第2話

 カノンのセーフハウスから配信する日々は、つつがなく過ぎて行った。


 セーフハウスと言っても、色々ある。


 マンションの一室から戸建てまで、色々な種類の物件を会社で借りている。


 今回のセーフハウスは、かなりの大きさの敷地を持つ、よく手入れされた庭付きの一軒家だった。


 俺の知っているセーフハウスのリストに、この家は無かった。


 詳しくは聞いてないが、どうやらここは社長の別荘になっている建物らしい。


 セーフハウスには、既に彼女が配信する為の機材はセッティング済みで、それ以外にも数日を過ごすのに必要な日用品や家具家電は一通り揃えてある。


 それらの準備は、彼女の担当マネージャーである杠葉ゆずりはが行っていた。


 杠葉は2年前に大学を卒業してこの会社に新卒で入っていた。


 杠葉もまた、カノンの配信を見て育ちカノンに憧れてこの業界に入って1人だ。


 杠葉は他にも何人か担当VTuberを抱えていたが、この数日はカノン専属の担当としてつきっきりでセーフハウスにいてもらう。


 杠葉の担当している他のVTuberのマネージング業務は、他の人に割り振ってある。


 杠葉はこれから数日間、泊まり込みで彼女の身の回りの世話をする事になる。


 まあ、実際は彼女が余計な事を言わない様に見張るのだが。


 俺は彼女を連れて行った後、会社に戻った。


 彼女が居なくなった後の対応をどうするか、今から考えておかねばならない。


 やる事が山積みなのだ。


 それからの数日間、俺は業務の合間に、スマホから彼女の配信を見ていた。


 配信上の彼女を見る感じ、まるで何事も無かった様に、普段通りの様子の様に思えた。


 彼女はプロだった。

 

 今までと何ら変わらない口調と態度で、普段と変わらない雑談やゲーム実況などをしていた。


 きっと、配信を見ている人の誰も、彼女が今、十字架を背負ってゴルゴダの丘を一歩ずつ登っている最中なのだと気づく者はいないだろう。


 配信のコメントの中には、この先に行われる予定の、88プロ所属VTuberが勢揃いで行われるリアルライブについて、どんな感じになるのかと書き込んだり、他のコラボして欲しいVTuberの名前を上げるコメントも見られた。


 それらのコメントを見るたびに、俺は胸が痛んだ。


 彼女はもう、ライブに出る事はない。


 この先、他のVTuberとコラボすることも、もちろん無い。


 俺だったら、こんなコメントを見たら何も言えなくなってしまうだろう。


 だが、彼女はそれらのコメントにも、やんわりとぼかしながら上手く答えていた。


 そんな未来が訪れない事は、自分では分かっていながら、彼らを裏切る事になる事を自分では分かっていながら、それでもそう言う未来が普通に来るかの様に、何事もないように、普段通りに振る舞っている。


 なんて健気なんだ。


 こうまでしてファンの事を大事にしてくれる彼女に対して、俺たちは何もしてあげる事が出来ない。


 そればかりか、そんな彼女に対して、俺たちはこれから、残酷な仕打ちをする事になるのだ。


 ゴルゴダの丘を登りきった彼女は、磔にされてロンギヌスの槍で串刺しにされる事になる。


 もう決まった事とは言え、あまりにも残酷な仕打ちではないのか。


 今からでも、決定を変える事は出来ないのか。


 残念ながら、俺のその願いは叶わなかった。


 そして、ついに契約解除の前日になってしまった。


 会社は予定通りに、発表を行うだろう。


 俺は最期の配信を見届けるべく、彼女のいるセーフハウスに向かった。


 今日は後部座席に、もう1人ゲストを乗せている。


 ゲストと言っても、配信でコラボする事は無い。


 俺がどうしても、最後に彼女に挨拶させてやりたかった人を乗せているのだ。


 車がセーフハウスに着いた。


 駐車場には社長の車も止まっている。


 後部座席の人には一旦待ってもらい、俺は一人で家に入った。


 玄関には、杠葉が出迎えている。


「チーフ、お疲れ様です」


「もう、始まった?」


「いえ、これからです。今は社長と話しています」


「そうか、じゃあここで待つとするか。彼女の様子は?」


「落ち着いてます」


「そうか。俺は後で行く。杠葉は彼女の所に戻ってくれ」


「分かりました」


 ジャージ姿の杠葉は、てくてくと歩いて奥の部屋に消えて行った。


 杠葉の服装だけ見てると、同級生とのお泊まり会にしか見えないな。


 まあ、そのくらいラフな方が、彼女も安心できるだろうから、良いけどな。


 セーフハウスの玄関には、絵画や壺などがかざってある。


 豪華な玄関だ。


 これ一体いくらするんだろう。


 やはりここは、社長の別荘なのか。


 そう言えば、彼女をここに連れて来た時、特に何も言わなかったな。


 あの時は気が動転しててそれどころじゃ無かったのだろうとは思う。


 だが、それにしても、初めて来た場所の割には、何の説明もしていないのに、普通にこのセーフハウスに入って行った気がする。


 もしかして、彼女はここに来たことがあるのだろうか。


 彼女はうちの専属の中でも特に社長に気に入られていた。


 ここが社長の別荘なのだとしたら、社長に案内されて来た事があったとしても不思議はない。


 実際には、二人の関係がどうだったのか正確な事は分からないが、社長と付き合っているという噂が流れていた事もある。


 その時にこの家に来たのかもしれないな。


 俺は玄関の絵画をぼんやりと眺めながら、そんな事を考えていた。


 暫くすると、社長が、玄関にやって来た。


「櫟乃森、居たのか」


「あ、はい。さっき着きました」


「そうか、俺は社に帰る」


「カノンの配信は見ていかないんですか?」


「ああ。俺には耐えられない。それに、あいつも俺が居ない方がやり易いだろう」


「そうですか」


「これから忙しくなるだろうが、何とか皆で協力して乗り越えてくれ」


「分かっています、社長」


「では、あとは頼んだ」


 社長はそう言うと、玄関を出て行った。

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