最終話
ルビィさんのサプライズに、彼女は驚いていた。
そして、何より喜んでいた。
それで、少しだけ俺は胸の痛みが和らいだ気がする。
そんなものは甘えだと思うが、甘えだとしても、無いよりはあった方がいいと思う。
俺は、彼女とルビィさんを駅まで送った。
本当は家まで送る予定だったのだが、これから二人で少し話したいと言う事になったのだ。
そんな訳で、先に家に向かい、荷物だけ置いた後、二人彼女を乗せてルビィさんと駅まで送り届ける事になった。
セーフハウスの片付けは杠葉の仕事だ。
車が駅に着くと、彼女とルビィさんは車を降りて、俺に軽く頭を下げて、二人はそのまま駅の人混みの中に消えて行った。
俺が彼女を見たのはこれが最後だった。
ああ、別に死んだとかそう言うんじゃない。
予定通り、翌日には会社から告知が出た。
そして、彼女の契約解除は瞬く間に世間の知る事となった。
ネットニュースは、こぞってこの話題を取り上げていた。
誰からも真相は語られ無いままだった事で、ネット上には、ありとあらゆる憶測が飛び交っていた。
会社への問い合わせも、ひっきりなしに起きた。
俺は毎日、その対応に追われていた。
そして、あっという間に、時が過ぎて行った。
彼女のチャンネルからは全てのアーカイブが見れなくなり、公式サイトから彼女の姿が消えた。
こうして、VTuber
中の人である彼女は、暫く世間から姿を消していた。
やがて、彼女がかつて活動していた個人VTuberカノンが、活動を再開した。
彼女は88プロを離れ、再び個人VTuberとして再開する事になったようだ。
おそらく、本人の中でも色々と葛藤はあったのだろう。
活動再会までの数ヶ月間の沈黙が、それを物語っていた。
だが、彼女は再び人々の前に姿を現す事を選択した。
俺は、ほんの少し、ほっとした。
復活した後の彼女のアカウントには、一気にフォロワーが増えていた。
個人VTuberとしては異例の多さで、あっという間に数十万人のフォロワーが付いた。
それだけで、どれだけの人が彼女の、復活を待ち望んでいただろうと言うことが窺い知れた。
俺は、オフィスのPCで彼女の配信を眺めていた。
画面の向こうで、楽しそうに雑談をしている彼女は、あの頃と変わらない。
「
可愛らしい声に振り返ると、新人VTuberの
エルルは俺のPCに映っている彼女の姿を見て、目を輝かせた。
「あ、カノン先輩の配信見てたんですね」
「ああ、そうだよ」
「私、カノン先輩、あった事ないんですよ」
「そうだな、ちょうど君が入って来た時と入れ替わりだったからね」
「会ってみたかったな……先輩」
「エルルはダンスレッスン終わりかい」
「そうです。さっきまで下の練習室でダンスレッスンしてました。疲れました」
「そうか、頑張ってるな」
「もっと褒めて下さい」
「はいはい」
「ところで、カノン先輩の契約解除、真相は何だったんですか?」
「おいおい、いきなり聞いてくるな」
「だって、誰も教えてくれないんですよ。チーフは知ってるんですよね」
「俺も知らないよ」
「嘘ですよね」
「本当だって」
「うーむ……あやしい」
「それに仮に知ってても教えられないだろう」
「それはそうですね」
「それより、今度の事務所ライブ、エルルにとっては初めての大型イベントだから、しっかり頼むよ」
「分かってます!安心してください」
「どこからその謎の自身が来るのか分からないが、まあそれだけ自信があるなら大丈夫か」
あれからも、88プロのVTuber達はいつも通りの活動を続けている。
新人達のデビューもあるし、企業案件も増えていて、毎日が忙しく過ぎて行く。
これからも、きっと彼女の様な事は起こるのだろう。
皆それぞれに事情を抱えたまま、活動を続けているのだ。
もう二度とあんな思いはしたくない。
が、現実はそんなに甘くない。
ファンが増えれば増えるほど、問題だって増えてくる。
アンチやストーカーの問題にも頭を悩ませられている。
それでも。
それでも、彼達は、彼女達は、ファンの為に笑顔を絶やさないで今日も活動を続けている。
そして、この何気ない日常が、他愛も無い雑談や配信が、明日も続く保証はない。
今日は普通に配信していた人が、明日にはいなくなっている。
そんな事は無いと思いたい。
今日普通に配信していたら、明日も普通に配信しているだろうと思ってしまうものだ。
だけど、それは恒常性バイアスがかかってそう思っているだけなのだ。
本当は毎日が違うのが当たり前なのだ。
だからこそ、今日言えることは今日言っておかなければ。
「エルル、最近どうだ?」
「何ですか急に……」
「いや、なんか困ってる事は無いか?」
「無いですよ」
「そ、そうか……」
「そんなとってつけた様に聞かれても……ねえ」
「それもそうだな」
「あ、でも明日になったら何か困ってるかもしれませんよ。明日も聞いてくれます」
「明日も聞くのか」
「明日も明後日も、毎日聞いて下さい」
「心配症じゃないか俺」
「そしたらいつか、何か言うかもですね」
「……それって、本当は何かあるって事か?」
「さあ、どうでしょう。私のことじゃ無いかもしれませんし」
「俺に言えない、エルルにだけ打ち明けている事を誰かが抱えているのか」
「さあ、どうでしょう」
「分かったよ。毎日聞くから、覚悟しろよ」
「聞くだけじゃダメですよ。ちゃんとみんなの事、興味持って接して下さい」
「なんでお前に言われ……まあ、わかったよ。そしたらいつか教えてくれるんだろうな」
「そうですね、そうかもしれないです」
「エルル、お前以外と抜け目無い所あるな」
「私、新人だから話しやすいらしいです。先輩達に色々聞いちゃうんですよねー」
「そうなのか」
「さあ、どうでしょう」
「まあ、良いさ。そうだ、今度焼肉行くか?」
「え、まじですか!何でも聞いて下さい!」
「チョロいな……」
「はっ!危うく買収される所でした!そ、そんなに簡単に心を開くと思わないで下さいね!……ああ、お腹減った」
「カルハラミー庵の特上カルビと厚切りロース」
「あ……ああっ!何でも教えますー!」
「やっぱチョロいな……」
まあなんだ、色々あったが、カノンの元気そうな姿がみれた事で、俺は少し安心した。
この先はお互い違う道を歩いて行く事になってしまったけど、同じ世界で生きる戦友として、この先も彼女の活動がうまく行くと良いと思う。
俺は俺で、今はこの子達の事を大事にしていこうと思う。
それが、俺にできる事なのだろうと思う。
画面の中の彼女は、笑顔で配信を終えた。
今は配信終了の画面になっている。
俺は、PCのブラウザをそっと閉じた。
VTuber梁都カノン、最後の配信。 海猫ほたる @ykohyama
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