第十八話「神の雷」

 もう何日か進めばカレンダーが九月に切り替わり世間の夏休みが終わる今日この頃。

 まだまだ容赦ない暑さが日々続いている。


 そんな日々の中で、今日はいつもよりは暑さが緩和されている。

 というのも、台風の接近で太陽が雲に隠れているからだ。

 ネットの天気予報だと本格的な嵐は今夜かららしい。


「んで、さっきからなに見てるんだ?」


 そんな薄暗い外をアリスは飽きもせずジッと観察している。

 なにも面白いものはなかろうに。


「雨が降るのを待っています」

「雨が降るとどうなるんだ?」

「雨が降る様子を見れます」


 そりゃそうだ。


「私、雨を見るの初めてなのでワクワクしています。お空から水が落ちてくるなんて凄いことです!」


 そうか。アリスはこっちに来て初めて空を見たんだよな。

 それから一度も雨降ってなかったか。


「よし。雨が降ってきたらちょっと散歩に出るか」

「いいんですか!?」

「風が出てきたら危ないから少しだけな。今のうちに風呂沸かしておいて、濡れてもすぐ入れるようにしとくか」

「お風呂掃除はお任せ下さい!」


 矢のようにお風呂場に飛んで行くアリス。

 俺にはたかだか雨って思うけど、アリスにとっては人生初めての雨だもんな。


『お湯はりをします』

「本日もよろしくお願いします」


 そんな声がお風呂場から聞こえてくる頃には、ぽつぽつと雨が降り始めてきたところだった。


「ほらアリス見てみろ。雨降ってきたぞ」

「これが噂の……目に止まらぬ速さです」


 アリスが雨滴を視界に捉えようと上下に頭を動かしている。


「んじゃ外出るか」

「雨は痛くありませんか?」

「は? ……ああ、痛くない痛くない」


 あんな高いところから落っこって来るんだから、痛いかもしれないって思ったのか?

 今まで考えもしなかったけど、なるほどな。


 無駄に溜まったビニール傘を渡して外に出る。

 ビニール傘って外で降られる度に買うから無駄に増えちゃうんだよな。


「お前傘の使い方わかるか?」

「構造は理解しています」


 そうか。構造理解してんなら大丈夫だな。だって俺は理解してないもん。

 傘をさして空の下に出ると、傘が雨を弾くいい音がした。


「ちょっと雨強くなってきたけど大丈夫か?」

「大丈夫です」


 振り返ると、背丈と不釣り合いな傘を抱えるように持つアリスの姿があった。


「お前にはその傘はちょっとデカかったか」


 今思えば傘にも子供用とかあったよな。

 アリスくらいの歳だとどうなんだろう。


 そんなことを考えている間に、アリスも空の下に身を出して、ビニール傘越しに空を仰ぐ。


「これが雨……」


 今にも手を天に伸ばしそうな高揚した表情で、うっとりと眺め続けている。

 生まれてから雨なんて身近にあった俺からしたら想像もできない感情なのだろう。

 雨でこれなら雪の時はどうなっちゃうんだ。


「ほら、早く行かないと雨がどんどん強くなるぞ」

「強い方が楽しくないですか?」

「楽しくない。危ないだけだ。お前はよく分かってないから夜に豪雨の恐ろしさを教えてやる」

「え! 夜もお散歩に行くんですか!?」

「いや、行かない。家から外を見るだけ」

「そうですか……」


 なんで残念がるんだよ。

 よくニュースで嵐の時に川に人が流されるなんて事をよく見かけるけど、アリスみたいな人が外に出ちゃうのかね。


 それからアリスと近所を一回りして帰ってくると、その時には何故かアリスだけぐしょぐしょに濡れていた。


「お前には傘の練習が必要だ」

「夜も散歩で練習ですか?」

「だから夜は行かないって。練習はまた今度」


 そんなに行きたいの?

 あと、次までにはアリス用の傘も買わないとな。

 傘が大きいせいで少しの風でも危なかっしかったし。


「靴の中もびしょびしょです」

「それはお前がわざわざ水溜まりの上を歩くからだ」


 まぁ、気持ちは分かる。俺も小さい頃はよく水溜まりの上をバシャバシャ歩いたものだ。

 もちろん、長靴を履いてだが。


「楽しかったか」

「ばちこり楽しかったです!」

「そうか。あとお前はネットで覚えた言葉をあんま使うな」


 ネットと現実、ちゃんと分けられる人間にならないとダメだぞ。じゃないとリアルでもネット用語を使うお前らみたいになっちゃうからな。


「とりあえずアリスは靴下脱いでそのまま風呂に直行しろ。着替えは……」

「着替えも準備万端です!」


 そう。アリスの一張羅問題も嬉野さんが小さい頃に来ていたものを譲ってくれて最近解決したのだ。

 俺のお財布事情だと服を買うのは厳しいから非常に助かった。

 

「靴は新聞紙で……いや、新聞取ってないからキッチンペーパーでも突っ込んでおくか」


 パタパタとお風呂場に向かうアリスを横目に、特に雨の被害を受けていない俺は後始末だ。

 この季節だからすぐ乾くだろうけど、カビったら嫌だからな。


 アリスがお風呂から上がり、入れ替わりで俺もお早めの風呂を済ませて、それからはいつも通りのリラックスタイムだ。

 アリスの作った夕飯。ピーマンの肉詰めを一緒に食べていると、外からゴロゴロと音が鳴り始めた。


「お、雷鳴り始めたな」


 夜に豪雨を教えてやると言ったな。その一つが雷だ。

 ピカッて光るわ、音はでかいわ、おへそは取られるわで、恐ろしいと思うこと間違いなし。

 実際、雷は危ないからな。


「シノさま、ご飯食べ終わったら雷見てきてもいいですか?」

「は? お前雷怖くないの? まぁ窓からないいけど。外出るのはダメ」


 ご飯を食べるとカーテンを開けて、まるで流れ星を待つかのようにして空を眺めるアリス。

 ほんと空を見るの好きだな。


「あ! 光りました!」


 雷に喜ぶアリス。

 それから遅れて鳴り響く雷鳴に目を丸くして振り返る。


「音が今しました!」

「ああ、光より音の方が遅いからな。雷が遠いと光ってから音が届くまで時間がかかるんだよ」

「はー。これが音を置き去りにした。ってことですね」


 感謝の正◯突きかな? まぁ、合ってるけどさ。


「それにしても風と雨スゲーな。ほら、道なんて川みたいなってるだろ」

「川ってあんな感じなんですか?」

「あーお前は見た事ないか。でもあれじゃ足元が見えんだろ。風で何か飛ばされて来たものに躓いたり、マンホールの蓋が外れていて落ちたりしたら危ない」

「はい」


 そんな豪雨の危険性をアリスに教えていると、カッと光ったの同時に、今までとは比べ物にならない程の轟音が響いた。

 そして、ぷつんと電気が切れてしまう。


「シノさま大変です! お家が故障しちゃいました!」

「落ち着け。停電だ。少し待てば――」

「ぎゃああああああああっ!?」


 今のは悲鳴!?


「かもめさんです!」


 アリスが勢いよく立ち上がる。

 まさか雷が怖くて悲鳴を上げたのではあるまい。

 もしかして、またストーカーが!?


「行くぞアリス!」

「はい!」


 薄暗い中、足元に気をつけながら玄関を目指す。

 そんな俺を横からアリスがスイスイと進んで、一足早く外に出た。


「アリス、先にチャイム押しとけ!」

「承知しました!」


 俺が追いつく頃にはアリスがチャイムを連打していた。


「シノさま! チャイムも壊れてます!」

「そうか、停電か!」


 ならもう扉を叩くしかない。


「嬉野さん! 嬉野さん大丈夫ですかー!」


 これで反応がなければ強行突破か?

 アリスの魔法があればドアぐらい吹っ飛ばして……。


「はいはいはーい」


 もしもの事を考えていると、ガチャリと何事もない様子の嬉野さんが顔を出した。


「ご無事でしたか!」

「へ? どうしたの二人して」


 きょとんとする嬉野をみて、杞憂だった事を確信した。


「すみません。なんか凄い声が聞こえたので、またストーカーに襲われたのかと思いまして」

「え、嘘! 聞こえてた?」

「まるで断末魔のようでした」


 それはいい過ぎ。と言いたかったが、確かに鶏の首を絞めるような悲鳴だったのは違いない。


「ごめんね。私はなんともないから」

「それなら良かったですが、本当に大丈夫ですか?」


 あの悲鳴だ。なにかはあったに違いない。

 その問いに、嬉野さんは沈んだ声で言った。


「あはは。本当は大丈夫じゃないけど、自分のせいでもあるから受けいるしかないというか、頑張るしかないというか……」


 なんだか自虐的な感じだ。

 やっぱり何かあったらしい。

 頑張るしかないって事はなにかやらないといけなくなったとかだろうか。


「なにか手伝える事なら手伝えますが……」

「私もお手伝いします!」

「ありがとう。気持ちだけで十分。ほんと自分の問題だから……」


 大丈夫にはとても見えなかったけど、本人が大丈夫って言ってる事に無理に首を突っ込むのも失礼だろう。


「そうですか。とりあえず安全なようで良かったです。それでは」


 アリスを連れて帰ろうと踵を返そうとしたところで片腕を掴まれた。


「ごめんなさい。やっぱり頼っちゃっていいかな?」


 振り向くと、嬉野さんが俺の腕を掴んでいた。


 あ、そうだよな。お前らは生まれてこれまで女の子に触れてもらった事がないだろうからどんな感じか分からないよな。

 お前らのためにちょびっとだけ細かく描写してあげると、女の子の手は柔らかい。

 しっとりしていて優しい柔らかさだ。

 

 あとちょっとひんやりしている。

 アリスは体温高めだけど、嬉野さんはひんやりだ。ちょっと冷え性なのかもしれない。


 それと、嬉野さんは今少し屈んで腕を伸ばしている。

 つまり、部屋着でラフな服の隙間から嬉野さんのとある部分が覗けてしまう角度。

 そこから発する強力な磁力が俺の視線を引きつけようとするが、俺の持てる紳士力を全て使って、ほんのちょっとだけ見るだけに留めた。

 多分お前らだったらそうは行かなかっただろう。俺が紳士が故にできたチラ見だ。

 そして、俺は女の子に触れられたぐらいでは動揺せずに紳士に返事をする。


「な、なななんでしょう」

「シノくんってキーボード打つの得意?」

「タイピングですか? まぁ、人並みには……」

「人並みで十分! 明日夏休みの宿題のレポート手伝ってほしいの。お願いっ!」


 嬉野さんが手を合わせてお願いしてくる。


 話によると、さっきの悲鳴は停電によってパソコンの電源が切れて、書き進めていたレポートのデータが逝ってしまった事によるものらしい。


 そして、嬉野さんはタイピングが苦手なようで、俺には文字入力を手伝って欲しいとのこと。

 次回。夏最後の青春物語が始まる……予感がする。

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