第八話「もっとも残酷な虫除けスプレーの使い方」

 皆さんは夏と冬、暑いのと寒いの、どっちが好きだろうか。

 ぶっちゃけ、暑いのも寒いのもどっちも面倒くさいが、強いて言うなら俺は寒い方が好きだ。

 理由はお布団が恋人だから。

 毎晩一緒に寝ている仲。

 そして、寒い冬はお布団をより愛せるってもんだ。


 そして今日。

 俺は夏が最高に大っ嫌いになっていた。


「ぐああああぁぁぁ!」


 猛暑が続くこの頃、俺は唐突に襲われた痒みに発狂していた。


「どうなされたのですか!?」


 心配そうに駆け寄ってくるアリス。

 汗が滲むその手にはしっかりとライトノベルが握られていた。

 うむ。すっかりオタクの仲間入りだ。


「蚊に喰われた。ほれ」


 俺は冷静を取り戻して、刺された二の腕にある赤い膨らみをアリスに見せてやる。


「た、大変です! アリスにお任せ下さい!」

「あ?」


 すると、アリスは俺の腕をガシッと掴むと、あろう事か刺された部分にかぶりついてきた。

 そのまま吸い付いてくる。

 凄い!

 とてつもない吸引力だ!


「ちょ、なにやってんだ。やめろ!」


 しかし止めない。

 アリスはタコのような顔にして、俺の二の腕に吸い付いている。


 あ、やめて! ペロペロしないで!


 なんだこの状況。

 アリスの頭を掴んで外そうとするが、片手を奪われてるせいで力負けする。

 仕方ないのでチョップをお見舞いした。


「み°」


 変な声を出しながらやっと離れてた。

 アリスに何かをやめされる時はチョップが一番だ。この数日でそう教育したからな。犬のしつけと同じだ。


「やめろと言うている」


 アリスを引き剥がすと、二の腕には小さなキスマークが出来ていた。

 若干ヒリヒリする。

 このやろう。思いっきり吸い付きやがって。


「でも早く毒を吸い出さないと大変です!」


 そう言ってアリスはまた俺の腕を捕まえようとしてくる。

 それをさせるかと、アリスのおでこを掴んで阻止した。

 腕のリーチの差だ。


「落ち着け、毒ってなんだ、毒って」

「虫には猛毒を持ったものがいるってインターネットに……!」

「は? そんなもん日本じゃハチぐらいだ。蚊は痒くなる程度なの」

「そ、そうなのですね……」


 そこでやっと落ち着きを取り戻す。

 いや、俺がぐああああぁぁぁ! とかふざけて叫んだも悪いけどさ。


 はぁ、疲れた。

 そして暑っちぃ……。

 結構ガチ目に落ち込むアリスの頭を撫でてやってから、タオルで汗を拭いてやる。

 俺も汗がヤバい。

 二人して汗だらだらだ。


 というのも、ここ篠原の城、只今エアコン故障中である。

 室内の気温は三十五度に迫り、もはや俺とアリスの頭は暑さにやられているのかもしれない。


「アリスは蚊に刺されてないか?」

「私はどこも痛くないです」

「蚊に刺されても痛くないんだよ。刺された所は痒くなるんだって。ちょっと見せてみろ」


 アリスの顔から足までざっくりと見るが、特に刺された形跡はない。エルフだからなのか、まだ若いからなのか、綺麗な肌をしている。

 すべすべもちもちお肌だ。


「パンツも脱いだ方がいいですか?」

「脱がなくてもいい。蚊はパンツの中まで入ってこない」


 俺が蚊に転生したら入るけどな。


「あ! シノさまの首元も赤くなってます! 足もです!」

「なにぃ!?」


 おいおい蚊さんよぉ。なんで俺ばっかり刺すんだよ。

 俺とアリスの二択だぞ?

 俺が蚊だったら、間違いなくアリスのパンツの中で吸ってるぜ?

 おっと、俺はロリコンじゃなかったな。

 危ない危ない。


「あークソ。痒いな……」

「氷、持ってきますか?」

「いやいい」


 なんてこった。暑さのせいで空より広く、海より深い心を持つこの俺が蚊ごときで苛々している。


 俺は天井を仰ぐ。

 気配はある。

 さっきも耳元を通って行った。

 奴はまだこの部屋にいるのだ。


「アリス、痒み止めと虫除けスプレー買いに行くぞ! これ以上ストレスが溜まってはやってられん」

「はい!」



÷−÷−



 買ってきた虫除けスプレーを俺とアリスに満遍なくかけて、痒み止めを刺された部分に塗り塗りする。

 そして、虫除けスプレーを片手に目を血走らせ獲物を捜す。


「いいかアリス。蚊を見つけたら逐一報告だ。いいな」

「はい! シノさまの仇です!」


 二人、狭い部屋の真ん中を陣取り身構える。


「シノさま、お言葉ですが、一つ聞いてもよろしいでしょうか」

「なんだ」

「虫除けスプレーですと、殺虫効果はないと思うのですが」

「……いいところに気づいたなアリス。その通りだ。

 虫除けスプレーには殺虫効果はない。なら、どんな効果があると思う?」

「え? 虫除けなので、虫が近づかないのではないのでしょうか」


 当たり前の問答。

 しかし、そこに俺の考えの答えがある。


「そうだ。なら、蚊に虫除けスプレーをかけたらどうなる?」

「それは……蚊に虫が寄らなく……あっ!」

「気づいたか。そう! 俺の血を吸った代償は死なんて生温い! 俺はこの虫除けスプレーを使って、蚊に虫社会的死を与えるのだ!」


 ボッチの血を吸ったらてめぇもボッチになるんだよ!

 ふはははは! ざまぁ見ろ!


「いました! そこです!」

「おらぁ! 社会的に死ねぇい!」


 その晩、俺は十箇所近く蚊に喰われ、なぜかアリスは無傷であったのだった。



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