第十一話「謎の白い液体の正体とは」
「シノさま。確認しても良いでしょうか」
「なんだー?」
まだ猛暑が続く季節。
我が城には新しいエアコンが導入されて快適な日々が続いていた。
快適な環境であれば筆は進む……なんて都合のいい事は無いが、今は根気良く絞るようにして新作のネタ出しを行っている真っ最中だ。
「今日こんなものが間違えて届いたのですが」
振り返ると、アリスは大きめなダンボールを持っていて、それはもう開封済みだった。
中には少々高めのシャンプーとボディソープ。化粧水等々が入っている。
「あー、それか。間違いじゃない。俺が買ったやつだ」
「普段詰め替えてるものと違うものですよね? こちらの化粧水? というのは初めて見ました」
「お前専用だ。今日からはこっちを使うように」
「え? どういうことですか?」
アリスは両手に持ったシャンプーと化粧水を見比べてから俺を見る。
「いいかアリス。俺は女の子の事はわからない」
「はい。シノさまが童貞であることは存じ上げております」
「違う。いや、違わないが、違う」
こいつ冗談とかじゃなくて真顔でこういう事言うよな。
最近の小学生はこんな事言うのか?
言うんだよインターネットのせいで。
つまりお前らのせいな。
SNSとかで平気で変な事書き込むだろ?
真似するんだよ。
この前なんか道端でランドセル背負った子が「それは草」とか言ってたもん。
「この前の嬉野さんを覚えてるか?」
「はい。かき氷のお姉さんですね」
「そうだ。そのかき氷のお姉さんは美人だったよな」
「はい。シノさまがだらしなく鼻の下を伸ばしてニチャアってするくらい綺麗な方でした。よく覚えています」
なんだよ。ちょっとトゲがあるよアリスさん?
「ま、まぁ聞いてくれって。俺もネットで少し見かけたくらいの話を思い出してな。女の人は綺麗になるためには努力をしている、らしい」
「ダイエットの話ですか?」
「いや、それもあるだろうが、今回はちょっと違う」
毎日肌や髪のことに気を使って、手入れをしたりコストをかけたり、俺にはよくわからんが色々な努力をしているらしい。
「美容に全く関心の無い俺にアリスを付き合わせるのも良く無いと思ってな。買ってみた」
「よく分からないですけど、私にはまだ早いと思います」
「いや、いいか。こういうのは悪くなってからじゃ遅いんだ。若いうちにだな……」
俺は得意げに美容の大切さを語った。
ない知識でそれっぽい事を。
「でも私、エルフなので」
「ほう?」
「エルフは普通の人より若い時期がずっと長いです。それに、これを見てください。インターネットによると人間でも、こういった化粧品は高校生くらいから触り始めるようなので、私にはやっぱり早いと思います」
「そうか……そうなのか。すまん」
「あ、違います! 謝らないでください。アリスは嬉しかったです!」
なんかなにも知識が無いお父さんが娘に買ってきちゃったみたいで恥ずかしいな。
いい思いつきだと思ったんだけどなー。
やはり俺の童貞力で女の子のものを買うのはまだ早かったか。
今度からはアリスと相談してからにしよう。
「それじゃあ無駄な買い物をしちゃったな。どうするかな。これ返品できないし、嬉野さんにあげるのもなんかキモいよな」
「未来の私が大事に使わせてもらいます」
「未来って……何年後くらいだ?」
「エルフは人間より二十倍くらい寿命がありますので……百年後くらいでしょうか」
「途方もねーな」
俺もう生きてないじゃん。
「消費期限とか大丈夫なのか?」
乳液とか、乳って漢字入ってるぞ。腐ったりしないか?
「それもそうですね……」
「やっぱもったいないし、やっぱ嬉野さんにお近づきの印ってことで渡すか」
「いえ、私が使います!」
「そ、そうか」
ガッチリと美容セットを守るように抱えるアリス。
まぁ、アリスに買ってきたものだし別にいいけど。
ちびっとくらいは効果があるかもしれないしな。
シャンプーとかいい匂いするヤツみたいだし。
どことなくご機嫌になったアリスが洗面所に美容セットをしまいに行ったところで、ピンポーンと来客を知らせるインターホンが鳴った。
「はいはーい」
いつもはアリスが担当だが、お片付け中なら仕方ない。
アリスはお断りするのにちょうどいいのだ。「今、パパとママいないので」と言えば皆帰って行くからな。嘘じゃないし。
ドアを開けると、そこには私服姿の嬉野さんが立っていた。
「こんにちは」
「あ、フヒッ、こんにちは」
オタク特有の変な声が出た。
死にたい。
「アリスちゃんいるかな?」
「アリスですか? アリスなら――」
「お呼びでしょうか」
洗面所からひょっこりと顔を出すアリス。
顔には白濁液がべっとりくっついている。
「おい、なんだその顔」
「シノさまの白い液体です」
いいえ、ケフィアです。
「乳液! 乳液な!」
「はい! シノさまのニュエキです!」
おい、色々言葉が足りないよな? わざとか?
俺の白い液体ってなんだよ。
俺から貰った、白い液体だろうが。
……いや、それでもだいぶ際どいな。白い液体ってワードがもうダメなんだよ。
恐る恐る嬉野さんの方に向き直ると口元を抑えて笑いを堪えていた。
良かった。
ドン引きされて無くてホント良かった。
「お前ちょっとこっち来い」
「アリスちゃんこんにちは」
「かき氷のお姉さん!」
「あ、覚えてくれたんだ。うれしー」
アリスの酷い顔には触れずに挨拶をかわす。
「潤ってますか?」
「潤いすぎだ。一度に使いすぎなんだよ。ちっとでいいんだよ。ちっとで」
アリスが両手で顔をごしごししても、ねっとりと乳液が有り余ってる。
「どうしたのそのお顔」
嬉野さんが腰を落として、アリスの目線に合わせて尋ねる。
「シノさまから頂いたニュエキです」
「へー、アリスちゃんもう乳液使ってるんだ」
そんなやり取りをしながらもアリスは乳液と格闘しているが、どうにもなっていない。
「アリス、ちょっとこっち向け」
見かねて、アリスの顔から乳液を手で拾って行く。
「シノさまも使うんですか?」
「俺が使ってどうする。ほら、腕に塗っとけ」
顔から腕に移動して、やっと落ち着いた状態になった。
「すみません。お恥ずかしいところをお見せしちゃって」
「え? 大丈夫、大丈夫。毎日楽しそうでいいねー」
確かにアリスが来てから退屈な日がないのは確かだな。
って、毎日こっちの音漏れてる?
「す、すみません。うるさくて」
「あ、そんなつもりで言ったんじゃなくて、むしろ助かっているって言うか」
「はぁ」
嬉野さんの言っている意味が分からなくて、曖昧な声が漏れてしまう。
「かき氷のお姉さんもニュエキつかってますか?」
「使ってるよー。でも、私が使い始めたの最近だから、アリスちゃんは進んでるねぇ」
そうおだてられて、アリスがちょっぴり得意げな顔をする。
「俺が間違えて買っちゃったんです。アリスにって思ったんですけど、まだ早すぎたみたいで……」
「んー、どうだろ。早い子は小学生の時から使ってるし、早すぎるってことはないかも。アリスちゃんは何歳?」
「九歳です」
あ、そうなの?
嬉野さんとお前らが書き込んでいるインターネット、どっちを信じればいいんだ?
そりゃ嬉野さんでしょ。
「あーでも、私は美容とか結構テキトーだからあまり参考にしない方がいいかもだけどね」
「いやいや! 嬉野さんめっちゃ綺麗ですし! めっちゃ参考になりますって!」
「あははは、ありがと」
つい食い気味に言ってしまって笑われてしまう。
やべぇ、今のキモかったかな。
「でも、そういうのはお母さんに聞いた方がいいかも」
「お母さんはいませんよ?」
俺が誤魔化す前に、アリスが余計な事を言う。
「え、えーと」
不味いこと言っちゃいましたか? と嬉野さんからアイコンタクトが送られてくる。
「あー、ちょっと訳ありでして、今二人で暮らしてるんです」
余計なこと言っちゃったか?
変に勘繰られて通報なんかされたら終わりだぞ。
「そうなんだ。アリスちゃんはシノくんと一緒でたのし?」
「はい! 楽しいです!」
アリスが元気よく答える。
そんなことよりも今シノくんって言われなかったか?
嬉野さんから下の名前で!
サイコーなんですが?
これ、もしかして俺も下の名前で呼んだ方がいいかな?
かもめさん。
シノくん。
かもめさん。
シノくん。
かもめさーん!
シノくーん!
キモいからやめとこ。
「あ、そうそう、これもし良かったらって持って来たの忘れてた」
そう言って、両手で抱えていたものを差し出して来た。
それは少し色の褪せている可愛らしいペンギンだった。
ペンギンのオモチャ?
「これかき氷作るやつなんだけど、お店でアリスちゃんホントに美味しそうに食べるから、もし良かったらって」
どうやらそのペンギンはかき氷機らしい。
「いいんですか?」
「この歳になると中々家でかき氷作る気にはならないからね。私が幼稚園の時に買ってもらったやつだから結構年代物だけど、壊れてはないから」
もしかして実家から持って来てくれたのだろうか。
「すみません、わざわざ……。ほらアリスにくれるって。なんて言うんだ?」
「ありがとうございます。かき氷のお姉さん」
うんうん。
ネットのお前らと違って、ありがとう。ごめんなさい。が言えるような大人にならないとな。
「どういたしまして。またお店に遊びに来てね。こっそりサービスしちゃうから」
こう言われちゃ、行かないわけにはいかないよね。
あそこちょっと高いけど、サービスしてくれるみたいだし。何より嬉野さんに会えるしな。
こうして、少しだけ嬉野さんとお近づきになれたのだった。
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