第十二話「バイト戦士」

 最近の俺は週5でバイトのシフトをフルタイム入れている。

 昔は週3で時間もまちまちだったが、キッチリ週5だ。


 増やした理由はアリスの生活費のためだけど、なんと言うか自分の中で仕事の考え方が変わった。

 今までは最低限の生活費さえあればーと考えていたけれど、自分のためだけじゃ無くなった今、なんとも言えないやりがいを感じるようになったのだ。


 今日はそんな一週間の中で貴重な休日。

 前までは貴重でもなかったせいか、ダラダラと過ごしてしまうことも多かったが、メリハリができて今では有意義に過ごせている気がする。


 アリスの事で大変な事も多いが、俺のダメダメな生活に充実が生まれ始めたのもアリスのおかげかもしれない。


 スマホのテキストアプリで執筆しながら、アリスを見る。


 アリスは優しい眼でパソコンのモニターを見ていた。

 モニターには癒し系の動物動画が再生されている。

 最近アリスが見つけた好きな物の一つだ。


 ここのところ飽きもせずに、動画投稿サイトでペットの動画を見ている。

 犬猫うさぎから、イグアナ等の爬虫類もいけるらしい。

 可愛らしい趣味じゃないか。

 やっぱり女の子なんだな。


 今日も平和だなーと、スマホに視線を戻すと、スマホが震えた。


「うおっ」


 いきなりの着信は心臓に悪い。

 俺のような家族とバイト先しか連絡先を登録していない人種は特にだ。


 落としかけたスマホを持ち直して、画面を見る。

 着信先には〝店長ちゃん〟と表示されている。


 やべ。もしかして今日シフト入ってたか?


「もしもし」

「あ、篠原くんですか?」


 店長ちゃんの相変わらずなアニメ声がどこか慌てている様子でちょっぴり早口だ。

 もしかして、俺がすっぽかしたせいで大変な事になってる?


「はい。あれ、今日シフト入ってましたっけ?」

「いえいえ、ちゃんと今日はお休みですよ」


 どうやら杞憂だったらしい。

 じゃあなんで電話がかかって来たんだ?


「お休みのところひじょーーーに申し訳ないのですが、今日の予定が空いていたりしませんか?」

「え、デートのお誘いですか?」

「違います」


 少し食い気味にピシャリと否定される。

 どうやら冗談を言っていられないらしい。


「実はですね。18時からの子がお休みになってしまって……」


 時刻を確認すると、現在17時45分。随分と急な話だ。

 きっと、直前で連絡が入ったのだろう。

 それで、近い場所に住んでる俺に代わりに出られないか電話したと。


 アリスを見ると、電話をしている俺が珍しいようで、チラチラと見ながら夕飯の支度のためにキッチンに向かって行く。


 今日はもう特にないよな。

 俺も今後急に出れなくなる事もあるかもしれないし、ここで店長ちゃんに恩を売っておくのもありか。


「いいですよ。今から行きます」

「本当ですか!? 助かります!」


 通話を終わりにして、バイトの支度をする。


「お仕事ですか?」


 どうやら電話の内容を聞いていたらしい。


「ああ、帰りは……確認しなかったな。たぶんピーク超えるまでだから21時過ぎになると思う。あーでも、もしかしたらラストまでになるかもしれないから、帰ってこなかったら先に寝とけ」

「承知しました!」


 アリスの留守番も慣れたものだ。

 勝手に外に出ないように言いつけてあるし大丈夫だろう。



÷-÷-



 結構急いだつもりだが、店に入る頃には18時を少し過ぎていた。

 もう満席なのか、順番待ちのために用意されたスペースにら何人か腰掛けている。


 すれ違うホールのバイトに挨拶しながら、足早に事務室に移動する。

 事務室に着くと、ちょうど更衣室からイケメン先輩が出てくる所だった。


「お、篠原も呼ばれたのか」

「イケメン先輩もですか?」


 バイトのドタキャンって一人だけじゃ無いのか?


「なんだ、店長ちゃんから聞いてないのか? 今日は――」

「ちょっとー! 二人ともまだですかー!」


 キッチンから可愛い声が叫び聞こえて来た。


「こりゃだいぶ切迫詰まってるな。先行くな」


 イケメン先輩が事務室を出ていく。


 切迫詰まるってなんだ?

 なんか嫌な予感がして来たぞ。


 俺も急ぎ着替えてイケメン先輩の後を追った。


「すみません。急いだんですがちょっと遅れました」

「いえいえ! よく来てくれました篠原くん! タイムカード切っちゃってください。あとで18時出勤に改ざんしておくので」


 おいおい。改ざんってずいぶんな言い方だな。

 悪い顔でそんなことをいう店長ちゃん見下ろす。


 まるで小学生の時に成長が止まってしまったような彼女こそが、この店舗で一番偉い店長だ。

 年齢は間違いなく年上だろうが、ちっちゃくて、アニメ声で可愛いことから、バイトの皆からは店長ちゃんと呼ばれている。名札にも店長ちゃんと書かれているのがまた面白い。

 因みに本名は忘れた。


「で、ちょっと確認したいんですけどいいですか?」

「はいもちろん。でも時間がないので手洗い消毒をしながらでお願いしますね?」

「ピーク時間にしてはだいぶ人が少ないんですが、これから来るんですか?」


 じゃぶじゃぶと手を消毒液の入ったバケツに突っ込みながらキッチンを見渡す。

 いるのは店長ちゃん、イケメン先輩の他に初めて見る子が1人。俺を合わせて4人しかしない。

 普段のこの時間なら7、8人くらいはいるはず。

 人がだいぶいない。と言うか半分しかいない。


「実は今日のシフトの子達、みんな食中毒になってしまったようで」

「え、全員っすか?」

「この前岸田くんが就職して辞めたじゃないですか? その送別会でバイトの子全員でフグを食べに行ったようなのです」


 へーそうなんだ。俺呼ばれてのですが? 全員じゃないよ?

 そう、イケメン先輩がいる。なにも俺だけが呼ばれたわけじゃない!


「あいつらも不運だよな。俺は彼女と用事があったから断ったけど」


 あー! あー! 聞こえない!

 この前このイケメン先輩は嫌いじゃないって言ったけど、やっぱ嫌いですわ!!


「そこでフグを食べに行っていないであろう2人に電話したのです。イケメンくんはその日のバイト終わりに女の子が外で待っていたのを見かけましたし、篠原くんは……」


 店長ちゃんが目を逸らす。


「いけません! こんな話をしている余裕はありません!」


 俺の心の余裕も無くなったけどな。


「それで、布陣はどうします?」

「人数が少ないからって、第三レーンを開けないわけにはいけません。私は第一レーン。イケメンくんは第二レーン、篠原くんは第三レーンをお願いします!」


 レーンとは寿司を回している機械のことだ。

 回転寿司に行った事がある人ならイメージできると思うが、キッチンから、客席を往復して戻ってくるようにお寿司が流れていく。

 その往復が三ヶ所あって、それぞれのレーンの左右に客席があるわけだ。


 食事時ではないアイドルタイムでは、客があまり入らないので、第三レーンを閉じているのだが、これからは夕食時だから開放するって話だ。


「あ、あのー、私は何を……」


 気合いの入った店長ちゃんが仕事の割り振りをしていると、後ろから不安気な声が聞こえて来た。


「あ、新人ちゃんはですね。えーっと皿洗いをお願いできるかな? この前一緒にやりましたよね」

「は、はい! 頑張ります!」


 おいマジかよ。残りの一人はよりによって新人ちゃん……いや、フグを回避している新人だからこそ今ここにいるのか。


 しかし、皿洗い。

 自分もバイトを始まる前は飲食店の新人は皿洗いからーなんてイメージがあった。

 だけど、この手の店の皿洗いは過酷だ。小さい皿が無限にやってくる。単純作業ではあるけど忙しいときはベテランに頼むくらいだぞ。大丈夫か?


「早速注文が溜まって来ましたね」


 第一レーンの注文パネルを見れば、容赦なく注文が追加されていく。


「巻物と揚げ物はどうします?」

「それは私が担当しましょう」


 もはや店長ちゃんのタスクは3人分まで膨れ上がっている。

 と言っても、俺とイケメン先輩も2人分はあるのだが。


 俺の割り振られたタスクは第三レーンの注文を宇宙ロケットのデザインがされたものに、注文の品を乗っけてタッチパネルを操作して客席まで送ること。

 その他にもシャリを皿に乗っけたり、ワサビ乗っけたり、ネタを乗っけたり、レーンに流したりと盛りだくさんだ。


「んじゃ、俺はムシキングとデザートやるわ。篠原は新人ちゃんのサポート頼むな」

「了解」


 因みにムシキングとは蒸し機のことだ。

 俺はあまり知らないが、昔に流行ゲームの名前を因んで店長ちゃんがそう呼ぶものだから、この店舗ではその呼称で浸透している。

 店長ちゃんの年齢を割り出す重要な情報なのだが、今はどうでもいい。


「それでは皆さん。地獄を楽しみましょう!」


 店長ちゃんのその言葉に合わせたサムズアップを合図に、地獄が開幕されたのだった。



÷-÷-



「篠原わりぃ、シャリ補充すんならこっちのも持って来てくれ!」

「篠原くん。こっちにも! というか、台車で持てるだけこっちに持って来ちゃってください!」

「了解! その間に鉄火巻き3つと、竜田揚げ2つお願いします!」

「あ、店長ちゃん。こっちはかんぴょう1つと海老天2つ!」

「はいはいー!」

「その間に2人のネタと皿とワサビと、あと軍艦の海苔補充しとくわ」

「助かります!」


 いつもより声を出してお互いに必要なものを効率よく用意していく。

 そんな連携をしてもなお、注文が捌ききれずに200件を超え始めた頃。


「すみませーん! 3番テーブルと22番テーブルから催促です」


 遂に注文の品はまだかとクレームをもらったようで、ホールのバイトの子から催促が飛んでくる。


「イケメンくん、催促の対応を先でお願いします!」

「店長ちゃんマズい。皿が無くなる!」

「し、篠原くんは新人ちゃんのサポートを!?」

「いや、今篠原が抜けたら注文やばいって」


 もはやどうにもならないキッチン。

 店長ちゃんは目を回りながらわたわたしてて、手が止まっている。

 何かいい手は……。


「店長ちゃん、ホールの人数って欠けてるんですか?」

「え? ええっと、ホールはいつも通りの人数だけど……」

「ならホールから1人持って来て皿洗いサポートに入ってもらうのはダメなんですか?」


 ホールに皺寄せが行くけど、人数配分を平さないとキッチンが破綻してしまう。


「篠原ナイス! それだ!」

「そ、そうですね! ではお願いに行って来ます!」

「いや、イケメン先輩からお願いしてもらいましょう」

「俺? まぁ、ホームの子とも仲がいいから別にいいけど」


 ホールは女の子が多いからな。

 俺やお前たちのようなキモオタからよりイケメン先輩からお願いしてもらった方が文句は少ないだろうという算段だ。

 俺だって逆の立場なら可愛い女の子からお願いされれば、大抵のことは喜んで引き受けるってもんだ。


「店長ちゃんはメニュー絞れませんかね? 例えば軍艦や揚げ物のメニューを売り切れにしちゃうとか」

「成る程! でも……、いや。今はそんなこと言っていられませんね。作るのに時間がかかるものや、類似商品は売り切れ表示にしちゃいます!」


 イケメン先輩はホールに向かい、店長ちゃんはタッチパネルでメニューに設定を弄る。


 そんな小細工をしても変わらず激務だったが、気づけば注文が引いていき、ピークの時間はとっくに過ぎていたのだった。


「やった……のか?」

「篠原。それフラグだから」


 注文件数が0件と表示されたパネルを見て、やっとそんな冗談が言えるようになった。


「2人ともほんっとーに助かりました!」


 店長ちゃんも疲れたを滲ませながら頭を下げる。


「いや、今日のMVPは篠原だったな。あの機転がなきゃ今頃店長ちゃんは客に土下座して回ってたかもしれない」

「本当ですね。私も今日の篠原くんみたいにリンキオーヘンに仕事できるようにならないとですね!」


 いやいやいや、それ程でもあるけどね?

 普段褒められないからくすぐったいぜ。


「2人はここまでで大丈夫です。ラストは別の子に入ってもらったので」


 時間を見ると21時を少し過ぎたくらい。

 予想より遅くなちゃったな。アリスのやつ、俺を待たないで夕飯食べてればいいけど。


「あ、そうです。これ持って帰っちゃって大丈夫ですよ」


 店長ちゃんが持っていたのはお持ち帰り用のお寿司だった。

 売れ残りで処分する奴だろう。

 でも、それは持ち帰り厳禁で処分しないといけない決まりのはずだが。


「今日は助かっちゃいましたからね。店長ちゃんの奢りです!」


 そう言って店長ちゃんが胸を張る。

 店長ちゃんはちっちゃいけど、胸はなかなか大きい。胸を張ることでそれが強調される。


 ふむ。アリスとロリキャラが被っていたが、ここで差別化できるな。アリスのは年相応だしね


「ありがとうございます。ではお先に」

「はい、お疲れ様です」


 店長ちゃんにお礼を言って、帰り支度に入る。

 そう言えばアリスはまだ寿司食べたことなかったよな。

 夕飯まだ食べてなかったら寿司デビューしてもらうか。きっと喜ぶ。


 そんな事を考えながら店の外に出ると、外はすっかり暗くなっていた。


「シノさまお疲れ様です」

「ん?」


 聞き慣れた声だ。

 店から出てすぐ横にある駐輪場の端に、何故かアリスがいた。


「お前、なんでここに……家から出るなって言ったよな」


 いつも言いつけ通り留守番してるのに何故? と疑問に思っていると、アリスの後ろにもう一人いた。


「ごめんなさい。私のせいで……」

「え、嬉野さん?」


 そこにいたのは嬉野さんだった。


 なんで嬉野さんとアリスが?

 と、ある事に気づく。

 嬉野さんは靴を履いていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る