第十話「アパートの壁は薄かった」

 俺はアリスを連れて近所の少しオシャレな喫茶店にやってきていた。

 個人でやっている喫茶店で、少々値段は高いが、その分客が少なく長時間の滞在に適している。

 詰まるところの避暑地ってやつだ。


 我が家のエアコンが届くのは今日の夕方から。それまでをここでやり過ごせれば、今夜から快適な夜が過ごせそうだ。

 エアコンもろもろでお財布は厳しいが、我慢ならなかった。


「どうだ。決まったか」


 アリスには初めての外食だ。

 外食といっても、もうお昼は済ませていて、お茶をするだけだが。

 アリスはメニューと睨めっこして、長考に入っている。


 うんうん。気持ちはわかるぞ。

 俺も小さい頃に外食した時は、メニューに描かれた普段の食卓に並ばないような料理の品々に悩んだものだ。


「シノさま」

「決まったか?」

「いえ、どの飲み物も一食分かかってしまいます」

「なんだって!?」


 普段の食費と比べてメニューを見る九歳児なんているのか?

 いるんだよここに。

 教育の賜物だな。


「私は贅沢をするのであれば、いつもの濃いお茶を薄めたもので十分です!」

「バカやろう、あんまり大きな声を出すな」


 まるで限界ド貧乏生活をしているみたいじゃないか。

 いやだって言い訳をさせてほしい。

 スーパーで売っている濃いお茶と普通のお茶の値段が一緒なんだよ。なら濃い方を買って薄めて飲んだ方が賢いって思うじゃん? 天才じゃん?


「いいかアリス。確かに俺たちは節約生活をしている。でもそれは時々の贅沢をするためなんだよ」

「贅沢ですか?」

「そう。贅沢。それが今だ。エアコンがないのを乗り切ったやったぜ祝いだ。贅沢する時はパーっと贅沢をする。それがうちのスタイルだ」


 そうさ。何事もメリハリが必要なのだよ。


「だから今日は好きなのを頼め。なんでもだ」

「なんでも、ですか。では……この雲みたいなのを食べてみたいです……」


 アリスはおずおずと、控えめにメニューの一つを指差す。


「雲? ああ、かき氷か。いいな。夏っぽくて」

「これはどんなものなのでしょうか?」

「なんだ。かき氷知らないのか。かき氷ってのは氷を細かく削ったものにシロップをかけたものだ」

「え、これは氷なんですか!?」

「そうだけど、そんな驚くことだったか?」

「ただの氷なのに千円もします……」


 また金かよ!

 まぁそうよな。氷なら冷蔵庫で作れるもんな。


「アリスよ。これは高級な氷を使っているのだよ」

「高級ですか? 水道水ではなくスーパーで売っているお水ですか!?」

「そうだ。だから高いんだよ」

「そうですか。これがスーパーで売っているお水を使用した……!」


 適当に言ったけど、実際かき氷用の氷を取り寄せているだろう。冷蔵庫で作った氷と、かき氷用の氷でなんの違いがあるかは知らんが。


「すみません」


 少しだけ声を張って店員を呼ぶ。

 因みにここのアルバイトは一人だけで、結構な美人なお姉さんだ。

 大学生くらいだろうか。

 彼女のシフトは不定期で、オーナーだけの日の方が多い印象。


「はいはーい」


 出てきたのは美人なお姉さん。

 どうやら今日は当たりのようだ。


 なに? まるでストーカーみたいだって?

 しょうがないだろ。

 足繁く通う場所に美人なお姉さんとエンカウントするってなりゃ男なら意識くらいはするってもんだ。


 それに俺は身を弁えている。

 たいして顔が整っているわけでもなく、中卒、十八歳童貞、フリーター、ライトノベル作家志望の俺だ。

 間違ってでもお近づきになりたいなどとは思ってはいない。

 遠くから眺めているくらいが丁度いいのだ。


「ご注意お決まりですか?」

「これのいちごと宇治金時を」

「かき氷ですね。……あーでも」


 お姉さんがアリスの方をチラリと見る。


「これ結構大きいけど大丈夫?」


 ふむ。メニューの写真では実物の大きさはわかりにくいけど、確かに千円もするかき氷となると、それなりの量になっても不思議ではない。


「んー。もし良ければ半分にする?」

「そういうのアリですか?」

「大丈夫。今店長いないから」


 本当はダメらしい。

 それもそうだろう。俺のバイト先でも季節限定でかき氷を取り扱ったことがあるが、一品ごとに氷の塊で分けられているものだった。

 大体のお店は同じようなものだろう。


「じぁお言葉に甘えてそれでお願いします。それでいいよな?」

「はい!」


 量を減らされて拗ねる事を少しばかり懸念したが、アリスは素直に頷いた。

 つくづく歳に似つくわない素直さだ。

 俺がアリスくらいの歳だったら全部食べる突っぱねて食べ残す自信があるのに。



÷−÷−



「お待たせしました」


 しばらくして、注文した品が届いた。

 お姉さんが忠告してくれた通り、結構な量だ。


「シノさま、雲の山みたいです!」


 アリスが感激の声を上げる。


「んじゃ食べるか」

「はい!」


 かき氷なんて小学生の時に行った近所の夏祭りぶりだな。

 それからはさっきのアリスと似たようなもので、ただの氷に金払うのもなぁと思ってそれっきりだったが……。


「ん。なかなか美味いな!」


 なかなかどうして美味しいものだ。


「どうだアリス」

「夢のような味です!」


 見ればスプーンを咥えながら片手を頬に当てて、幸せそうにうっとりした表情で味わっていた。


「そうか。夢のようか。それはよかったな。ほれ、俺のも食べてみろ」

「え、そんな。シノさまのものを……」

「なんでそんな恐れ多い感じになるんだよ。交換だよ、交換。せっかく二人で違う味を頼んだんだから、二つの味を楽しんだ方がお得だろ」


 それを聞くとアリスはびっくりした顔をして、


「確かに……二種類食べた方がお得ですね! 流石シノさまです!」


 と言って、ウキウキと俺の宇治金時にスプーンを伸ばした。


「んじゃ俺もいちご少し貰うぞ」

「シノさま、ここです! この白いのがかかってる部分がオススメです!」

「練乳な。練乳美味いよな」

「はい! アリスはとても気に入りました!」


 たまには贅沢もいいもんだなとアリスの喜ぶ顔を見て思う。

 そうだな。週に一回くらいはちょびっとだけ贅沢な夕飯にしてもいいかもしれないな。

 最近見たマッスルなアニメでも言ってな。たしかチートデイって言うんだっけか。

 なに食ってもいいんだよチートデイは。


「ん?」


 そんなことを考えながらアリスを眺めていると、ふと気配を感じて横を見る。

 すぐそこにはお姉さんが立っていた。


 あれ、他になにか注文してたっけ? してないよな?

 じゃあうるさくて注意しに来たのかな。

 いやお姉さん、見てくださいよこの天使の笑顔。

 他に客がいないんだから少しくらい大目に見てもらいたいものだよ。


「あ、すみません。うるさくしちゃって」

「ん? ああ、大丈夫、大丈夫。今は君たちの貸切状態みたいなものでしょ?」


 あれ、勘が外れたらしい。


「ねぇ。つかぬことを聞いてもいい?」

「はぁ」

「君たち、昨日ホラーゲームやってたでしょ」

「え」


 お姉さんは全てを見透かしたように俺を見ていた。


 美人なお姉さんに見つめられてドキッとしてしまう。

 いや待て、なんでその事を知っている?

 それに気づいて、背筋がゾクッとした。


「正解です!」

「ちょ、バカ……」


 アリスはスプーンを片手にご機嫌に答える。


「あ、やっぱり!? じゃあお隣さんだ!」

「へ?」

「昨日の夜に隣の部屋から楽しそうな声が聞こえてきてね。声似てるなーって思ったの。そっか。お隣さんにこんな可愛い子がいたなんて知らなかったな。お名前は……アリスちゃん?」

「篠原アリスです!」

「私は嬉野かもめ。よろしくね」

「うれしのさん……あ、あー! 右隣の」


 名前は薄っすらと覚えている。

 確か右隣が嬉野さんで、左隣が宮地さんだったけ。


 まさかお隣さんにこんな美人なお姉さんが住んでいるなんて思いもしなかった。

 世間は狭いなって思ったけど、近所の喫茶店だし、近所に住んでいても不思議じゃないか。


「あそこボロだけど安いからねー。貧乏学生には良物件なのよ」

「そうですね。安さには俺も助かってます。すみません。うるさくしちゃって」

「いいのいいの。それよりも、もし良ければ今度……おっと、残念。お客さんだ」


 そのままいらっしゃいませーと行ってしまう。

 それをぽーっと目で追っている俺がいた。


 親しみやすい人だったなぁ。

 しかもめっちゃいい匂いしたわ。

 俺もなかなかの自然体で会話できたんじゃないか?

 ポーカーフェイスをなんとか貫けてよかった。

 吃ったり、ニチャアってしてたら気持ち悪いと思われるからな。

 いやーそれにしても、まさかあんな美人なお姉さんとお近づきになれるなんて、人生なにがあるかわからないものだ。


「シノさま。とても綺麗な方でしたね」

「そうだなー……」

「……シノさま、先程から口元が緩々で、口からかき氷が垂れてますよ?」

「うぇ、マジ!?」


 そして、何故かアリスの機嫌が傾いたのだった。

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