第八話 帝国将兵の憤懣 そして、驚愕


 ガルデノン帝国には、天下に名だたる大将軍が幾人も存在する。


 マリケス・フォン・ツヴァインはまさに、その一人であった。


 物心ついた頃から戦場を駆け抜け、数多の大戦果を挙げてきた、帝国の英雄。

 老境に至ってなお将としての格は落ちることなく、戦士としてはむしろ力量を高めてすらいる。


 そんな彼の心中は……実に、暗澹たるものだった。


 帝国を出立してより、およそ半月程度で目的地に到達し、陣地を設営。

 そして夜半。

 遙か遠方に標的を臨む、平野の只中にて。

 今までそうしてきたように、マリケスは主立った配下を集め、軍議を開いた。


 彼の軍議は常々、侃侃諤諤としたものとなる。

 そこに相手の強弱は関係ない。

 あらゆる可能性を論じ、決して敗北せぬよう徹底的に備える。

 ゆえにこそ軍議は白熱するのが常……なのだが。


 マリケスは目前の状況に嘆息した。

 長きに渡る人生において、これほど静かな軍議は経験したことがない。


 それもそのはず。

 マリケスも、配下達も、此度の一戦に対して消極的な姿勢を貫いているからだ。


「……このような戦があってたまるか」


 ボソリと呟くマリケスに、配下達は皆、同意を示した。


「我が方の軍勢は、一万。これに対し……相手方はせいぜい三〇〇といったところ」


「アルデミアの里は、採掘した魔石の大半を我等が帝国に献上することによって、その独立を認められてきた。その背景を思えば……魔石を潤沢に蓄えているわけもない」


「うむ。となれば必然、強力な兵器を製造することも不可能となろう」


 一応、陣地を設営しつつ、斥候を出してみたが……

 里を守る壁面の外に、複数の兵器らしきものが見受けられた。


 とはいえ、それ自体は想定の範疇。

 帝国に搾取されているにしても、自衛手段の一つや二つは持ち得て当然である。


 しかしながら。


「形状からして投石機の類いであろうな」


「見たことのない形ではあるが……いかな性能であろうとも、数が足りておらぬ」


「無論、多少の被害は出ようが、数的不利を覆すものではない」


 配下達の静かな意見交流を耳にしつつ、マリケスは再び嘆息する。


 相手方の兵器が脅威となりえないのなら、必然的に、突撃するこちらを相手方の軍が迎え撃つ展開となろう。


 歩兵や騎馬による白兵戦。魔導兵による魔法戦。

 これらを制するのはおよそ、数的有利を得ている側となる。


 無論、奇策を用いることにより、寡兵で大軍を打ち破ることも不可能ではない。

 マリケスとてそれは幾度も経験してきた。


 しかしながら。


「……三〇〇の寡兵で、いかにすれば、一万の軍勢を破り得るというのか」


 ある種の憤懣を含むマリケスの言葉に、皆が大きく頷いた。


「ルドラめは不覚をとったようだが……それにしても、マリケス様を差し向けるほどのことではなかろう」


「皇帝陛下はマリケス様の武名に傷を付けようとしておるのだ」


「このような戦とも呼べぬ一戦に勝利したとて、むしろ恥にしかならぬ」


 皆、誰もが確信している。

 これは皇帝・ゴームによる嫌がらせだと。


 アレは煌めくものを穢さずにはいられぬ性分。ゆえにマリケスの威光もまた、思うがままに陵辱せんとしているのだ。


「…………もはや、愚痴の言い合いにしかならぬな」


 そのように判断したマリケスは軍議を終わらせ、皆に休眠をとるよう命じる。


 里攻めは明朝。

 それまで体を休めておけ、と、そのように言い伝えた――


 次の瞬間。

 凄まじい轟音が、マリケスと配下達の耳朶を叩く。


「ッ……! 何事かッ!」


 すぐさま状況を確認したことで……彼等は困惑を覚えた。


「投石による攻撃、だと……!?」


 ありえない。


 相手方が投石機を所有していることは、事前に把握していた。

 ゆえにこそ、その射程圏から外れた場所に、陣地を設営したのだ。


 にもかかわらず。


「ッ…………!」


 再び、巨岩が自軍を襲う。

 そうした様相を前にして、配下達が狼狽の色を見せる。


「な、なぜだ……!? なぜ、届く……!?」


「帝国が有する最新鋭の投石機とて、これほどの距離が開けば、射程外となるはず……!」


 目の前の現実を、受け入れることが出来ない。

 そんな配下達に、マリケスは、


「うろたえるなッ! いかに理解不能な状況であろうともッ! それが現実であれば、受け入れたうえで、対応せねばならんッ!」


 マリケスの中にあった動揺は、既に消え失せている。

 彼は冷静な心理と頭脳で以て、全軍に命を下した。


「作戦変更ッ! 里攻めをこれより開始するッ!」


 既に自軍は敵方の射程圏。

 後退してそこから離れたとしても、それで勝利を得られるわけではない。

 ならば。


「全軍、突撃ッッ!」


 これが最適解。


 確かに意表を突かれはしたが、だからなんだというのか。

 結局のところは、同じこと。

 平野での合戦に持ち込み、圧倒的な物量で圧し潰す。

 ただそれだけで、この一戦は終わりを迎えるだろう。


「はぁッッ!」


 自らが先頭に立ち、馬を走らせる。

 そうして敵方の陣営へ接近し――


 ここで、またもや、マリケスは当惑を覚えた。


 迎え撃つ者達は総じて、子供や老人など、非戦闘員ばかり。


 なんだこれは。

 虐殺してくれとでも言うのか?


「ッ……!」


 マリケスが疑問を抱くと同時に、里の住人達が動いた。


 投石か。

 なるほど。

 確かにそれならば、非戦闘員であっても敵軍にダメージを与えることは出来よう。

 しかし命を擲ってまで行うほどの効果は――


 と、そのような考えを打ち砕くように。


 里の住人達が投擲したそれは。


 未知の現象で以て、自軍に大打撃を与えてきた。


 放物線を描いて落下したそれらは、やがて閃光を放ち――

 次の瞬間、灼熱が自軍を飲み込む。


「投石では、ないッ……!?」


 マリケスの驚愕を笑うように、里の非戦闘員達は次々にそれを投げ放ってくる。


 自軍は勇猛果敢であるが、しかし、これには堪えた。


 先刻まで一気呵成に突撃していた軍全体が、怖じ気づいたように停止する。


 そんなタイミングで。

 マリケスの耳に馬蹄の音が届く。


「両翼から騎馬隊ッ……! 囲い込みかッ……!?」


 いや、ありえない。

 全体戦力が三〇〇であるならば、騎馬隊の数はせいぜいが六〇かそこら。

 そんな数で包囲殲滅を狙うことなど、考えるだに馬鹿馬鹿しいことだ。


 であれば、騎馬隊の目的はなんだ?


 敵方の意図を読まんと思考する……その最中。

 またもや、マリケスの常識が打ち砕かれた。


「騎兵が、射撃だとッ!?」


 そう。

 馬蹄の音を響かせ、接近してきた騎馬隊は、一定の距離を維持して旋回するように動作し、こちらへと弓矢を放ってきた。


 ありえない。

 騎馬は突撃を主戦術とするものであり、騎乗状態での弓射など、するものではない。


 なぜならば、騎乗状態での射撃は踏ん張りが利かず、ゆえに射程距離も威力も脆弱なものとなるからだ。


 しかし。

 敵方が放った矢の威力は、まるで至近距離から撃ってきたかのように、勢いも威力も凄まじいものだった。


「……ッ! なんだ、この矢はッ……!?」


 手近な歩兵に突き刺さったそれを目にして、マリケスはまたもや吃驚する。


「矢の後端に……これは……鳥の羽か……!?」


 マリケスには、知る由もないことだが。


 後端に取り付けられたその羽によって、矢は射出された後、表面と裏面で空気が流れる速度に差異が生じるようになる。


 その気圧差が矢全体を回転させ、貫通力と推進力を強化しているのだ。


 そして。

 騎乗状態で、その矢を放つことを可能とする、原理は。


「馬に何か……取り付けている……!?」


 これまもた、マリケスが知り得ぬもの。


 名を鐙という。


 さりとてこの道具は、複雑怪奇なものでもなければ、理解が困難なものでもない。

 騎乗者が足を引っかけ、踏ん張ることが出来るようにしたというだけの、あまりにもシンプルな道具。


 けれども、この世界の住人達はもとより、和馬が元居た世界においても、西暦三〇〇年を迎えるまで、こんなにも単純明快な道具を誰も思い付くことが出来なかった。


 騎乗の術理とは、馬の胴を足で挟み込み、体勢を維持するというのが基礎であり、全て。


 不便があっても、それは仕方がないことではないか。


 きっとそんな思い込みが、発明を遠ざけたのだろう。


「くッ……!」


 理解が出来ない。

 意味が分からない。


 長きに渡る輝かしい戦歴が。

 積み重ねてきた智恵と常識が。


 何もかも、無碍にされている。


「こん、なッ……!」


 歯噛みし、なんとか、堪えた。

 おそらく自軍の被害は現状、二〇〇〇かそこら。

 とんでもない大打撃ではあるが、しかし、敗走を認めるほどの状況では――


「むッ……!?」


 そのとき。

 マリケスは、一人の美しい少女を、見た。


 エルフ特有の尖った耳。

 風に靡く、麗しい銀髪。


 彼女はまるで散歩するように戦場を歩き、そして。


 掌を、こちらへと向けてくる。


 次の瞬間。


 ある者が、巨人に踏まれたかのように圧し潰された。

 ある者が、血反吐を撒き散らして倒れた。

 ある者が、なますの様に斬り刻まれた。


「ッッ……!」


 魔法だ。

 あのエルフの少女は、魔法を用いている。


 だが……どうすれば、こんなことが出来るのか、まったくわからない。


 ただ、一つだけ理解出来ることもあった。

 このまま戦闘を続行した場合、彼女の手によって自軍は全滅するだろう。


 あれは、ただの美しいエルフではない。

 純白の死神だ。


「――――全軍ッ! 撤退ッッ!」


 マリケスは屈した。

 理解不能の恐怖に。生まれて、初めて。


「ッ……!」


 いの一番に戦場から逃げ去る。

 そうした姿を、味方はどう思うだろうか。


「ッ……! こんなッ……!」


 終生に至るまで残るであろう、恥辱。

 あまりにも苦々しいそれを噛み締めながら、彼は吐き捨てるように呟いた。


「こんな戦が、あってたまるかッ……!」





 ~~~~あとがき&お願い~~~~


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