VTuber梁都カノン、最後の配信。

海猫ほたる

第1話

 梁都はりとカノン。


 今や日本で知らない人はいない、大手芸能事務所である、88オクターヴ・プロダクション——通称、88プロ——に所属する、人気VTuberだ。


 だが彼女は、もうすぐその役目を終える。


 正確には、終えさせられるのだ。


 この事実はまだ、社長と俺と彼女を含むほんの数人しか知らない。


 来週、彼女の契約解除が事務所の広報から正式に発表される手筈になっている。


 おそらく大ニュースになるだろう。


 何十万ものフォロワーがいる彼女が突然契約を解除されるのだ。


 しかも、それまで何の告知もないまま、突然の発表。


 事務所の電話とメールは暫く、この対応に追われるだろう。


 なぜ、そんな事になってしまったのだろうか。


 事務所から、その理由を発表する事は……ない。


 だから、誰も本当の理由を知る事はできない。


 それで良いのだろうか。


 ファンの人達に何の説明もなく、今日で活動は終わりになります。


 今までの約10年分のアーカイブは全て見れなくなります、さようなら……これだけで終わるのだ。


 いや、それで良い訳が無い。


 ファンの人達は、これまで10年の間、彼女をずっと支えて来た。


 人生を共にして来たと言っても過言ではない。


 そんな人達が何十万といるのだ。


 その人達への説明とするには、あまりに不十分だ……と思う。


 だが、俺個人としてはそう思っていても、会社としてそうすると決めた以上、従う他無いのだ。


 俺個人の意見で勝手な行動をする事は、許されない。


 それが、会社員の辛いところだ。


 俺は、彼女のマンションの前に車を停めている。


 暫く待っていると、マンションから彼女が出てきた。


 チェック柄のシャツにフリルスカート姿で、ブラウンに染めた長い髪を後ろで結んで纏めている。


 サイドの髪は花柄の髪留めで留めているところが可愛らしい。


 彼女は大きな旅行用のトランクを手に持っている。


 知らない人が見たら、お洒落して旅行にでも出かけるのかと思うだろう。


 素顔が人前にでる訳ではないが、いつも身なりをちゃんとしてる所が彼女らしい。


「すいません、準備に手間取って遅くなりました」


 軽く頭を下げて、彼女は俺の車(と言っても社用車だが)の後部座席に乗り込む。


「いや、全然待って無いよ。それより、手間を掛けさせてすまないね」


「いえ……私のせいですから」


 彼女はトランクを手際良く載せると、再び家に戻って今度は旅行鞄を抱えて来る。


 さっきのは着替え一式で、今度のは化粧品だろうか。ゲーム機も持って行くのだろうか。


「荷物まだある?手伝おうか?」


「いえ、大丈夫です。これで終わりですので」


「そうかい」


 鞄を後部座席に置いて、彼女も乗り込む。


「……あの、櫟乃森くぬぎのもりさん」


「なんだいカノンちゃん」


櫟乃森くぬぎのもりさん、今までずっと、ありがとうございました」


 バックミラー越しに彼女を見ると、その目は俺の方を真っ直ぐに見ていた。


 だけど声は小さく、いつもの気丈な感じはなく、弱々しく感じる。


「謝るのは俺の方だよ。君を守れなかった……」


「いえ、私が悪いんです。私がこんな事をしたばっかりに、皆さんを巻き込んでしまって」


 最近では彼女の送迎は担当マネージャーの仕事であり、チーフの俺は、最近、あまり彼女とちゃんと話す機会が無かった。


 久々の話す機会がこんな形なのは、何とも辛い所だが。


「君が悪いんじゃない。俺は今でも、君が悪いことをしたとは思っていないさ。ただ、会社ってのはそれでも決断しないと行けない事があるんだ。だから仕方なくそうするだけの事だ。君は、もっと自分に自信を持っていいんだよ」


 発端は、一本の電話だった。


 その電話は、チーフマネージャーである俺の所に直接掛かってきた。


 俺の会社は、最近案件が続いていた。


 所属するVTuberのスキャンダルが続いていて、俺は連日対応に追われていた。


 特に今は、新人だが人気のある所属VTuber、薄刃うすばカゲロウの女性問題に手を焼いていた。


 彼はすぐ女性アイドルに手を出して、その度に週刊誌を賑わせていた。


 その時も、またカゲロウのスキャンダルかとすぐ思った。


 だが、違った。


 話題は、カゲロウではなく、カノンの事だった。


 電話の相手は、別の事務所の偉い人だった。


 俺は、頭の中が真っ暗になった。


「ありがとうございます。櫟乃森くぬぎのもりさんが、社内で色々と手を尽くしてくれたのは聞いています。本当に今までありがとうございました」


 彼女は、別の事務所に移籍を望んでいるらしい。


 相手の事務所とは話が付いていた。


 事態の発覚後、彼女の聞き取りは、社長から彼女に直に行われた。


 社長と彼女が何を話したのか、それは俺たちマネージャーですら正確な事は分からない。


 ただ、社長からは、彼女の契約を解除すると伝えられた。


「やめてくれ……俺は何もしてあげられなかった。ちゃんとした形で卒業させてあげられないなんて、俺の力不足を恥じるばかりだ」


 彼女が移籍すれば、この会社の方針に不満を持つ後輩たちも後に続くだろう。


 フォロワーが数十万人の彼女が移籍するだけでも会社としては大問題だが、後輩達が続けば、それこそ大問題だ。


 彼女は後輩達を戒めるために見せしめに契約解除されるのでは無いか……


 俺はそう考えた。


 それはあんまりだ。


 俺は社長に抗議した。


 だが社長は、契約解除は、そんな理由ではないと言った。


 そんな理由だけで彼女の契約解除を決めた訳じゃない……櫟乃森くぬぎのもり、俺だって辛いんだよ。


 本当はこんな事をしたくないんだ。


 だがな、櫟乃森くぬぎのもり、こうするしかないんだ。


 わかってくれ。


 その時の社長の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


 ……結局、俺は何も言い返せなかった。


 俺は、彼女を乗せた車を発進させる。


 今日はこれから、彼女が配信するための場所に向かう事になる。


 これから契約解除までの数日間、彼女の配信は、自宅でも会社でもない別の場所で行われる事になる。


 会社は、所属するVTuberが身バレしない様に、都内に幾つかセーフハウスを用意していた。


 その場所は俺たちマネージャーにしか分からない様に、秘匿していた。


 これから俺は、彼女を乗せて、セーフハウスの一つに向かう。


 彼女にとっては、ゴルゴダの丘に等しいそのセーフハウスに。


 まだ世間はカノンちゃんが契約解除されることを知らない。


 世間どころか、社内でも殆どの人が知らないし、同期や仲の良いVTuber達にも知らされていない。


 だから、彼女が契約解除されるまでの数日間、彼女からその事実を会社の人や他のVTuberに知られない様にしなければいけない。


 だから、彼女はこれから誰も知らない場所に行き、そこで誰とも合う事はできない。


 そして、既に決まっている最期の審判の時まで、何事もなかったかの様に配信を続けなくては行けないのだ。


 誰にも悟られない様に、でも最期まで普段どうりの配信をしなければ行けない……それがどれほど辛い事なのか。


 俺には、彼女の辛さは分からない。


 発表までの数日間は活動休止して、そのまま契約解除という手もあった。


 だが彼女は、最期のその時まで配信を続ける事を選んだ。


 彼女は自ら、その道を行く決意をした。


 例え誰にも言えなくても、契約解除されるとはい分かっていても、それでも最期の最後まで配信をさせて欲しい……そう彼女は言った。


 セーフハウスに入ったら、もう他のVTuber達と会う事は出来ない。


 そして出る時は、彼女はVTuber梁都はりとカノンでは無くなるのだ。


 彼女の心情を思うと、胸が苦しくなる。


 俺は、なんて残酷な事をしているのだろう。


 だが、これが現実なのだ。


 これが俺の仕事なんだ。

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