6

 崩れ落ちそうな身体を引きずって彼は歩く。ふと道路の隅に置かれた停留所が目に入った。

 既に廃線になっているのか、全く手入れのされていないさびだらけのベンチへと腰を下ろす。

 世界から忘れられたかのようなその場所はひどく居心地がよかった。彼にはもう身体を支えるだけの気力はなく、ただぼんやりと地面を眺めていた。

 どれくらいの時が経っただろう。近付く人の足音に彼は顔を上げた。そこには疲れた顔をした女が立っていた。肩から下げた小さなポーチ。中にはなまりでも入っているかと疑うほど、下がった彼女の右肩が疲労を物語っている。

 「隣、座ってもいいですか」

 「どうぞ、僕はもう立つつもりでしたから」

 彼女は腰をかけようとして、そこで初めてベンチの上に打ち捨てられた絵へと視線を落とした。

 そして──糸が切れてしまったかのように、時間が止まってしまったかのように、その身体は一切の行動を停止する。

 しばらく呆然と絵を見つめたのち、彼女は震える指先でポーチの口を開いた。その中からぐしゃぐしゃに丸めた紙を取り出す。

 破かないようにゆっくりと薄いガラスに触れるようにやさしく、青年の視界に一枚の紙が広げられた。

 満遍まんべんなくしわのついたぼろぼろの紙。

 ただ黒い絵の具をぶちまけただけのようなそれが絵だと気付ける者はいるだろうか、気付いたところで何を描いたものかそれは誰の目にもわかるはずがないものだった。

 それでも彼は一目見た瞬間、そこに描かれたものを理解する。

 自らが旅した日々を理解する。

 それは紛れもなく、あの日彼が描いた澄み渡る青空の絵だった。

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移り、映る 津々浦ゆら @tsutsuura

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