第2話

 大学のバンドの練習は、当分来られないと言ってある。翔平はストンプの他にも呼び出されて演奏することが多くなった。約束はちゃんと守っているので、うっかり遭遇しても杏子に触れない。だが、杏子は頰に触ってあげたりする。賢三はいつも、『杏子、それは生殺しだぜ。。。』と心のなかで叫んでいる。翔平は、ストンプの時は必ずカウンティングスターに寄って、美津子さんの母親のような優しさに甘えているようだった。杏子にしてたように接すると、バシッとやられるらしい。

 バンドのベーシスト、一ノ瀬くんもまた、教育実習で1ヶ月練習が一緒にできない。


「一ノ瀬も実習かぁ。。。バンドのほうは、しばらくは自主練ということだね。。。 で、どう?一ノ瀬の選んだ学校は?」


「俺の選んだところは、結構真面目な子ばかりのいる受験校の中学校らしいんだ。担当を受けてくれる先生は、ラッパやるけど、ホルンだって。。。賢三や翔平とやるのとは全然違いそうだ。。。ま、教職は保険みたいなものだから。。。」


「そうだったな。。。俺は本気で高校教師になりたいんだ。。。頑張るぜ!何か相談したい時は連絡するよ。実習期間は実家から通うんだけど、気が向いたら家の音楽室使っていいから、杏子もいるし、じいちゃん&ばあちゃんも喜ぶし、気軽に遊びに行ってくれや。」


「あ、それもしかするとすごく助かるかも知れない。コンバス触りたいと思ってたし。 おじいさんに酒持っていくよ。」



 そんなこんなと、準備を整えているうちに、あっという間に実習期間に突入してしまった。

 篠先生のクラスは、やさぐれた生徒はいないように見えたが、決して担任を尊敬しているようには見えない。。。学級崩壊とも言い切れないと言う感じの中度半端なクラスだった。3年生ともなると、女子は絵に描いたような真面目な子と、化粧やピアスもしている子もいる。男子も同じように、受験を控えているからという理由が全面的に見えるタイプと、茶髪でロン毛、ピアスも各耳数個ずつ着けている子もいた。 教育実習生なら、ちょっとからかってやろうというのが、丸見えな奴らである。


「はい、傾注!お願いします。今日は教育実習で、こちらの学校にいらした先生、林賢三先生をご紹介します。 では、林先生、どうぞ。」


「篠先生、ありがとうございます。 えー、今日からこのクラスと他クラスや他学年の音楽を担当します、あと、吹奏楽部の部活にも付き合います、林です。東京芸大の音楽科、吹奏楽部に所属しています。他に、ジャズバンドもやってます。髪型やピアスに関しては、すでにここの校長から注意を受けていますが、ピアスは学業には不必要なので校内では外しますが、髪型はそのままにします。ハーフアップはちゃんと整えているもので、こんなことが君たちに悪影響を及ぼすとは思っていませんから、直しません。常に清潔に保っています。自分はとうに成人していますし、しっかりと税金を払っています。以上です。よろしくお願いします。 質問があれば今、受けます。」


 生徒たちは一斉に挙手した。賢三は、興味が自分に向いたことを確認し、これならクラス崩壊じゃないと思えた。やり方次第だということだ。


「はい、えーっと、飯田さん。」


 賢三は生徒の名前と座席の記されたプリントを渡されていたので、名前をしっかりと覚えるために、そのまま手に持って対応した。


「先生は彼女いますか?(笑)」


「彼女? いません。恋女房ならいるよ。自分は既婚者です。ほら!この指輪見てくれ!」


おぉー!と、クラス中が一斉に声を上げた。


「はい、田中くん」


「先生は背が高いけど、なにか運動してましたか?」


「自分はこの中学出身なんだけど、在学中にはすでにタッパがあったのでバスケットをやってた。チームでの運動は面白かったし、地域のや県大会にも出たけど、試合中の事故で足を複雑骨折してね。。。それ以降は、サックスに集中できたんだ。 あそこの体育館は、その骨折してトラウマになりそうな激痛を味わった場所なんだよね。。。みんなも運動中は事故のないように、気をつけてくださいね。」


「それって、人生変えたんですか?」


「変えたさ。。。バスケ続けてたら、推薦で高校行けたもんな。。。でも、サックスはギブアップしなかったと思うけど、出遅れただろうね。」


「その頃は彼女いたの?」


「あのね、挙手してくださいね、大川さん。。。 えーっとね、あの頃に彼女はいませんでした。バスケとサックスの青春だったさ! って、こういう質問しか来ないようなら、もう終わりにします。 どうしても質問したいことがあるなら、質問ノート作るので、そこに記入して渡しに来てください。記名のないものはその場で破いて捨てますが、必ず返事をします。 では、今後とも宜しくお願いします。」


 篠先生は、呆然としていた。自分では経験のないような生徒の集中力だと思い、自分のクラスの生徒達が、ここまで一人の大人に興味を持てるのだと、驚いてしまった。この林賢三は、緩いようでいて、かなり厳しい。自分のように良い先生でいなくてはいけないという考えはない様子だ。こんなに短時間で明確な差が出てしまった。結局は自分の力不足なのだろう。。。教職を習うのはこちらのほうかもしれない。。。


 中学生というのは、子供から大人に変わる第一歩のようだ、1年生と3年生の差は、精神的にも身体的にも、ものすごく大きい。2年生になると、それが混在するから面白い。賢三は自分自身が身体的に大きかったことがあり、子供扱いされたことはなかったが、上の学年からは目をつけられて体育館裏に呼び出されたことがあったが、地元の公立校は、知り合いのお兄さんお姉さんもいるので、その人達に大いに助けられたものだった。商店街など、地元のコミュニティーがしっかりしていると、子どもたちのいざこざや虐めなどを防ぐことができるようだ。見た目がヤンキーで、不良丸出しの子でも、良いところを見てくれる人たちが必ずいる。江戸の頃から伝承されている東京の、それも下町の良いところなのかも知れない。それは、きちんと怒れる大人が存在する社会があること、だから子供は大人を敬う。◯◯ハラスメントとか、◯◯アビューズなどという輸入思想が当たり前になっていない秩序があること。だから子どもたちが途方にくれずにすむ。庭に柿の木がある日本家屋の塀の向こうに、怖い頑固爺さんが住んでいるという、昔ならありそうな風景が残っている??あとは、賢三の人誑しがゆえの神業とも言えるかも??


 その夜、杏子はそのことを賢三に言っておいた。

「些細なことで親に『林先生にいじめられた、怒鳴られた』と告げ口されて、親が学校に乗り込んでくるというのがあってもおかしくない世の中よ。十分に気をつけてね。」


「そうかぁ、、、最近の世の中、そういうのも考えないといけないんだな。点数もらえないと教職課程落第になるしな。。。めんどくせ~〜」


「そうね。。。その辺は高校とは違うから。。。生徒に免疫もないかも知れない。その年令で日本にいなかった私には分かりにくいから、思考が似ている先生をみつけないと。。。一ノ瀬くんも実習しているのよね?彼にも相談するべきよ。」


「そうだね、一ノ瀬には電話してみる。ただ、あいつの行くところは高級住宅街の一角だしな。。。ちょっと思考回路が違う人間ばかりな気もする。。。逆に、ああいうところだと、何かあったら、些細なことでも親が即出てくるかな。。。まぁ、俺なりに頑張る。

 なぁ、杏子、パワーチャージしても良い?」


「はーい、良いわよ〜〜♡ 私も恋しくなりそうだし。チャージ大歓迎よ、早く来て!」


「はい!!!!」




 賢三は、自前のサックスを持って実習の初登校をした。いつでも吹けるようにしておいたYAMAHA YAS-62は、職員室に置いておく。生徒に悪戯されることは、まず99%ないと言えるからだ。

 初日の割には、たっぷりとクラスが満載の一日。朝礼は校庭だが、日差しは柔らかく、気温も低めなので熱中症は出ないだろう。生徒からの指すような視線が感じられた。物珍しいのは仕方がないと言える。朝礼の後は、篠先生のクラスで、ホームルーム。このクラスは比較的大人っぽい生徒が多いという話しだった。 高校生と付き合う女子や、他校女子が校門まで迎えに来るモテる男子。恋仲を完全に公表しているカップル、などなど、賢三の中学校の頃と比べると、賢三は見た目とは真逆な、スポーツと音楽に打ち込んだ爽やかボーイだったようだ。。。


 品田有子と櫻井忍は、篠良子のクラスだ。女子の中でも目立つ美形で、校内だけではなく他校や高校生の男子からも人気があった。


「ねぇ忍、今度の実習生だけど、私、結構好みだわ。」


「有子はさ、イケメンに弱いよね。。。でも、あの人既婚者だって言ってたじゃん、恋女房なんて言葉使うくらいだし、学生結婚してるってことはラブラブだと思うよ。止めといたほうが良いって。」


「そんなの、こっちになびいちゃえば、それまでじゃん。恋愛は自由よ!」


「あんたねぇ・・・K高の彼氏はどうするのよ!あの人も、元カノいたのに、有子が取っちゃったんじゃん。。。あんたみたいのを『魔性の女』っていうんじゃないの?(笑) でも、今度の実習生の林くんは、無理よ。全然大人だもん。」


「大人だから良いんじゃん! まして、ジャズメンだよ。カッコいいじゃん! そう言えば、この放課後は吹奏楽部にいるんだよね。。。見に行ってみない?」


「えー!観るだけなら良いけど。。。部活は入らないからね。私、ラッパ系苦手だし。。。うるさくないかい??」


「観るだけだけど、音が嫌なら耳栓していけば?(笑)」


2人は放課後になって音楽室に向かった。ドアの向こうから笑い声がしていた。音楽室からの笑い声など、今まで聞いたことがなかった。恐る恐る覗いてみる。。。一人ひとりが、楽器片手にして、しっかりと講義を聞いている感じだった。壇上にいるのは実習生の先生。。。顧問の先生はピアノのところでスタンバイしている感じだった。 数人が訪問者に気づき、先生2人もこちらを振り向いた。


「あ、見学?? じゃ、しっかり入ってきて。篠先生、お願いします。 じゃ、みんな、この2週間で1曲完成させようね。本当に良いんだよね?『My Favorite things』でね? 篠先生、ソプラノサックス、ありましたっけ?」


2人の見学者は、隅の椅子に座っていた。


「2本、あるはずなんですけど。。。難しいので誰も手を着けていません。林先生、やってもらえますか?」


「この曲がソプラノサックスで吹いている曲なので、できれば入れたいけど、確かに初心者には難しいんですよね。。。でも、生徒のアルトサックスといっしょにいれるということで、自分が吹きましょうか。 で、やっぱり誰も使わなかったということはお手入れしてないんですよね?? じゃ、今から手入れしますので、出していただけますか?」


「はい・・・わかりました。すぐに出してきます。」


「じゃ、みんなには楽譜を明日配ります。もしもチャンスが有れば、YouTubeでも、Spotifyでもいいから、ジョン・コルトレーンの『My Favourite things』を検索して、しっかりと聴いてみてください。ジャズっていうもんは、アドリブが命だから、コルトレーンの指使いとかは真似できないので、大体の曲の感じを掴んで欲しい。フルートもトロンボーンもちゃんと入れてありますから、動画でのテクニックに動揺しないようにしてね。 取り急ぎ、今、篠先生が持ってきてくれたらすぐに、速攻で自分が吹いてみますが、この前、アルトで吹いたのを思い出して欲しい。ピアノは無理やり篠先生にやってもらうけど、コンバス、簡単なものにアレンジして楽譜作るから安心してて。

あ、来た、きた! じゃ、ちょっと出してみるね。」


案の定、ソプラノサックスは、ミイラ化していた。。。1本取り出して、指の当たりを確かめる。自前のマウスピースをあわせて、早速吹いてみた。できないことはないと確認。でも、ここまで硬いキーパッドやタンポ(パッド)は初めてだ。。。自分が在校してたとき、ソプラノ吹いてた人はいなかった。。。とりあえずの手入れだけは捺せられてただけだったかも知れない。さすが内田先生、保存状態は優秀と言える。


「篠先生、これ出したところ観るのは初めてですか?自分がいた頃に、これを吹いている人見たことなかったんですよ。だから多分、自分が在籍した以前に内田先生が磨いて保存したままだと思いますよ。キーがかなり硬いけど、手入れしてすぐに正常に使える状態です。自分はこのまま吹いてみますね。」


「すみません、全く手入れしていませんでした。生徒に見せて、触らせることは重要なのに。。。」


「遅くなっても、分かってよかったじゃないですか? 今度先生にジョン・コルトレーンのCD貸します。あ、先生はSpotifyに加入してますか? よかったら、ビル・エヴァンスとジョン・コルトレーンの有名アルバム、聴いてみてください。カルテットの演奏はピアノがすごいんですよ。たまにはジャズピアノ、ご自分で弾いてみるのも良いと思います。先生なら、耳ですぐに楽譜書けますでしょ?」


「わかりました。すぐにでも音楽ストリーミングサービスに加入してみます。」


「ジャズはですね、アドリブが命なので、ライブがすごいんです。この教室は、Bluetoothでコントロールできるようになってますか? 自分がいた高校がそれをしていたので、音楽室で往年のジャズを探し出して聴くことができました。まぁ、先生のスマホが必要ですけどね。。。」


「わかりました、校長に相談してから予算から、そのブルーナントカを購入できるかも知れません。安ければですが。。。」


「ハハハ、ものすごく安いのがあります。自分のを持ってきてもいいのですが、外すのが面倒ですし、妻が使うので、外せません。安いので十分ですよ。デジタルってなんで聴いても出力は同じなんです。要するに音を出すほうが良いものなら、それなりの音が聴けるわけです。だから古き良きレコードやカセットテープが一番良い音が出せることが証明されてしまったんですけどね。。。自分はCDの音が大嫌いなんです。ジャズをCD化することは、ジャズの暗殺だと考えています。」


「ジャ、ジャズの暗殺ですか?? すごい表現ですね。。。」


「あ、気にしないでください。(笑)おーっと、みんな、お待たせしてごめんね! 静かだから話し込んじゃいそうだった。。。(笑)じゃ、ちょっとコルトレーンを吹きますよ。」


賢三は、スムーズにアレンジした『My Favourite things』を吹き出した。篠先生は、彼の姿と周りの生徒のいる光景を客観的に観て、童話の『ハーメルンの笛吹き男』を想像させた。 みんな魅了されて、ついて行かれてしまう。。。 見学と理由付けて、賢三を観に来た女子生徒2人も、全くそれだった。特に品田有子は、賢三に興味を持ってしまったようだ。

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