第十六話「セミファイナル」
照りつける太陽が少し傾いた時間。
私はシノさまからお預かりしているお財布と家の鍵がスカートのポケットからなくなっていないか確認しながら、空を仰いだ。
「……」
痛いほどの日差しをいっぱい浴びながら、真っ青な空と様々な形をした雲を眺める。
私はこの壮大な景色を眺めるのが好きなのです。
「あれ、アリスちゃんお出かけ?」
「あ、かもめさん」
お隣に住むお姉さん。
最初はシノさまに気に入られてるように見えて、ちょっとモヤモヤして苦手でしたけど、一晩泊まってとてもいい人だと分かりました。
私のシノさまの素晴らしいお話をちゃんと聞いてくれましたし、それに「アリスちゃんはシノくんのことが大好きなんだね」と、私がシノさまをどれだけお慕いしているかも分かってくれました。
そして「じゃあシノくんにもアリスちゃんの事を大好きになって貰えると嬉しいね」と言ったのです。
目から鱗とはこの事です。
私はシノさまに尽くせればそれで幸せだと思っていました。
でも、確かにシノさまも私の事を好きになってくれましたら、それはもう、すごい事で大変な事です。
でも、私なんかがそんなとんでもない事を望んでもよろしいのでしょうか。
そんな不安にも、かもめさんは応援してくれると言ってくれました。
だからかもめさんはいい人なのです。
「どうしたの? 空に何か飛んでた?」
「雲が飛んでます」
「そっかぁ。雲かぁ」
かもめさんも空を仰いで、眩しそうに目を細める。
「んーザ・夏って感じの雲だね」
「え、季節で雲は違うんですか!?」
「そう。ほら、あの大きい雲。あれは入道雲って言って夏によくある雲なんだよ」
「はー雲にもお名前があるの知らなかったです。私は夏しかまだ知らないので他の季節の空も楽しみです」
「そっか。アリスちゃんは初めてだもんね」
そう言って、かもめさんは私の頭を撫でてくれます。
シノさまの時とは違って柔らかい感じで、こっちも好きです。
「うわ。アリスちゃんの頭凄く熱くなってる。ずっとここにいたの?」
「少しだけです」
「ホントかなー。ずっと外にいると焼けちゃうよ。ほら」
かもめさんが腕の裾口を少しを捲って見せてくれました。
そこには裾口を境目に、少しだけ色が変わってるのが分かります。
なるほどと、私も袖口を捲ってみますが、色は変わってませんでした。
「まだ焼けてませんでした」
「アリスちゃんは真っ白だね。いいなぁ」
「真っ白の方がいいんですか?」
「そうね。日焼けしちゃうと大人になってからシミになっちゃうって言うし、白いままの方がお肌つるつるで綺麗かも」
「シノさまも白い方が好きですか?」
「うーん。シノくんもお肌綺麗な女の子が好きだと思うなー」
「じゃあ、白のままにします」
帰ったらシノさまに確認してみましょう。
いえ、こう言ったものはシノさまは嘘吐きの傾向がありました。
最近手に入れたパスワードを使って、シノさまが普段使用しているアダルトサイトの履歴から確認したほうが間違いありません。
「それで、アリスちゃんはお出かけ?」
「あ、忘れてました。お買い物の途中です」
「え、すごい。もう一人でお買い物できるんだ」
「はい。今日からシノさまから一人でってお許しを頂きました」
今まではシノさまとお買い物をご一緒させてもらいましたが、遂に今日から一人です。
また一つシノさまのお役に立てる事が増えたのは嬉しいですが、少し寂しいです。
たまにはまた一緒にお買い物してくれると嬉しいのですが。
「じゃあ途中まで一緒に行こ。駅の方のスーパーでしょ?」
「はい!」
+。:.゚ஐ⋆*♡・:*ೄ‧*♪
「今日は何を買う予定なの?」
「にんじん、じゃがいも、タマネギです」
「あ、今日の夕飯はカレーだ?」
「違います。肉じゃがです」
「肉じゃがかー。ご飯はアリスちゃんが作るんだよね? アリスちゃんの作る肉じゃが食べてみたいな」
「シノさまが良いっていったら大丈夫です」
「ホント? じゃあ今度シノくんにお願いしてみようかな」
そんな他愛もない話をしながら、ふとかもめさんの顔を見ると、いつもと少し雰囲気が違うことに気づきました。
「ん? なにか顔についてる?」
「髪がいつもとちょっと違います」
「気付いちゃった? そうなの。今日はちょっと髪いじってみたんだ。どうかな」
「素敵だと思います!」
「ふふ。ありがと。私もアリスちゃんの髪、キラキラしてて素敵だと思うなー」
「本当ですか?」
「うん。やっぱり髪染めてる人とは全然違うもん。羨ましい」
「私はかもめさんみたいに髪くるくるになってるやつの方が羨ましいです」
「三つ編みの事かな。今度アリスちゃんにもやってあげよっか」
「え! そんなことできるんですか!? タダでですか!?」
「できるできる! アリスちゃん髪長いし、色んな髪型にできそう」
なんということでしょう。
そういうのは、高いお店に行かないとできないと思ってました。
あんな難しそうな形。もしかしたらかもめさんはその道のプロなのかもしれません。
「あ」
そんな素敵な約束をすると、かもめさんが何かに気づいたかのように足を止めました。
「やっぱりタダはダメでしたか?」
「え? ううん。三つ編みはタダだよ。そうじゃなくて、ほら」
かもめさんが指差す方を見ると、道の真ん中になにかが落ちてました。
「セミですか?」
「そう。セミ。アリスちゃん知ってる? セミはあんな風に死んじゃってるように見えて、実は生きてて近づくて突然動いてびっくりさせて来る時があるの」
「知ってます。セミファイナルです」
「準決勝?」
「違います。セミファイナルです」
この前、シノさまに教わりました。
「私ちょっと苦手なんだよね。確か足が開いているかどうかで見分けられたんだっけ」
「私にお任せ下さい!」
私は落ちているセミに駆け寄ると、それを掴み上げます。
すると、ジジジジ! と暴れ出しますが、どうやら飛ぶまでの元気はないようです。
「生存確認しました!」
「アリスちゃんワイルドだね……」
かもめさんに報告すると、若干引き気味でした。なんでですか。
「でも元気がないです。熱中症かもしれません」
手のひらに乗せたまま様子を見ても、やっぱり飛べないみたいです。
「セミは短命だからねぇ。確か外に出たら七日くらいしか寿命がないんだって」
「え! 一週間だけですか!?」
「そう。でも幼虫の時は七年くらい土の中にいるんだよ」
「……そういう事でしたか」
「ん?」
私は全てを理解しました。
セミは七年も土の中にいて、外に出たら一週間くらいで死んでしまう理由に。
「セミも人と同じなんですね」
「どういうこと?」
「七年も引きこもりしている人が、いきなり七日もお外でお仕事したら死んじゃってもおかしくありません」
「あーそうねぇ」
「少しずつ頑張れば良いのに」
「そうだね。少しずつ頑張れば良いのにね」
私もシノさまのところに来たばかりの頃、頑張り過ぎて倒れてしまった事を思いました。
気づけば私の小さな手のひらに収まるセミは、さっきのひと暴れで最後の力を使い切ったのか、今はぴく―とも動きません。
きっと、このセミはこの夏の七日間を精一杯生き抜いたのでしょう。
「ちょっとあそこの公園に寄っても良いでしょうか」
「別にいいけど、どうかしたの?」
セミを手のひらに乗っけたまま公園に入ると、日陰の場所に蝉を置いてあげます。
もうすっかり動かないセミの上に、近くに落ちている葉っぱを被せてから立ち上がると、すぐ隣にかもめさんも立っていました。
「お待たせしました」
「アリスちゃんは優しいね」
「シノさまから命を尊ぶ事を教わりました。これがセミとって嬉しい事なのかわかりませんけど、もし私がセミだったら涼しいところが良いと思ったので」
「そうだね。私もそう思う。そっか。じゃあアリスちゃんの優しさはシノくんから来ているのかな?」
「そうなんです! シノさまはお優しくて、この前なんて蚊にもパンってしないで虫除けスプレーでですね――」
「えー、それ優しいかなぁ」
「優しいに決まってます!」
それからまた、かもめさんと並んでスーパーへの道を歩くのでした。
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