


 ライトはおろか、実はシスターペリーヌとハツミさえも、彼女の正体には気がついていたのである。まぁ、普段の手土産と、マントの下に着込んでいる高価な服装で大体は想像がつくが……。


「国王の逝去と同時にチャスエラが来なくなったからな。教会のみんなは、それで確信したんだよ」


「そうだったんですね……」


「父親が亡くなって大変だからさ。みんな心配してたんだよ。こっそり忍びこんだら、あの状況だもん。助けないわけにはいかないじゃない」


「………うう、ううううううううう」


 突然の号泣。


「どうした? ペリーヌの教会に行くのは嫌なのか?」


「違うんです。違うんですってば! ううううう」


「…………みんな心配してたからさ。……迷惑だったか?」


 チェスラはミギエに抱きついた。


「お姉様ぁああああああああ!! あうううううう!!」


 彼女は不安で不安で仕方なかったのである。

 父が死に、母は病み、頼る者がいない中で、ヒダリオが誘惑してくる。

 それが怖くて怖くて仕方なかった。なにより、あれだけ恐れていたヒダリオを頼ろうとしていたのが、本当に恐ろしいことなのだ。


「あああああああ!! お姉様ぁあああああああああ!!」


 だから、泣いた。

 兜のバイザーが上がって、ミギエが見えた時。

 彼女には、その顔が救いの女神に思えただろう。

 もう嬉しくて仕方がない。


 ライトはそれがわかったから、泣き叫ぶチェスラの頭を優しく撫でてやった。


「大丈夫。1人じゃないからさ。シスターたちもついてる」


 その声は優しくて、チェスラの瞳から、また大粒の涙が流れ出るのだった。


「ありがとうございますってばぁああ! あうううううううう!!」

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