第3話

「やっぱ、辛いです」


 杠葉がそう呟いた。


 カノンは、予定通り最期の配信を始めた。


 俺と杠葉は配信の邪魔にならない様に、他の部屋に移って、モニター越しに彼女の配信を見ている。


 部屋にはもう一人、俺が連れて来た人がいる。

 まだ彼女には、連れて来た事を内緒にしておきたかった。


 だから、彼女が配信を始めるまでは車で待機してもらっていた。


 無事に配信が、始まって、俺は車まで呼びに行って、連れて来た。


 このセーフハウスには、いま、最期の配信を行なっているカノンと、別の部屋でその配信を見ている俺と杠葉、そしてこの人の4人がいる。


「これで見納めだなんて……あんまりです」


 杠葉の目は既に涙ぐんでいる。


「お前な、カノンが泣いて無いんだから、お前も泣くな」


 そう言う俺も今、かなり来ている。


「だって……うぅ……」


 カノンの最期の配信は、88プロに所属している他のVTuberとのこれまでの関係を振り返る内容だった。


 所属しているVTuberの人それぞれとの思い出を語りつつ、その人とこれから一緒にやりたい事を、カノンは一人一人に向けて語っている。


 これからの事を語っているのは、この配信が最後になると言う事が見ている人に知られない為のカモフラージュなのだが、明日には契約が切られると分かっている俺たちには、それは本当ならやりたかったメッセージに、見えてしまう。


 彼女はいつも通りの平静さを保とうとしているが、時折り感情が昂りそうになっているのを必死で抑えているのが伝わってくる。


 コメント欄でも少し気になっている人がいたが、彼女は少し風邪気味なのと上手く誤魔化していた。


 あまりに辛い。


 見てられなくなる。


 たが、俺が目を背ける訳にはいかない。


「本当に、これでお別れなんですか……」


 俺の隣の人が、ポツリと呟いた。


「はい、すみません。俺がもっとしっかりしてれば……」


「いえ、櫟乃森くぬぎのもりさんのせいではありませんよ」


 俺の隣にいる彼女の名は、カワセミルビィ。


 カノンのママ、つまりはVTuberのアバターであるキャラクターのデザインを担当したイラストレーターだ。


 ルビィさんは、彼女がまだこの88プロに入る前からの知り合いだ。


 カノンは88プロに入るまで、個人VTuberとして活動していた。


 その時のアバターをデザインしたのも、ルビィさんだった。


 88プロ所属となった後も、彼女の指名でルビィさんをママにする事になった。


 ルビィさんからしたら、彼女が有名になるよりずっと前から一緒に活動して来た仲間だった。


 ルビィさんは、じっと彼女の最期の配信を見つめていた。


 その様子は、俺にはまるで、全てを記憶に焼き付けておきたいかの様に見えた。


 配信は、一通りの内容が終わって雑談の時間になっていた。


 これまでよく耐えてくれた。


 もうすぐ終わるんだ。


 もう、頑張らなくて良いんだ。


 後は配信を終わって、家に帰って暫くゆっくりして欲しい。


 その後は、もう俺たちには何もしてあげられる事はないけど。


 でも、もう良いじゃ無いか。


 これまでこんなに頑張って来たんだ。


 全てを終えて、早く楽になって欲しい。


 俺はそう思う事にした。


 彼女は、そろそろ今日の配信終わるね……と言っていたが、なかなか終わる気配がない。


 まるで、配信を終えたくないかの様に、そういえば……と話題を引き伸ばしている。


 終わってしまえばもう、二度と戻って来れなくなる。


 まるで、その時が来て欲しくないかの様に、なかなか終わる気配がない。


 そうか。


 まだ、続けていたいんだ。


 彼女は、終わって楽になりたくなんかないんだ。


 苦しくても、それでも、この時が永遠に続いたら良いのにと思っているんだ。


 俺は、ついに堪えきれなくなってしまった。


 いかん、後輩の前なのに、涙が止まらない。


 みっともない姿を見られている……と思っていたが、杠葉もルビィさんも泣いていた。


 俺たちは、皆、泣いていた。


 こうして、何の問題も起きないまま、彼女の最期の配信は終わった。


 結局、コメント欄を見る感じ、俺たち以外のまだ誰も、彼女の配信がもう二度と無いのだと言う事に気がつく者は出ていなかった。


 彼女はやり遂げたのだ。


 最後まで、完璧に自分の仕事をやり遂げたのだ。


 配信が完全に終わったのを確認してから、俺と杠葉は彼女の部屋に走って行った。


 彼女は椅子に座ったまま、配信終了を知らせるモニターを見つめたまま、ぼーっとしていた。


「カノン」


 俺が彼女の名を呼ぶと、俺と杠葉が部屋に入って来た事にようやく気がついた様だった。


「……よくやったな。立派だったよ」


 俺は、そう言うのが精一杯だった。


櫟乃森くぬぎのもりさん……」


「カノンさーん!」


 杠葉が彼女に抱きついた。


「杠葉さん……私……わた……うぅっ……」


 それからカノンはそれまで抑えていた感情をようやく解放したかの様に、無邪気に泣きはじめた。


 カノンと杠葉は、暫くの間、二人で抱き合って、お互いずっと泣いていた。


 おかけで、ルビィさんのサプライズ登場のタイミングが遅くなってしまった。


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