第57話 雨の中
雨が降っていた。
大粒の雨水が地面を叩き、うるさい程の音を響かせている。厚い雲が空を覆い、まだ昼なのに辺りは薄暗い。
その不十分な視界の向こうから、光の玉が飛んでくるのが見えた。
魔族部隊の隊長であるマドルムは「防御!」と大声で叫び、自身も魔力防壁を構築する。
魔力弾と思しき光球は防壁に当たり、炸裂する。あの男女二人組の魔術師からの攻撃だろう。
魔力弾を皮切りに、次々と攻撃魔術が飛んでくる。こちらも魔力防壁を多数展開して対抗する。
上を向くと雨水が目に入り、対処しにくい。しかし、もう何度も繰り返された攻撃だ。慣れもあり、無事に防御できていた。
「この雨で敵も攻撃を控えるかもと思ったが、やはり警戒しておいて良かったな」
マドルムは誰へともなしに呟く。隣にいた副隊長が「はい」と応えた。
敵の姿は見えない。大型のモンスターも連れている分、どうしても
暫くして、攻撃が止む。だが警戒は解けない。いつまた敵が仕掛けてくるか分からないのだ。
「本当に、嫌な敵ですね」
「ああ。全く、優秀で勤勉だ。雨の時ぐらい休んで欲しいが」
副隊長の愚痴にマドルムは同意の言葉を返す。敵は今のような攻撃を高頻度で繰り返していた。
人間魔術師の遠距離攻撃は確実にこちらを消耗させてくる。警戒を解けないせいで行軍速度は大幅に低下、体力を消耗し神経をすり減らしている。
それに対し、
別働隊を作って送り込めば逆に狩られるのは実証済みだ。全軍で攻撃すれば倒せるかもしれないが、モンスター中心の雑多な魔族部隊より精鋭2名の方が遥かに移動は早い。逃げられて終わりだ。
腹立たしいが、今は最精鋭クラスの魔術師を二人拘束していることで満足するしかない。
マドルムは『任務達成は難しいかもな』と口には出さず、思う。いずれ敵は増えるだろう。人間の軍が来る筈だ。
もとより敵を引き付けるのが仕事だが、既に戦力の一部を失い、疲弊している。どれだけ持ちこたえられるか……死力を尽くすしかないが、難しい采配が求められる。
マドルムは他の魔族に気付かれないよう、小さくため息をついた。
◇◇ ◆ ◇◇
俺とブリュエットさんはずぶ濡れだった。
大雨の中、魔族部隊に攻撃をしていたのだから、まぁそうなる。防水性の高い外套は着ていたが、それでも下着まで水没だ。
現在攻撃を終えて森に退却し、雨を凌ぐための、休息用スペースを作っている。
と言っても本当に簡素なものだ。魔力刃で木の枝を切り落とし、幹の側を削って尖らせ、葉が付いたままの枝を地面に斜めに刺す。それで三角形を作り、テント未満の葉っぱ小屋が出来た。
本当は洞窟でもあれば良いのだが、世の中はそうそう都合良くはない。
「もう少し降り続きそうですね」
ブリュエットさんが言う。俺は空を見上げて「そうですねぇ」と返した。木々の隙間から見える空は深い鼠色だ。雨は一時よりは弱くなったが、まだ止む気配はない。
葉っぱ小屋に入る。中は当然狭い。広さは安宿のベッド1つ分ぐらいだ。高さもなく、小柄なブリュエットさんでも立ち上がることは出来ない。
「まずは服を乾かさないとですね」
ブリュエットさんが言う。服が濡れたままでは体力を消耗してしまう。
「ええ。俺はあっち側向いていますので」
そう言ってブリュエットさんに背を向け、俺も服を脱ぐ。濡れて体に貼り付いている上に、立ち上がれないのでとても脱ぎ難い。モゴモゴと苦戦しつつ脱いでいく。
「うー脱ぎ難いっ」
背後からボヤき。ブリュエットさんも苦戦しているようだ。
暫く悪戦苦闘して服を脱ぎ終え、小さな枝を地面に刺してハンガー代わりに干す。
次に、荷物から寝具用の毛布を取り出す。薄手だが、羊毛なので保温性は高い。毛布は荷物の奥の方に入れていたので、湿気ったぐらいで済んでいた。
それを体に巻こうとしたとき「ひゃぅ!」という声がした。何だろうと思った次の瞬間、俺は後から軽い衝撃を受けバランスを崩す。
地面にドタッと仰向けに倒れる。
体の前面に柔らかい感触があった――ブリュエットさんが、向かい合う形で上にいて、体が密着している。
一瞬脳がフリーズした後、逆に思考が加速する。状況からして、ブリュエットさんが転んで、ぶつかってきたのだ。狭い葉っぱ小屋の中、半立ちで服を脱いでいれば転ぶ事もあるだろう。
一応は俺も男である。ほぼ裸の美少女と密着すると不味い反応が起きかねない。平静を保たなくてはならない。
俺は修行中、魔術構築前に心を落ち着ける時、夜の湖をイメージしていた。それを久しぶりにやる。
月明かりが微かに水面の位置を教えるだけの、静かで凪いだ広い広い湖、音はなく先は闇に溶けている。平常心、平常心。
「ご、ごめなさい」
ブリュエットさんが慌てた声を上げ、体を起こす。色々見えてしまった気がする。目を逸し、暗い水面のイメージを維持する。
俺は手に持っていた毛布を視線を外したまま、ブリュエットさんにかける。これで一旦大丈夫。だが、逆に俺の体を隠すものを使ってしまった。益々反応させる訳にはいかない。暗い水面、静かな水面……
「あ、ありがとうございます。えと、そうだ、はい!」
赤い顔をしたブリュエットさんが、荷物の上に出してあった彼女の毛布を俺にかけてくれる。
「失礼しました。転んでしまって……」
「いえ、大丈夫、お気になさらず」
「ドグラスさん、なんか凄い遠い目をしてません? 海に沈む夕日を眺めてるような」
「そうですか。まぁ、少しびっくりしただけです」
俺は一回深呼吸して、夜の湖のイメージを解く。反応は抑えきったが心拍数は上がっている気がする。ブリュエットさんは本当に綺麗な人なので、仕方ない。うん。
何だかガッツポーズを決めるドミーさんの姿が脳裏に浮かんだ。
「私、万歳してるドミーの姿が目に浮かびました」
「俺もです。万歳じゃなくてガッツポーズですけど」
「それでソニアさんは『ぐぬぬ』って顔でハンカチ噛んで」
ああ、その姿も目に浮かぶ。ハンカチ噛むより地団駄踏みそうだけど。
クスクスと、笑い合う。
毛布に丸まったブリュエットさんは、なんかマスコットみたいでかわいい。
さて、服を乾燥させよう。俺は魔術を構築し、熱風を発生させる。服を焦がさないように熱風を制御し、継続放出する。ちなみにこの魔術乾燥は炎熱系と風系の魔術を緻密に制御し組み合わせた超高等技術である。
ブリュエットさんも服を枝に引っ掛け乾燥を始める。
「ドミーは既に敵を殲滅してますかね」
「どうですかね。トリスタと組んでますから敵を圧倒するでしょうが、流石に数が多い」
体力と魔力は有限だ。モンスター含め数千体の敵が相手だと、どうしても『攻撃、離脱、休憩、攻撃』の繰り返しにはなる。
だが俺達のように遠隔攻撃でチマチマ叩く必要はない。トリスタの突撃をドミーさんが支援し、ガンガン屠っていくだろう。
少し考える。トリスタ、ドミーペアの戦う敵が俺達が相対する魔族部隊と同等と仮定すると……
「順当にいけば、そろそろ終わる頃ですね」
トリスタとドミーさん、エリーサ様がいるであろう東の方向に何となく視線を向ける。見えるのは葉っぱ小屋と、隙間からポタポタ落ちる雨水だけだ。
上手く行っててくれよ、と俺は祈った。
◇◇ ◆ ◇◇
トリスタは飛び掛かってきた7体の甲虫型のモンスターを次々と斬り倒す。
ドミーも蛇型のモンスターを2体、雷撃で撃破した。
モンスターを排除し終え、トリスタとドミーは再び走り出す。
「逃げるって、そんな選択肢ある?」
走りながら、声を上げる。トリスタは少し苛立っていた。
トリスタ達は夜襲の後、一旦離脱し、距離を取って休憩した。あと2回ぐらい突撃し、敵部隊を壊滅させるつもりだった。
しかし、魔族部隊は予想外の動きを見せていた。ナミタ大森林方向へ移動を始めていたのだ。しかも、殿に足止め用の小部隊を何度も切り分けつつ、全力逃走している。
流石にこれをされると、二人で数千の敵を倒すのには時間がかかる。しかし、ナミタに戻っても魔族に先の展望はない。ない筈だ。
「敵の嫌がることをする、って意味なら正解ですけどねー。現に私達困ってますし。でも魔族達はこちらが『超強いけど、色々不安なエリーサさんに一刻も早く合流したい』なんて事情を知るわけないんですよね」
ドミーも首を傾げる。
「そう、知っている筈がない。未知の手段でこちらの動きを把握してたなら、昨日の奇襲が上手く行きすぎだし」
夜襲では間違いなく、敵は混乱していた。
むむぅ、と二人は走りながら考える。
「あっ!」
ドミーが声を上げた。
「ねえ、トリスタさん、もしかしてマルギタの町に居た魔族、ギガントベアの休憩が終わったら
言われて、トリスタも思い至る。
「あーその可能性はあるわね」
敵はマルギタの魔族部隊が全滅していることは知らない筈だ。伝令はきっちり仕留めた。
敵は仲間と合流しようと道を戻っているのかもしれない。
「ギガントベアは強いですし、ドグラスさんが倒した高位魔族も中々の使い手だったみたいですし、合流したくなる気持ちは分からなくもないです」
「それにしたってお粗末だけど……」
ギガントベアは確かに強い。しかしトリスタ、ドミーのペアはギガントベアより遥かに強い。合流したって勝てはしない。
「何か秘策でもあるのか、苦し紛れか……」
「案外、昨日の夜襲で気付かないうちに副隊長とかも倒しちゃってて、迷走してるとか」
「可能性はありますね。それこそ次の指揮権順位がドグラスさんが倒した高位魔族グリベザだという可能性も」
喋りながらも足は止めない。街道を南へ南へ。
トリスタは「エリーサ様、もうちょい頑張って下さいね」と小さく呟いた。
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