第十四話「へんたいふしんしゃ」
嬉野さんをなんとか説得して、靴を履いてもらう。
靴のサイズは結構違ったようで、かなりぶかぶかになってしまった。
少し歩き辛そうだけど、履いてないよりかは絶対にいいだろう。
「ありがとね。本当は足、痛くて」
「いえいえ! 困った時はお互い様ですよ!」
俺は自転車に跨り、嬉野さんのスピードに合わせてふらふらしながらペダルを漕ぐ。
アリスはと言うと、嬉野さんと手を握ってエスコート気分のご様子だ。
側から見れば、お姉さんに手を引かれている様に映るだろうが。
はー。しかし不謹慎だけど、まさかこの俺が女の人とこんなにもお近づきになるなんてなぁ。
それに人に頼ってもらえる機会なんて滅多に無いんだから、少しはいいところを見せないとな。
つっても、110番するだけだけど。
人生初の110番だ。なんか緊張して来た。
店前の人通りの多い大通りを抜けて住宅街に入っていくと、途端に辺りが寂しくなった。
この時間になると住宅街の道には車が通る事も少なく、人がほとんど見当たらない。
そのせいか灯りが心許なく感じるし、この静けさが余計に嫌な雰囲気を作っている。
普段は気にする事はないけど、この近くに不審者がいるとなると、一気に怖くなって来た。
「ア、アリス。へんな人影とか見つけたら教えろよ」
「お任せ下さい!」
臆病になった俺と違って、辺りの雰囲気なんて気にした様子を見せないアリスはただの怖いもの知らずだろうけど。ちょっとだけ心強い。
いや、こいつホラーゲームの時もそうだったよな。いざ怖くなったらぎゃん泣きするんだよ。
アリスだって、まだ九歳の女の子だ。
もしそのストーカーへんたいふしんしゃがお前らと同じロリコンだったらアリスだって危ない。
男は俺だけ。
俺がしっかりしないと。
「念の為ですけど、ストーカーの特徴とかわかったりしますか?」
「えっと、咄嗟だったからちょっと違うかも知れないけど、いつも帽子を被ってたかな。キャップの付いてるやつ。多分さっきも被ってた。あと結構大柄な体つきで―――」
帽子を被ってる大柄な体つきか。
それならぱっと見で分かりそうだ。
でも大柄か。
もし会話にならなくて相手が手を出して来たらどうしよう。
特に護身術も身につけてもなければ、体育の成績が良かったわけでもないひょろひょろの俺がどうにかするのは難しそうだ。
そん時は覚悟決めなきゃな。
そんなもしもの覚悟を決意しながら道を曲がったその時だった。
大柄の男と鉢合わせた。
ギョッとしながらも、さっき嬉野さんが言っていた特徴と照らし合わせる。
大柄……でも帽子は被ってない。
良かった。違う。
そう安堵しながらも、すぐに違和感に気づいて背筋を凍らせた。
お互いに鉢合わせて、少しの硬直。すみませんの一言で終わりだと思っていたが、男は俺ではなく俺の後ろを見ていたからだ。
鉢合わせた俺じゃなくて、後ろを。
つまり、背後にいる嬉野さんとアリスをだ。
まだこの男がストーカーと決まったわけでは無いが、体が強張る。
咄嗟のことで言葉を詰まらせながらも、男が次に取る行動を注意深く窺う。
そして、男の右腕が動いた。
無言で腕を伸ばして来た事にもだが、それよりも男の目が普通では無い事に驚いた。
欲情に駆られたような、興奮を宿した眼。
こいつは、ヤバい。
そう思った時には自然と自分の手も動いた。
気づけば、ぬっと俺の後ろに向かって伸びる腕を掴んでいた。
正直自分でもびっくりした。
いざって時は体が硬直して動かないと思っていたからだ。
掴んだ腕は思いのほか力強く、つられて自転車が少し後ろに回ったが、俺も強く力を入れることでやっと止まる。
「シノくん!」
背後から嬉野さんの切迫した声色が聞こえる。
でも、それに振り返りたい衝動は男の視線で消し飛ばされた。
これまで生きて来てこれ程までの憤怒の形相を向けられたのは初めてだったからだ。
「お前、なに俺のかもめちゃんに呼ばれてるんだよ」
こ、怖えぇ。
アリスを配達して来たワニ人間よりも怖えぇ。
でも、怯みながらも、掴んだ腕は意地でも放してやらない。
こんなやべぇ奴、男の俺だって泣きたくなるくらい怖いのに、狙われている嬉野さんはもちろん、アリスだって比にならないくらい怖いに違いないんだ。
「アリス! 嬉野さん連れて逃げろ!」
体格差からして、少しの時間稼ぎができればいい方か。
気合いを入れて腕に力を込めて、男の動きを封じる。
このまま腕を掴み続けて、いざとなれば自転車を盾にしてここから先には行かせない。
そんな次の手を考えるも、すぐにそんな想定は裏切られた。
男のもう片方の腕が俺の顔めがけて伸びて来たと思いきや、前髪をかき上げるようにして鷲掴かまれた。
そのまま俺を押しのけるかのように、容赦ない腕力で横へ引っ張られる。
地面から足は離れていないけど、体重が浮く感覚があった程だ。
「あぐっ」
あまりの痛さに声が漏れ、堪らず掴んでいた腕を離してしまう。
両手で髪を掴む方の腕をなんとかしようと掴むもびくともしない。
そして、次には視界の端に拳が作られるのが見えた。
殴られる。
なす術がない俺はぎゅっと目を瞑ることしか出来なかった。
時間にしてコンマ数秒。
まだ殴られないのかと、衝撃を覚悟するも、なかなかその時が訪れない。
「な! 離せ!」
「シノさまから離れろ!」
その声に目を開ける。
目の前には、嬉野さんを連れて逃げているはずのアリスが、男の腕にしがみついて今にも噛みつこうと大きな口を開けているところだった。
「痛っで!」
今度は男がその痛みに堪らず俺を手放した。
アリスはフーフーと鼻息を荒げながら、男の腕に噛みついている。
それを見ながらガシャんと自転車と一緒に倒れ込んだ。
「このっ! クソガキ!」
俺から離れた男の手は必然的にアリスを襲う。
でも、相手が小さい女の子だからだろうか。俺の時のように殴るような動きはない。
でも、首根っこを掴まれるとアリスの軽い体は簡単に投げ飛ばさて住宅の塀に強くぶつかる。
「アリス!」
俺とアリスの拘束がなくなった男は一点を真っ直ぐ見ていた。
その先にはインターホンを連打している嬉野さんがいた。
「誰か! 助けて下さい! 誰か!!」
嬉野さんも逃げていなかった。
いち早く助けを呼ぶために、近隣のインターホンを片っ端から押しているんだ。
でも、人が出てくる気配がない。
そうしている間にも、魔の手が嬉野さんに近づいて行く。
まずい。足がふらつく。
でも早く俺が、俺がなんとかしないと。
アリスも心配だ。
でも今はあの男を。
後ろから飛びかかって少しでも時間を稼げればもしくはーー。
「シノさまご無事ですか!」
男に飛びつこうと立ち上がろうとするところに、何故かアリスがすぐ側にいた。
服は少し汚れているけど、痛がっている様子はない。
「俺よりも嬉野さんを――」
そう言いかけて、なにアリスに頼ろうてしてんだと思うも、一つの可能性を思い出す。
辺りに人は見えない。
なら、
「アリス、アレ使っていい! あの男ぶっ飛ばせるか!」
「お任せ下さい!」
俺の言葉に反応して、アリスが男に向けて腕を上げる。
アリスの口から呪文や詠唱はない。
アリスの髪が少し逆立つと、辺りの風が無くなった。
次の瞬間、嬉野さんに手を伸ばす男が音もなく、まるでトラックにでも轢かれたかのように横に吹き飛んだ。
宙に浮く勢いで、ガシャンと大きな音を立ててフェンスに激突したかと思うと、男はぐったりしたまま動かなくなる。
嬉野さんは目の前で起きた出来事に、尻餅をついて「え、え?」と声を漏らしている。
やべぇ。嬉野さんへの説明をどうしようというのもあるけど、それよりも……。
もしかして殺っちゃってないか?
口をあんぐりと開けながらアリスを見ると、やってやりましたと、どこかやり遂げた風の顔をしている。
いや、俺がやれって言ったんだけどね?
「アリスさん? あの男ピクリとも動かないんですけど……」
「大丈夫です。加減はしました」
「そ、そうか。まぁ、今後も人前では魔法禁止な?」
「はい!」
あれで手加減なの? 飛んでもナッシングなんですけど?
「と、嬉野さんだ。大丈夫ですか」
アリスも我慢する傾向があるから心配だが、今は腰を抜かしている嬉野さんに駆け寄る。
「今の、なに?」
そりゃそうなるよな。
嬉野さんの驚きの目はアリスに向けられている。
それにアリスは沈黙したままだ。
俺が魔法の事は話すなと釘を刺しているから、その約束を守っているのだろう。
「とりあえず立てますか?」
手をついて立とうとするも、上手く行かないのか首を横に振る。
「ごめんなさい。腰が抜けちゃったみたい」
「手、貸しますよ」
俺はいざって時に役に立たなかったからな。
少しは紳士な事をしないと。
女の子の手を握るなんて林間学校のフォークダンスくらいしか経験がないけど、多分自然と手を差し出せたと思う。
その差し出した手を、嬉野さんが握ろうとする前に、横から現れたゴツい手に手首を掴まれた。
「君、何やってるの」
そこには警察官が立っていた。
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